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五話
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「母上。なぜあの方はああまでして頭が固いのです。もっと柔和な思考があってもいいのではと思うのですが」
「あなたも悪いのよ。あの人が頑固と知っているのなら、あまり反発せずに受け入れなさい。私にも本気で怒ったお父さんを止めることは出来ないんだから」
「私の意見は取り入れず、自らの意見に削ぐなら直ちに折檻するような方の言うことを聞く気はありません。立花家立花家と、果たして彼は我が家が他の者達にどのように見られているかご存知ないのではないのですか?」
「やめなさい麗か。それ以上言うことは母も許しません。そこまでになさい」
「・・・」
虫の居所が悪いのは私も同様であった。娘も父に似たというところか。
待ち合わせの場所に行くその道すがら、私は母に愚痴を零していた。猫に吐くほどの自由はないにしても、溜まりに溜まった不満はいずれにしろどこぞで吐かねば暴発する。
水風船に延々水を貯めていくような所業だからだ。爆発する場所はもちろん私のさじ加減(というか、堪忍袋の緒に依存する)で決まるので、その破裂した場所がそれこそ向こう方との同伴中となると洒落にはならない。
そこで半ば強引にこうも発散しているわけだけれど、私の零す暴言の数々に母もあまりいい顔は勿論していない。夫婦になるということはこういう事なのだろうか。番の片方の悪口を聞けば、あまりいい気はしないというか、例えそれが身内からの苦言でも、賛同しかねてしまうというか。
かたや苦言を聞く羽目になるし、かたや当事者の肩も持たねばならない。どうにも報われない立ち位置の母である。
だからといって私も口は閉じないが。とはいえど勿論言い過ぎは良くないので機嫌を伺いながらの愚痴である。なんと器用な。
しかし、当事者の父と、苦言を受ける母との間にも共通点があった。
やはり禁句を前にすると母の顔は父と同じく険しいものになったのだ。流石の私も真一文字に口を結ぶ。何も母まで敵に回したくはない。台所事情に関わる。
禁句。言うにはばかれる、口に避けられる、出すに躊躇われる、使用してはいけない言葉。
人には蒸し返されては困る言葉や、神経を逆撫でする意味となる文言、ひいては気にしてしまう意味合いを持つものが存在することは言うまでもない。もちろん人との付き合いに至るならそれを把握し、徹底して回避する必要がある。
人にもよるが、禁句を踏み抜く事は、殴り合いになるより遥かに関係にヒビを招く結果になりやすいからだ。禁句を知りながら多用する輩はもはや敵とみなしていい。こればかりは立花麗かからの勧告である。
ともあれ、立花家の中でもその禁句とされる言葉があった。
あったというか、非公認であり、父も母も使用するなと念を押した訳では無いが、兎にも角にも、空気がそれを使うなとせっつく言葉があるわけだ。
その言葉が『成金』である。
大正八年現在、立花家の栄華は過去を見ても一番輝いていると言っても過言ではない。華やかさは否定できない迄ある。
事の発端は、昨今にある電気業界の開発。
明治から今に至るまでに、異国の文化が流れてくると共に、闇を照らす技術もまた軒並み進歩していった。異国の地にある大日本帝国にはなかった明るい色、言うなればハイカラとともに流れ混んできた、明るい電飾とも言える。
夕闇にそまれば片手に提灯を提げて夜を歩く時代は過ぎ、今ではそれこそ街のそこらじゅうに暖かい光が散りばめられるまでになっている。夜間帯でさえ人の住みやすいものになってきているのは、かくもよいことである。
立花電工は、元々吉助の代でできた小さな工場だった。
技術も都会のものと比べて随分とみみっちく、細々と続ける程度の規模だったが、世界の流れ、いわばこの大日本帝国に持ち寄られた異国の変化が、小さな町工場の立花電工を急成長たらしめた。
足りない技術力はそれこそ栄えた同業者の協力をも得られ、元々人手の少ない分野であったから、仕事は途切れることなく次から次へと舞い込んでくる。
作れ作れやと急かされるほどに金は舞い込んでいき、今や近隣住宅九割近くが立花電工の制作した電気が主流だと言っても、こればかりは否定することは出来ない。
かくして我らが立花家は優雅な生活を得られた訳だが、それとは別に問題が生じ始めた。
その問題こそが、禁句とされる成金問題である。
元々この立花家は、九州に名を轟かしている名門、立花家とは一切血の繋がりも関係もない。言ってしまえば百姓の出だ。今まで下級民としてぺこぺことしていた癖に、中途半端に成功した現在、我らが立花家は言うまでもなく鼻高々と、山から民を見下ろす天狗のごとき存在になっていた。
近隣の人々はそれを良しと見るわけがない。鼻つまみものだ。調子に乗り続ければ、背後から指を指されるのは學校のみならず、世間で鑑みてもよくある事象である。
そんなこんなで、我らが立花家は周囲からは陰で『成金』と称されるようになってしまった。
なれない自尊心は裏で陰を呼び、下手な金使いは豚に真珠と揶揄される。
醜い波紋はそれこそ私にまで及び、幼少時代にいい思い出はなかったと断言していたが、その中には私すら成金と罵られ、友人と言える友人ができずにいたのも含まれる。
当主である吉助を見ると感じてもらえるかもしれない。
かなり仰々しい言葉を臆することなく私や身近な人間に吐き捨てているが、結局のところ彼だって、元々下級民だったのだから、元々名門であるならまだしもまぐれで栄えた人間がとる態度にしてはあまりにもでかすぎると非難をかっているわけだ。
全く持って、金と酒は特に人を暴く最高の鏡ではないだろうか。
以上が禁句についてである。言ってしまえば小金持ちになってしまったせいで妙な自尊心といらぬ誇りが目立ちすぎ、周りからは敬遠され始めてしまったという儚くも悲しい話であった。
ともあれ、そんな立花家に生まれた一人娘の私、立花麗かもその厳しい波間に晒され続けていたわけだ。
特に学友のほとんどは立花家の豹変に勘づいている近隣住民の皆々様方の家族が多かったために、勿論學校に通う子供達も立花家に対して翳りを見せて来るのは至極当然であるといえば当然であった。
其のせいもあってか學校は特にろくな思いではなく、先述したとおり花道の兄さんの印象が強いのもその辺の影響があるからかもしれない。皮肉な事に、事の発端の父は花道の兄さんが大嫌いであるのだが。
もとより地主の息子殿との婚約前提に付き合うことになった(許嫁という表現ではあるものの、まだ婚約までは決定されてない)という点も、ある種の地域貢献をこうして行った立花電工への気にかけを含めた向こう側からの接点だったのかもしれない。
勿論利権絡みを考えても、ここいらでは数少ない電気会社のうちと手を結ぶという戦略は、これからの国柄、風潮の風向きを見れば第三者からしても実に理にかなった図でもある。相手方も決して阿呆なんかではない。
長くはなってしまったが以上が立花家のホコリある伝統の数々である。誇りと呼ぶべきか、埃と称するべきか、私が迷っているのは今に語ったことでは無い。
「とにかく、あなたも立花家を背負う一人娘なんだから、程々にね。大和撫子が乱暴なことを言ってはいけません」
母はそういうが、なんとも腑に落ちない気もある。いい様に言いくるめられてるだけの気がするのだ。その通りといえばその通りなのだが。
なんにせよ、待ち合わせの場所まで近い所まで歩いてきた事を察した母は、急に踵を返して「ここまでね」とだけ伝えて私を置いていく。
「しっかりと頼むわよ。あなたの幸せはみんなの幸せなのだから」
それがこの場の母の最後の言葉だった。いつからこの顔合わせが、もとい向こう側との同伴が私の幸せになったのだろう。私にはその意味がわからない。微塵も幸せを感じないのだが。
「押し付けられることが幸せと呼べるのなら、立花家に生まれた私は、出生時からずっと幸せと呼べるんでしょうね」
誰に向けた訳でもないきつめの皮肉は、雑多な環境音に溶けていく。
一人で人波の中を孤独にあり続ける様はあまり気分が良くない。妙な考え事をしてしまうからだ。急に胃が痛みだし、少しばかり体調が悪くなる。最近は特に、同伴する前辺りからずっとこの気持ちの悪さを感じるのだ。考え込みすぎなのかもしれない。
少し経てば向こうから、小綺麗な若者が駆け寄ってくる。その様に私はついに来たか、と固唾を飲んだ。
「あなたも悪いのよ。あの人が頑固と知っているのなら、あまり反発せずに受け入れなさい。私にも本気で怒ったお父さんを止めることは出来ないんだから」
「私の意見は取り入れず、自らの意見に削ぐなら直ちに折檻するような方の言うことを聞く気はありません。立花家立花家と、果たして彼は我が家が他の者達にどのように見られているかご存知ないのではないのですか?」
「やめなさい麗か。それ以上言うことは母も許しません。そこまでになさい」
「・・・」
虫の居所が悪いのは私も同様であった。娘も父に似たというところか。
待ち合わせの場所に行くその道すがら、私は母に愚痴を零していた。猫に吐くほどの自由はないにしても、溜まりに溜まった不満はいずれにしろどこぞで吐かねば暴発する。
水風船に延々水を貯めていくような所業だからだ。爆発する場所はもちろん私のさじ加減(というか、堪忍袋の緒に依存する)で決まるので、その破裂した場所がそれこそ向こう方との同伴中となると洒落にはならない。
そこで半ば強引にこうも発散しているわけだけれど、私の零す暴言の数々に母もあまりいい顔は勿論していない。夫婦になるということはこういう事なのだろうか。番の片方の悪口を聞けば、あまりいい気はしないというか、例えそれが身内からの苦言でも、賛同しかねてしまうというか。
かたや苦言を聞く羽目になるし、かたや当事者の肩も持たねばならない。どうにも報われない立ち位置の母である。
だからといって私も口は閉じないが。とはいえど勿論言い過ぎは良くないので機嫌を伺いながらの愚痴である。なんと器用な。
しかし、当事者の父と、苦言を受ける母との間にも共通点があった。
やはり禁句を前にすると母の顔は父と同じく険しいものになったのだ。流石の私も真一文字に口を結ぶ。何も母まで敵に回したくはない。台所事情に関わる。
禁句。言うにはばかれる、口に避けられる、出すに躊躇われる、使用してはいけない言葉。
人には蒸し返されては困る言葉や、神経を逆撫でする意味となる文言、ひいては気にしてしまう意味合いを持つものが存在することは言うまでもない。もちろん人との付き合いに至るならそれを把握し、徹底して回避する必要がある。
人にもよるが、禁句を踏み抜く事は、殴り合いになるより遥かに関係にヒビを招く結果になりやすいからだ。禁句を知りながら多用する輩はもはや敵とみなしていい。こればかりは立花麗かからの勧告である。
ともあれ、立花家の中でもその禁句とされる言葉があった。
あったというか、非公認であり、父も母も使用するなと念を押した訳では無いが、兎にも角にも、空気がそれを使うなとせっつく言葉があるわけだ。
その言葉が『成金』である。
大正八年現在、立花家の栄華は過去を見ても一番輝いていると言っても過言ではない。華やかさは否定できない迄ある。
事の発端は、昨今にある電気業界の開発。
明治から今に至るまでに、異国の文化が流れてくると共に、闇を照らす技術もまた軒並み進歩していった。異国の地にある大日本帝国にはなかった明るい色、言うなればハイカラとともに流れ混んできた、明るい電飾とも言える。
夕闇にそまれば片手に提灯を提げて夜を歩く時代は過ぎ、今ではそれこそ街のそこらじゅうに暖かい光が散りばめられるまでになっている。夜間帯でさえ人の住みやすいものになってきているのは、かくもよいことである。
立花電工は、元々吉助の代でできた小さな工場だった。
技術も都会のものと比べて随分とみみっちく、細々と続ける程度の規模だったが、世界の流れ、いわばこの大日本帝国に持ち寄られた異国の変化が、小さな町工場の立花電工を急成長たらしめた。
足りない技術力はそれこそ栄えた同業者の協力をも得られ、元々人手の少ない分野であったから、仕事は途切れることなく次から次へと舞い込んでくる。
作れ作れやと急かされるほどに金は舞い込んでいき、今や近隣住宅九割近くが立花電工の制作した電気が主流だと言っても、こればかりは否定することは出来ない。
かくして我らが立花家は優雅な生活を得られた訳だが、それとは別に問題が生じ始めた。
その問題こそが、禁句とされる成金問題である。
元々この立花家は、九州に名を轟かしている名門、立花家とは一切血の繋がりも関係もない。言ってしまえば百姓の出だ。今まで下級民としてぺこぺことしていた癖に、中途半端に成功した現在、我らが立花家は言うまでもなく鼻高々と、山から民を見下ろす天狗のごとき存在になっていた。
近隣の人々はそれを良しと見るわけがない。鼻つまみものだ。調子に乗り続ければ、背後から指を指されるのは學校のみならず、世間で鑑みてもよくある事象である。
そんなこんなで、我らが立花家は周囲からは陰で『成金』と称されるようになってしまった。
なれない自尊心は裏で陰を呼び、下手な金使いは豚に真珠と揶揄される。
醜い波紋はそれこそ私にまで及び、幼少時代にいい思い出はなかったと断言していたが、その中には私すら成金と罵られ、友人と言える友人ができずにいたのも含まれる。
当主である吉助を見ると感じてもらえるかもしれない。
かなり仰々しい言葉を臆することなく私や身近な人間に吐き捨てているが、結局のところ彼だって、元々下級民だったのだから、元々名門であるならまだしもまぐれで栄えた人間がとる態度にしてはあまりにもでかすぎると非難をかっているわけだ。
全く持って、金と酒は特に人を暴く最高の鏡ではないだろうか。
以上が禁句についてである。言ってしまえば小金持ちになってしまったせいで妙な自尊心といらぬ誇りが目立ちすぎ、周りからは敬遠され始めてしまったという儚くも悲しい話であった。
ともあれ、そんな立花家に生まれた一人娘の私、立花麗かもその厳しい波間に晒され続けていたわけだ。
特に学友のほとんどは立花家の豹変に勘づいている近隣住民の皆々様方の家族が多かったために、勿論學校に通う子供達も立花家に対して翳りを見せて来るのは至極当然であるといえば当然であった。
其のせいもあってか學校は特にろくな思いではなく、先述したとおり花道の兄さんの印象が強いのもその辺の影響があるからかもしれない。皮肉な事に、事の発端の父は花道の兄さんが大嫌いであるのだが。
もとより地主の息子殿との婚約前提に付き合うことになった(許嫁という表現ではあるものの、まだ婚約までは決定されてない)という点も、ある種の地域貢献をこうして行った立花電工への気にかけを含めた向こう側からの接点だったのかもしれない。
勿論利権絡みを考えても、ここいらでは数少ない電気会社のうちと手を結ぶという戦略は、これからの国柄、風潮の風向きを見れば第三者からしても実に理にかなった図でもある。相手方も決して阿呆なんかではない。
長くはなってしまったが以上が立花家のホコリある伝統の数々である。誇りと呼ぶべきか、埃と称するべきか、私が迷っているのは今に語ったことでは無い。
「とにかく、あなたも立花家を背負う一人娘なんだから、程々にね。大和撫子が乱暴なことを言ってはいけません」
母はそういうが、なんとも腑に落ちない気もある。いい様に言いくるめられてるだけの気がするのだ。その通りといえばその通りなのだが。
なんにせよ、待ち合わせの場所まで近い所まで歩いてきた事を察した母は、急に踵を返して「ここまでね」とだけ伝えて私を置いていく。
「しっかりと頼むわよ。あなたの幸せはみんなの幸せなのだから」
それがこの場の母の最後の言葉だった。いつからこの顔合わせが、もとい向こう側との同伴が私の幸せになったのだろう。私にはその意味がわからない。微塵も幸せを感じないのだが。
「押し付けられることが幸せと呼べるのなら、立花家に生まれた私は、出生時からずっと幸せと呼べるんでしょうね」
誰に向けた訳でもないきつめの皮肉は、雑多な環境音に溶けていく。
一人で人波の中を孤独にあり続ける様はあまり気分が良くない。妙な考え事をしてしまうからだ。急に胃が痛みだし、少しばかり体調が悪くなる。最近は特に、同伴する前辺りからずっとこの気持ちの悪さを感じるのだ。考え込みすぎなのかもしれない。
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