【第一部完結】dolls‐人形師の日録‐

原案:トウキ汐・作画:猫倉ありす

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第一部

15.流るるは光の粒

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「……おはよう。アルト。」

 結婚式の翌朝、エステルは不機嫌な顔でベッドの上に座り、スヤスヤと寝息を立てるアルベルトの顔を覗き込んでいた。

「起きてるの分かってるよ?ねぇ、私のパンツ見当たらないんだけど?」

 今日は寝坊をせずに目覚めたのだが、着替えていつものように掃除に向かおうにも、床に散らばったドレスや用意していた服の中にも、エステルのパンツは無かった。

「……何だ、もうバレてしまったのか」
 つまらなさそうに眉根を寄せたまま、青く澄んだ瞳が開く。
 渋々起き上がったアルベルトの手には、純白の総レースのパンツが握られている。

「私は二度も同じ手には引っかかりません!」

「意外と学習能力が高くて、関心しているよ」
 よしよしと撫でられた。

 けれど、これは褒められているようで、褒められていない。

 そう察知したエステルは、容赦なくパンツを奪い取り、むくれたままベッドから下りようとした瞬間、ガシッと腕を捕まれ、ベッドへ引き摺り込まれた。

「ひぁぁあぁぁ!?」

「はい、確保」
 アルベルトがエステルの背にくっつく形ですっぽりと抱え込まれる。

「ちょっと離して。昨日の片付けしなきゃ!」
 昨日、師匠を交えて結婚式を挙げ、一緒に食事をしたものの、その後の片付けもそこそこに寝室へと連行されたのだ。

「新婚だよ?一週間位、寝室に篭っていても、誰も怒らないだろう?」

「……一週間も引きこもってたら、埃も仕事も溜まるでしょう?」

 エステルを抱き込んでいた腕がピタりと止まると、自分の机の上に溜まった書類を想像したのか、徐々に表情が険しくなっていく。
 一日休んだだけとはいえ、執事もいないこの屋敷では、小さな雑務も溜まるととんでもない量になる。

「……くそっ……やはりさっさとルイスに家督を譲っておくべきだった」

 ルイスが何とも小さな理由で、巻添えを食らっているような気がしてならない。

 脱力したアルベルトの腕から逃れたエステルは、昨日のうちに用意していたいつものメイド服に着替え始めた。

「……とにかく、アルベルトも早く着替えて下に……」

 チリリン……

 この音を聞くのはもう三度目だ。
 そして来訪者は毎回決まっている。

「……噂をすればか……」

 アルベルトは溜め息をつきながらベッドから出ると、身近にあったシャツやスラックスを手に取り、着替えながらカーテンの隙間から外を確認した。

「っ!エステル!」

「え」
 血相を変えたアルベルトがエステルを横抱きにした。

「ぇぇえぇぇ!?」
「すまない!呑気に準備している訳にはいかないんだ」

 エステルは辛うじてメイド服の下のワンピースまで着たところである。

「何があっても、大人しくしててくれ」

 明らかに様子がおかしい。
 地下へ降りると、直ぐに呼び鈴が鳴った。
 それも何度も。

「…え…何?アルト……ルイスじゃないの?」

「ルイスもいる」

 その言葉で複数人いることを悟り、また、それはルイスが仕事で来ていることを予感させた。

 即座に監禁部屋の入口の仕掛けを外す。

「また、いい子にしていてくれるかい?」
 エステルは不安気な表情をしながらも、しっかりと頷いた。

 その間も呼び鈴は忙しなく鳴っている。

「……短気にも程がある」

 振り返るアルベルトの服を掴み、エステルが呼び止める。
「……気をつけて」

 嫌な予感しかしない。

 白いシャツをぎゅっと握るその手を一撫し微笑むと、踵を返して玄関ホールへと走る。

 内側から鍵を開けた音がすると、家主が扉を開ける前に人が雪崩込む。

 これにはマナーが無さすぎて、流石に辟易した。

「……うちの屋敷には、これだけの人数をもてなす人手はないんだが?」

 咄嗟に人数とそれぞれの顔ぶれを確認する。

 人数は二十八、指揮は第二の副隊長、編成は直接話したことは無いが、書類の顔写真で見た新人ばかりだった。

「おはようございます。兄上。エステルは何処にいますか?」
 最後の方に屋敷へと入ってきたのは、帯剣したルイスであった。

「……それで僕が答えると思ってるところが凄いな……」

 睨み合う二人の間に割って入るように、アルベルトの嫌な記憶に大抵いる赤毛が視界へ映りこむ。

「久しぶりじゃないか、ユークレース伯爵?うちと違って兄弟仲は悪いようだね?」

「……アシュリー卿」

 普段、同じ貴族相手には本心を出さないアルベルトも、流石に顔を顰めた。
 面倒事だけならまだしも、見たくもない色を見てしまい、気分は最悪である。

「一応、令状です。貴方の弟君より魔女がここに居るという進言がありましたので。今日は家宅捜索に参りました」

 丁寧な礼と共に、上質な紙で出来た令状をアルベルトへ差し出す。

 懐から取り出した書簡には、確かに見慣れた御璽が押されている。

 アレクスの管轄どころか王命だ。

 横目でルイスを見ると、後ろめたいのかその様子から目を逸らしていた。

「……で?早速、捜索のほうは進めないのですか?」

 連れてきた騎士達は、玄関ホールで綺麗に隊列を組んだまま待機していた。
 本来ならば、押し入った時点で捜索へ移る。

「まずは、話し合いでと思いまして」

「却下だ。そちらの言う話し合いは、こちらにとって、ただの引渡しだろう?屋敷内の捜索には従う。散らかさないなら好きにしろ」

 受取った令状をぐしゃりと握り潰し、床へと放り投げる。
 アレクスは黙って、その紙の行方を目で追っていた。

「分かって頂けませんか?このままでは、クルエラが悲しみます」
 紙を追っていた紅い瞳を正面へ戻す。
「何故そこであの女の名前が出てくる?僕は君の妹とはもう何年も会っていないし、関係のない相手のことなど興味すらない」
 不快だと吐き捨てても尚、アレクスの顔色は変わらない。

「そうですか、では……仕方がないですね」

 その言葉と同時に副隊長が指示を送る。
 即座に三人ずつの隊列が組み直され、事前に打合せしているらしい持ち場へと散らばっていく。

 その内六名が外へ行くのを確認した。

 最終、玄関ホールに残ったのは、アルベルト、ルイス、アレクスの三名だけだ。

 既にこの屋敷には、アルベルト以外は居ないことになっている。

 魔女の逃走を手助けする人間さえここに居たら、焦ることはないのだろうが。

 騎士達の動きを目で追うと、エステルを捜索はしているようだが、あくまでも巡回程度で、物をひっくり返してまでは捜索をしていないようだった。

「……さて、後は騎士が魔女を引きずり出してくれるのを待つだけですね?」

「……時間の無駄だと思いますが?長くなりそうですし、一先ず少しまともな格好をしてきても?」

 自分の身なりを見せると、起き抜けの姿に納得したのか『どうぞ』とアレクスに促され玄関ホールを後にした。

(……監視も付けないとは、僕を信用しているのか……いや、それは無いな)

 けれど、すれ違う騎士達もアルベルトには一瞥もしない。

(編成が戦闘特化の第二の者が多いのも気になるな)

 自室へと戻ると、いつものようにベストとタイ、革手袋を掴み、袖を通しながら大階段を下る。

 下った先には直ぐにルイスが待機していた。
 アルベルトは下まで降りると、そのまま階段に腰掛けた。

「……僕は今、兄弟喧嘩もそれなりにすべきだったと反省しているよ」
 アルベルトには珍しく膝に肘を置き、頬杖をついた。

「兄上、何故そこまでエステルを庇うのですか?」
 鋭い視線はだらしない自分の兄を窘めるようであった。

「…訂正する。兄弟喧嘩より先に、好きな女の一人でも作った方がいい」

「そんなものに浮かれて楽しいですか?」

「……そんなものの結果が、自分だと分かってないようだな」
「っ!」
 青く澄んだ目が、冷ややかにルイスを蔑んでいた。

「凄いと思わないか?赤の他人と、一生添い遂げたいと思えることが。血の繋がった親兄妹でもないのに、自分を慈しみ愛してくれる人間が居ることは、何ものにも代え難い幸福なのだと僕は思う」

 彼女に出会うまで、自分を一番愛していけるのは、結局、自分しかいないのだと思っていた。

 誰にも迷惑を掛けずに生きていけたら、どれほど楽なことか。

 けれど、それが出来る人間がどれだけいるだろう。

 少なくとも自分は違った。

 己の欠けた部分を、傷付けられた部分をそのままにしてしまう、不器用な人間だった。

 彼女にその欠けた部分を拾い上げられ、埋められ、ようやく満たされた。

 そして想う。

 彼女の為にも、自分を大事にしようと。

「……自分には分かりかねます」
 苦々しく告げるルイスに、思わず目を伏せた。

「……まぁ、そうかもしれないな。僕は…弱かったから」

 この問答は繰り返すだけ無駄なのだろう。
 経験していない者に、理解しろというのは難しい。

 それでも……

「君には知っておいて貰いたかった」

 話しはこれで終わりだと告げるように、アルベルトが立ち上がると、アレクスが近寄ってきた。

「どうやらお二人の話は、埒が明かないようですので、お手伝いといきましょう」
「碌なことじゃなさそうだが?」

 睨む視線の先ーアレクスの手には剣が握られていた。

「一応、貴方がたも騎士の端くれでしょう?ならば其れが手っ取り早いでしょう?」
 にこにことした笑顔で、アルベルトの近くへ放り投げられたのは、紛れもなく騎士団に支給されている剣であった。

「……な、何故?」
 しかしこれに動揺していたのは、アルベルトではなくルイスであった。

「……ルイス、君も憐れだな。良いように使われているじゃないか」
 最初からこれが目的なのだろう。

 兄弟喧嘩を見て何が楽しいのか。

 アルベルトは足元の剣を拾い上げると、鞘から剣を引き抜いた。

 刃は潰されていない。真剣だ。

「兄……上……?」

「……勝負といこうか?ルイス。どうせ、この男は僕が死ぬまで満足しないようだ」

 アルベルトは赤毛の男にわざと笑って見せた。

「嫌だなぁ。まるで最初からそれが目的みたいに聞こえるでは無いですか。」
 血のように紅い瞳が下卑た笑いを浮かべた。

「ルイス、早く剣を握れ」

 顎先で彼の腰に下げられた剣を指した。
 圧を感じるその視線に、思わずルイスの身体が反応し、グリップへと手を掛ける。

「兄上、嫌です……」

 ルイスの指先が震え、その振動が剣へと伝わり、微かに金属音を鳴らした。

「命令違反は首が飛ぶぞ?」

 アルベルトは悠々と告げながらも、剣を右手でしっかりと握り込み、その下を左手で軸を安定させるように握り込んだ。
 その切先の角度は、真っ直ぐルイスの喉元を狙っていた。

 暫しの沈黙の後、意を決したルイスが目を固く瞑ったまま、グリップをしっかりと握り、一気に引き抜く。



「目を開けろ。怪我をする」

 そうは言うが、既にその程度で済む話ではない。
 ルイスは奥歯を噛み締め、目を見開くと同じ様に剣をしっかりと構えた。

「……良かった、これで君を殺さなくて済む」

 アルベルトがそう微笑んだと同時に、金属がぶつかり合う音が、玄関ホールに鳴り響いた。

 一方が剣を振り下ろせば、もう一方が受け止める。

 アルベルトとルイスの背筋がゾクゾクとするのは、ブレード同士が擦れる不快な音のせいだけでは無い。

 幼い頃から一緒に剣術の練習をしてきた者同士だ。

 相手の間合いの取り方、剣を振り下ろす速度、踏み込みのタイミングなど分かりきっている。

 問題はいつ相手より先に隙をつくかだけだ。

 ルイスが下から切り上げると、ひらりとアルベルトが身体を翻した。
 その切先がアルベルトの前髪を掠り、数ミリ切られた金髪が宙を舞う。

「……兄上、逃げるだけでは勝負がつきません。本気で切り込んできてもらわないと」

 乱れる呼吸を必死に整える。

(……まぁ、分かっていたことだが、僕ではもう、ルイスには勝てないな)

 別にアルベルトは、この勝負で手を抜いているわけでは無い。

 寧ろ抜いていたら、とっくに斬られている。

 ルイスの肉体は今、筋力もスタミナも絶頂期だろう。
 それも毎日自主トレや、訓練を欠かしていない。

 体格も、技術も、アルベルトより優れている彼に、普通に勝つことなど無理なのだ。

 けれど、アルベルトは勝つ必要はない。
 負けなければそれでいい。

 アルベルトは魔鉱石による回復力のお陰で、魔力が続く限り、無尽蔵に戦い続けることが出来る。

 アルベルトの策は、ルイスのスタミナ切れを待つことであった。

 そう頭では分かっているのだが、斬り合うのも一苦労だ。

 ガキンッという重い音とともに、ガード部分がぶつかり合い、ルイスと睨み合う。
 本来の集中力を発揮し出した同じ色の瞳に、迷いの色は無くなっていた。

(力で勝てないのなら、躱すか、ルイスの動きを読むしかない)

 ルイスの剣を振り下ろす角度、踏み込む足の向き、狙いを定める僅かな目の動き、全てに意識を集中して斬り返す。

「っぐぅっ!!」

 けれど、重い。
 ジンジンとした振動が、まるで手の痺れのように感じた。

 最後に弟と稽古したのはいつだったろうか。

 今までルイスに負けたことは一度もない。

 当然だ。子供のうちの三年の差は、大人が感じている以上に大きい。

 手加減した程度で、どうにかなるものではなかったからだ。

(……本当に、成長したんだな)

 時が止まったのは、自分だけ。

「兄上ぇぇっ!!!!」

「けれど、相変わらず甘いな!いい加減、本気で叩きに来る時の腕の角度を直せ!!」
 防御体制を取るために足を引き、重心を下げる。
 そのままルイスの剣を受け止める。

 が、二人の耳に微かな亀裂音が聞こえた。

(…しまったっ!!)

 アルベルトは即座に半歩後ろへ飛んだが、ルイスの切先は容赦なくアルベルトの身体へと振り下ろされた。

少し遅れて、アルベルトの割れた剣先が床へ落ちる。





「……え?」

 ルイスは自分の振り下ろした剣先を見ていた。

 直前に感じた感触は、間違いなく肉を斬る感触。

「あ……あに……う……え?」

 ドクドクという脈拍に反して、身体はどんどん温度を失っていく感覚をおぼえた。

喉の奥が酷く乾き、上手く声が出ない。

(今、何を…斬った?)

 目の前で膝をつき、呻き声を上げて蹲る兄の服は、当然の如く破れている。
 またその傷痕も深く、骨が、臟まで覗く程である。

(……なぜ、これ程までにはっきり見える?)

 動揺のあまり、ルイスは自分の姿を確認した。

 あれだけの怪我を負わせたのならば、間違いなく自分は返り血を浴びているはず。

 けれど、自分の服はおろか、剣の先には一筋も、一滴の血の痕すらない。

 当然、兄の足元にもその痕は出来ていない。

 けれど、その代わりにその身体から流れるものが見える。

 それは美しい、光の粒であった。

「……何ということだ!」

 その声にルイスはようやく、自分達の置かれている状況を思い出した。

(そうだ……!この男がいたのを失念していた!!)

 紅い瞳が見開き、二人を見ていた。

「まさか……ユークレースまで、魔女の血だと言うのか……!こんな男に、クルエラは騙されていたのか!!!!」
 わなわなと震え、怒りを顕にしたアレクスが、召集をかける為の笛を鳴らす。

 咄嗟にルイスはアルベルトを背に担いだ。

「……ルイ…ス!?……僕を……置いていけ」

 声が酷く掠れている様子から、相当傷が深いことが窺えた。

「っ!!黙っててください!!」

 バタバタと足音が集まる中、ルイスはアルベルトを担ぎ走り出した。

 事前の打合せで配置された騎士達の場所と屋敷内の構造から、彼らとすれ違わないルートを遠回りしていく。

(あとは…傷の手当もしなくては…!)

 焦る気持ちを抑えるかのように、やるべきことをひたすら頭で整理する。

(屋敷内のでも一際、鍵が厳重な部屋……そうだ!何とか……二階の宝物庫まで運べば!!)

 けれど、幾ら鍛えているルイスと言えども、長身のアルベルトを担いでいくのには限界がある。

 けれどここで諦めたら、間違いなくアルベルトはエステルと共に消される。

 今更、自分のしたことを後悔した。

「兄上……申し訳ありません……」

 ルイスから出た声は、情けないほどに震えていた。
 アルベルトの位置からはルイスの顔を窺うことは出来ない。
 けれど、きっと、子供の頃のように、今にも泣き出しそうな顔をしているのだろう。
 その顔を思い出した時、アルベルトは少し笑った。

「…謝るな。君は君のすべきことを……しただけだ。……何も間違えて…いない」

 返された言葉はルイスを責めるものでは無かった。

 同然だ。過去のアルベルトも自分が、間違ったと己を責めたからだ。

 その結果、自分は死んだ。

 弟にその重さを背負わせるなど、真っ平御免だった。

「…それよりも…僕は重くないかい?」

「……いいえ。むしろ予想より軽くて、驚いているところです」
 アルベルトの体重は、その身長からは想像も出来ないほど軽かった。

「多分……死ぬ前に痩せたのと、血液分だろうな」
 何ともないような口振りに、アルベルトを背負う手に力を込めた。

「……エステルは…兄上の身体のことを…知っているのですか?」

「……あぁ。」

 その言葉に益々ルイスの胸が、酷く締め付けられていく。


 自由に生きることを望んだ兄を、縛り付けなければ良かった。

 あれ程までにエステルを手放さないと言った意味を、もっと考えるべきだった。

 考えれば考えるほど、募るのは後悔ばかりだった。

(……せめて、兄上だけは…エステルの元に…)

 騎士達の捜索の目を掻い潜り、ようやく宝物庫へ辿り着いた時、アルベルトの傷はほぼ塞がりかけていた。

「……ありがとう、お陰でなんとかこの状況から、脱することが出来そうだ」

 床に座り込んだアルベルトは、未だに息が荒いものの、声も掠れることも無くなっていた。

 そうは言っても、ルイスにはその方法など想像もつかない。

 そもそもエステルの姿も無い。

 しかも宝物庫は、紫外線と盗難から美術品を守るために窓もたった一つ。

 屋敷の天井は普通の家より高く、細身の人間が一人が通るのがやっとである。

 正直、状況は芳しくない。

「……今更ではありますが、せめて兄上とエステルが逃げ遂せるよう、手助けさせてください」

 その言葉にアルベルトは顔を顰めて、溜め息をついた。

「君は死にたいのか?」

 ルイスは息を呑んだ。

 確かに今、ここで戻れば間違いなく捕まるであろう。

 何せ魔女どころか兄すらも、人間では無かったのだから。

「……それだけのことをしたと、思っています…」

 自分がしでかした罰は受けるべきだ。
 そう考え、両手をぎゅっと握り締めた。
 しかしそんなルイスの耳に届いた声は、あっけらかんとしていた。

「君も大概、馬鹿だなぁ」

 アルベルトは笑っていた。
 まるで無邪気な子供のように。

 そして『やっぱり、僕の弟だな』と苦笑した。

 呆気に取られたルイスだったが、アルベルトの懐かしい笑顔に、徐々に心が穏やかになっていくのを感じた。

 溢れ出そうになるもの涙を、必死に堪える。

「……ルイス、今から言うことをよく聞け。君にしか出来ない。君だから頼むんだ。……出来るだろう?」

 空と海の瞳が真っ直ぐルイスを見ていた。

「……はい!」

 その声にもう迷いは無かった。

「いい子だ」

 手を伸ばしたアルベルトが、ルイスの頭をわしわしと乱暴に撫でる。

 目の前の兄がとても嬉しそうに笑っていた。

 その笑顔が、懐かしく、そして悲しくて、ルイスはその後の告げられるであろう言葉を予感し、震える唇をぐっと噛みしめていた。
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