世界の十字路

時雨青葉

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第2章 水の底

つらいのかな…?

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「あー、疲れた……」


 部屋に戻った実は、一直線にベッドを目指してそこに身を投げた。


 はしゃいだ精霊たちの相手は、予想以上に大変だった。


 何度もチーム替えをして、最終的にはチームなんか関係なく全員で自分に向かってくる始末だ。


 幼い頃のようにやられたりはしなかったが、遊びとはいえ魔力を使いすぎた気がする。


 おかげで、体がなまりのように重い。


「だめよ。」


 一緒に部屋に入ってきたイルシュエーレが、困ったように笑いながら近付いてくる。
 何がだめなのか訊こうと頭をもたげた時、ちょうど頭の上から布が被せられた。


「まだ髪が濡れてるわ。」


 そのまま優しく髪を拭き始めたイルシュエーレに、実は慌てて起き上がる。


「いいって。自分でできるから。」


 ひったくるように布を奪って、実は髪を掻き回す。
 ここまで成長しているくせに誰かに髪を拭いてもらうなんて、かなり恥ずかしい。


 実の心境が分かっているのか、イルシュエーレはほのかに微笑んで、赤らんだ実の顔を見つめていた。


「疲れた?」


「まあ……ちょっとばかりやりすぎたかな。限界ってわけじゃないけど、結構疲れたよ。」


「そう。でも、本当に強くなったわね。あの子たちにあそこまで付き合うなんて、私もびっくりしたわ。」


 イルシュエーレの言葉を聞いて、実はどこか寂しげな笑みを浮かべる。


「強くなった、か…。まあ、強くならなきゃいけなかったからなぁ……」


 実の声ににじむ空虚さを感じたイルシュエーレが、瞬く間に表情を曇らせた。


「つらかったでしょう?」
「……どうなんだろ…?」


 そう呟いた実は、くうを見つめる。


「ここを出て、色々あったよ。もちろん、いいことばかりじゃなかった。でも、つらかったかって言われると……よく分からないや。別に、悪いことばかりってわけでもなかったし。」


 返答に困ったので、ごまかすように苦笑をたたえる。
 すると―――


 ふわり、と。
 柔らかく、イルシュエーレが自分を抱き締めてきた。


「無理しないで。」


 母親のように、イルシュエーレは実の頭をなでた。


「顔を見れば分かるわ。たくさん、つらいことがあったんでしょう? 大丈夫、分かってるわ。だから、無理してこらえなくてもいいのよ。」


 イルシュエーレの言葉が、心地よく耳に染み込んでいく。


 色々あった。
 地球に行って、記憶と魔力を封じて、また取り戻して。
 時間の早さが分からなくなるくらい、たくさんのことがあった。


 ―――自分は、つらかったのだろうか?


 つらいと感じたことが全くないと言えば、それは嘘になる。
 でも、つらいという感情を意識していたら、その度に立ち止まってしまう。


 だから、どうしようもなくつらくなっても見ないふりをして、その感情から逃げることにしていた。


 それは、つらいのを我慢していたことになるのだろうか…?


(俺は……無理してたのかなぁ…?)


 無理をするなと、イルシュエーレはそう言うけれど。
 自分が無理をしていたのかが分からない。


 つらいという感情と向き合う余裕はなかったから、意識しないようにした。
 結果としてそれは、つらさを我慢していることになるのかもしれない。


 だが、それは無理をしていることになるのだろうか。
 それは、つらいことなのだろうか。


(俺は、本当につらいのかな…?)


 目を閉じて、自分の心を覗いてみる。
 だけど……


「………やっぱ、よく分かんないや。」


 笑いを交えてイルシュエーレを見ると、彼女は何故かひどく悲しそうな顔をした。


 不思議な気分だ。


 これはイルシュエーレのことではないのに、彼女は自分以上に悲しそうな仕草を見せる。


 自分のことを自分以上に悲しまれるのはどこか不思議で、そして複雑だ。


「そんな顔しないでよ。俺は平気なんだし。」


 明るく笑い飛ばしたはずだったのだが、イルシュエーレはさらに表情を暗くしてしまう。


 その反応に、実は困惑するしかない。


 何故だろう。
 自分が笑って話を片付けようとすると、皆がいい表情をしない。
 イルシュエーレに限らず、拓也や尚希だってそうだ。


「あ……そうだ。」


 拓也や尚希の顔が浮かんだことで、はたと思い至る。


「そういえば、外ではどのくらい時間が経ってるの? ここ、時間が分からなくてさ。」
「いいの。」


 その瞬間、イルシュエーレがこちらの言葉をさえぎるように口を挟んできた。
 先ほどまでの気弱な雰囲気が一転して、かたくなな拒絶が声ににじむ。


「イルシュ…?」


 きょとんとした実が様子をうかがおうとするも、実の頭に顔をうずめるイルシュエーレの表情は、実からは全く見えない。


「いいの。今は外のことを忘れて、ここでゆっくりしていれば……それで、大丈夫だから。」


 その言葉を聞いた瞬間、実の顔から表情が消える。


 薄々、勘づいてはいたのだ。




 ―――イルシュエーレたちに、自分を外に帰す気がないということに。




 彼女たちの態度は、昔と寸分の違いもない。


 彼女たちはとても優しくて、自分を純粋な気持ちで受け入れてくれて、心の底から自分のことを好いてくれている。


 だけど―――その優しさで、彼女たちは自分をここに閉じ込めようとしている。


 もっと一緒にいたいから。
 そんな安直な理由ではないはずだ。


「………」


 実は頭上を仰ぐ。


 ガラスの向こうには、青の向こうからほのかに差し込む太陽の光が。


 ここは精霊たちが支配する、湖底の小さな国。


 彼女たちの導きがなければ決して辿り着くことはできないし、逆に帰ることもできない。


 ここにいて、自分ができることはほとんどないのだ。


「イルシュ…。泣かないでよ……」


 耳元で微かに響くすすり泣きの声に、実は眉を下げた。


 こうなると、さすがにお手上げだ。
 何をすれば最良なのか、全く分からない。


(とりあえず……何事もなく丸く収まればいいんだけど…)


 そんなことを思いながら、実はそっと溜め息をついた。

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