My heart in your hand.

津秋

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two.

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冷房の効いた図書室の空気は、ひんやりとしていて少し肌寒い。手の甲まで隠したカーディガンの袖を触りながら数学の問題に目を通していく。昨夜、岩見に教えてもらったばかりのところなのでそれなりに解ける。

普段なら平日でも人が疎らな図書室だが、試験前の休日ということもあってか今日はいつもよりも少しだけ利用者が多い。各自集中しているようで、室内には沈黙が満ちている。
ややこしい問題に行き着いて手が止まった。芯を引っ込めたシャープペンシルの先でとん、とノートを叩く。傍らに広げた教科書に視線を滑らせ、応用問題と書かれたページを睨みながらもう一度ペン先を鳴らしたところで、ノートに影が落ちた。

顔を上げれば悪戯っぽい表情のキヨ先輩が立っていて、俺が驚いたことに満足げに口角を笑みの形に持ち上げた。先輩、と呼び掛るより先に人差し指を唇の前に立てた彼が密やかに「しー」と言った。
声になるはずだったものはそのまま喉につっかえて、俺はわずかに開いた口を引き結ぶ。

先輩は俺の正面の椅子を引いて静かに腰かける。奥の方に座っている生徒が、キヨ先輩にちらちらと視線を投げていた。それに気をとられているうちに、彼はノートを取りだし何かを書き込んだかと思うと俺の方にくるりと向けた。

「……?」
少し身を乗り出すようにして覗き込む。『テスト勉強は順調?』と書かれていた。ほんの少し右上がりの読みやすい字だ。
俺は先輩を見て文章を見、もう一度先輩を見た。微笑んでこちらを眺めている彼は返事を促すようにとんとん、と自身の書いた文の下を指先で叩く。
ノートの無機質な白とは色味の違う、ミルクのように滑らかな肌の色。同じ白にもいろいろあるものだ。

俺は少し考えてからノートにシャーペンを滑らせた。
『苦手科目に危機を感じています』
書き込む様子をじっと眺めているキヨ先輩をそっと窺うと楽しそうな、どこか嬉しそうですらある表情をしている。なんだかおかしくなって勝手に頬が緩んだ。

彼の手がさらさらと動いて『数学?』と短い疑問を呈してくる。
『数学もですけど。化学も』
『化学か、懐かしい』
『化学の授業、ないんですか?』
『俺の選択、生物と物理』
『なるほど』
広い図書室の片隅で、静寂を保ったまま会話をする。なんとなく、笑いだしてしまいそうなくすぐったさを感じた。

シャーペンを片手にノートに向かったキヨ先輩の、先程まで淀みなく返答を紡いでいた手が止まる。それに釣られて、ずっと手元に向けていた顔を上げた。じいっとこっちを見ていたらしい彼は、俺と目が合うと、何やら考えているような素振りをしてみせた。

どうしたんですかと問うかわりに首を傾げると、一つ頷いて、さっきまでと比べややゆっくりと丁寧に文字を紡ぎ出した。

綴られている文字はよく見えないので、動く手を見ていた。ふ、と小さく吐息を漏らして笑った彼は、ノートを掲げるようにしてこちらに差し出した。
ささやかに並んだ幾度かのやり取りの下に、少し大きな字で『数学と化学、教えられると思うけど。俺と一緒に勉強しないか?』と書かれている。

思わず目を丸くしてその文字を見つめる。ノートが小さな音を立てて机に置かれた。

「嫌?」
静かな空気を揺らさないようにするみたいに、そっと密やかに囁かれる。返す言葉は単語では足りなくて、俺は口をつぐんだまま首を振った。
口元を綻ばせた先輩は、俺がもどかしげなことに気が付いたのかまたノートを俺の方に押して、とんとん、と最初と同じように指先で叩いた。
『俺は嬉しいです。けど先輩のテスト勉強は大丈夫なんですか』急いで書いた文字は少し乱れてしまった。
頬杖をついた彼は向かいから手を伸ばして、ノートの隅に『だいじょーぶ』と記す。なんとものんびりした雰囲気の返事。

それをしばらく見つめて、それから俺は頷いた。
先輩が提案してくれることは、先輩にとって迷惑ではないことなのは分かっている。俺が頷けばキヨ先輩はいつも笑顔になってくれるのだから。

それなのに迷惑ではないかと気になって、本当は嬉しいのに言下に即答できないのが俺の面倒くさいところだと思うけれど。
今回も、キヨ先輩はきゅっと目を細めた綺麗な笑みを浮かべてくれた。
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