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狼獣人の番
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父の本には「狼獣人は今まで聞いたことがない独自の言語を使っていた」と書かれていたが、どうも父は当時犬獣人の言語までは習得していなかったようだな。そう言えば、父が犬獣人の論文を書いたのは、本の出版より暫く後だったと思う。
娘としてだけではなく、同じ文化獣人類学者としても敬愛している父が、そう言った未熟な時代もあったのだと思うとなかなか感慨深いものがある。
しかし、これは私には朗報だ。文法も今の言葉で、何となく把握できた。犬獣人の言語を、推測できる文法に乗っとって単語で並べてみれば、癖が強い方言くらいの認識である程度意思疎通が取れるのではないか。
「ミ・ナ・メカヨ・フラ・アサ・ルー」
犬獣人言語で「ミ」は「私」、「メカヨ」は「会う」、「フラ」は「為」、「ルー」は「来る」の過去形。
即ち「私はあなたに会いにここに来ました」と伝えてみる。
途端、目の前の青年の眉間に皺が寄った。
……しまった。何か後ろ暗い目的で狼獣人に会いに来たと勘違いされただろうか。
私は慌てて、自分が貴方達狼獣人に敵意がないこと。狼獣人の文化に関心があり、調査したいこと。
その為に、村に……可能ならば彼の家に滞在させて欲しいことを、伝えようとした。
しかし、どれほど必死に単語を並べても、青年はただ黙り込むばかりだった。
……そうか! 無償でというのはあまりに虫が良すぎるよな。
きちんと土産物があることもアピールせねば。……狼獣人にとって一体どれほどそれが役に立つのかは不明だが、とりあえず色々集めてはみたんだ。
「…………」
「…………?」
感情が読めない金色の瞳を向けて、黙ってこちらを見つめる青年にへらりと微笑みかけた。笑顔は大事だ。交渉ごとにおいては、少しでも第一印象が良いにこしたことはない。
青年は暫くの沈黙の後、突然私の手を取ると、そのまま足早にどこかへ向かいだした。
……村に、連れて行ってくれるのか?
「て、テント! テントの中にまだ荷物あるから! ちょっと待ってくれ!」
青年の手を引いて、テントの方向に戻りたいと主張したものの、一心不乱に前に進む青年は気付いてくれず、圧倒的な力の差でただズルズルと引きずられて行ったのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「私、あなた、会う、為、来た」
華奢な人間の女から告げられる、訛りの強いカタコトの言葉が信じられなかった。
「私、あなた、狼獣人、大好き。なかよし、したい。知る、したい。教える、お願い。する。あなた、欲しい」
それはあまりにも、俺には都合が良すぎる言葉の数々だったから。
「私、村、一員、なりたい。私、あなた、一緒、いたい。大丈夫? 家、入る、したい。あなた、の、家」
……落ち着け。俺。相手は人間だ。いくら、単語がそれらしくても、言語そのものを勘違いしている可能性が高い。
ただでさえ方言が強くて、言葉が聞き取りづらい状況だ。
俺の家に入って、村の一員になりたいという言葉を、そのまま鵜呑みにするわけには………。
「持参金、ある。……だめ?」
ーーって、やっぱり、これ、どう判断しても結婚の申し込み、だろ……っ!
唖然とする俺に、微笑みかける女の姿に、頭の中が真っ白になった。
この女、本気なのか。
本気で、俺の嫁に来たいとそう言っているのか。
……そう言ってくれる、のか。
自然と尾が立ち上がり、左右に揺れた。
俺は頬に浮かぶ番の紋が熱を持つのを感じながら、気がつけば女の手を取っていた。
「ーーローグ。お前、村を出て番を探す気はないのか」
話は昨日の夕方に遡る。
俺は、狼獣人の長であると同時に、俺の父である男の言葉に眉をひそめた。
「……一族の長が、息子に規律違反を勧めて良いのか」
「確かに、村から若者が出て行くことは褒められたことではない。だが、禁じられているわけでもない。我々の姿は、犬獣人に良く似ている。犬獣人の言語を習得し、種族を偽れば何も問題はない。お前が望むのならば、犬獣人の長に橋渡しをしよう」
「種族を偽るなんて、まっぴらだ。俺は、自分が狼であることに誇りを持っている。犬と勘違いされるのはごめんだ」
「……だが、このままではお前は一生一人だぞ」
「同じことだ」
俺は自嘲の笑みを浮かべながら、頬の紋を指でなぞった。
「親父殿。自分の息子の年齢は、把握しているだろう。俺は28だぞ。狼獣人なら、その半分の年齢で婚姻を結ぶものもいる。人間だって、そう変わらないはずだ。……たとえ運良く番が見つかったとしても、とうに結婚しているに決まっている」
この紋に縛られるのは、狼獣人である俺だけなのだから。
「そもそも、俺は顔もろくに覚えてすらないない相手だぞ。対の紋もないのに、一体どうやって見つけると言うんだ」
そう言って俺は親父殿から背を向けた。
『サテ・シュアレ・ナ』ーー『永遠に、あなたを愛す』
この言葉は、けして気軽に使ってはいけない。それは、狼獣人にとって、常識だ。
何故ならこの言葉を口にして、それを相手が受け入れた瞬間、一生を共に過ごす番が決まってしまうからだ。
狼獣人は、一生ただ一人だけの番しか愛せない。そう言う風に生まれ落ちた時から、定まっている。だからこそ、番選びは慎重に行わなければならない。
……そんな重大な言葉を、意味すらろくに知らないままに、口にしてしまった愚かな男が、俺だ。
俺の両親は番に対する愛情が深い狼獣人の中でも、かなり熱烈な部類の夫婦だった。朝起きて顔を合わせる度に、挨拶代わりに「サテ・シュアレ・ナ」と口にし、口づけを交わす両親を見て育った俺は、その言葉がそんなに重大なものだなんて思っていなかった。
ただ、その言葉を口にする度幸せそうに微笑む両親の姿が羨ましくて、自分も誰かを好きになったら、真っ先に「サテ・シュアレ・ナ」と伝えたいと思ってしまった。
……だから、とても愛らしい同年代の人間の女の子が村に訪れて俺に好意を示してくれた途端、当時3歳だった俺は、深い考えもなく、その言葉を口にしてしまったのだ。
少女は俺の言葉の意味は理解していなかったようだったが、それでも人間の言葉で、俺と同じように愛の言葉を返してくれた。
……そして少女が去ってから数年後。人化ができるようになった俺はそこで初めて、長い毛で覆われて隠れていた自分の頬に、番の紋が浮かび上がっていることに気がついたのだ。
一度決まってしまった番は、後からどれほど悔いても変えることはできない。だから少女がどこの誰かも知らない俺は、その時点で一生独身が決定したのだった。
「……本当に、馬鹿なことをしたものだ」
もし、相手が同じ狼獣人ならば。
俺はきっと、世界中を回ってでも、彼女を探そうとしただろう。
俺の考えなしの行動のせいで、彼女は俺以外の相手を異性として愛せなくなってしまったのだ。そもそも番の紋が出ている相手に、手を出せる雄なんていない。
彼女がどんな人だったとしても、俺は責任をとって一生愛し抜いた。
……だが、彼女は人間だ。俺達とは異なる種族だ。番の紋すら、彼女の体には現れない。俺がいなくても、彼女は人間としての幸せを享受できる。
「ーーだからきっと、二度と会えない方が良いんだ」
もしまた出会ってしまったら……離せなく、なるかもしれない。
番を求める俺の一方的な欲で、彼女を縛ってしまうかもしれない。
俺の過ちの犠牲になるのは、俺だけでいい。
……彼女はただ、俺の好意を受け入れてくれただけで、何の咎もないのだから。
夕飯を食べていけと引き止める両親に断りを入れて、俺は一人住まいの家へと戻る。
暫く家でいつものように過ごしていたが、俺以外の気配のない部屋の中に耐えきれず、狼の姿になって家を飛び出した。
四つ足で森の中をひたすら駆け、向かったのは切り立った崖。
番を亡くした狼獣人が、番を偲んで遠吠えをするのに使われるそこで、俺は夜空に向かって吠えた。
淋しい
淋しい
淋しい
ーーお前に、会いたい
亡き番を求める言葉を、そもそもちゃんと番すら得られていない俺が口にするのは、さぞ滑稽だろう。
それでも、番を求める本能は止められなかった。
会わない方が良いとわかっている。
……それでも、会いたくて仕方なかった。
顔も名前も覚えていない、25年前に一度会ったきりの俺の唯一の番に、一目だけでも良いから、もう一度会いたいと闇に向かって吠えた。
娘としてだけではなく、同じ文化獣人類学者としても敬愛している父が、そう言った未熟な時代もあったのだと思うとなかなか感慨深いものがある。
しかし、これは私には朗報だ。文法も今の言葉で、何となく把握できた。犬獣人の言語を、推測できる文法に乗っとって単語で並べてみれば、癖が強い方言くらいの認識である程度意思疎通が取れるのではないか。
「ミ・ナ・メカヨ・フラ・アサ・ルー」
犬獣人言語で「ミ」は「私」、「メカヨ」は「会う」、「フラ」は「為」、「ルー」は「来る」の過去形。
即ち「私はあなたに会いにここに来ました」と伝えてみる。
途端、目の前の青年の眉間に皺が寄った。
……しまった。何か後ろ暗い目的で狼獣人に会いに来たと勘違いされただろうか。
私は慌てて、自分が貴方達狼獣人に敵意がないこと。狼獣人の文化に関心があり、調査したいこと。
その為に、村に……可能ならば彼の家に滞在させて欲しいことを、伝えようとした。
しかし、どれほど必死に単語を並べても、青年はただ黙り込むばかりだった。
……そうか! 無償でというのはあまりに虫が良すぎるよな。
きちんと土産物があることもアピールせねば。……狼獣人にとって一体どれほどそれが役に立つのかは不明だが、とりあえず色々集めてはみたんだ。
「…………」
「…………?」
感情が読めない金色の瞳を向けて、黙ってこちらを見つめる青年にへらりと微笑みかけた。笑顔は大事だ。交渉ごとにおいては、少しでも第一印象が良いにこしたことはない。
青年は暫くの沈黙の後、突然私の手を取ると、そのまま足早にどこかへ向かいだした。
……村に、連れて行ってくれるのか?
「て、テント! テントの中にまだ荷物あるから! ちょっと待ってくれ!」
青年の手を引いて、テントの方向に戻りたいと主張したものの、一心不乱に前に進む青年は気付いてくれず、圧倒的な力の差でただズルズルと引きずられて行ったのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「私、あなた、会う、為、来た」
華奢な人間の女から告げられる、訛りの強いカタコトの言葉が信じられなかった。
「私、あなた、狼獣人、大好き。なかよし、したい。知る、したい。教える、お願い。する。あなた、欲しい」
それはあまりにも、俺には都合が良すぎる言葉の数々だったから。
「私、村、一員、なりたい。私、あなた、一緒、いたい。大丈夫? 家、入る、したい。あなた、の、家」
……落ち着け。俺。相手は人間だ。いくら、単語がそれらしくても、言語そのものを勘違いしている可能性が高い。
ただでさえ方言が強くて、言葉が聞き取りづらい状況だ。
俺の家に入って、村の一員になりたいという言葉を、そのまま鵜呑みにするわけには………。
「持参金、ある。……だめ?」
ーーって、やっぱり、これ、どう判断しても結婚の申し込み、だろ……っ!
唖然とする俺に、微笑みかける女の姿に、頭の中が真っ白になった。
この女、本気なのか。
本気で、俺の嫁に来たいとそう言っているのか。
……そう言ってくれる、のか。
自然と尾が立ち上がり、左右に揺れた。
俺は頬に浮かぶ番の紋が熱を持つのを感じながら、気がつけば女の手を取っていた。
「ーーローグ。お前、村を出て番を探す気はないのか」
話は昨日の夕方に遡る。
俺は、狼獣人の長であると同時に、俺の父である男の言葉に眉をひそめた。
「……一族の長が、息子に規律違反を勧めて良いのか」
「確かに、村から若者が出て行くことは褒められたことではない。だが、禁じられているわけでもない。我々の姿は、犬獣人に良く似ている。犬獣人の言語を習得し、種族を偽れば何も問題はない。お前が望むのならば、犬獣人の長に橋渡しをしよう」
「種族を偽るなんて、まっぴらだ。俺は、自分が狼であることに誇りを持っている。犬と勘違いされるのはごめんだ」
「……だが、このままではお前は一生一人だぞ」
「同じことだ」
俺は自嘲の笑みを浮かべながら、頬の紋を指でなぞった。
「親父殿。自分の息子の年齢は、把握しているだろう。俺は28だぞ。狼獣人なら、その半分の年齢で婚姻を結ぶものもいる。人間だって、そう変わらないはずだ。……たとえ運良く番が見つかったとしても、とうに結婚しているに決まっている」
この紋に縛られるのは、狼獣人である俺だけなのだから。
「そもそも、俺は顔もろくに覚えてすらないない相手だぞ。対の紋もないのに、一体どうやって見つけると言うんだ」
そう言って俺は親父殿から背を向けた。
『サテ・シュアレ・ナ』ーー『永遠に、あなたを愛す』
この言葉は、けして気軽に使ってはいけない。それは、狼獣人にとって、常識だ。
何故ならこの言葉を口にして、それを相手が受け入れた瞬間、一生を共に過ごす番が決まってしまうからだ。
狼獣人は、一生ただ一人だけの番しか愛せない。そう言う風に生まれ落ちた時から、定まっている。だからこそ、番選びは慎重に行わなければならない。
……そんな重大な言葉を、意味すらろくに知らないままに、口にしてしまった愚かな男が、俺だ。
俺の両親は番に対する愛情が深い狼獣人の中でも、かなり熱烈な部類の夫婦だった。朝起きて顔を合わせる度に、挨拶代わりに「サテ・シュアレ・ナ」と口にし、口づけを交わす両親を見て育った俺は、その言葉がそんなに重大なものだなんて思っていなかった。
ただ、その言葉を口にする度幸せそうに微笑む両親の姿が羨ましくて、自分も誰かを好きになったら、真っ先に「サテ・シュアレ・ナ」と伝えたいと思ってしまった。
……だから、とても愛らしい同年代の人間の女の子が村に訪れて俺に好意を示してくれた途端、当時3歳だった俺は、深い考えもなく、その言葉を口にしてしまったのだ。
少女は俺の言葉の意味は理解していなかったようだったが、それでも人間の言葉で、俺と同じように愛の言葉を返してくれた。
……そして少女が去ってから数年後。人化ができるようになった俺はそこで初めて、長い毛で覆われて隠れていた自分の頬に、番の紋が浮かび上がっていることに気がついたのだ。
一度決まってしまった番は、後からどれほど悔いても変えることはできない。だから少女がどこの誰かも知らない俺は、その時点で一生独身が決定したのだった。
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……だが、彼女は人間だ。俺達とは異なる種族だ。番の紋すら、彼女の体には現れない。俺がいなくても、彼女は人間としての幸せを享受できる。
「ーーだからきっと、二度と会えない方が良いんだ」
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番を求める俺の一方的な欲で、彼女を縛ってしまうかもしれない。
俺の過ちの犠牲になるのは、俺だけでいい。
……彼女はただ、俺の好意を受け入れてくれただけで、何の咎もないのだから。
夕飯を食べていけと引き止める両親に断りを入れて、俺は一人住まいの家へと戻る。
暫く家でいつものように過ごしていたが、俺以外の気配のない部屋の中に耐えきれず、狼の姿になって家を飛び出した。
四つ足で森の中をひたすら駆け、向かったのは切り立った崖。
番を亡くした狼獣人が、番を偲んで遠吠えをするのに使われるそこで、俺は夜空に向かって吠えた。
淋しい
淋しい
淋しい
ーーお前に、会いたい
亡き番を求める言葉を、そもそもちゃんと番すら得られていない俺が口にするのは、さぞ滑稽だろう。
それでも、番を求める本能は止められなかった。
会わない方が良いとわかっている。
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