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56. 第三の魔術師
しおりを挟むデビーがいつ出て行ったのか記憶は曖昧だった。だがそれから随分と時間が経ったように思う。
蝶国の王とシュバイツアーは俊を助け出し、匿ってくれていたらしい。しかしゲームの存在は知らなかったのだろう、彼らは俊の行動を制限しなかった。
俊が自ら人狼のもとへ向かうなど青天の霹靂だったはずだ。
せめて事情を話してくれていれば、と思ってしまうが伝説の魔獣のことをそうやすやすと話せるはずもない。
やるせない気持ちで室内を見回した。
天窓のカーテンは今は閉め切られ朝か夜かも分からない。
デビーは居心地が良いだろうと言ったが、それ以上に腹も減らず眠らなくとも平気だった。だが生命活動が休止している気がして逆に気が滅入りそうだった。
「………………何かしよう」
腐っている場合ではない。裏事情が判明したところで、クレイグの完全な人狼化を阻止するという目的に変わりはない。
こんな場所で何ができるか皆目見当がつかないが、まずは基本の「き」、現状把握から始めることにした。
俊は勢いを付けて立ち上がり、背伸びをした。ペタペタと前方の見えない壁を何度か触るも変化はない。それにしても閉塞感が無いのが気になった。
「じゃあこっちは……わ!」
思い立って後ろへ手を伸ばすと青い空間が広がった。振り返ると先ほどまでの部屋は確かにそこにあるが、別の部屋ができあがっているようだ。さらにその外へ恐る恐る足を踏み出すとそれだけ道ができ、また青い空洞ができる。どうやら物理法則はここでは通用しないらしい。
もしや超空間と言う奴だろうか。
俊は少し考えてから口を開いた。
「√-2×√-6=√2i×√6i=-2√3。白ご飯と和牛ステーキよ出ろ!」
差し出した掌が光り、次の瞬間にはほかほかの湯気があがるご飯と絶妙な焼き加減のステーキのった盆がテーブルに載っていた。しばし呆然とし、そして魂の叫びを上げた。
「これだよ! 俺が求めてた異世界ファンタジー要素は!」
「悪漢を一網打尽にするチート魔法とかじゃないんですね」
突如聞こえた呆れた声にすぐさま振り返った。武器類が全て取り上げられているのも忘れて腰に手をやってしまった。
広がっていた空間も見る見る間に消えた。俊はまたこじんまりとした石の中から、足下まで隠す黒いマントを羽織った魔術師然とした男と対峙していた。
小柄で声は存外若い。彼と目が合い、思わず声を上げた。
「お前あの時の!?」
ザズの事務所襲撃の際、腕の良い魔術師が一人いた。黒いフードを被っていたので自信は無いが、人相が似ている気がする。
合点がいった。ディアンがザズがあんなに腕の良い魔術師を雇えるとは思えないと言っていたが、ザズのバックにいた大物はデビーだったのだ。
「ザズを利用してデビーがクレイグのことを嗅ぎ回ってたんだな」
ザズが恨みを持っていることを嗅ぎつけて、結界を破り中に入る手助けをした。ザズ達の窃盗をカムフラージュにしてこの魔術師が何かを調べたのだ。
繋がったと俊は思った。だが彼は静かに首を横に振った。フードがめくれ見えた顔立ちにはやはり幼さが残っている。エバンと似たり寄ったりの年齢だろう。
「クレイグ・サーウルフのことは元から調べが付いていました。デビー様は彼が出奔する前から目を付けていたんです」
「え、じゃあ何のために」
短く切りそろえられた見事な金髪からのぞく大きな緑の目がじっとこちらを見据えた。どいつもこいつもこの世界の主要人物はなぜこう顔が良いのか。などと愚痴っている場合ではない。
「……俺?」
彼は答えず、手にしていた銀のプレートを俊の近くのテーブルに置いた。
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