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第2章 蝕まれる心
あふれ出す記憶
しおりを挟む「………は?」
桜理に会いたくないか、なんて。
こいつは、何を突拍子もないことを言っているんだか。
唐突な展開に実はレティルに不信の眼差しを向けるしかなく、彼の挙動から言葉の真意を探ろうとした。
「お前が会いたいと望むなら、私がその手助けをしてやろうというのだ。」
レティルは、これが当然のことであるかのように続けるだけ。
「何……馬鹿なことを言ってるんだよ。なんで桜理のことを知ってたのかは知らないけど、その冗談はいくらなんでも悪質だ。」
苦し紛れに紡ぐ否定の言葉。
しかし、その一方で確かに感じていた。
心が大きく揺れ始めていることを。
―――本当は、分かっているのだ。
レティルにはそうすることが可能で、自分が頷けば簡単にそれを実現するだろうと。
たとえ感情が認めたくなくても、事実は変わりやしない。
「本当に、これが冗談だと思っているのか? お前は、分かっているのだろう? 十年前、涼霧桜理はお前の生まれ故郷の人間にさらわれたのだと。ならば、涼霧桜理はこちらの世界にいるはずだ。そして、こちらの世界の神である私が涼霧桜理の居場所を知ることくらい造作もないこと。お前はそれを全て理解している。だから心が揺れるのだ。違うか?」
「………っ」
核心を鋭く突かれて、実は思わずその場を退きかけた。
しかし、実が動くよりも先にレティルが実の腕を掴んで引き寄せる。
間近でレティルに顔を覗き込まれ、実は目元を歪ませた。
そんな実を視界の中心に据えたレティルは、いたぶるように問いかけを続ける。
「違うか?」
心底面白そうな、レティルの声。
それを聞かざるを得ない実は、悔しげに唇を噛み締めた。
どうせ、この意地の悪い神にはもう全てを見透かされている。
意地を張っても、単に見苦しいだけ。
実はうつむいてレティルから目を背けると、深く溜め息をついた。
「……ああ、違わないよ。俺だって、そんなことは分かってるさ。」
そう。
彼の言うとおりだ。
確かに、桜理が連れ去られた場所は、もう二度と戻ることはないと思っていた世界。
それは、最初から知っていた。
何故なら……あの時あの場所には、吐き気がするほどに濃い魔力の残滓が漂っていたのだから。
―――あの時?
自分の思考の中に、ふと疑問を抱いた。
ザザザ―――ッ
その瞬間、様々な記憶の奔流が圧倒的な密度で脳内を襲う。
「うっ……つ…っ」
実はレティルに腕を掴まれたまま、頭を両手で抱えて全身を強張らせる。
ひどい頭痛が理性を押し退ける。
思い出したくない、見たくない映像。
それが、たった一つの疑問で堰を切ったようになだれ込んでくる。
全ての記憶を取り戻しても、思い返すことを拒んだ映像。
思い出してしまうことが怖くて、必死に見ないようにしてきた記憶の欠片。
そんな記憶たちが、どうしようもなくあふれ出してきては脳裏を埋め尽くす。
その耐え難い苦痛に翻弄されて、実はきつく目を閉じた。
「くっ…」
歯をぐっと噛み締めた口腔からは、呻き声が漏れるだけ。
そんな実をしばらく観察していたレティルは、ふと実の耳元で囁いた。
「落ち着いた方がいいぞ。私にも、お前の記憶が流れ込んできている。」
「!?」
こちらの反応を楽しむかのような響きを伴ったレティルの言葉。
それで、冷や水を浴びせられたように頭が一瞬にして冴えた。
記憶の奔流が途切れる。
押し退けられていた理性が、瞬く間に冷静さを取り戻していく。
しかし、それは短時間のことでしかなく、記憶の奔流は再び勢いよく自分を飲み込もうとする。
「………っ」
実はぎゅっと眉間に力を込めて、その奔流を抑え込む。
記憶に意識が捕らわれないように、不本意ではあるが目の前のレティルに集中した。
それだけのことをするのに、残っている気力を総動員しなければならなかった。
もう、悪態をつく余裕すらない。
レティルが満足げに笑う。
「よし、優秀だ。」
「………っ」
ギリ、と奥歯が音を立てた。
体が微かに震える。
レティルの思いどおりになっていることが、悔しくてたまらなかった。
何もできない自分に、怒りすら覚える。
しかし、それらの感情は体を震わせるだけで、何か抵抗らしい抵抗をする気力にも、皮肉の一つを吐き出す原動力にもなりはしなかった。
そのことに、さらなる悔恨と怒りが燻ってしまう。
とんだ悪循環だ。
レティルはそんな実の心境を分かっているのか、実の言葉を待たずに用件を述べた。
「気が向いた時で構わない。こちら側に来るといい。その時、私はお前を涼霧桜理の元へと導いてやろう。まあ、来るも来ないも自由だ。好きなようにするといい。」
言い終えると同時に、レティルは実の頭に手を乗せた。
触れられた場所から、熱が全身に走る。
その熱が走り去った後、強烈な眩暈が視界を歪めた。
体が揺れて、世界が遠退く。
霞がかかっていく意識の中、くぐもったレティルの声を聞いた。
「もっとも、お前の中に〝行かない〟という選択肢はなさそうだがな。」
「………」
言葉の真意を問う前に、意識は闇の中に沈んでしまった。
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