愛縁奇祈

春血暫

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深雪の空

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「あ、そうだ。一応言っておくね、社長」

 と、梔さんは思い出したように話す。

「俺と文人、しばらく会社休む」

「え? 何? 世界一周してくるの?」

「それは、いずれやるけど。今はやらないよ」

「あっそう。まあ、良いよ。気を付けてね」

「「うぃーす」」

 と、神呪さんと梔さんは返事をして、二人で会社を出た。

「何かあるのかな」

 と、社長は扉の方を見る。

「引馬さん、何か知っていたりする?」

「いや、知らないよ」

 まあ、なんとなく思い当たることはあるけど。
 それは、社長に話してはいけないことだからな。

「さて、俺は少し喫煙所に行ってくるよ」

「あ、そうなの? 奇遇だね、俺も行こうと思ったんだ」

「あんた来たばっかじゃない?」

「吸いたいのを我慢して、会社に来たんだよ」

「我慢しなくても良くない?」

「別に良いじゃないか。何? 嫌なの?」

「嫌ではないよ。じゃあ、行こうか」

 ただ、喫煙所でゆっくり、社長の誕生日のことを考えようと思っていただけなんだよな。
 まだ一か月あるけど。
 何かやるなら時間は、もうない気がする。

 と、思いながら喫煙所に入った。

 ぼんやりとしながら、煙草を吸っていると、社長が「あのさ」と言う。

「引馬さん、なんであの事務所やめたの?」

「調べたんじゃないの?」

「こういうのは、直接本人から聞きたいんだよ」

「聞いてどうするの。同情とかする?」

「さあ、どうだろう」

 ふう、と社長は煙を吐き出す。

「話によるかも」

「そう。まあ、そんな大した話ではないよ。ただ、なんとなくやめたんだ」

 元々、俺はおおはら事務所というところで、モデルをしていた。
 何年くらいやったかな。
 もう年齢的にきついから、と思ったのかもしれない。

 いや、違うかな。

「ほんと、なんとなく」

「いや、そうではないでしょ」

「……やっぱり、知っているんじゃないか」

「まあね。でも、さっきも言ったようにさ。直接聞きたいんだよ」

「……そう。なら、言うか」

「うん」

「事務所がね、潰れたんだよ。経営不振だったしね」

 もう、やめようとは思っていた。
 それは、なんとなく。

「てか、それよりさ。たまに思うんだけど」

「ん?」

「もし、あの日さ。俺が、無理でも左坤くんを連れ出すことができたら、彼は殺人なんてしないで済んだのかな?」

「……どうして?」

「ほら、あの事件ってさ。左坤くんが、刀祢に裏切られて、て話じゃん」

「まあ、簡単に言うとそうだね」

「うん。でさ、俺は、事件の前に、会っていたし。もっと前からも出会っていた」

 彼が、小さいころの時にも。
 出会っていたから。

 もし、て思う。

「てか、彼、あれ初犯でしょ?」

「うん、まあ、うーん」

「何? 違うの?」

「そうだね。仮に、さ。優馬が、おおはらにいても、別のところにいてもさ。あの事件と似たようなことは起きていたかもしれないよ。優馬は、愛情表現の仕方がわかっていないから」

 困ったように、社長は笑う。

「今もあんまりわかっていないんだよね」

「……じゃあ、さ。あれってさ」

 左坤くんが、たちばなを潰したのって。

 もしかして。

「彼なりの愛情表現だったり?」

「そうだね。直接聞いてみな。優馬、バカだから素直に答えてくれると思うよ」

「……聞くの怖いな」

 けど、まあ、そうか。

 そうだよな。

 彼が育った環境も環境だし。

「でもさ、周りが違っていたら、て思うよ」

「まあ、俺もそれは思う」

「うん。いや、左坤くんに出会えたのは、とても嬉しいし。幸せなことなんだけどね」

 だけど。

 彼は、きっと。
 本当は、普通の会社に勤めて、幸せになれたような気がするんだ。

「なんか、普通に暮らす左坤くんを見てみたいな」

「そうだね。俺も、見てみたいな」

 と、社長は笑ったけど、少し寂しそうだった。
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