【R18.BL】水光接天

麦飯 太郎

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7.街へ

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 街へ行く日、天花は修練の後に汗をいつもより入念に落とした。
 蓮と過ごしている山でも、ごく稀に街に使いへ行くこともある。しかし、それはほんの山の麓辺りだ。商店街でも人は疎らで、高齢の老人に過疎化が酷いと立ち話を聞いたことがある。
 そんな山奥と、この天狗の山のある場所は雲泥の差だ。列車にほんの少し揺られれば、都市部に着くらしい。実際、遠方からの修行者は人間に化け、空を飛ぶ飛行機と列車を乗り継いで来たという。
 天花の住む山から天狗の里も、そこそこの距離があるが……天花は歩いてきた。数日かけて、山をいくつも超えて、だ。
 情報に疎い天花でも、都市部の街がどうなっているかは書物で見たことがある。しかし、興味はその程度で特に憧れを抱くことは無かった。
 なので列車の乗り方も分からない。結果的に安全と迷子になることを考え、歩いた方が断然良いと思ったのだ。

(そういえば、六花はずっと大きな街に行きたいと言っていたなぁ)

 きっと六花ならば、あの柔軟な頭ですぐに慣れてしまうのだろう。でも、それが自分にできるとは天花には到底想像もできなかった。
 準備を終えて、正門へ行くと既に華月が門に腰掛けて待っていた。

「お待たせしました!」
「おう! お? え? 天花、服は??」
「なにか……変ですか? あぁ、華月様は普段とかなり違いますね」

 近付いてきた華月が、ポンと肩に手を乗せた。

「俺の部屋行くぞ」
「え? 何で??」

 思わず敬語を使うのを忘れた天花の手は、サッと華月に握られ歩き出す。

「え、あの、なんで? 着物はダメですか??」
「だぁめに決まってんだろ! お前の面の良さにその白い着物に白い羽織、赤い帯のいつもの格好は完全に何かのコスプレになるぞ??」
「こ?? なんですか、それ?」
「あー、仮装だ仮装」

 華月の部屋に押し込められた天花は、思わず辺りを見回した。机には見たこともない箱が置いてある。

「これは?」
「それはパソコン。便利だぞ。こっそり電気ひいて、WiFiも……って分からねぇよな。今度教えてやる」
「へぇ……きっと、便利……なんですよね?」
「おう。ここは人間界から近いからな。情報が無いと守れるものも守れねぇし……っと、これか? いや、これ。うーん」

 答えながら華月は自分の箪笥から服をあれこれと引き出す。それを床に置き品定めしてから、天花を呼び寄せた。

「これとこれ、あと上着これ、着てみろ」
「え、ここで?」
「おう」
「あの、では後ろを向いて貰えませんか?」
「――ッ!! わ、悪ぃ!!」

 良く考えたら男同士なのでそんなことは必要なかったかと天花は思った。しかし、華月が素直に後ろを向いたので、あえてこちらを向かせる必要はないと思いそのまま天花は着物を脱いだ。
 シュルシュルと布の擦れる音がいつもより大きく聞こえた。そして、華月に指定された服を身につける。

「これであってますか?」
「振り向くぞ」
「どうぞ」

 振り向いた華月は少し目を見開いた。そして、ニコリと笑い、頷く。

「うん、俺とお前だと身長差があるけど小さめの選んだからな。それ、下はワイドデニムパンツだから腰のベルト……これ、もうちょい絞めるぞ? よし、裾はすこし捲るか。柄入ってるから捲ってもオシャレだしな。で、上は白のTシャツと白のシャツ。やっぱりお前は白が似合うな」

 満足そうに頷いた華月に、天花は思わず頬を染めた。

「こんな格好初めてです。その、スースーとして布が足りない気がして」
「ははっ、すぐに慣れる。慣れたら着物より楽かもしれないぞ」
「そうですね。あの、華月様の格好はなんという格好なんですか?」
「俺か? 俺は、ただの襟付きの黒いシャツとブラックグレーの膝丈パンツだよ。楽さ重視! これに普通のサンダル合わせりゃどうにかなる。夏はこれくらい楽でいいんだよ」

 そう言って華月は満面の笑みを浮かべた。つられて天花も笑顔になる。

「華月様はなんでも知ってるんですね。こちらから聞きましたけど、私には半分も……デニムもブラックグレーも意味が分からないので……街に向かう間に教えて下さい」
「あぁ、そっか。そうだよな……うん、そうだな! 分からないことはなんでも聞けよ?」
「はい!」

 ようやく準備の整った二人が正門へ向かう。その途中で、何人かの修行者と天狗達に会ったが二人の様子を見て声をかける者はいなかった。



 街に出るまで……華月は天花の質問攻めにあった。
 まずはバスの乗り方、そしてなぜ動くのか、駅に着いたら改札の通り方から紙より硬い謎の板で触れたらなぜ扉が開くのか、汽車と電車の違いに、電光掲示板の仕組み……あらゆることに天花は疑問と興味が尽きなかった。
 それらがひと段落したのは、休憩にしようと入ったカフェで注文し終えた時だ。タッチパネルでコーヒーを頼む華月にまた質問をして、天花がなるほどと言い終えた所で華月は笑いながら問いかける。

「そろそろ質問は終わったか?」

 質問し過ぎたことに気付いた天花は、恥ずかしそうに微笑んだ。

「とりあえず……また疑問に思ったらお願いします」
「あぁ。コーヒーとケーキ頼んだけど、同じので本当に良かったのか?」

 タッチパネルのメニューをチラリと見た天花は困ったように華月に笑いかける。

「この絵を見ても、私には味の想像が出来ないので……」
「――ッあぁ~そっか、そうだよな。悪かった」
「いいえ、それに華月様と同じものを食べたかったんです」

 今度は嬉しそうに笑みを浮かべたので、華月は喉を上下に動かしてしまった。しかし、それに天花は気付くことなく、ますます嬉しそうに少しだけ向かいに座る華月に近付き小声で囁いた。

「私達、修行者はいつも皆で一斉に食事をするのが基本です。でも、華月様はお忙しいし天狗の里の方なので別の場所で食事をされるでしょ? だから、一緒に同じものを食べて、話して……そうしてみたかったんです」

 照れたように笑い、天花は近付いた距離を戻した。

「私達にとって、本来、天狗は雲の上のような……妖の中でも特別なので。あぁ、こうして華月様を私が独り占めしていては、いつか誰かに怒られてしまうかもしれないですね」

 くすくすと口元に手を当てて、天花は今度は嬉しそうに笑った。
 華月から誘っているので、天花が怒られることは無い。ただ羨望する者達は、確かに怒りに似た感情を抱くかもしれない。
 そうなった時には華月は全力で天花を守ると思い、天花に向かって優しく笑みを返した。

「おまたせしましたー。ブレンドコーヒー二つです。ショートケーキのお客様は?」
「あ、適当に置いていいよ」
「ありがとうございます。では、ショートケーキとオペラ。こちらに置かせて頂きます」

 机の上には芳ばしい香りのコーヒーが二つ。そして、華月が敢えて種類を別にしたショートケーキとオペラが置かれた。

「あれ? 洋菓子が違いますね」
「あぁ。せっかくなら色々食いたいかなって。でもさっきの話だと一緒の方が良かったよな。ごめん」
「いえ、いえ! 凄い……こんな可愛い洋菓子が並ぶと輝いて見えますね!」

 子供のようにはしゃいでしまい、天花はハッとした顔をして俯く。

「なんだよ。もっと喜んでくれていいぞ? ここのケーキは地方からも食べに来る人がいるくらい美味いんだ。海外で何年も修行して、そっちで店やってたパティシエが地元に帰ってきて……ってこんな話はいいよな。さ、食べようぜ」

 慣れないフォークを手にした天花は、輝くショートケーキにそれを刺す。切った感触も無いくらいのクリームとふんわりと柔らかなスポンジ、間に挟まった瑞々しい苺は赤くその存在を主張しているようだ。
 切り取ったそれを眺めて、天花は思わず微笑む。

「どうした? まだ食べてないだろ?」
「勿体なくて……その、宝玉のようです」

 その言葉に華月は目を瞬かせた。

「――。なるほどな。確かにキラキラしてて綺麗だもんな! でも、食べてからがケーキの本領発揮だぞ?」

 そう言われた天花はそっとショートケーキを口に運ぶ。
 口の中で蕩け無くなってしまったクリームは甘く優しい、その後にスポンジのフワフワとした感触が舌の上を滑る。そして、最後に苺の酸味が鼻を抜けて爽やかさを演出しているようだ。
 思わず「はぁ」と天花は感嘆の息を吐く。それを見ていた華月は満足そうにクスクスと笑った。

「美味いか?」
「えぇ! とても美味しいです!!」
「そうか。こっちも食べてみろ」
「良いんですか?」
「もちろん」

 クスリと笑った華月は、天花に向かってオペラが乗っている皿を押し出してくれた。それを受け取り、天花はまたフォークを刺す。そして、それを口に入れて目を瞬かせた。

「んぅぅ~~!!」
「ははっ、良い反応」

 先程のショートケーキとは全く違う舌触り。それに、同じ甘いという感覚なのに、甘さの種類が全く違う。天花はそれをしっかりと感じながら、鼻から抜ける独特な香りを楽しんだ。

「これ、お酒ですか?」
「あぁ」
「でも……その私の知ってるお酒とはだいぶ違いますね」
「そりゃそうだ。これは洋酒が使われてるからな。天花の山でも酒は作ってるだろう?」
「はい。でも、私が嗜むのは新年だけですね。新年のために、酒を仕込みます。あ、最近は六花が勝手に梅を酒に浸けて飲んでますが……別に禁酒しているわけではないので、恭吾も一緒に飲んだりしていますよ」

 そう言った天花は少しだけ山が恋しくなった。いや、恋しくなったと言うよりも、皆がちゃんと過ごせているだろうかと心配になったという方が正しいだろう。
 しかし、何も報せがないということは息災にやっているに違いないと思い、目の前の華月を見る。
 そしてショートケーキを一口大に切り取り、華月に向かって差し出した。

「はい、どうぞ」
「え? え??」
「食べますよね? ……あ!! すみません!!」
「あぁ、待て待て!! 食べる。食べたい!!」

 そう言った華月は、フォークを持つ天花の手首を掴んだ。それにビクリと一瞬だけ天花は身体を震わせたが、すぐにゆっくりとフォークを華月に近付ける。
 その様子に華月が微笑んだ。

「ありがとう、やっぱり美味いな」
「……あの、ここには良く来るんですか?」
「え? いや。しょっちゅうは来ない。来る時は、街に用事があって、尚且つ悠月の嫁達が食いたいって遣いを頼んできた時くらいだ。それに甘いもんは嫌いじゃないけど、どっちかってと俺は酒と肴派。今は修行者が来てるから禁酒中だけど……そうだ、今度、六花が漬けた梅酒を飲ませてくれよ」
「はい! もちろんです! 六花も喜びます。その時は気合を入れて酒の肴を用意しますね」
「おう、楽しみだ」

 本当に嬉しそうな笑みで言われ、天花も思わず笑みを返す。
 その時にはどんな酒の肴を作ろうか。華月は何が好みなのだろうか。ほろ酔いの華月と六花、恭吾。その横に居る蓮や風花には、きっと華やぐような茶が良いだろう。
 まだ見ぬその景色を思い浮かべ、天花は幸せな気持ちのままショートケーキを口に含んだ。
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