大人にも学校は必要だ

上谷満丸

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第一章 大人に必要な学校

母は偉大である

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 目覚ましの鳴る音とともに目が覚める。私の朝は早い、今私の家で働いているのは母の原田美智子はらだみちこだけだ。母はキレやすい私を見捨てないでここまで育ててくれた大切な人だ、最低な父から私を守ってくれた、いじめられた時も私の言い分を最後まで聞いてくれた。マザコンかもしれない、私がクリニックに行く前に殴ろうとしたのに、震えて泣き出しそうだったのに、決して強い人ではないのに、私が誰もかれもが敵だと思っていたのに母だけは最期まで手を差し伸べてくれた。本当に救われた、その母為なら早起きして朝食を作ることなど簡単なことだ。

 私の得意料理はスクランブルエッグ、初めて覚えた料理というのもあるが、おなじ作り方をしているはずなのに同じ味にならないのが面白い。目分量で砂糖と塩を使って味付けしているせいなのだろうが、いつも違う味になってしまう。卵を割り、塩と砂糖を適量入れかき混ぜる、この時だまにならないようにかき混ぜるのがコツだ。温めたフライパンにバターを入れて溶けきる前にかき混ぜた卵を入れる、そして淵から固まっていくので箸で淵の卵を中心に集めながら固まりきる前にふんわりとフライパンの動きでトロトロを中に閉じ込める、これで完成だ。

「ふにゅー、いい匂いだねえー。りっくんおはようー」

 六時半に母が起きてくる、このもうすぐ五十代差し掛かろうといるのにまったく老いを感じないところか、お酒を買うときに身分証の提示を必ず求められる幼い顔と言動の女性が私の母である。幼さと白髪を隠すための明るめの茶色の髪はセミロングの長さにまとめられており、一緒に歩くと彼女さんですか? と聞かれるのが嫌だった。

「母さん、りっくんはやめてください。私もいい歳なんだから」

「母にとって子供のはいくつになっても子供なのですー、だからりっくんはりっくんなのです」

 よくわからない理屈だ。だけど名前で呼ばれたことの少ない私としては自分の名前を呼んでくれる人の一人なのだ。苦笑しつつも不思議と嫌な気分にはならない。

「ほら、食パンも焼けたから早く食べて身支度を整えてきてください。母さんは朝早いのだから」

「りっくんの変な敬語は治らないよねー、まあそれも障害のうちなんだろうけど」

 むっ、最近母に言われるようになった私の変な敬語。言われてみればおかしいのかもしれないと最近思い始めている、確かに昔友人にも壁を感じるしゃべり方だと言われたことがある……気を付けよう。

「わかりました……違うか、えっとわかったよ、母さん」

「うぅぅ」

 急に泣き始めた母に私は驚く、なんで!

「りっくんが、ひっく、りっくんがー、素直に聞いてくれるようぅっ。いつも怒らせてっ、ばかりだったのに」

「そんな泣くことか! というかそんなに私は怒っていたのか?」

「うん、凄かったよ。こんな風に子供に注意しても怖くない日が来るなんて……母は嬉しいです」

 そんな怖い思いをさせていたのか……反省しよう。

「今日から学校なんだよね、大丈夫かな。またいじめられない?」

「母さんは人のトラウマをナショナルに刺激してくるのが嫌いです。いい歳した大人達の学校だよ? 学生時代のようないじめは……」

 会社を休職することになった最大の原因を思い出して、あっ大人のいじめのほうがえげつないわ……って思ったけど口に出すと母がまたパニックになってしまうな、と思った私は誤魔化すように母に朝食を進める。

「ほら、早く食べないと遅刻するよ。今日もスクランブルエッグと食パンだよ」

「はーい、ぬりぬり」

 母は食パンに苺ジャムを大量に塗り始めた、見ていると胸やけがするから私も食べてしまおう。うちはトースターで焼くので食パンも絶妙な焼き加減で食べられる。ちなみに私はバターを軽く塗っただけで食べている、元々パンはカリカリ感が重要だと思っているので母の食べ方とは相いれないのである。

 食べ終わると母は軽く化粧して身支度を終わらせて仕事に向かった。さてと私も学校に行くか、私はよく物を無くす……本などを見てそれも障害のうちらしく対策も考えた。その名も『元あった場所に戻すボックス』。

 これの用途は簡単だ、私がよく持っていく鍵や手帳、診察券、自転車の鍵など失くしやすいものを使ったら、このボックスの鍵かけボード、障害者手帳や予定が書いてある手帳を入れるスペースがあるこのボックスに戻すのだ。
 それだけのことだが、私はこのやり方が的中した。出しっぱなしの子供のようなものだ、戻す場所をしっかり決めておくというのは私のような面倒くさがりにはちょうど良かったのだ。

 そんなことを考えながらスーツを着ていく、知縁学園の制服は一応あるのだが、スーツを持っている人はスーツでの登校を認められている。ルールとしてはスーツがない人は学生時代の制服が使えれば使ってもいい、ない場合は学園指定の制服か、白いシャツと黒いズボン・スカートを基本に上着は派手すぎない色、ズボンもあまり目立つ色は着ないようにというところか。私はスーツがあるから問題ないので最後にやはり遊びに行くわけじゃないのだからネクタイをしっかり締めて準備を終える。

「さてと、手帳と昨日のうちに準備した入学書と書類と」

 そしてさっきのボックスの傍に今日使うものを置いておけば忘れ物も減らせるというわけだ、最後に家の鍵をカバンの決めた場所に入れる。これで準備は完璧なはず、さてと私も。

「行ってきます」

 と誰もいなくなったワンルームから学校へと向かうのだった。

 
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