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第2章 水の底
命名の意味
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絶句する実に、イルシュエーレは悲しそうに目を伏せた。
「動物たちからすると、こういう魂を持った子はとても魅力的に見えるの。食べてしまいたいくらいにね。あなたが助けなかったら、この子は今頃生きてはいなかったでしょう。あなたに出会えたことは、シャールルにとって本当に幸運なことだったのよ。」
「そんな……」
実は、シャールルのつぶらな瞳を見つめる。
その魂のせいで、同族の中では生きていけない存在。
シャールルも、自分と似た境遇だということか。
「そんな顔しないでいいよ。もう気にしてない。僕は幸せだもん。」
そう語るシャールルの周りに、強力な魔力が集まった。
彼の足元から水が噴き出し、その水はその背中に向かう。
突然の変化に目を瞠る実の前で、シャールルの背に水で象られた翼ができあがる。
水の翼が羽ばたくと、シャールルの小さな体がふわりと宙に浮き上がった。
「すごいでしょ? 実のおかげで、こんなこともできるようになったんだ!」
「俺のおかげって……俺、何もしてないけど……」
「名前のことよ。」
イルシュエーレが微笑む。
「あなたたち人間には普通だけど、私たちにとっての名前はものすごく大きな意味を持つの。ここにいる精霊たちの中でも、名前を持つのは私だけ。名前を持ってることだけで、特別な存在となりえるの。」
「え…? そ、そうなの…?」
それは知らなかった。
戸惑う実に、イルシュエーレは一つ頷く。
「ここの力をたくさん取り込んで、この子の魂は私たちに属するものに変容していってた。そこに、あなたが水に由来する名を与えた。それでこの子は、私と同等の力を扱う権利を得たの。加えて、私がシャールルを認めたことで、シャールルの魂は私たち精霊と完全に同属になった。だからこんな力が使えるようになったの。あなたたちは、こういう子のことを聖獣と呼んでなかったかしら。」
「ああ……」
実は蓄えてきた知識を手繰る。
この世界で並外れた威力の魔法を扱うための手段は二つ。
一つは両親のように四大芯柱となって、精霊たちを従えること。
そしてもう一つは、精霊と同等の力を持ちうる聖獣を自分の配下に置くことだ。
しかし、四大芯柱がいつの時代も確実にいるのに対し、聖獣はその姿を確認されたことがほとんどないと聞く。
それ故に、聖獣を従える聖獣使いもほとんどいないのだ。
「……ん?」
そこで、はたと思い至る。
「ってことは……俺が名前をつけたから、シャールルは聖獣になったってこと?」
名前を与えられたことで、シャールルは聖獣となりえる資格を得たのだと。
イルシュエーレはそう言ったはず。
「そうだよ!!」
元気よく答えたシャールルが、くるりと空中で一回転。
そうか。
やっぱりそういうことか。
そういう……
「えええぇぇ!?」
ようやく、事の重大さに気付いた。
「ごっ、ごめん、シャールル!! シャールルの意思も何も考えず、勝手に名前つけちゃった…っ」
まさか、精霊たちにとって名前がそんなに重要だったなんて。
自分は、無自覚でシャールルの運命を変えてしまったことになるじゃないか。
「イルシュも、なんで俺にそれを話す前にシャールルの名前を認めちゃったの!? 俺、なんかすごいことしちゃったじゃん!」
突然のことに混乱してしまい、実はイルシュエーレに向かって慌てて言い募った。
しかし、イルシュエーレは不思議そうに首を捻るだけ。
「どうして? 私はあなたがつけた名前を綺麗だと思ったし、その名前を尊重しただけよ。」
「だけど……」
「それに、シャールル自身がこの名前を自分の名前として認めているもの。今さら、命名を取り消すことはできないわ。」
イルシュエーレは指を滑らせて、実の視線をシャールルへと導いた。
「見て。シャールルはあなたに名づけてもらったことを、こんなに喜んでいるわ。聖獣になることを望んだのも、彼自身よ。」
「え…?」
イルシュエーレの言葉に、実は固まる。
そしてそれを肯定したのは、他でもないシャールル自身だった。
「いいんだよ、実。僕は、自分で望んでこうなったんだ。」
「でも、それじゃあシャールルは……」
「うん、分かってる。」
実が言わんとすることを、シャールルはすでに察していたようだ。
シャールルは、実の肩に降りて翼を震わせた。
「こうなっちゃったら、僕はもう元いた場所にはいられない。聖獣として、この場を治める手伝いもしなきゃいけない。でも、それでいいんだ。無力なまま外に戻っても、僕は生き残れない。それなら、自分が持って生まれたものを受け入れて、こうなった方がいいと思う。それに、嫌なことなんて一つもないんだよ。」
シャールルの声は明るかった。
「ここは、とってもいい場所。みんな優しいし、居心地がいい。実が名前をくれて、イルシュエーレ様が認めてくれて、ここが本当の僕の居場所になった。それが、僕にとってどれだけ幸せなことか。ありがとう、実。実は、二つの意味で僕の恩人だね!」
シャールルからの言葉に、何も言えなくなった。
助けたのは、本当に気まぐれだった。
たまたま目の前に小さな兎が飛び出してきたという偶然と、ふと湧いた幼い同情。
助けた後の兎の運命なんて、考えたこともなかった。
今シャールルを目の前にして、ようやくあの時の自分の行動がどんな意味を示していたのかを思い知る。
自分はあの小さな行為で、確かにシャールルの運命を変えた。
そして今もまた、彼の運命を変えるきっかけとなった。
―――それで、シャールルは幸せだと言っている。
一度は普通の輪から弾かれた存在が、新たな輪を見つけた。
そして、名前を授かることでその輪に入って、自分の居場所を得ることができたのだ。
「………っ」
そう思うと、胸が温かくなってちょっと苦しくなる。
シャールルは全てを受け入れて、幸せだと言えるようになった。
自分の運命を呪わずに済んだ。
それが―――無性に嬉しい。
シャールルの境遇が自分と被って見えたからかもしれない。
シャールルが幸せだと言えることが、まるで自分のことのように嬉しかったのだ。
「そっか……なら、よかったよ。」
微笑んだ実は、シャールルの頭を優しくなでた。
「動物たちからすると、こういう魂を持った子はとても魅力的に見えるの。食べてしまいたいくらいにね。あなたが助けなかったら、この子は今頃生きてはいなかったでしょう。あなたに出会えたことは、シャールルにとって本当に幸運なことだったのよ。」
「そんな……」
実は、シャールルのつぶらな瞳を見つめる。
その魂のせいで、同族の中では生きていけない存在。
シャールルも、自分と似た境遇だということか。
「そんな顔しないでいいよ。もう気にしてない。僕は幸せだもん。」
そう語るシャールルの周りに、強力な魔力が集まった。
彼の足元から水が噴き出し、その水はその背中に向かう。
突然の変化に目を瞠る実の前で、シャールルの背に水で象られた翼ができあがる。
水の翼が羽ばたくと、シャールルの小さな体がふわりと宙に浮き上がった。
「すごいでしょ? 実のおかげで、こんなこともできるようになったんだ!」
「俺のおかげって……俺、何もしてないけど……」
「名前のことよ。」
イルシュエーレが微笑む。
「あなたたち人間には普通だけど、私たちにとっての名前はものすごく大きな意味を持つの。ここにいる精霊たちの中でも、名前を持つのは私だけ。名前を持ってることだけで、特別な存在となりえるの。」
「え…? そ、そうなの…?」
それは知らなかった。
戸惑う実に、イルシュエーレは一つ頷く。
「ここの力をたくさん取り込んで、この子の魂は私たちに属するものに変容していってた。そこに、あなたが水に由来する名を与えた。それでこの子は、私と同等の力を扱う権利を得たの。加えて、私がシャールルを認めたことで、シャールルの魂は私たち精霊と完全に同属になった。だからこんな力が使えるようになったの。あなたたちは、こういう子のことを聖獣と呼んでなかったかしら。」
「ああ……」
実は蓄えてきた知識を手繰る。
この世界で並外れた威力の魔法を扱うための手段は二つ。
一つは両親のように四大芯柱となって、精霊たちを従えること。
そしてもう一つは、精霊と同等の力を持ちうる聖獣を自分の配下に置くことだ。
しかし、四大芯柱がいつの時代も確実にいるのに対し、聖獣はその姿を確認されたことがほとんどないと聞く。
それ故に、聖獣を従える聖獣使いもほとんどいないのだ。
「……ん?」
そこで、はたと思い至る。
「ってことは……俺が名前をつけたから、シャールルは聖獣になったってこと?」
名前を与えられたことで、シャールルは聖獣となりえる資格を得たのだと。
イルシュエーレはそう言ったはず。
「そうだよ!!」
元気よく答えたシャールルが、くるりと空中で一回転。
そうか。
やっぱりそういうことか。
そういう……
「えええぇぇ!?」
ようやく、事の重大さに気付いた。
「ごっ、ごめん、シャールル!! シャールルの意思も何も考えず、勝手に名前つけちゃった…っ」
まさか、精霊たちにとって名前がそんなに重要だったなんて。
自分は、無自覚でシャールルの運命を変えてしまったことになるじゃないか。
「イルシュも、なんで俺にそれを話す前にシャールルの名前を認めちゃったの!? 俺、なんかすごいことしちゃったじゃん!」
突然のことに混乱してしまい、実はイルシュエーレに向かって慌てて言い募った。
しかし、イルシュエーレは不思議そうに首を捻るだけ。
「どうして? 私はあなたがつけた名前を綺麗だと思ったし、その名前を尊重しただけよ。」
「だけど……」
「それに、シャールル自身がこの名前を自分の名前として認めているもの。今さら、命名を取り消すことはできないわ。」
イルシュエーレは指を滑らせて、実の視線をシャールルへと導いた。
「見て。シャールルはあなたに名づけてもらったことを、こんなに喜んでいるわ。聖獣になることを望んだのも、彼自身よ。」
「え…?」
イルシュエーレの言葉に、実は固まる。
そしてそれを肯定したのは、他でもないシャールル自身だった。
「いいんだよ、実。僕は、自分で望んでこうなったんだ。」
「でも、それじゃあシャールルは……」
「うん、分かってる。」
実が言わんとすることを、シャールルはすでに察していたようだ。
シャールルは、実の肩に降りて翼を震わせた。
「こうなっちゃったら、僕はもう元いた場所にはいられない。聖獣として、この場を治める手伝いもしなきゃいけない。でも、それでいいんだ。無力なまま外に戻っても、僕は生き残れない。それなら、自分が持って生まれたものを受け入れて、こうなった方がいいと思う。それに、嫌なことなんて一つもないんだよ。」
シャールルの声は明るかった。
「ここは、とってもいい場所。みんな優しいし、居心地がいい。実が名前をくれて、イルシュエーレ様が認めてくれて、ここが本当の僕の居場所になった。それが、僕にとってどれだけ幸せなことか。ありがとう、実。実は、二つの意味で僕の恩人だね!」
シャールルからの言葉に、何も言えなくなった。
助けたのは、本当に気まぐれだった。
たまたま目の前に小さな兎が飛び出してきたという偶然と、ふと湧いた幼い同情。
助けた後の兎の運命なんて、考えたこともなかった。
今シャールルを目の前にして、ようやくあの時の自分の行動がどんな意味を示していたのかを思い知る。
自分はあの小さな行為で、確かにシャールルの運命を変えた。
そして今もまた、彼の運命を変えるきっかけとなった。
―――それで、シャールルは幸せだと言っている。
一度は普通の輪から弾かれた存在が、新たな輪を見つけた。
そして、名前を授かることでその輪に入って、自分の居場所を得ることができたのだ。
「………っ」
そう思うと、胸が温かくなってちょっと苦しくなる。
シャールルは全てを受け入れて、幸せだと言えるようになった。
自分の運命を呪わずに済んだ。
それが―――無性に嬉しい。
シャールルの境遇が自分と被って見えたからかもしれない。
シャールルが幸せだと言えることが、まるで自分のことのように嬉しかったのだ。
「そっか……なら、よかったよ。」
微笑んだ実は、シャールルの頭を優しくなでた。
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