竜焔の騎士

時雨青葉

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第5章 人間は嫌い

泡沫の夢

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 長い道を歩いてきた。
 もう慣れたと思っていたが、やはりこの距離を休まずに移動すると疲れる。


 ようやく見慣れた住処すみかに戻ってきたと思うと、体中から力が抜けた。
 半日くらいは眠れそうな気分だ。


 倒れるように地面に横たわり、ほっと息を吐き出す。


 そこには昨日まで包まれていた柔らかい感触はなかったし、肌に触れる地面はとても冷たい。
 でも、それが心地よかった。


 そうだ。
 自分がいるのはここなのだ。
 地面の冷たさにここまで安心するのだから、間違いない。


 でも、地面の固さと冷たさを感じるほど、身にまとった服に染みついた甘いにおいが鼻をついて……


「………」


 何故か、ほんの少しだけ泣きたくなってしまった。


「父さん……」


 すがるように、ひっそりと呟く。
 すると。


「呼んだかい? 愛しい我が子。」


 後ろからそっと、頭に固い感触が触れた。


「ああ、頑張って起きなくてもいい。今回は、とてもよくやってくれた。疲れたろう? 今日はもう休みなさい。」


 自分がとっさに飛び上がろうとしたことにいち早く気付いていたらしく、父は優しくそう言ってくれた。


 体が、泥のように重たい。
 ここは素直に、父の言葉に甘えてしまおう。


「父さん……ぼく、ちゃんと父さんの言うことを守ったよ。これで、いいんだよね?」


 ころりと寝返りをうち、すり寄せられていた父の頭をきゅっと抱き締める。


「ああ、いいんだよ。シアノは正しいことをした。いい子だ。」


 それを聞き、シアノは安堵して頬を緩ませる。


 不安でたまらなかった。
 怖くて仕方なかった。


 でも、父がいいと言ってくれるなら、これが正しいことなのだ。


「……ふふ。今回はお前に、人間と長くいさせすぎたようだな。」


 父の言葉に、少しだけからかうような響きが滲む。


「一度は私の命令を無視して、エリクの家から出ていこうとしたから少し驚いたぞ?」
「―――っ!!」


 一気に眠気が霧散した。


 父が言っているのは、キリハとエリクに自分の生い立ちを知られた夜のことだ。
 分かっていたけど、やはり父には、あの時に自分が迷ってしまったことがばれていたようだ。


「ご、ごめんなさい…。でも、あれは別に、父さんに逆らおうとしたわけじゃなくて―――」
「安心しなさい。」


 焦った自分を諭すように、父がまた体をすり寄せてくる。


「大丈夫だ。お前のあの迷いは、彼らの油断を誘うのに一役買った。それに、最終的には私の命令を守ってくれただろう? そんなことで怒らないよ。」


「……ほんとに?」


「ああ、本当だとも。お前の気持ちは分かっているつもりだよ。私の命令に逆らいたかったのではない。ただ、私の命令を優先することを迷ってしまうくらい、彼らのことを好きになってしまっただけ。違うかな?」


「……ううん。違わない。」


 父が怒らないでくれたことにほっとしながら、父の鋭い指摘に、心はどんよりと曇ってしまう。


 また泣きたい衝動がせり上がってきて、シアノは父の頭を抱く腕に力を込めた。


 さすがは父だ。
 自分の気持ちなんて、どこまでもお見通しらしい。


 父と自分の目的は、人間を滅ぼすこと。
 キリハたちに近づいたのは、その準備のためだ。
 そして父は、彼らの中からエリクを最初に使うと言った。


 でも……―――父に選ばれるということは、その先に待っているのは確実な死。


 父は、自らが直接介入して利用した人間を生かしておかない。
 自分みたいに父に協力する気持ちがない限りは、エリクもきっと、今まで利用してきた人間と同じ道を辿る。


 今までは別に、人間の一人や二人が死のうがどうでもよかった。
 でもエリクが死ぬんだと思ったら、途端に怖くなった。


 それはきっと、エリクたちのことが好きだからなんだと思う。




 どうせ最後には、エリクもキリハたちも皆、人間はまとめて死んでしまうのに……




「大丈夫だよ、愛しい子。全てが終われば、これでよかったと思えるさ。」


 父は優しく、そう語りかけてくれる。


「うん……そうだよね……」


 シアノは何度も頷いた。


 そうしないと―――必死にそう信じないと、この未知の恐怖に打ち勝てそうになかった。


「ふむ…」


 震える自分を見かねてか、父が何か考える素振りを見せる。


「シアノがそこまで気に入ったなら、いっそのこと、彼らを仲間にできればいいんだがね。」


 しばらくの無言の時間を経て、父が告げた言葉。
 それは、思わず体を起こしてしまうくらいに衝撃的で、それでいて希望に満ちた言葉だった。


「そんなこと、できるの?」
「さてねぇ……」


 父にしては珍しく、曖昧あいまいな返事を返してくる。
 それでも期待を込めて父の言葉を待っていると、ふとした拍子に父が、くすくすと笑い声をあげた。


「こらこら。そんな、期待の眼差しを向けないでおくれ。無理だと言えなくなるじゃないか。」


 父はまるで頭をなでるように、身をすり寄せてくれた。


「分かった。やれるだけのことはやってみよう。だが、私も全能ではない。もしどうしてもだめだった時は、許しておくれ。」


「うん。そうなったらもう、わがまま言わない。」


「いい子だ。じゃあ、そのためにもっと、私の計画を手伝ってくれるね?」


「うん。なんでもやる。」


「それでこそ自慢の息子だ。さあ、今日はもう眠りなさい。ずっと傍にいてあげるから。」


「う、ん……」


 父の優しい声が、幾重いくえにも響く。


 もしかしたら、キリハたちは死なないかもしれない。
 父がなんとかしてくれる。


 もしそうなったら、きっと楽しい。
 父とキリハたちと自分で、毎日たくさん遊んで、たくさん話して。


 それから―――


 シアノは柔らかく微笑んで、そっと目を閉じる。
 そして、つかの間の幸せな夢を見るのだった。

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