愛縁奇祈

春血暫

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愛縁奇祈

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 少し休もうと思い、自分のいた空き家に戻った。
 すると、空き家の前で、弟が私を呼んでいた。

 会えて嬉しい気持ちはあった。

 しかし、同時に気分が悪くなった。

 何度か、強く「帰れ」と言ったのに、彼は帰らなかった。

――ああ、もしかしたら、君を傷つけてしまうかもしれない。

 弟である君を傷つけるなんて、したくない。

 そう思っていると、弟は「なんで、名前を呼んでくれないの?」と私に訊いた。

 私は、どうすれば良いかわからなかった。

 神であったときの名前ならわかるが。
 人の子での名前は知らない。

 けど。

 弟は、私が名前を知っているように話す。

 それが、また、気分が悪くなった。

 吐きそうになっていると、弟が心配そうに声をかけた。

 その声に、頼りそうになった。

 だけど、私は頼ることはできなかった。

 また、発作のように殺意が湧いたから。

――傷つけたくなんか、ない。

 そう思って、私は弟を遠ざけた。

 我ながらひどい言葉を、彼に浴びせた。

 それが、とても苦しくて。
 悲しくて、仕方がなかった。

 もう二度と、弟が私を思わないように。

 私は弟との縁を切ろうと思った。

 切ろうと思ったのに。

 なぜだろう。

「なぜ、切れないのだろうか」

 私は、震えながら呟いた。
 視界はぼやけて、周りはあまり見えない。

 だけど、はっきりと見える。

 もう、私は手遅れなのだと。

「ごめんね」

 ごめんね、本当に。

 と、その場にうずくまっていると、人の気配を感じた。

「誰ですか」

「私だよ、名切さま。あなたの力を奪ったものだよ」

「……返してください。あなたは、人でしょ?」

 まだ、姿は見ていないけど。
 けど、それでも。

 あなたは、人の子だ。

「人には毒です」

「それは、身をもって感じているよ。まったく、蛇というものは、恐ろしいな」

 彼は、淡々と言う。

「私自身が、蛇になるなんて」

「……もう、遅いのですね。もう、あなたは人には戻れない」

 それは、世のために、殺すべきなのではないか。

 そう思うと、震えは止まり、涙も止まった。

 私は、短刀を片手に、振り向き、殺そうとした。
 しかし、できなかった。

 そこには、一匹の蛇がいた。

「……何をした?」

 私が訊くと、彼は笑う。

「あなたの力で、人を殺し続けた。そのたびに、私は蛇になっていく」

「……そうですか。で、どうして殺されそうなのに、動かないのです?」

「お望み通り、返そうと思ってね」

「それは、ありがたい」

 と、私が言うと、彼はニヤリと笑う。

「いや、こちらこそ」

「……うん」

 私は頷いて、思いっきり短刀を彼にぶっ刺した。

 その刹那。

 たくさんの憎しみが私の中に入ってきた。

 理性が消えて、なくなってしまいそうなくらい。

 苦しくて、怖いのに。
 やはり、愉しくて仕方がない。

 罪を意識せず、人を殺せる。

 その気持ちが、大きく膨らんでいった。

「まだ、少しは楽しんでいたいから、力は少しいただいておくよ」

 先ほどの蛇の姿ではない、人の子のような姿で彼は言う。

「さらばだ、名切さま」

「……ただで帰れると思ったのか」

 私は、ニヤリと笑い、短刀を彼の胸に刺す。

「ずっと調子が出なかった。だけど、今はだいぶ良いよ」

「っ」

「痛い? 苦しい? それとも、なんともならない?」

 私は訊きながら、彼の胸を刺す。

 そのたびに、血が大量に出る。

「まだあるのだろう? だったら、死なないよね。死ねないよね。肉体は滅んでも、魂は永遠だよね」

「な……んで、あた……てる?」

「それは、これが肉体も魂も、両方傷つけられるものだから」

 それにしても、何も反応がないなんて。
 つまらないな。

 私は無言で刺す。

 しばらく無言で刺していると、もう、彼は人の姿を保てなくなっていた。

 あるのは、ぐちゃぐちゃになった真っ赤な肉片。

「もう終わり? つっまんね」

 けど、まただよね。

 絶対に返してもらうから。

「次は、誰で遊ぼうかな」
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