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エルフの里編

第4話

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「……朝か」

 翌朝、俺は用意されたベッドから這い出る。
 このベッドもまたかなりの品質だ。柔かい寝床は前世のコタツぐらいだろうか。このベッドは人を堕落させるコタツをも凌ぐものであった。

 この暖かさは名残惜しいが、そろそろ時間だ。本当に名残惜しいが出るとしよう。

「ん…んん……」

 隣で寝ている彼女は身をよじりながら出てくる。どうやら昨日のお迎えの疲労がまだ回復してないらしい。

 前世でも今世でも、女というのは面倒な繁殖行為にしか思えなかった。

 そういった欲求はあるが、わざわざ苦労して女と付き合いたくない。そんな面倒なんてゴメンだ。
 スイッチを入れたら無限に魅力的な女性がいる。後はそこに自分がいて、そのシチュエーションで妄想をする。それだけで満足だ。
 それが前世の感覚だ。

 今世では交尾が俺の仕事だった。インプットされた機械のように俺は交尾を果たした。
 本能に従って旅立った女王蜂を追いかけ、雌と共に新天地で交尾。そこで兵隊や労働者を『生産』していった。生殖とは生産行為だった。
 生殖という仕事のパートナー。それが今世の雌の印象だ。

「…‥エル」

 無意識に俺はエルニャルーニャの頭を撫でていた。

 俺は一体何をしている? まさか一夜共にした程度でもう彼氏面か? コイツはただ自分の仕事を果たしただけなんだぞ。
 こんなに俺は単純な男だっただろうか。前世では彼女なんていないし、セフレなんて以ての外だ。今世でも交尾こそはしたがそれは作業というもので別に相手の女王蜂には愛も執着もない。というか最後は俺が殺したし。

「………笑っちまうぜ、今までメスに興味なかった癖に」

 自分の感情に戸惑いと驚きを感じながら、俺はベッドから出た。











 俺が向かったのは里の外れにある採掘場らしき場所。もう資源を採取し尽くしたのか、何もないそこはまるで捨てられたかのような寂しさがあった。

「……やっぱ人間に近い身体、特に20代前後の成年は便利だ」

 俺は上体運動をした後、トントンと軽く跳んだ。
 人間の身体とは本当によく出来ている。可動範囲の広い最小限の数の腕、移動にも戦闘にも使える脚。そして繊細な作業を可能にする手足の器用な指。
 スペックそのものは他の生物に劣るが、そこは魔術で補うとしよう。この器用さは筋力を犠牲にしてでも手に入れる価値がある。

 今世で人間の身体になるのはこれが初めてではない。向こうでも何度か人間に化けて戦ったことはある。

「よっ…やっ…ほっ……たあッ!」

 軽く拳法モドキをやってみる。一応動けるがどれも拙いものばかりで、とても実戦には活用出来るとは思えなかった。

 ふむ、やはり所々にズレのような感覚がある。
 前化けた時は前世の姿になったが、変わったのは姿だけで感覚や構造そのものは虫だったんだよな。それに向こうじゃ別にこの器用さも必要なかったし……。

「ほう、こんな朝早くから訓練ですか?」
「まあな。自分の身体がどこまでいけるか知りたくなった」

 俺は振り返ることなく答える。どうやらこんな体でも虫としての感覚は機能している所があるらしい。本当にどんな構造してるんだろうか。

「失礼しました、私はこのエルフの里で防人をやっています、リアトと申します。よろしければ貴方の名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「バトラ。俺たちの言葉で覇を吐く者という意味だ」

 厳密に言えば名前ではない。これはあだ名のようなもので、魔物共を殺して食う内にそんな名前をつけられた。

「覇を吐く者……ですか。随分ご立派なお名前ですね」
「何が言いたい?」

 突然見下したような笑みでエルフの男は言った。

 別に見下されても何とも思わない。それで俺の何かが変わるわけでもないし、相手が偉くなるわけでもない。それで支障が出るなら兎も角、ないなら怒るのは時間の無駄だ。というか、怒りという感情自体しばらく感じたことないな。

「いえいえ。汚らしいハーフエルフが贄になって呼んだのが人型になった魔物とは。やはり出来損ないが贄では呼べるのも出来損ないだと再認識しました」
「ハーフエルフ?」

 言葉から察するに、コイツはハーフエルフを差別する傾向にあるらしい。
 よくラノベやゲームではエルフは純血や清らかさに拘り、汚らわしい人間や異種の血を取り込むのはタブーという設定があったのだが、もしかしてそれか?

「この世界ではハーフエルフを差別する傾向があるのか?」
「そうだ!里の者たちは皆あの女が出ていくことを望んでいる!」

 本当にそうだろうか。俺は来たばかりで何も知らないし、あったのはエルニャルーニャとこの男だけだ。それだけでは世界観など分かるはずもない。
 第一、純血ってそこまで大事なものなのか?

「……分からんな。他の血を取り込んで多様性を広げようとするのは生物にとって当たり前のことではないのか?」

 できるだけ多くの多様性を作り出し、どんな環境でも適応するように生きる。それが生物としてのあり方だ。
 じゃなきゃ、性別による生殖なんて手間の掛かる方法なんて存在しない。そんなにその一種のみが大事なら単一生殖でもしてろって話になる。そっちの方がずっと安上がりだ。

「フン!いかにも下賤な生物の考えだな!
 あの女の母親は戦時中に人間と子を作った裏切り者だ! しかも、その相手は忌々しい人間共の勇者だ! 本来なら生まれた時点で殺すべきなのに村長の御厚意で生かしてもらってるだぞ!!」
「つまりエルフを破るほどの力を持つ遺伝子を取り入れたということだろ? よかったじゃないか、もしかしたらその力を遺伝しているかもしれないぞ」

 優秀な遺伝子を取り入れることが交尾の目的だ。なのに何故それを拒む?

「だ……黙れ! 人間の汚い血なんて我らには不要なんだよ!!」
「……あっそ」

 俺はため息をついて去ることにした。どうやらこの生き物とは価値観が大きく違うらしい。
 種族も価値観も何もかもが違う相手と話しても無駄だ。議論しても平行線になって『なんでそういった発想になる?』という結論にしかならない。

 俺にはそんな無駄な時間も労力もない。よって別の場所に移ることにする。

「(……だが何故だ?何故俺はイラついている?)」

 しかし何故だろうか、何かが引っかっかる。
 まさか馬鹿にされて怒ってるのか?この俺が?かつての番を殺したこの俺が、たった一晩寝ただけの女を馬鹿にされて怒っているというのか?

 そんな馬鹿な話があるわけがない。俺は前世でも今世でもそんな雄ではないはず。前世では女はみんなビッチだっていうような女性蔑視者だったし、今世でも同種のメスを皆殺しにした。なのに今更フェミニストぶるっていうのか?……笑えるぜ。

「おい!貴様話を聴いて…‥ぶッ!!?」
「うるさい」

 男は俺に近づいて怒鳴る。まるで蝿や蚊のように鬱陶しかったので咄嗟に裏拳でぶとばしてしまった。
 拳に骨をいくらか砕き、肉を潰す感覚が伝わった。奴は10mほど派手に吹っ飛び、樹に激突して気絶してしまった。

「……力は少し弱くなったがまだ誤差の範囲だな。代わりに加減は下手になったが」

 手を軽く開け閉めして感覚を確かめる。近くの石を拾って握り潰して砂にする。……やはり弱体化しているな。
 魔界では10倍近い敵でも投げ飛ばせたがこの世界ではどうなのだろうか。

 偶然近くにあった大岩を持ち上げる。大体俺の5倍近い大きさだろうか。俺はそれを片手で持ち上げ、倒れている男に向かって投げ飛ばした。

「ヒィ!!?」

 岩が落ちた衝撃によって地面が揺れる。そのせいだろうか、男はまるでバッタのように飛び起きた。

「お……おまひぇこひょわらひお…わらひお……!」
「黙れ」
「ひぃ!!?」

 軽く威嚇する。それだけで男は鼠みたいに一目散に逃げていった。
 それだけ元気があれば大丈夫だ。骨折なんて時間が経てば治るだろう。

 しかしなんとまあ……面白い光景だろうか。

「……ん?俺はさっき……笑ったのか?」

 まさか俺は彼女を馬鹿にされて怒ったのか? だからソイツをぶちのめして喜んでいるのか?
 ……違う。俺はただブンブン鬱陶しい蚊を追い払っただけだ。決して彼女のことで怒ったわけじゃない。

「………バカバカしい」

 下らない。そんなことを考える暇があるならばもっと身体機能の調査をするべきだ。

 少し強めに跳んでみる。すると思いのほか高く跳んで里の外に出ることが出来た。
 里を覆う結界を壊さないように、認識阻害の術式をいじらないように抜け出す。里をこれらで守るのはわかるが、少し脆すぎるな。こんな術など少し強く小突いたら壊れてしまいそうだ。

 しかし、少し強く飛びすぎてしまったな。これも誤差のせいか?
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