愛縁奇祈

春血暫

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愛縁奇祈

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 目の前で、人の子が燃えている。

 苦しみ。
 悲しみ。
 憎しみ。

 人は、それを負の感情と呼ぶだろう。
 それらを、叫びながら、人の子は燃えた。

 私は、それを見るしかできなかった。

 見るしか、できなかったのだ。

 ゴウゴウと音を立てて、彼女は人の姿を失った。

 こんなものを見るのは、私だけで良い。

 弟には、見せられない。

「兄ちゃん、姉ちゃんは?」

 私に目隠しをされたまま、英忠は言う。

「優馬姉ちゃんはどこなの?」

「優馬はね、遠くに逝ってしまったよ」

「え?」

「英忠」

 私は、英忠の前に立ち、少ししゃがむ。

「お前は、ここから逃げなさい。東の方に行くんだ」

「兄ちゃんは?」

「お兄ちゃんは、少し仕事があるんだ。安心しなさい、すぐに行くから」

「や、嫌だよ」

 英忠は、涙目になって、私を見る。

「嫌だよ、兄ちゃん。やめてくれよ。そばにいてくれよ」

「……英忠」

「ねえ、兄ちゃんが背負わなくても良いことなんじゃないの? 兄ちゃんがやらなくても良いことなら、やらなくて良いじゃないか。ねえ、兄ちゃん!」

 ぎゅっと、英忠は自分の服の裾を持つ。

「一緒にいてよ、兄ちゃん」

「……ごめんね、英忠」

 私は、こんな状況でも。
 やはり、人が好きなのだ。

 人の幸せを願ってしまうのだ。

「ごめん」

 私は英忠を抱きしめる。

 きっと、もう二度と抱きしめられないから。
 だから、私は思いっきり抱きしめる。

「ごめんね、英忠。私は、それでも人が好きなんだ」

「……っ」

「そしてね」

 私は、英忠から離れる。
 いや、離れて、さらに、突き飛ばす。

「私は鬼だから、願いは叶えない」

 突き飛ばされた英忠は「兄ちゃん!!」と泣き叫ぶ。

「嫌だって!! なんでだよ!! 一緒にいてよ、愁哉お兄ちゃん!!」

「っ」

 お前、ここで、そんな風に泣くのはダメだろ。

 けど。

 けどさ。

 ありがと、私を兄と慕ってくれて。

――私はそれで充分、幸せだ。

 私はニコッと笑い、町の人たちの方に行く。

 もう二度と、英忠には会わないように、と思い、縁を切ろうと思ったけど。
 まったくできなかった。

「……切れないや」

 と、呟いて、ふと、気づく。

――なんで、泣いているんだろう。

 悲しいから、か?
 苦しいから、か?

 そんなこと、わからないけど。
 切れなくて、安心している自分もいて。

 だから、私は。

「切りたくないんだ」

 だって、英忠は。
 私にとって、大切な弟だから。

 そう呟いて、私は前を見る。

「町のみんな、聞いてくれ」

 もう、私の声は届かないけれど。
 それでも、聞いてほしい。

「私は、あなたたちに必要とされて、嬉しかった。毎日が楽しかった。より人が好きになった。だから、もうやめないか? 何かに頼り、責任転嫁をすることを。もう終わりにしないか? 己は悪くないと言い張り、目をそらすことを」

 これが、最後だ。

 最後の機会だから。

「いい加減、みんな大人になってくれ」

「鬼が何をわかるという! 何も知らぬくせに!!」

「そうだね、私は何も知らない。でも、あなたたちだって、私のことを知らないじゃないか」

 けど、その中で優馬と文音だけは私を知ろうとしてくれたよ。
 二人は私に触れてくれたよ。

 だから、許せないんだよ。

「負の感情と共に、死にゆく魂は、怨魂になってしまう。そうすれば、もう二度と、この世にたつことはできないだろう。優馬と文音は、そんなことになってはいけない」

 私は、燃える人の子――優馬を見て言う。

「その怨念の縁、切らせてもらうよ」

 私は短刀で、優馬の怨念の縁を切る。
 そして、自分に繋げた。

――ああ、これで彼女は、また、人の子になれる。

 そう思った刹那。
 たくさんの怨魂の声が聞こえた。

「え?」

 あ、そうだ。
 思い出した。

――早く、ここから出ないと。

 私は、私であることを忘れてしまう。

 どこか、逃げるところがあるかを見ると、英忠がまだそばにいた。

――あのバカ!!

 私はそう思い、英忠に向かって叫ぶ。

「逃げろ!!! 私から、離れろ!!!」

「兄ちゃん!」

「いいから、私から離れろ!!!!!」

 お前を殺したくはないんだ。
 お願いだ、英忠。

「私を助けると思って――うっ」

 ああ、うまく身体が動かない。

 意識が朦朧とする中で、私は全力で英忠を遠くへ突き飛ばした。

 とても遠くに飛ばしたから、きっと、私を追いかけようとは思わないだろう。

――良かった、英忠。

 だけど、ごめん。

 ごめんね。

「愛しているよ、英忠、優馬、文音」
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