世界の十字路

時雨青葉

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第1章 ウェールの民

招き入れた侵入者

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 その日は、月が綺麗な夜だった。


 雲一つない夜空には星々が散りばめられ、白光の月がその中で一際強い光を放っている。


 街の大通りは依然としてにぎわいを見せているが、その喧騒は住宅地にまでは届かない。


 大通りから離れれば世界は一転し、街灯と月明かり以外の光源が失われた暗い景色が広がる。


 そんな暗闇と静寂に満たされた住宅街を、気配を忍ばせて動くものがあった。


 それは住宅の屋根を軽い足取りで移動し、ある屋敷の上でその足を止める。


 屋根の上から真下を見下ろすと、そこには遠くに広がる地面と、屋敷の壁面に並ぶ窓が。


 さらに、その窓の一つに風にたなびく白いものがあった。


 それに引き寄せられるように、彼は屋根から飛び降りた。


 一階に位置していたその窓があるベランダに降り、窓に挟まっている白いものを手に取る。


 白いものの正体はハンカチだった。
 それをを見下ろしていると、すぐ側の窓がひとりでに開く。


 どうやら、入ってこいということらしい。


 少し躊躇ためらいはしたが、彼はハンカチをぐっと握り締めて、窓から部屋の中に身を滑らせた。


「―――へえ。素直に来たんだ。」


 その侵入者を、実はのんな感想と共に迎え入れた。
 そして、侵入者の容貌を上から下まで眺める。


 どことなく、人間離れした雰囲気をかもし出す男性だった。
 微風に揺れる白銀の髪に、暗がりでも鋭く光って見える焦げ茶色の瞳。


 明かりのない部屋で夜の景色を後ろに立つ彼は、彼が持つ独特の雰囲気を余計に際立たせていた。


「何故、わざわざこんなことを?」


 訊ねる男性の手には、白いハンカチと一緒に一枚の紙が握られている。


「気配に悪意はなかったし、見張ってるっていうよりは、声をかけるタイミングを探ってるって感じだったから、かな?」


 実は微笑わらう。


 男性が持っているのは、昼間に自分が木に向かって投げつけた紙だ。


〈話したいなら会いに来い。目印をつけとく。〉


 紙に記した内容は簡潔。
 落ち合う場所も、相手が入ってきやすいよう、一階にあるこの大広間にした。


 相手が誘いに乗ってくるのかは賭けだったが、結果的に思うようになったのでよしとしよう。


「あなたはお人好しですね。でも、助かります。」


 普段から無表情なのか、男性はわずかに眉を動かしただけだった。
 そんな彼からは、やはり敵意も何も感じられない。


 男性は、ゆったりとした足取りでこちらに近付いてくる。
 実はその意図が分からず、ただ彼を待つだけの格好となる。


「うえっ!?」


 飛び出した第一声は、そんな間の抜けた声。
 目をまんまるにした実は、身動きすることも忘れた。


 男性は実の前に立つや否や、片膝をついてこうべを垂れたのだ。


「無理を承知の上でお願い申し上げます。どうか、私たちに力を貸していただけないでしょうか?」


「……はい?」


 実は、戸惑いを隠せなかった。


 なんと返せばいいか分からないまま、とりあえず頭だけは上げてもらおうとしたのだが、男性は頑として今の体勢を崩そうとしない。


「頭痛くなってきた。話が全く見えない。」


 実はこめかみを押さえる。


 男性への回答は見つかっていないのだが、彼を招き入れたのは他でもない自分。
 話が分からないから追い出すという手段には出たくない。


 しかし、自分が何かしらの答えを示さない限り、状況が進展するとは到底思えなかった。


「あー、えっと……それって、どうしても俺じゃなきゃだめなの?」


 苦し紛れに、そう問いかける。


 ただでさえ、最近は厄介な事件のオンパレードなのだ。
 これ以上の面倒事はけて通りたい。


「厳密に言うなら、そうではありません。」


 男性の言葉を聞き、実は思わずほっと胸をなで下ろした。


 しかし〝他を当たってくれ〟という言葉は、次の男性の発言のせいで音にならずに消えてしまうことになる。


「あなたがお断りするなら、あなたとよくご一緒にいる方に頼むつもりです。おそらく、あなたのご友人では?」


「なっ…」


 驚愕すると同時に、自分には逃げ道がなかったことを今さらながらに思い知る。
 そして、悪意がなかったからと彼を招き入れてしまった自分の行動を悔やんだ。


「俺がだめなら、ターゲットが拓也か尚希さんになるわけか。くっそー、ここに入れちゃったのは俺だしなぁ……」


 実は頭を掻き回す。


 自らが引き寄せてしまったことで二人に火の粉が飛ぶのは申し訳ない。
 特に、今の尚希は常に仕事で圧迫されている状況だ。


 自分はお断りなので、代わりに対応してください……なんて、口が裂けたって言えない。


「あー、もうっ! めんどくさい!」


 頭に置いた手を思い切り振り下ろし、実は未だに頭を上げない男性と向き合う。


「力を貸すって、具体的にどうやって?」


「あなたが何かしらの行動をする必要はありません。ただ、我々と共にいてくれるだけでいいのです。」


「共にいるだけって……まあ、いいや。それは後でで。」


 渋面を作りながらも、実は質問を続ける。


「時間はかかるの?」
「おそらく、次かその次の満月までには解決するかと。」
「満月……」


 実は男性を通り過ぎ、ベランダから空を見上げる。


 今見えるのは、綺麗な三日月だ。
 次の満月までは十日前後、その次の場合は一ヶ月と少しといったところだろうか。


「最後の質問。―――危険は伴うの?」


 これが最も重要な問いだった。


「ない……とは言い切れません。ですが、あなたのことは我々で何があってもお守りするつもりです。」


「なるほど。」


 頭の中で情報を整理し、実は一つ深呼吸をした。


「顔、上げてくれない?」


 声に含まれる響きの違いを感じ取ったのか、今度は男性が素直に顔を上げた。


 逆光の中でもきらめいて見える茶色い瞳を、実はまっすぐに見つめる。
 男性が少しだけ目を見開いたが、自分が見たいのはそんな上辺の変化ではなかった。


 じっと、男性の瞳を凝視する。


 彼の目はどこまでも澄んでいて、しんなものだ。
 少なくとも、嘘はついていない。


 そして、こんなに注意深く探っても、やはり彼からは悪意や敵意を一切感じなかった。
 彼の目も雰囲気も、清々しいまでに綺麗だ。


「……分かったよ。」


 最後に諦めの溜め息をつき、実はそう告げた。
 その答えに、男性は目をしばたたかせる。


「よろしいのですか?」
「いいも何も、断らせるつもりもなかったくせに。」


 肩をすくませる実。
 低姿勢が時として強い脅迫となることなら、つい最近知ったばかりである。


「まあ、あんたが少しでも嘘をついているようだったら断ったかもね。」


 実が微笑んで言うと、それまで意外そうにしていた男性が、何かを得心したという顔で目を閉じた。


「なるほど。先ほどまでは、それを見定めていたのですね。」


 ようやく立ち上がった男性は、すたすたとベランダへ出ていく。
 そして―――


「では、行きましょうか。」


 実へと、手を差し伸べた。




 ―――――バサッ




「…………へ?」


 実は、唖然としてその場に立ち尽くした。


 こちらに手を伸ばす男性。
 その背には、どこから現れたのか一対の翼があったのだ。
 たかわしを彷彿とさせる彼の翼は、その力強さを存分に示している。


 思ってもみなかった光景に、実が動きも言葉も忘れて目を丸くしていると―――




「はい、そうですか……って、簡単に行かせるわけねぇだろうが。」




 よりにもよって、こんな時に一番聞きたくない声が大広間に響いた。

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