世界の十字路

時雨青葉

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第5章 2日目

恐れとは―――

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「……って、なんで父さんがそんなこと知ってるの!? あの時、父さんはあそこにいなかったじゃん!」


 隆文の昔話に、蓮は素っ頓狂な声をあげて驚いた。


「そりゃあ、隠れて見ていたからに決まってるじゃないか。紫苑がずっと『ひなを巣に返す!』って騒いでいたし、いくらお前がついていても、紫苑が本当に落ちたら一大事だろう? 子供だけじゃ、対処できないからね。」


 木々の中に潜みながら紫苑と蓮をずっと見ていたのだと、隆文は微笑ましげにそうに語った。

 
「あの時の蓮の顔は面白かったよ? 年下にあっさり丸め込まれちゃって何も言い返せなくて、最終的に出た言葉が『甘えるな!』だったもんだから。」


「いっ……いいじゃんか。昔のことだよ!」


 むきになる蓮を見て、隆文は声をあげて笑った。


「紫苑は、本当に蓮のことが大好きなんだって思ったよ。だから、蓮を無条件に信頼しているんだろうね。昔も今も。」


 それを聞いた蓮が、また表情を曇らせる。
 隆文はそんな蓮を横目に小さく吐息を零し、木々に覆われた空を見上げる。


「ねえ、蓮。今は、あの時にすごく似ているね。」


 隆文がそう言った途端に、蓮の顔に別の感情が広がっていく。


「は? どこが?」


 不可解そうに眉を寄せる蓮。
 急に何を言い出すんだと、その目が鮮やかに物語っている。


「似ているよ。ようは片方が危険を冒して、片方がそれを怒っている。根本的な状況は、まるっきり同じだ。」


「だとしても、今回とはわけが違う。今回は、下手すれば死ぬんだ。」


「あの時だって、運が悪ければ紫苑は死んでたかもしれないよ。」


「―――っ!!」


 隆文の声が静かに、だが大きな衝撃力で蓮の耳朶じだを打った。


「蓮はあの時、単純に紫苑が怪我をするかもしれないから怒ったのかい? 例えば、紫苑が落ちても問題ないような背の低い木に登ってたなら、蓮は怒った?」


「それは……」


 蓮の言葉が途切れる。


「違うね?」


 隆文の確認するような口調に、蓮は未だ答えられない。
 それに苦笑した隆文は、蓮の肩を優しく叩いた。


「いいんだよ。間違っていないから。あの時の蓮は、紫苑が怪我をしたその先のことを本能的に恐れていたんだよ。」


「その先…?」


「そう。人は、いつ死ぬのか分からない。自分も他人もだ。いつ、どんな些細なことが死に繋がるのか。人はいつも、そんな恐れを無意識にいだきながら生きているんだ。」


 隆文は穏やかに語る。


「だから、死に繋がるかもしれないことに関して、人はとても敏感に反応する。大切な人を失いたくないから、失うことを恐れて心配する。いつ来るのか分からない、けれどいずれは必ず訪れる死の時を少しでも後にしたくて、誰もが誰かの心配をして、時には怒ったり泣いたりもする。仮にあの時、紫苑が木から落ちても死ぬことはないって確証があったなら、蓮はあそこまで心配しなかったと思うけどな。」


 もし何があっても死なないと分かっているのなら、そこに恐れをいだく必要はなくなる。


 恐れとは、起こってほしくないことを起こらないと否定しきれないから抱くものなのだ。


 そして、恐れを抱くからこそ、人は臆病にもなる。


 今の紫苑のように。


「……そっか。」


 蓮が納得したように頷いたので、隆文は表情をなごませた。


「かなり遠回りをしたけど、父さんが言いたいことは、これは今さらつまずくようなことじゃないだろうってことなんだよ。お前たちはずっと昔から、こういうことの乗り越え方を知っているんだから。」


 いつも喧嘩ばかりのくせに、紫苑は蓮にべったりだった。
 そんな紫苑に振り回されながらも、蓮は絶対に紫苑の手を振り払わなかった。


 二人の間には、意見の不一致など簡単に乗り越えられるだけのきずながすでにある。
 それは、問題の大きさが変わった程度では決して揺らがない。


 幼い頃から二人を見てきて、隆文はそう確信していた。


 だから、隆文としては今回の衝突も大した問題とはとらえていなかったのだが、どうやら蓮も紫苑も、その大事なものを自覚していないらしい。


 蓮は呆気に取られたかのように目を丸くして、隆文をじっと見つめている。
 その瞳には、まだ微かではあるが確かな光が戻り始めていた。


 ―――もう大丈夫。


 隆文はくすりと微笑んで、蓮の額を指で強く弾いた。


「いった!」


「大切なことは、案外自分の手の中にあるんだよ。灯台下暗しってやつだ。分かったら行動あるのみ。いいね?」


「……うん。」


 痛そうに額をさすりながら、蓮はなんとかそう答えた。

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