世界の十字路

時雨青葉

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第6章 帰郷

覚醒

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 室内は、息も詰まるような沈黙に満たされていた。
 その場にいる全員の目が、ただ一点に集中している。


「………」


 全員の視線の先にいる実は、深くうつむいて動かない。


 実が呪文を叫んだ後、彼の身を包む陽炎かげろうは消えた。
 サリアムたちを派手に叩きつけた風も、その勢力をくしている。


 だが、それと引き換えに、この部屋の中には強力な魔力が張り詰めていた。


 拓也以外に、実に何が起こったのかを知る者はいない。
 故に、誰もが緊張と警戒に神経を尖らせて実を凝視していた。


 そんな中―――実の指がピクリと動く。


 静かに顔を上げて目を開いた実は確かに実ではあったが、先ほどまでの実とは明らかに何かが違っていた。


「―――……」


 意識までもを刈り取るようなすごみを宿した実の姿に、誰もが息を飲んで言葉を失う。


 部屋の中央にたたずむ実ははかなげで、どこか幻想的な雰囲気をかもしていた。


「……とっ、捕らえろ!!」


 他よりもいち早く我に返ったサリアムが、焦りをにじませて叫ぶ。
 しかし―――


「動くな!」


 りんとしてよく通る声が、部屋の空気を震わせた。


 次の瞬間、皆の表情が変わる。
 もちろんそれは、拓也も例外ではなかった。


 ―――体が動かないのだ。


 実が一言命じた瞬間、体が石のように動かなくなってしまった。


 他の人々も苦しげに顔を歪めていて、この部屋にいる全員の動きが封じられたのだと分かる。


 実は短く叫んだあの一瞬で、この場にいる全員の自由を奪ってみせたのだ。


 次いで、実は無言で腕を振り払った。
 それと同時に、拓也の耳元で風が鳴る。


 すると、拓也を縛っていた縄がばらばらと切れて落ちた。


「………」


 立ち尽くす拓也に、実が歩み寄る。


 その歩みは一歩一歩がしっかりしていて、ゆったりとした足取りは実の余裕を雄弁に物語っていた。


 拓也の前に立った実は、一言も発せずに呆けている拓也の顔を不思議そうに覗き込んだ。


「どうしたの? 拓也と梨央は、もう動けるでしょ?」
「え……あ……」


 実に言われたことでようやくそれに気付いて、拓也は自分の体を見下ろした。


 確かに、動けるようになっている。


 しかも、さっきまでほとんど感覚がなかった片腕も、いつの間にか正常な状態を取り戻していた。


「変なの。拓也なら、すぐに気付くはずなのに。」


 小さな声と共に微笑んだ実は、今度は梨央に近寄った。
 兵士に囲まれている梨央の腕を引っ張ると、よろけた梨央の体を優しく受け止める。


「大丈夫?」
「う、うん……」
「そっか。ならよかった。」


 実は梨央に対しても笑みを向け、くるりと拓也に向き直った。


「さて、さっさと退散しようか。いつまでもここにいたくないし。」
「えっと……」


 拓也は、すぐに答えられない。


 なんとなく事態を察しているとはいえ、実のひょうへんぶりに戸惑う自分がいる。
 とはいえ、ここに長居するのがあまりよくないことも分かる。


 実に同意しようと拓也が口を開きかけた時、再び空気の鳴る音がした。


「………っ」


 実がわずかに顔を歪める。
 それと同時に、彼の二の腕から小さく飛沫しぶきが散った。
 その一拍後、みるみるうちに制服が赤く染まっていく。


「―――っ!!」


 梨央が声にならない悲鳴をあげる。
 それに対して少しも動揺しない実と拓也は、無言で犯人を見やった。


 動きを封じられた人間の中でただ一人、サリアムだけが肩で大きく息をしていた。
 実に攻撃を放ったらしい右腕だけが、小刻みに震えている。


 サリアムを静かに見ていた実の目が、すっと厳しく細められた。


「くっ…」


 サリアムがもんの声をあげて地に倒れる。


「逆らわない方がいい。そう言ったのは、あんたでしょ?」


 明らかな嘲笑をたたえ、実はサリアムを見下ろした。


「………っ。なん、で…っ」
「なんでぇー?」


 言葉の語尾を大袈裟に上げる実。
 今さらそんなことを訊くのか、とでも言いたそうな口調だ。


「父さんがなんの細工もしてないって、本気で思ってたわけ?」


 心底不思議そうな実の言葉。
 それだけで全てを悟ったらしく、一度目を見開いたサリアムは疲れたように息を吐いた。


「あのエリオスのことだものな……」
「そういうこと。ついでにさ、一つ訊いていい?」


「なんだ。」
「父さんはどこ? 探る限り、この城にはいないんだけど。」


「ああ、そのことか……」


 この場は観念するしかないと悟ったか。
 サリアムは静かに目を閉じる。


「エリオスなら、一年前から行方不明だ。君の存在が国の知るところになって、その場で姿を消した。捜索中だが、見つかるどころか手がかりすらないのが現状だ。」


 サリアムの返答に、実は驚かなかった。


「そう…。父さんが自分の意志で姿を消したなら、あんたたちに父さんを見つけることは不可能だろうね。分かった。それだけ聞ければ十分だよ。」


「待って!!」


 きびすを返した実を、別の声が引き留めたのはその時。


 実の動きが止まる。
 その表情に、サリアムと話していた時にはなかった動揺が走った。


 実の背中に向けて、セリシアは涙声で叫ぶ。


「どうして? また……また、行ってしまうの? どうしてあの時、私から全てを奪って、勝手に行ってしまったの!? 私は……ずっと一緒にいたかったのに…っ。どうして拒絶するの? あの時も、今も! 私がどんなに呼んでも、あなたは応えてくれなかった。もう……もう、戻れないの!?」


 セリシアの渾身の叫びに、実がもう一度後ろを振り返る。
 そのせつに、拓也は見ていた。


 徹底した無表情をたたえるその前に、実が深い悲しみの表情を浮かべていたのを。


 その理由は言わずもがな。
 実の心境を察して、拓也は切なげに目を閉じた。


 実の視線は、セリシアだけに注がれている。




「あなたは……俺のことを思い出さなかった方が幸せだったよね。俺はあの時、この世界を捨てることを選んだ。でも、あなたはここに残ることを選んだ。その時に、俺たちの道は分かたれてしまったんだよ。―――――。」




 絞り出すように。
 実は、セリシアを昔のように呼んだ。


 そう。
 この人は他でもない、自分の生みの母親。


 遠い昔に別れを決意し、その記憶から自分のことを消して離れたはずの人。


 こうして再会することはもうないだろうと、己の記憶からもその存在をそっと隠した人だ。


「知っていたのか……」


 サリアムが意外そうに呟く。


「まあね。覚えてるし。というより、今さっき思い出したばかりだけど。」


 実が微かに笑って腕を振るう。
 その軌跡に沿って光の筋ができあがり、それが実たちの周囲を包み出した。


「嫌…」


 セリシアの頬を、次々と涙が伝っていく。


「嫌よ!! もう行かないで! お願いだから、傍にいて!!」


 その悲痛な訴えに、実の眉が微かに寄った。
 だが実はセリシアを顧みず、彼女を振り切るように目をきつく閉じる。


 その意志に応えるように部屋の中を吹き抜けた強い風にと共に、そこから実たちの姿が消える。


「嫌あああぁぁーっ!!」


 実たちが消えた室内に、セリシアの慟哭どうこくが響いた。

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