愛縁奇祈

春血暫

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深雪の空

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 喫煙所から、戻って。
 俺は、左坤くんになんとなくだが「あのさ」と声をかける。

「左坤くん、少し良い?」

「ふぇ? なんですか?」

「いや、大した話ではないのだが。左坤くんって、人を恨んだりとかってしたことある?」

「うらむ? あ、恨む、か。え、いや、ないですけど」

「そうか。じゃあ、さ。どうして――」

 どうして、人を殺したの?

 と、言いかけて止まる。

――それを聞いて、どうするんだろう。

 もし、社長の言うように、愛情表現だったら。
 そう言われたら。

 どうするんだろう。

「引馬さん? どうしたんです?」

「あ、いや、なんでもない。大丈夫」

「? あ、そうだ。引馬さんって、縫い物とかできます?」

「え? まあ、高度なものでなければ。ぬいぐるみまでなら、作れるけど」

「ぬいぐるみって、すごいですよ」

「そうかな」

「うん。あ、いや、ぬいぐるみじゃなくてですね。パーカーの袖が、ボロボロになっちゃったから、直してもらいたいなあ、て」

「あ、そういうことね。良いよ。あ、でもさ。そういうのって、社長には、やらせないの?」

「愁哉は忙しいから。している暇がないんだ」

「なるほど。どれ、少し見せてみなさい」

「うん」

 と、左坤くんは袖を見せる。

「さすがに、二十年とか使ってたら、ボロボロになっちゃうよね」

「そんなに使っているんだ。って、左坤くん、二十四だよね」

「うん。そのくらい。これ、父さんのでね」

「親父さんの?」

「うん」

 左坤くんは嬉しそうに頷いた。

――そういえば、左坤くんの両親て、もうお亡くなりになっているんだよな。

 と思いながら、俺は少し離れて、自分の鞄から裁縫箱を探す。

「たしか、この辺に」

 と、呟いて取り出す。

「あった。今、少し直しちゃうね」

「ありがと」

「うん。左坤くんは、お礼が言える良い子だね」

「うん。それね、父さんにもよく言われたんだ。『優馬は、お礼が言える良い子』て」

「そう。左坤くんは、親父さんのこと、好きなんだね」

「うん。あとね、ユミコさんも好き。もちろん、母さんもね」

「ユミコさん?」

「うん。父さんの大切な人。僕に、優しくしてくれたんだよ。きれいで、なんかね、愁哉に似てる」

 懐かしそうに、左坤くんは笑った。
 それを見て、俺はなぜか少し安心した。

 彼の周りにも、彼を思う人がちゃんといたんだな、と。

 そう、わかったからかもしれない。

「よし」

 と、俺は左坤くんのパーカーの袖のほつれを直し終える。

「左坤くん、何かご飯でも食べるかい? 今日は、おごっちゃうよ」

「え? ほんと?」

「うん。まあ、そんな高いのはダメだけど」

「なら、ざるそば! ざるそばが良い!! あ、愁哉も一緒に、ざるそば!!!」

「ざる蕎麦か。うん、美味しいお蕎麦屋さん、知っているから、そこに行こうか」

 と、左坤くんに笑って言ってから、社長の方を見る。

「社長もどうです?」

「ああ、良いね。お蕎麦」

「ん。あー、でも、そうなると、健介たちが不安だ。よし、みんなでお蕎麦を食べに行こうか」

 と、言うと、みんな(社長以外)満面の笑みになった。

――みんな、子どもみたいで可愛いな。

 と、思って笑うと、社長は「引馬さん」と俺を見て笑う。

「我が子を見守る親みたいになってる」

「もう、気持ち的にはそうだよ。てか、社長もじゃん」

「まあ、社員はみんな俺の子だからねえ」

「それに俺は含まれるかな」

「どうだろ。子どもって感じはしないな」

「まあ、もうおっさんだからな」

「そうだねえ」

 と、社長は頷いてから、「お蕎麦!」と騒ぐ左坤くんたちを見る。

「人の子は、成長が早いから、みんな、あっという間に老いて逝ってしまうね」

「ん?」

「ううん。なんでもない」

「そう。まあ、何かあるなら、言ってね」

「うん、ありがと」

 と、笑った社長は、悲しそうだった。

 まあ、社長から見れば、あっという間の出来事なのかもしれない。いや、それは俺たちから見ても、かもしれない。

 けど、それは、とても忘れられる事ではない気がする。

「んじゃ、みんな、行くよ」

「「「「はーーーーーい!!!」」」」

 と、みんな(社長以外)は笑って、会社を出た。

「はしゃぐなよー」

 と、注意をしながら、扉の方に行き「あ」と後ろにいる社長を見る。

「社長。あまり、無理して笑わないでね。てか、今悩んでいることは、だいぶ、意味がないことだよ」

「え?」

「俺ら社員が、あんたのことを忘れるわけがないから」

「……っ」

「じゃ、下で待ってるから」

「うんっ」

 と、社長は笑った。

 そのあと、小さな声で「バカ」と言ったのは聞こえなかったことにしよう。
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