世界の十字路

時雨青葉

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第2章 蟻地獄

新学期の朝

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 眠気も飛んでいきそうなほどに寒さがこたえる朝。
 拓也は、ぼんやりと考え事をしながら歩みを進めていた。


 昨日で冬休みも終わり、今日から新学期が始まる。


 周りには学校へ向かう多くの生徒たちがいて、楽しそうに冬休みの思い出などを語り合っていた。


 そのにぎやかな話し声は、思考の海にどっぷりと浸かっている拓也の耳には一切入らない。


 自分にとっては、冬休みなんて色んなことが起こりすぎて、休んだのか休んでいないのか分からない期間だった。


 唯一の救いといえば、冬休みの間は実が特に大きな問題を起さなかったことだろうか。
 そのおかげで、自分は自身のことに思考のほとんどを使うことができたのだから。


 とはいっても、考えていることはほぼ久美子のことなのだけど……




『この前、息子さんを亡くされたと聞きました。』




 先日改めて久美子を訪ねた時、思いきってその話を振った。


 もちろん、知らないふりをすることはできた。
 そうすることが一番穏便だということも分かっていた。


 しかし……その話をせずには、今までと同じように久美子と関わることができなかった。


 自分勝手な感情だということは、重々承知している。
 でも、どうしても知りたかった。


 久美子がそのことについて、今どう思っているのか。


 急に降って湧いた話題に、久美子はつかの間目を丸くしていた。


 こんな話、したくないに違いない。
 だから、自分から話を切り出しつつも、求める答えが返されるとは期待しないでいた。


 しかし、久美子は表情をやわらげると、ベッド脇の引き出しに手をかけ、そこから取り出した写真立てをこちらに渡してきた。


 受け取った写真には、今より顔色のいい久美子とそこに寄り添う男性、そして自分と同じような年格好の少年が写っていた。


 柔和な目元に、微かに吊り上がった控えめな唇。


 綺麗な黒髪をやや長髪ぎみに伸ばしていて、それがすらりとした細身の体によく似合っていた。


 久美子と似た穏やかな雰囲気を漂わせた、年齢の割にかなり大人びた印象を受ける少年だ。


『透っていうの。生きていれば、ちょうどあなたと同じ歳になっていたわ。』


 久美子は、悲しみと寂しさをたたえてそう言った。


『二年前、事故に遭って……即死だったそうよ。私と主人が病院に着いた時には……もう、冷たくなっていたわ。朝は元気に笑っていたのに、その笑顔も何もかも、もう二度と見られないの。人が死ぬっていうのは、本当にあっという間ね……』


 久美子の声が揺れ始める。
 それを、自分は何も言わずに見つめることしかできなかった。


『透が死んで、私もそのショックで一気に体調を崩してしまった。主人は、そんな私を今も一生懸命支えてくれているわ。だけど、二年経った今も、私の体調はよくならないまま…。私は、随分と透に依存していたのね。』


 その時、久美子の瞳から涙が一筋流れ落ちる。


 一度あふれた涙がすぐには止まるはずもなく、彼女の双眸からは次々と透明な雫が零れていく。


『命がけで産んだ子だったの。誰よりも大事な子だったの。透は、私の生きる希望だった。愛していたのよ。大事な子供を急に取り上げられて、耐えられるわけがない……』


 涙を流し続ける久美子。
 それが、自分の記憶にある光景とリンクする。


 どうしようもなく込み上げてくる苦い感情に、思わず久美子から視線をらしてしまった。


 その拍子に、写真立てを持つ自分の手が目に入る。


『………』


 写真の彼は、何も語らない。




『―――知ってます。』




 ぽつり、と。
 気付いた時にはもう、その言葉が口をついて出た後だった。


 久美子が顔を上げ、不思議そうなまなしをこちらに向けてくる。


 そんな久美子に手を伸ばし、ポケットから取り出したハンカチでそっと涙を拭いてやる。


『知ってます。どんな理由にしろ、どんな状況にしろ……子供を奪われた母親がどうなってしまうか、おれは知ってます。こうなってしまうのは、あなたに限ったことではありませんよ。』


 久美子の涙を拭いながら―――脳裏に浮かぶのは、ある日の出来事だった。




「あ…」




 つい何日か前のことを思い返していた拓也は、ふと現実に返って立ち止まった。
 前方を行く生徒たちの中に、見慣れた後ろ姿があったのだ。


 彼は相変わらず、マイペースな歩みでゆっくりと学校に向かっている。


 彼に追いついた何人かが声をかけるが、彼は友人たちを軽く受け流すだけで、決して自分のスピードを崩さない。


 それをじっと見つめていた拓也は、開いていく彼との距離に気付いて慌てて歩き出した。


 前を行く生徒たちを追い越して、その後ろ姿に追いつく。


「実。」


 ぽんとその肩を叩くと、気だるげな表情で実が振り向いてきた。


〝今度は誰だ〟


 少しばかりめんどくさそうな顔には、思い切りそう書いてあった。


「!?」


 そんな気だるげな表情が、一瞬で霧散する。


 どうやら、何かに驚いたようだ。
 こちらを凝視する実の瞳は、かなり大きく見開いていた。




「拓也……それ、何?」




 緊張をまとった固い声で、実はそう言った。

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