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星聖エステレア皇国編
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「ウラヌス様!」
それは、用意された部屋へ帰る途中のことだった。
どこからともなく現れたもう一人の女の子、レンがウラヌスの腕に抱き付いて縋る。
「どういう事ですか!? 私…っ、私が貴方の婚約者ではなかったのですか!?」
今日も綺麗なドレスを身に纏っていた。わたしが着ている星官服じゃなくて、まるっきり他のお姫様が着ていたような物。
記憶を授かれないでいる彼女の身分がどれ程か分からないけれど、臣下の方々が口を挟めずに戸惑っている様子からして、多分依然として高いんだ。彼女の後ろでは追い掛けて来た侍女が困り果てていた。
「レンーーこの時間は大事な儀式があるから、部屋を出てはいけないと言われているはずだが」
対するウラヌスの声色は、幼子に言い聞かせるものに近い柔さだった。
「だって、星詠いの儀でしょう! 私が異界の星詠みですのに。なぜ私を除け者になさるの? 次こそは上手く詠ってみせますわ。だから!」
「落ち着くんだ、レン。君らしくもない」
「ウラヌス様……っ」
君らしくもない。その言葉に嫌な気持ちが湧く。わたしの知らない時間を二人が過ごした証を突き付けられるようで、不快だった。でもそんな風に思う権利がわたしのどこにあるというの。
婚約者になったからって、わたしは彼に求愛されたわけでもないのに。
「レン様、私がお供いたします。お部屋へ戻りましょう」
ウラヌスへ助け舟を出したのはオージェだった。けれど彼の誘いにレンは力なく首を振って拒み、ますますウラヌスの腕へ抱き付いてしまう。
その姿は儚げで、深窓の令嬢とは彼女のような人を言うんだと思った。
「こんなのは嫌……」
涙を浮かべた顔がウラヌスを見つめる。その眼差しを彼は無言で受け留めていた。
あまりに悲痛な声に、気の毒な思いが湧いてくる。だって彼女が詠えなかった苦しさは、わたしにも分かる。彼女は記憶さえ授かれなかったんだからなおさらだろう。
異界の星詠みとして期待されていただろうに、応えられなかったんだ。
以前の誇らしげな彼女の姿を思い出して悲しくなった。
「……どうして」
ふいにその視線がこちらへ向く。交わると、今しがた浮かべた思いも忘れてわたしは固まってしまった。
底知れない闇を孕んだ瞳が、わたしを見ている。
その間にオージェが割り入って来た。
(……わざと?)
庇ってくれた? 彼が振り返ることはなく、わたしを抜いて話は続く。
「さぁ、レン。部屋へ戻りなさい」
諭すようなウラヌスの声。それにレンはしばらく黙り込み、急にしおらしい様子で引いた。
「……分かりましたわ。取り乱して申し訳ありません」
「慣れぬ世界で疲れたのだろう。稽古事もしばらくは休むと良い」
「はい……」
ウラヌスの腕をそっと離した彼女。彼に促されてその身をひるがえしかけた時、ふと思い出した様子で止まる。それからこちらを向いた直後、ほんのわずかな時だった。
わたしを敵視する視線が、確かに送られたのは。
鋭いものじゃない。もっと、もっと底の深い……沈澱したような重くドス黒いもの。
「エイコさんも、お騒がせしてしまって……。ウラヌス様のおっしゃる通り、少し疲れているみたい。……貴方もこことは違う世界からいらしたのでしょう? 良ければまた、二人でお話したいですわ」
「レン」
「はい、ウラヌス様」
ウラヌスの再度の促しに今後こそレンは侍女を引き連れて去って行く。
嵐に直撃したような気分。過ぎ去った後に残されて、ようやく実感が湧いてきたわたしは身を震わせた。
(敵視されてる……こわい)
ふと頭上の影が動いたのを感じて見上げる。オージェがわたしを元気付けるように笑ってくれて、それが酷く久しぶりに感じられてなおさら温かい気持ちになった。
「星詠みさま、大丈夫ですか」
「う、うん…!」
声を聞いたのも久しぶりだ。嬉しくて、つい返事を力んでしまう。
「すまなかったなエイコ。オージェも。……部屋へ戻ろう」
でもそんなわたしと対照的に、そう告げたウラヌスはどこか疲れた顔に見えた。さっきの女の子が言っていた言葉が引っ掛かる。自分が婚約者じゃなかったのかって……。
……まさか、あの子と想い合って、いた? あんな手紙を交わすくらいだもの。
(わ……わたしが異界の星詠みだったから、仲を引き裂いてしまった……?)
そんな可能性、あるの? 再会以降、ウラヌスがわたしを必要としてくれているのは分かったけど、それはわたしが星詠みだからで。
まさか、まさか……。
「さぁーー」
彼の手がわたしの肩を抱こうとする。思わず避けてしまったわたしに、ウラヌスは目に見えて、表情を変えた。
「ぁ……」
疲れた様子であっても優しげだったのに。瞬く間に強張った顔で温度のない瞳がわたしを見下ろす。それに余計にたじろぐと、彼はそっと腕を下ろして問い掛けてきた。
「……どうした?」
取り繕ったみたいな微笑み。答えを間違えると大変な事になりそうな、そんな予感がする。でもあまり悩んでいても絶対に良くない気がして。
結果、ぐるぐる考えながらわたしは動き出して……彼の腕に弱く抱き付いた。
「い……行こ……?」
おそるおそる見上げて精一杯笑い掛ける。そうしたらウラヌスは目元を緩ませたから、心の中で盛大に胸を撫で下ろした。
「ああ、行こう。エイコ」
ウ、ウラヌスが劇物みたいに感じる……。
正しい取り扱いがまだよく分からない。ひとまずは抱き付いたまま部屋へ戻ることにした。
これ、星詠みの立場に酔って調子に乗ってる女に見えないかな? わたしの不安の答えになりそうな反応をくれる人は、一人としていない。
それは、用意された部屋へ帰る途中のことだった。
どこからともなく現れたもう一人の女の子、レンがウラヌスの腕に抱き付いて縋る。
「どういう事ですか!? 私…っ、私が貴方の婚約者ではなかったのですか!?」
今日も綺麗なドレスを身に纏っていた。わたしが着ている星官服じゃなくて、まるっきり他のお姫様が着ていたような物。
記憶を授かれないでいる彼女の身分がどれ程か分からないけれど、臣下の方々が口を挟めずに戸惑っている様子からして、多分依然として高いんだ。彼女の後ろでは追い掛けて来た侍女が困り果てていた。
「レンーーこの時間は大事な儀式があるから、部屋を出てはいけないと言われているはずだが」
対するウラヌスの声色は、幼子に言い聞かせるものに近い柔さだった。
「だって、星詠いの儀でしょう! 私が異界の星詠みですのに。なぜ私を除け者になさるの? 次こそは上手く詠ってみせますわ。だから!」
「落ち着くんだ、レン。君らしくもない」
「ウラヌス様……っ」
君らしくもない。その言葉に嫌な気持ちが湧く。わたしの知らない時間を二人が過ごした証を突き付けられるようで、不快だった。でもそんな風に思う権利がわたしのどこにあるというの。
婚約者になったからって、わたしは彼に求愛されたわけでもないのに。
「レン様、私がお供いたします。お部屋へ戻りましょう」
ウラヌスへ助け舟を出したのはオージェだった。けれど彼の誘いにレンは力なく首を振って拒み、ますますウラヌスの腕へ抱き付いてしまう。
その姿は儚げで、深窓の令嬢とは彼女のような人を言うんだと思った。
「こんなのは嫌……」
涙を浮かべた顔がウラヌスを見つめる。その眼差しを彼は無言で受け留めていた。
あまりに悲痛な声に、気の毒な思いが湧いてくる。だって彼女が詠えなかった苦しさは、わたしにも分かる。彼女は記憶さえ授かれなかったんだからなおさらだろう。
異界の星詠みとして期待されていただろうに、応えられなかったんだ。
以前の誇らしげな彼女の姿を思い出して悲しくなった。
「……どうして」
ふいにその視線がこちらへ向く。交わると、今しがた浮かべた思いも忘れてわたしは固まってしまった。
底知れない闇を孕んだ瞳が、わたしを見ている。
その間にオージェが割り入って来た。
(……わざと?)
庇ってくれた? 彼が振り返ることはなく、わたしを抜いて話は続く。
「さぁ、レン。部屋へ戻りなさい」
諭すようなウラヌスの声。それにレンはしばらく黙り込み、急にしおらしい様子で引いた。
「……分かりましたわ。取り乱して申し訳ありません」
「慣れぬ世界で疲れたのだろう。稽古事もしばらくは休むと良い」
「はい……」
ウラヌスの腕をそっと離した彼女。彼に促されてその身をひるがえしかけた時、ふと思い出した様子で止まる。それからこちらを向いた直後、ほんのわずかな時だった。
わたしを敵視する視線が、確かに送られたのは。
鋭いものじゃない。もっと、もっと底の深い……沈澱したような重くドス黒いもの。
「エイコさんも、お騒がせしてしまって……。ウラヌス様のおっしゃる通り、少し疲れているみたい。……貴方もこことは違う世界からいらしたのでしょう? 良ければまた、二人でお話したいですわ」
「レン」
「はい、ウラヌス様」
ウラヌスの再度の促しに今後こそレンは侍女を引き連れて去って行く。
嵐に直撃したような気分。過ぎ去った後に残されて、ようやく実感が湧いてきたわたしは身を震わせた。
(敵視されてる……こわい)
ふと頭上の影が動いたのを感じて見上げる。オージェがわたしを元気付けるように笑ってくれて、それが酷く久しぶりに感じられてなおさら温かい気持ちになった。
「星詠みさま、大丈夫ですか」
「う、うん…!」
声を聞いたのも久しぶりだ。嬉しくて、つい返事を力んでしまう。
「すまなかったなエイコ。オージェも。……部屋へ戻ろう」
でもそんなわたしと対照的に、そう告げたウラヌスはどこか疲れた顔に見えた。さっきの女の子が言っていた言葉が引っ掛かる。自分が婚約者じゃなかったのかって……。
……まさか、あの子と想い合って、いた? あんな手紙を交わすくらいだもの。
(わ……わたしが異界の星詠みだったから、仲を引き裂いてしまった……?)
そんな可能性、あるの? 再会以降、ウラヌスがわたしを必要としてくれているのは分かったけど、それはわたしが星詠みだからで。
まさか、まさか……。
「さぁーー」
彼の手がわたしの肩を抱こうとする。思わず避けてしまったわたしに、ウラヌスは目に見えて、表情を変えた。
「ぁ……」
疲れた様子であっても優しげだったのに。瞬く間に強張った顔で温度のない瞳がわたしを見下ろす。それに余計にたじろぐと、彼はそっと腕を下ろして問い掛けてきた。
「……どうした?」
取り繕ったみたいな微笑み。答えを間違えると大変な事になりそうな、そんな予感がする。でもあまり悩んでいても絶対に良くない気がして。
結果、ぐるぐる考えながらわたしは動き出して……彼の腕に弱く抱き付いた。
「い……行こ……?」
おそるおそる見上げて精一杯笑い掛ける。そうしたらウラヌスは目元を緩ませたから、心の中で盛大に胸を撫で下ろした。
「ああ、行こう。エイコ」
ウ、ウラヌスが劇物みたいに感じる……。
正しい取り扱いがまだよく分からない。ひとまずは抱き付いたまま部屋へ戻ることにした。
これ、星詠みの立場に酔って調子に乗ってる女に見えないかな? わたしの不安の答えになりそうな反応をくれる人は、一人としていない。
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