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第30話 聖騎士の覚悟と貞潔の天秤
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その夜、騎士団が用意した最高級の宿の一室で、セスティーナは一人、鏡の前に立っていた。
湯浴みを終え、肌は白く輝いている。侍女が用意したのは、絹のように滑らかな、高価で薄い寝間着。その下には、彼女が生まれて初めて身に着ける、ささやかなレースのついた勝負下着。そしてその上から、かろうじて肌の色を隠すための上着を羽織っていた。
鏡に映る自分は、まるで知らない女のようだった。
彼女は、そっと自分自身の体に触れる。
(この世の当たり前は、結婚の初夜まで純潔を守り、夫となる人に捧げること。それが、神々への誓いであり、家の名誉の証・・・)
聖騎士である前に、一人の女として、彼女もまたその【当たり前】の幸せを、いつか手にすることを夢見ていたはずだった。
だがディノッゾという男の存在が、その全てを塗りつぶそうとしている。
彼が持つのは一国を容易に滅ぼせるほどの、人外の力。そして何にも縛られない、自由で予測不可能な魂。
あのような存在を野放しにしておけば、皇国にとって、いずれ必ず災厄となる。
(私が、繋ぎ止めなければ)
セスティーナは、ぎゅっと拳を握りしめた。
(帝国の安寧に比べれば、女一人の操など・・・陛下が治める万民の未来に比べれば、私のささやかな未来など、塵芥(ちりあくた)に等しい)
それはこの世界の当たり前を自ら破り捨てるという、あまりにも大きな覚悟だった。
鏡の中の自分に、聖騎士セスティーナは冷徹に命じる。
『自称職業御者たるディノッゾを、皇国に繋ぎ止めよ。手段は、問わない』
彼女は、震える手で胸元の合わせを握りしめた。
(大丈夫。できる。皇国のため・・・)
もっともまだ皇帝はこの街というより、死の森から出てきたディノッゾのことを知らない。
早馬による伝令が向かったが、まだ2日は掛かる。
なので、皇帝が知ればこう命ずるだろう!と自ら思い込んだに過ぎない。
悲壮な覚悟を決め、彼女はディノッゾとリリアが休んでいるはずの、隣のスイートルームの扉を、静かにノックした。
返事はない。だが、中からは何やら楽しげな喧騒が聞こえてくる。
(えっ? まだ起きているのかしら?)
セスティーナは、訝しみながらも、そっと扉を開けた。
そして目の前の光景に、凍りついた。
部屋の中では、盛大な酒盛りが繰り広げられていたのだ。
主役はもちろんディノッゾ。その周りには、なぜか非番のはずの兵士たちが数人、宿の従業員の女、そしてセスティーナが知らない女たちまで混ざって大騒ぎをしている。リリアはその傍らで、オランジのジュースを飲みながら、楽しそうに笑っていた。
「おお、セスティーナさん! どうしたんだ、そんな格好で。あんたもこっち来て一杯どうだ?」
ディノッゾが、酔いの回った顔で、屈託なく手招きする。
その瞬間、セスティーナの中で張り詰めていた覚悟の糸が、ぷつりと音を立てて切れた。
悲壮な覚悟も、皇国への忠義も、貞潔を捧げる決意も、何もかもが目の前の男のだらしない笑顔の前で、馬鹿馬鹿しく思えた。
彼女は静かに部屋の中を横切ると、ディノッゾの前に立った次の瞬間・・・
パンッ!
乾いた音が、部屋の喧騒を切り裂いた。
セスティーナはディノッゾの頬を力一杯平手打ちすると、燃えるような瞳で彼を睨みつけた。
「バカッ!!」
それだけを叫ぶと、彼女は涙目になったまま部屋を飛び出していった。
「えっ?」
頬を押さえ、何が起きたのか全く理解できないディノッゾ。そして、突然の出来事に静まり返った酒盛りの参加者たちだけが、その場に取り残されていた。
「ディノ、セスティーナさんの胸とかお尻ばっかり見てたから、怒らせたんだよ!」
その場の静寂を破ったのは、リリアの無邪気な、しかし核心をつく声だった。
「そんなことで怒るか!?」
酒の回ったディノッゾは、酔っ払い特有の変な言い訳を始めた。
「悪いのは彼女の方だろうが!俺好みの美人で、スタイル抜群ときた。それであんな薄い寝間着を着て、見るなというのが無理があるぞ!」
彼は反論するが、口調はどんどん小さくなっていく。
「でも・・・確かに、見すぎたかもな・・・」
自らの非を認めかけた、その瞬間。
「…って、リリアにもバレてたのかよ!?」
ディノッゾは絶叫し、その場にへたり込んだ。殴られた精神的なダメージとドストライクの美女に嫌われたという絶望。その二重のショックに、彼は頭を抱えた。
「うわあああ!嫌われた!なんでだ!なんでこんなことになったんだ!」
そんなディノッゾをよそに、部屋の空気は再び温かさを取り戻した。非番の兵士や女たちはゲラゲラと笑い、今夜の酒の肴として、ディノッゾが聖騎士を怒らせた理由を面白おかしく語り始めた。
「さすがのディノッゾさんも、聖騎士様には勝てなかったか!」
「いや、あれはディノッゾさんが悪いだろ!」
「だが、あの聖騎士様が、あんなに感情をむき出しにするとはな!グハハハハハハ」
彼らが面白おかしく語る酒の肴は、今夜の最高の笑い話となっていた。
湯浴みを終え、肌は白く輝いている。侍女が用意したのは、絹のように滑らかな、高価で薄い寝間着。その下には、彼女が生まれて初めて身に着ける、ささやかなレースのついた勝負下着。そしてその上から、かろうじて肌の色を隠すための上着を羽織っていた。
鏡に映る自分は、まるで知らない女のようだった。
彼女は、そっと自分自身の体に触れる。
(この世の当たり前は、結婚の初夜まで純潔を守り、夫となる人に捧げること。それが、神々への誓いであり、家の名誉の証・・・)
聖騎士である前に、一人の女として、彼女もまたその【当たり前】の幸せを、いつか手にすることを夢見ていたはずだった。
だがディノッゾという男の存在が、その全てを塗りつぶそうとしている。
彼が持つのは一国を容易に滅ぼせるほどの、人外の力。そして何にも縛られない、自由で予測不可能な魂。
あのような存在を野放しにしておけば、皇国にとって、いずれ必ず災厄となる。
(私が、繋ぎ止めなければ)
セスティーナは、ぎゅっと拳を握りしめた。
(帝国の安寧に比べれば、女一人の操など・・・陛下が治める万民の未来に比べれば、私のささやかな未来など、塵芥(ちりあくた)に等しい)
それはこの世界の当たり前を自ら破り捨てるという、あまりにも大きな覚悟だった。
鏡の中の自分に、聖騎士セスティーナは冷徹に命じる。
『自称職業御者たるディノッゾを、皇国に繋ぎ止めよ。手段は、問わない』
彼女は、震える手で胸元の合わせを握りしめた。
(大丈夫。できる。皇国のため・・・)
もっともまだ皇帝はこの街というより、死の森から出てきたディノッゾのことを知らない。
早馬による伝令が向かったが、まだ2日は掛かる。
なので、皇帝が知ればこう命ずるだろう!と自ら思い込んだに過ぎない。
悲壮な覚悟を決め、彼女はディノッゾとリリアが休んでいるはずの、隣のスイートルームの扉を、静かにノックした。
返事はない。だが、中からは何やら楽しげな喧騒が聞こえてくる。
(えっ? まだ起きているのかしら?)
セスティーナは、訝しみながらも、そっと扉を開けた。
そして目の前の光景に、凍りついた。
部屋の中では、盛大な酒盛りが繰り広げられていたのだ。
主役はもちろんディノッゾ。その周りには、なぜか非番のはずの兵士たちが数人、宿の従業員の女、そしてセスティーナが知らない女たちまで混ざって大騒ぎをしている。リリアはその傍らで、オランジのジュースを飲みながら、楽しそうに笑っていた。
「おお、セスティーナさん! どうしたんだ、そんな格好で。あんたもこっち来て一杯どうだ?」
ディノッゾが、酔いの回った顔で、屈託なく手招きする。
その瞬間、セスティーナの中で張り詰めていた覚悟の糸が、ぷつりと音を立てて切れた。
悲壮な覚悟も、皇国への忠義も、貞潔を捧げる決意も、何もかもが目の前の男のだらしない笑顔の前で、馬鹿馬鹿しく思えた。
彼女は静かに部屋の中を横切ると、ディノッゾの前に立った次の瞬間・・・
パンッ!
乾いた音が、部屋の喧騒を切り裂いた。
セスティーナはディノッゾの頬を力一杯平手打ちすると、燃えるような瞳で彼を睨みつけた。
「バカッ!!」
それだけを叫ぶと、彼女は涙目になったまま部屋を飛び出していった。
「えっ?」
頬を押さえ、何が起きたのか全く理解できないディノッゾ。そして、突然の出来事に静まり返った酒盛りの参加者たちだけが、その場に取り残されていた。
「ディノ、セスティーナさんの胸とかお尻ばっかり見てたから、怒らせたんだよ!」
その場の静寂を破ったのは、リリアの無邪気な、しかし核心をつく声だった。
「そんなことで怒るか!?」
酒の回ったディノッゾは、酔っ払い特有の変な言い訳を始めた。
「悪いのは彼女の方だろうが!俺好みの美人で、スタイル抜群ときた。それであんな薄い寝間着を着て、見るなというのが無理があるぞ!」
彼は反論するが、口調はどんどん小さくなっていく。
「でも・・・確かに、見すぎたかもな・・・」
自らの非を認めかけた、その瞬間。
「…って、リリアにもバレてたのかよ!?」
ディノッゾは絶叫し、その場にへたり込んだ。殴られた精神的なダメージとドストライクの美女に嫌われたという絶望。その二重のショックに、彼は頭を抱えた。
「うわあああ!嫌われた!なんでだ!なんでこんなことになったんだ!」
そんなディノッゾをよそに、部屋の空気は再び温かさを取り戻した。非番の兵士や女たちはゲラゲラと笑い、今夜の酒の肴として、ディノッゾが聖騎士を怒らせた理由を面白おかしく語り始めた。
「さすがのディノッゾさんも、聖騎士様には勝てなかったか!」
「いや、あれはディノッゾさんが悪いだろ!」
「だが、あの聖騎士様が、あんなに感情をむき出しにするとはな!グハハハハハハ」
彼らが面白おかしく語る酒の肴は、今夜の最高の笑い話となっていた。
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