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大エレヅ帝国編
拝啓、愛しい貴方へ
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私の知らぬ間に皇子様が出掛けて、幾日経ったか。
「まだ、お帰りにならないのですか」
清廉なお城。
水流の音に涼みながら、テラスでお茶を頂く。この国特産の茶葉は私の好みに合わなかったから、趣向に合う物を他国から取り寄せた。カップを口元に寄せると香る甘さに顔が綻ぶ。
「皇子はお忙しい方でいらっしゃいますから……。ですが、じきにお戻りになられますよ。何と言っても星詠みさまがいらっしゃるのですもの」
「私に、呆れていらっしゃるのかしら。私が詠えないばかりに……」
「何をおっしゃいますやら。星詠みさまは慣れぬ世界で緊張していらっしゃるのです。ご心配せずとも、いずれ詠えるようになられますよ」
「……そうよね。ありがとう、ミーヌ」
一番に私の世話を焼いてくれるミーヌは、皇子の乳母らしい。私を優しい言葉で甘やかしてくれる彼女。そのおおらかさが心地良かった。
紅茶を一口、それから切り分けてもらった焼き菓子も一口。うん、美味しい。次は元の世界の物でも焼いてもらおうかしら。皇子と二人で分けて、将来の話をするの。
(早く逢いたい。早く、帰って来て)
愛しい人。私の人生を完璧にしてくれる人。
早くここに来て、私の不安を取り払って欲しい。心配しなくとも、じきに星詠みの役目を果たせるようになると言って欲しい。
それをこなして、ゆくゆくはこの国の皇妃となる。
(本物になれる)
私は選ばれたのだから。
薔薇色の未来に、そっと微笑んだ。
✳︎✴︎✳︎
ーー焚き火の弾ける音がする。薄っすらと目蓋を開くと、隣で眠るウラヌスが目に入った。
(火の番、代わったんだ……)
いつも精悍な顔が、今はあどけなく緩んでいる。無性に可愛く感じて、ひっそり口角を吊り上げた。
(いつもありがとう。あなたのおかげでわたし、この世界で生きてる)
初めて出逢ったのは帝都のお城の外。逃げ出したばかりで怯えるわたしに優しくしてくれた。それからエステレアまで一緒に行ってくれることになって、村やバディオン、ズェリーザ廃坑に渓谷と旅を続けている。
彼らがいなければわたしはあの日、すぐに連れ戻されていたかもしれない。
(おやすみ、ウラヌス…)
わたしが眠る前にも交わした言葉をもう一度、心の中で告げて目蓋を閉じようとした。その時、彼の胸元に小さな紙が落ちているのに気付く。
わたしはそれを、深く考えずに手に取った。
何だろうって。まだ半分微睡みの中にいたわたしは渓谷に入る前の事を忘れて。何気なく見たそれの折り畳まれた内側、そこに見知った文字を見つける。
(えーー)
つい、開いてしまった。記されていたのは懐かしい文字。
<拝啓、愛しい貴方へ>。
元の世界の言語が、並んでいた。
(なに? え……?)
その下の文字は読めない。この世界の言語だ。
手が、震える。どうしてこの文字が記されているの。どうしてウラヌスがその手紙を持っているの。
混乱の中わたしは、掻き集めた理性でなんとか手紙を彼の懐に差し込む。起こさないよう慎重に、慎重に。それから寝返って、シーツを深く被った。
(拝啓、愛しい貴方へ)
愛しい、貴方へーー。
一粒、勝手に眦から滴がこぼれて、頬を伝った。
自分で何の涙なのか分からなくて、いっそう混乱する。ただ、誰かがウラヌスにこの言葉を贈った、そう思うと胸が締め付けられるようだった。
『おれは恋なんてしたことはないよ』
あんな事を言っていた癖に。そりゃそうだ、ウラヌスを周りの女の子達が放っておくはずない。
わたしの知らない所で、ウラヌスがわたしにしてくれるみたいに女の子に優しくする。女の子と過ごす。今まで考えもしなかった彼の<人生>。
わたしの知らない顔の姿が、そこにはある。
わたしはそこに入れない。だってこの旅はエステレアからの迎えと合流すれば終わるもの。ウラヌスとオージェと過ごす時間は有限だ。
(……早く、皇子様に会いたい)
これ以上ウラヌスに執着しないために。
ちゃんとお別れが出来る内に。身の程知らずな主張を彼に、ぶつけてしまわない内にーー。
(ウラヌス)
何度も彼との思い出を反芻しながら、いつの間にか眠っていたわたしは、また夢を見た。
燃え盛る炎、吹き荒ぶ風、押し寄せる水、鳴り響く雷……厄災の中をたくさんの人々が逃げ惑っている。人種も性別も年齢も様々な人達が街を、野を、森を川を。安全な所なんて何処にもない。そんな様子で。
人々の足元には事切れた者達が横たわる。でも走っている人々も次々と彼らに続いていった。
まるで終末。
そうして駆ける者の全てが過ぎ去った後、次に現れたのはーー争う人々だった。
「じゃあな! ここまで来ればあと少しだ。気を付けて越えろよ」
バウシュカが手を振る。渓谷の終わりも見えてきた頃、わたし達は勇壮なる剣と別れた。彼らにはまだアザー討伐の任務が残っている。大剣を手に去って行く背中を少し眺めて、わたし達もまた目的地を目指して歩き出した。
「ここさえ越えたらゾビアは目の前。もーちょっとだから頑張ろうね、エイコ」
「うん。わたしは大丈夫」
「ほんと? 疲れたらさぁ、ちゃんと言わなきゃ駄目だよ」
「ありがとう、オージェ」
何となくウラヌスの隣を歩くのが気まずくて、オージェの少し後ろを行く。でもそうしていると、突然ウラヌスが傍に来てわたしの手を取った。
「な、なに…?」
「愛想で言っているんじゃない。本当に何でも、言っておくれ」
「え……、ど、どうしたの? 突然。…大丈夫、何かあったらちゃんと言うよ」
「……約束だ」
彼があまりに真剣で、思わず頷く。
今、そんなに深刻な話だったかな。ひとまず手を引こうとしたら、予想外に強く握り込まれて離れなかった。
戸惑うままにウラヌスを見上げる。
わたしを探るような、そんな眼差しに居心地の悪さを覚えて。
助けを求めてオージェを見る。そうしたら彼も、ウラヌスと同じ目でわたしを見ていた。
「まだ、お帰りにならないのですか」
清廉なお城。
水流の音に涼みながら、テラスでお茶を頂く。この国特産の茶葉は私の好みに合わなかったから、趣向に合う物を他国から取り寄せた。カップを口元に寄せると香る甘さに顔が綻ぶ。
「皇子はお忙しい方でいらっしゃいますから……。ですが、じきにお戻りになられますよ。何と言っても星詠みさまがいらっしゃるのですもの」
「私に、呆れていらっしゃるのかしら。私が詠えないばかりに……」
「何をおっしゃいますやら。星詠みさまは慣れぬ世界で緊張していらっしゃるのです。ご心配せずとも、いずれ詠えるようになられますよ」
「……そうよね。ありがとう、ミーヌ」
一番に私の世話を焼いてくれるミーヌは、皇子の乳母らしい。私を優しい言葉で甘やかしてくれる彼女。そのおおらかさが心地良かった。
紅茶を一口、それから切り分けてもらった焼き菓子も一口。うん、美味しい。次は元の世界の物でも焼いてもらおうかしら。皇子と二人で分けて、将来の話をするの。
(早く逢いたい。早く、帰って来て)
愛しい人。私の人生を完璧にしてくれる人。
早くここに来て、私の不安を取り払って欲しい。心配しなくとも、じきに星詠みの役目を果たせるようになると言って欲しい。
それをこなして、ゆくゆくはこの国の皇妃となる。
(本物になれる)
私は選ばれたのだから。
薔薇色の未来に、そっと微笑んだ。
✳︎✴︎✳︎
ーー焚き火の弾ける音がする。薄っすらと目蓋を開くと、隣で眠るウラヌスが目に入った。
(火の番、代わったんだ……)
いつも精悍な顔が、今はあどけなく緩んでいる。無性に可愛く感じて、ひっそり口角を吊り上げた。
(いつもありがとう。あなたのおかげでわたし、この世界で生きてる)
初めて出逢ったのは帝都のお城の外。逃げ出したばかりで怯えるわたしに優しくしてくれた。それからエステレアまで一緒に行ってくれることになって、村やバディオン、ズェリーザ廃坑に渓谷と旅を続けている。
彼らがいなければわたしはあの日、すぐに連れ戻されていたかもしれない。
(おやすみ、ウラヌス…)
わたしが眠る前にも交わした言葉をもう一度、心の中で告げて目蓋を閉じようとした。その時、彼の胸元に小さな紙が落ちているのに気付く。
わたしはそれを、深く考えずに手に取った。
何だろうって。まだ半分微睡みの中にいたわたしは渓谷に入る前の事を忘れて。何気なく見たそれの折り畳まれた内側、そこに見知った文字を見つける。
(えーー)
つい、開いてしまった。記されていたのは懐かしい文字。
<拝啓、愛しい貴方へ>。
元の世界の言語が、並んでいた。
(なに? え……?)
その下の文字は読めない。この世界の言語だ。
手が、震える。どうしてこの文字が記されているの。どうしてウラヌスがその手紙を持っているの。
混乱の中わたしは、掻き集めた理性でなんとか手紙を彼の懐に差し込む。起こさないよう慎重に、慎重に。それから寝返って、シーツを深く被った。
(拝啓、愛しい貴方へ)
愛しい、貴方へーー。
一粒、勝手に眦から滴がこぼれて、頬を伝った。
自分で何の涙なのか分からなくて、いっそう混乱する。ただ、誰かがウラヌスにこの言葉を贈った、そう思うと胸が締め付けられるようだった。
『おれは恋なんてしたことはないよ』
あんな事を言っていた癖に。そりゃそうだ、ウラヌスを周りの女の子達が放っておくはずない。
わたしの知らない所で、ウラヌスがわたしにしてくれるみたいに女の子に優しくする。女の子と過ごす。今まで考えもしなかった彼の<人生>。
わたしの知らない顔の姿が、そこにはある。
わたしはそこに入れない。だってこの旅はエステレアからの迎えと合流すれば終わるもの。ウラヌスとオージェと過ごす時間は有限だ。
(……早く、皇子様に会いたい)
これ以上ウラヌスに執着しないために。
ちゃんとお別れが出来る内に。身の程知らずな主張を彼に、ぶつけてしまわない内にーー。
(ウラヌス)
何度も彼との思い出を反芻しながら、いつの間にか眠っていたわたしは、また夢を見た。
燃え盛る炎、吹き荒ぶ風、押し寄せる水、鳴り響く雷……厄災の中をたくさんの人々が逃げ惑っている。人種も性別も年齢も様々な人達が街を、野を、森を川を。安全な所なんて何処にもない。そんな様子で。
人々の足元には事切れた者達が横たわる。でも走っている人々も次々と彼らに続いていった。
まるで終末。
そうして駆ける者の全てが過ぎ去った後、次に現れたのはーー争う人々だった。
「じゃあな! ここまで来ればあと少しだ。気を付けて越えろよ」
バウシュカが手を振る。渓谷の終わりも見えてきた頃、わたし達は勇壮なる剣と別れた。彼らにはまだアザー討伐の任務が残っている。大剣を手に去って行く背中を少し眺めて、わたし達もまた目的地を目指して歩き出した。
「ここさえ越えたらゾビアは目の前。もーちょっとだから頑張ろうね、エイコ」
「うん。わたしは大丈夫」
「ほんと? 疲れたらさぁ、ちゃんと言わなきゃ駄目だよ」
「ありがとう、オージェ」
何となくウラヌスの隣を歩くのが気まずくて、オージェの少し後ろを行く。でもそうしていると、突然ウラヌスが傍に来てわたしの手を取った。
「な、なに…?」
「愛想で言っているんじゃない。本当に何でも、言っておくれ」
「え……、ど、どうしたの? 突然。…大丈夫、何かあったらちゃんと言うよ」
「……約束だ」
彼があまりに真剣で、思わず頷く。
今、そんなに深刻な話だったかな。ひとまず手を引こうとしたら、予想外に強く握り込まれて離れなかった。
戸惑うままにウラヌスを見上げる。
わたしを探るような、そんな眼差しに居心地の悪さを覚えて。
助けを求めてオージェを見る。そうしたら彼も、ウラヌスと同じ目でわたしを見ていた。
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