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顔を変えた過去
その男の名はソンヒョク
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空白の期間、達也はコリアンタウンに戻っていた。
色々な場所を転々としたが、このコリアンタウンが一番落ち着く。
以前はそれほど韓国の匂いを感じなかったが、ディープな界隈に足を運ぶと、そこはまるで、昭和の時代の名残がする長屋が並び、昼間でも周囲に高い団地やマンション、ビルが建っているせいか、日当たりは悪く、薄暗い。
トタン張りの屋根に壁一枚で繋がっている隣家、台風が来たら吹き飛ばされそうなあばら家ばかりで、その狭い中でひしめき合い生活をしている人々がいる。
以前ナツと住んでいたマンションは取り壊され、駐車場に変わっていた。
まるで、昔の下町のような情景で、昼間から酒を飲んでるオヤジや、ボロボロのシャツを着て外を走り回る子供。
軒先でキムチを漬ける女性、色んな匂いが入り交じり、道路を隔てた向こう側は、一時期の韓流ブームで韓国料理店に足を運ぶ日本人は多かったが、決してこっち側に来る事はなかった。
言い換えれば、この地帯こそが本当のコリアンタウンと呼べるのかも知れない。
飛び交う言葉はハングルで、日本語を使う事は滅多にない。
このディープな界隈に足を運ぶ日本人など、いないからだ。
だが、達也はこの長屋が並ぶ異臭の漂う場所が気に入り、長屋の裏に建っている三階建ての簡易宿泊所で寝泊まりしている。
朝起きて、この界隈を散歩する。
住めば住むほど、奥深い韓国の文化に触れるような感じで、達也にしてみれば、このディープな界隈が天国すら感じる。
この場所だけ時が止まっている、そんな錯覚さえしてしまう程だ。
腹が減れば、長屋の住民が漬けてくれたキムチをお裾分けしてもらい、米を炊いて熱々のご飯にキムチを乗せて食らう。
おかずなんて必要ない、このキムチさえあれば何杯でもおかわりできる程の美味さだ。
腹一杯になった後は昼寝する。
これといってやる事も無く、ゆっくりゆっくりと時が流れていき、身を任せていた。
そんな毎日を過ごしていたが、達也は宿泊所の近くにある、古ぼけたバラックのような建物の中から、ドスンドスンという音が聞こえた。
(こんなボロっちい建物の中で何やってんだ?)
達也は立て付けの悪い扉を少し開けて覗いていた。
建物の中央にはリングが設置してあり、その横ではサンドバッグに向かい、パンチやキックを叩き込んでいる男がいた。
「なんだ、こりゃ?ジムか?」
サンドバッグを叩いていた男は達也の存在に気付き、こちらを向いた。
「…おお、スゲー」
汗まみれになった白地にプリントが入ったシャツに膝の破れたデニム。そして、編み込みブーツ用の安全靴。
両腕にはタトゥーが施してある。
「넌 누구냐?(お前は誰だ?)」
その男はハングルで達也に聞いてきた。中は埃にまみれ、リングとサンドバッグ以外は何もない。
「나는 일본인이다(オレは日本人だ)」
達也もハングルで答えた。
男は手にはめていたグローブを外し、達也と対峙した。そのグローブはボクシング用のではなく、総合格闘技用の相手を掴む事が出来る、オープンフィンガーグローブだった。
切れ長の一重まぶたに、精悍な顔つき。鼻筋は少し左に曲がっていた。
身長は達也よりやや低いが、上半身は鍛えぬかれた筋肉に覆われ、ボディビルダーのようなゴツい筋肉というよりは、格闘家の筋肉をしている。
加えて両耳は潰れてカリフラワー状態だ。
これは打撃だけではなく、柔道やレスリング、柔術等の寝技経験者特有の耳をしている。
「こんなことに日本人が来るとはな。随分と物好きなヤツだな」
流暢な日本語で男は話してきた。
「今のはテコンドーか?」
朝鮮半島発祥の格闘技、テコンドー。華麗な足技で、足のボクシングとも言われる。
「テコンドーをベースにした、総合格闘技だ」
やっぱりそうか…達也は男の潰れた耳を見て、寝技も出来る優れた格闘家だと見抜いた。
「でも、何でこんなとこでアンタ1人でサンドバッグ叩いてたんだ?ここはジムか?」
ジムにしては薄暗いし、トレーニング器具は何もない。
しかも、この男一人だけだ。
「そんなことより、お前も格闘技経験者だろ?もし良かったら、スパーリングしてみないか?」
その男の言うとおり、達也も格闘技の経験者だった。
小学校低学年の時、近所にあった日本拳法という道場に通い、中学に上がった頃は、大の大人でも歯が立たない程の腕前になった。
警察の逮捕術としても使われ、柔術に当て身を加えた総合格闘術として知られている。
「いいけど、ルールは?」
側にあったオープンフィンガーグローブをはめながら、スパーリングの内容を聞いた。
「一本獲ったら勝ちってのはどうだ?」
男は再度オープンフィンガーグローブをはめ、リングに上がった。
(この雰囲気、ただの格闘技経験者じゃねえな)
達也は男の醸し出す雰囲気が格闘家というより、裏社会独特の不気味なオーラを纏っていた。
「その前に、アンタ名前は?オレは小島っていうんだが」
「オレはソンヒョク」
男はソンヒョクと名乗った。
「じゃあ、ソンヒョク。タップしたらすぐに技を解けよ。何せ久しぶりなんだからな、オレは」
「…分かった。じゃあ始めよう」
誰もいない中でスパーリングが始まった。
色々な場所を転々としたが、このコリアンタウンが一番落ち着く。
以前はそれほど韓国の匂いを感じなかったが、ディープな界隈に足を運ぶと、そこはまるで、昭和の時代の名残がする長屋が並び、昼間でも周囲に高い団地やマンション、ビルが建っているせいか、日当たりは悪く、薄暗い。
トタン張りの屋根に壁一枚で繋がっている隣家、台風が来たら吹き飛ばされそうなあばら家ばかりで、その狭い中でひしめき合い生活をしている人々がいる。
以前ナツと住んでいたマンションは取り壊され、駐車場に変わっていた。
まるで、昔の下町のような情景で、昼間から酒を飲んでるオヤジや、ボロボロのシャツを着て外を走り回る子供。
軒先でキムチを漬ける女性、色んな匂いが入り交じり、道路を隔てた向こう側は、一時期の韓流ブームで韓国料理店に足を運ぶ日本人は多かったが、決してこっち側に来る事はなかった。
言い換えれば、この地帯こそが本当のコリアンタウンと呼べるのかも知れない。
飛び交う言葉はハングルで、日本語を使う事は滅多にない。
このディープな界隈に足を運ぶ日本人など、いないからだ。
だが、達也はこの長屋が並ぶ異臭の漂う場所が気に入り、長屋の裏に建っている三階建ての簡易宿泊所で寝泊まりしている。
朝起きて、この界隈を散歩する。
住めば住むほど、奥深い韓国の文化に触れるような感じで、達也にしてみれば、このディープな界隈が天国すら感じる。
この場所だけ時が止まっている、そんな錯覚さえしてしまう程だ。
腹が減れば、長屋の住民が漬けてくれたキムチをお裾分けしてもらい、米を炊いて熱々のご飯にキムチを乗せて食らう。
おかずなんて必要ない、このキムチさえあれば何杯でもおかわりできる程の美味さだ。
腹一杯になった後は昼寝する。
これといってやる事も無く、ゆっくりゆっくりと時が流れていき、身を任せていた。
そんな毎日を過ごしていたが、達也は宿泊所の近くにある、古ぼけたバラックのような建物の中から、ドスンドスンという音が聞こえた。
(こんなボロっちい建物の中で何やってんだ?)
達也は立て付けの悪い扉を少し開けて覗いていた。
建物の中央にはリングが設置してあり、その横ではサンドバッグに向かい、パンチやキックを叩き込んでいる男がいた。
「なんだ、こりゃ?ジムか?」
サンドバッグを叩いていた男は達也の存在に気付き、こちらを向いた。
「…おお、スゲー」
汗まみれになった白地にプリントが入ったシャツに膝の破れたデニム。そして、編み込みブーツ用の安全靴。
両腕にはタトゥーが施してある。
「넌 누구냐?(お前は誰だ?)」
その男はハングルで達也に聞いてきた。中は埃にまみれ、リングとサンドバッグ以外は何もない。
「나는 일본인이다(オレは日本人だ)」
達也もハングルで答えた。
男は手にはめていたグローブを外し、達也と対峙した。そのグローブはボクシング用のではなく、総合格闘技用の相手を掴む事が出来る、オープンフィンガーグローブだった。
切れ長の一重まぶたに、精悍な顔つき。鼻筋は少し左に曲がっていた。
身長は達也よりやや低いが、上半身は鍛えぬかれた筋肉に覆われ、ボディビルダーのようなゴツい筋肉というよりは、格闘家の筋肉をしている。
加えて両耳は潰れてカリフラワー状態だ。
これは打撃だけではなく、柔道やレスリング、柔術等の寝技経験者特有の耳をしている。
「こんなことに日本人が来るとはな。随分と物好きなヤツだな」
流暢な日本語で男は話してきた。
「今のはテコンドーか?」
朝鮮半島発祥の格闘技、テコンドー。華麗な足技で、足のボクシングとも言われる。
「テコンドーをベースにした、総合格闘技だ」
やっぱりそうか…達也は男の潰れた耳を見て、寝技も出来る優れた格闘家だと見抜いた。
「でも、何でこんなとこでアンタ1人でサンドバッグ叩いてたんだ?ここはジムか?」
ジムにしては薄暗いし、トレーニング器具は何もない。
しかも、この男一人だけだ。
「そんなことより、お前も格闘技経験者だろ?もし良かったら、スパーリングしてみないか?」
その男の言うとおり、達也も格闘技の経験者だった。
小学校低学年の時、近所にあった日本拳法という道場に通い、中学に上がった頃は、大の大人でも歯が立たない程の腕前になった。
警察の逮捕術としても使われ、柔術に当て身を加えた総合格闘術として知られている。
「いいけど、ルールは?」
側にあったオープンフィンガーグローブをはめながら、スパーリングの内容を聞いた。
「一本獲ったら勝ちってのはどうだ?」
男は再度オープンフィンガーグローブをはめ、リングに上がった。
(この雰囲気、ただの格闘技経験者じゃねえな)
達也は男の醸し出す雰囲気が格闘家というより、裏社会独特の不気味なオーラを纏っていた。
「その前に、アンタ名前は?オレは小島っていうんだが」
「オレはソンヒョク」
男はソンヒョクと名乗った。
「じゃあ、ソンヒョク。タップしたらすぐに技を解けよ。何せ久しぶりなんだからな、オレは」
「…分かった。じゃあ始めよう」
誰もいない中でスパーリングが始まった。
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