vaccana。

三石一枚

文字の大きさ
上 下
14 / 18

第十三話 吸血鬼。

しおりを挟む
 「さて、大方気分は落ち着いたところだろう。検診しようか」
 「検診?」あたしが聞き返すと、再恋寺さんはベッド端に寄せられた背もたれのない椅子を持ち寄るや、あたしの前で座り直した。
 「どこにも異常がないか確認するんだよ。本来なら病院で判断してもらうのが一番いいんだけれど、そういうわけにもいかない。ワタシがやる以外にほかはないからね」
 再恋寺さんは真っ赤な前髪を揺らしながらそう言った。落ち着いているあたり、その心得があるようである。博識な風は前から感じていたが、医学系統にも通ずるときたならば、これほど大した人傑もいないだろう。
 「再恋寺さん、医療に精通してたんですね」半ばあこがれたまなざしで述べてやると
 「いや?」と短く切って返す。
 「独学だよ。今からやるの」再恋寺さんは両掌であたしの頬をぺたぺたしながら否定した。
 「独学で検診なんてできるわけないでしょ」あたしは瞼を無理やりこじ開けられながら非難した。
 「触ったり身体異常を診るんだから検診に違いないだろう。今からやるのは、吸血鬼に襲われた奴に行う野戦治療みたいなもんさ。マジもんの医療行為じゃないからね」
 「検診するなんて言うもんだから、医学養生術に明るいかと思ったんですけど」
 「専門的な医療行為やら予防やらがワタシにできるもんか」
 なんだかキツネにつままれた感じである。
 余談を交わしながら、検診は続く。くだらない会話の表では彼女の怜悧な瞳があたしの瞳と濃厚な視線を交わしていた。互いの吐息が触れるほど顔が近い。
 「具体的に、検診って何をやるんですか」
 「触診とか体調の良し悪しの確認。その他もろもろ。服とかは脱がなくても大丈夫だよ。趣味で脱ぐなら止めやしないが」
 「あたしのことを何だと思ってるんです」
 「いうこと聞かないじゃじゃ馬」
 「ぐ」
 ごもっともである。淡白な言い方だからことさらに胸に刺さる。
 「瞳孔は問題なし」言うなり彼女はあっさりと身を引いた。
 「次、身体の調子とかはどう?」
 「それって今の体調ですか?」
 「そ。……つっても、すこぶる気分が悪いところだろうけどさ。率直なところはどうよ」
 「まあ。頭はふらふらするし、末端の痺れはあるし。力が入らないのと、それから、なんだか体がポカポカしてる気がします」
 「ポカポカはお粥食ったからだろ」
 「えへへ。多分」
 「ならいい。以降、身体の不調が続くようなら、相談してもらいたいってことくらいだな」
 再恋寺さんはそう言いながらあたしの額に掌をあてがってきた。熱がないかの確認だろう。手のひらからじっとりと感じる彼女の熱は、あたしの今の体温より少し高い。
 久方ぶりだ。子供の時以来だろう。こうまで親切に扱われるのは。
 

 「次、触診」
 彼女は手をワキワキとしながら言った。
 「どこを触るんです?」
 「咬まれたところだよ」
 言うなり、予兆なく彼女の指先が首筋に触れられる。

 「ぁっ」

 ……という『音』が、あたしの喉から出てきたものだと自覚するのに少しばかりの時間を要した。
 やばっ。
 変な声でた。
 ハッとして反射的に口元を隠す。再恋寺さんは目をまん丸くして静止してしまっている。
 「いや、ちがくて。あの、なんか、ほら、触れるなら一声欲しいじゃないですか。あの、ほら、ケガしたところだし」
 「あ、ああ。ごめん。一声ね。悪い」
 ……体の中枢から肌の表面までを揺らすような鼓動がバグバグと鳴っている。
 顔が熱い。胸元をパタパタと煽いで野暮ったい熱を逃がすなり、そのまま傷のある首筋に引っ掛かった、髪の毛を掻き上げた。傷口を露呈する。一切の心の準備ができてなかったもので赤っ恥をかいた。触るよ、くらいほしいものである。云って減るものでもないだろうに。
 ぎりりと歯をかみしめて再選を望むも、しかし肝心のお姉さんはにんまりとした表情をともしたままに動かない。
 首に触れるか触れないか、という近さに指を止めたまま。
 ……そのまま少し、謎の空気感が漂った。
 「……サワリマスヨ」
 「はやくしてくださいよ!!!」


 あたしは触られるのは苦手である。くすぐったがりではあったけれどこうまで弱かった覚えはない。少々、痛覚が過敏になってしまっているのかも知らん。検診と題して、再恋寺さんはお構いなしに触ってくるものだから、薄い首筋の皮膚に感覚が灯る都度、手を握りしめこの辱めに耐えざるをえなかった。
 心の準備なんぞ痛痒の前には何の役にも立たない。いくら触れられるものとして身体に備えても、いざ肌を沿う感触があれば背筋や首元、大腿が勝手気ままにうぞついたり、浮いたりしてしまうものである。
 「なんつうか、若菜ちゃんって加虐心を燻らせるなにかをもってるよねえ。天然でやってるなら魔性の女だな」とは、まだるっこく人の首筋をぬめぬめと触り続ける意地悪なお姉さんの言葉である。
 「うれしくねー……。ほめてるんですかそれ」
 「言われて喜べるものじゃないとは思ってる」
 「じゃあほめてないじゃないですか」
 「どうだか。受け取り方の問題だろ。ビッチと呼ばれて喜ぶものもいれば、清楚という感想を貶されたものだと感じるものもいる。他人の感想の真意は、本人に五割も伝わらないもんだよ。結局聞いた本人の自己解釈がすべてに勝るんだから」
 「それでもあたしは、貶されたととるべきなんだろうな」
 軽口をたたきあっていると、ふと再恋寺さんが
 「……かさぶたになってる。……ちゃんと血が固まっているとくると、とりあえずは無事、か」
 とつぶやいた。
 「これって、たんに傷の経過観察してるだけなんですか?」と聞くと、「ん~」と彼女はちょいと唸って
 「君が中毒者にされてないかの確認、かな」と簡潔な答えが返ってくる。
 「中毒者?」
 「そ」
 短く肯定した彼女は、絶えず首のラインを指先でなでてくる。ひぃひぃしながらこれを忍んだ。
 「いい機会だし、少し吸血鬼の学習もしようか」彼女は言う。
 「聞いておいて損はないよ。若菜ちゃんもすっかり、こちら側の人間だからね。吸血鬼という存在がいかに人間に対し害悪か、明るくしてやろう」
 至極さわやかな笑顔でそうおっしゃるが、内容が内容だけに、どうにも聞く気の失せる話になりそうである。


 「この町の被害者の増え方が異常だと前に言ったよね。実際のところ、吸血鬼ってのは不特定多数の人間から血を絞りに行ったりはしないんだ。どちらかというと、特定の人間を餌とみて、生かさず殺さずを貫き、絞るのが奴らのやり方。人間の社会の一部に擬態することを得意としてきた化け物からすれば、被害者を増やさず、特定の人間のみから血をもらうのが効率の良い食事方法だった。そうしたほうが自分の存在を暴かれるリスクは少ないからね」
 「あたしの出会った吸血鬼の場合、入海君を餌として見ている、と」
 「そう見るのが妥当ではあるね。加えて、基本的には一つ餌を手に入れたのなら、そのエサが使えなくなるまでは定期的にそいつの血を吸いに行く。入海君を餌としてるなら、それ以外から血を徴収することはない。つまるところ、昨今の被害者がぼろぼろと出てくるのは少しばかり異常なことだ。吸血鬼は餌をとっかえひっかえしない。殺すなんて、以ての外だ。するだけ自分の正体が浮き彫りになるリスクが付きまとうわけだからね。これほど非効率なことはそうそうないよ」
 「理屈はわかるんですけど」
 と、あたしは少しばかり気になる部分を質問として投げかける。
 「どうして『餌』役の人間は逃げないんですか? 血を吸うとか、人をとっかえひっかえしないとか、そんなの吸血鬼側の勝手でしょうに。話を聞いてるとまるで餌役は抵抗しないみたいじゃないですか」
 話の流れがあまりにも吸血鬼側に寄った都合の良いものである。
 餌役がまるで、吸血行為を全面から是としているように、だ。
 入海君の時にも少しばかりの違和感があった。間違いなく彼は被害者で、吸血鬼に都合よく使われている状況を悲観する権利があったのだけれど、それでも彼は吸血鬼のことを一切悪く扱うわけでもなく、それどころか、味方の体をしたあたしの手を振り払ったわけである。
 あの感じは理解できない。なぜならあたしは、実際に吸血を被ることで辟易してしまっているからだ。あたしが入海君の立場だとすると、あの行為をかばってやろうという気は絶対に起きない。むしろ危害を加えられたものとして、敵とみなすのが最もだ。
 「いい質問だ」再恋寺さんはあたしの頬をむちむちしながら微笑して言う。
 「いきなりだが若菜ちゃん。血を吸われた時、どんな感触がした?」
 「どんな感触……?」
 思い出したくもない事項だけれど、ちょっと目をつむって当時のことを思い出す。
 噛みつかれてまず最初に訪れたのは鮮烈な痛み。続いて、痛覚が退くや、恐怖を端と発する四肢の痺れと、背筋に流れる、食らってはダメだ、と本能が叫ぶがためのハチャメチャな悪寒。
 思えば、吸われる時間が経つにつれて、痛みや気持ち悪さや悪寒、なんかとはまた違う感覚が、唐竹割のように頭頂部から下半身に勢いよく流れた瞬間があった。あの感覚は、不気味なほど鮮明に覚えている。
 「当たり前だが、吸血鬼の牙ってのは人の犬歯と同じ大きさだ。そんなでっかい鋭利なものが、皮膚を切り裂いて血を漏水させるものと考えたら、むちゃんこ痛いもの、ってわかるだろう。注射針ですら微弱な痛みがあるんだ。それの何倍もでっかい針を刺されるんだから、これはたまったもんじゃない」
 再恋寺さんは吸血鬼の牙を象った、人差し指と中指の二本を、自分の首筋に刺すジェスチャーをする。弾力のある肌は勿論、その偽物の牙を通さない。
 「餌とされる人間は、この痛みを定期的に味わわなくちゃならないとくると、懸念通り逃げてしまう可能性がある。拷問でもテーマとして昇華されているように、人間にとって耐えがたいものは定期的に訪れる痛みや恐怖なんだ。餌となる人間はその拷問にとらわれる。ともすれば逃げ出したい欲求が生まれるのは確かだ。拷問を与える憎きあの鬼を、どうにかせねばならんと憤慨するのも当然だろう」
 「そこで、」と彼女は付け加え
 「吸血鬼は人間を効率よく飼いならすためにとある『体験』を餌食の報酬として与えている。この『体験』が為、餌は餌であることを受けいれ、あまつさえ自ら吸血鬼に身を捧げようとしてしまうのさ」
 言うなり再恋寺さんは自らの唇の縁に指を添えた。彼女が口の端を釣り上げると、とがりきってない、先が丸みを帯びた犬歯が、桃色の口内から覗く。粘性のない唾液が、彼女の口の端を滑っていく。
 こう続ける。
 「『体験』の名前は快楽、だ。奴らの唾液には、人体に影響する即効性のある物質が多く含まれている。痛覚を麻痺させたり、血を固まり辛くさせたりといった感じのね。そんなかでのキモが、快楽物質を著しく誘発させる作用だ。この作用が主に、餌を餌たらしめる所以とされてるんだ」
 「快楽物質?」
 「心を満たされる行為で発生する脳内物質、とでもいうのかな? その作用を突き止めたのはワタシじゃあないから、委細を語ることはできないにせよ、とかく吸血鬼の行う食事行動にはそんな付随効果があるということをぜひとも忘れないでほしい」という。さらには、
 「若菜ちゃんも血を抜かれたことで、必ず一度はこの快感の体験をしている。その時は気が動転しすぎてどんなもんかわからなかったかもしれないけれど、ふとした時にフラッシュバックする可能性もあるから、気を付けといたほうがいいね」と付け加えた。
 「あんな目にあうのは二度とごめんです」
 いくら気持ちのよい感覚であろうと、あんな不気味な儀式に再び身を投じねばならんというのはあまりにも気乗りのしない話である。よくもまあ入海君は体を許すことができているものだ。
 「吸血鬼からすりゃ、被害者を逃がすというのは、餌を手に入れられないわ、自分の正体を知ったものを外界に放つわで、一石投じて二兎逃がす大ポカになる。だから逃さぬよう、がっちりと餌の心を快感で奪わなくちゃならない。餌は餌で快感を知ったものだから、これを受けたいと吸血鬼に歩み寄り、吸血鬼はそれによって定期的な食事にありつけるわけだ。それだが、話は両者両得で終わるわけではない。人間が習慣的にこの快楽を譲受することに大きなデメリットがある」
 言葉を区切り、彼女の、薄い赤を伴った桃色の唇が、途端重りを抱いたのかというほどにゆっくりと開き、次のようなことを述べる。
「そうして中毒者ジャンキーが生まれる」
 彼女はひどく沈痛な面持ちをしてそういう。
 そうなった人間の末路を、まるで知っているかのように。


 「中毒者ジャンキーの定義は、習慣になった吸血行為のせいで自律がままならんことになったものを指す。度重なる過剰な快楽物質の影響で、脳みそがとろけ切っちまってる状態になる。体にも異変が起きてさ。興奮状態が冷めないから瞳孔は開きっぱなしだし、噛まれた傷だってふさがりにくくなる。その過程で性格にもゴリゴリに干渉されて、ものに寄っちゃ別人格にすら思えるほど、人が変わってしまうんだ。そうもなると正常に戻るのは難しい」
 「あたしに、入海君の様子を見ておけって頼んだのってもしかして」
 「その状態にならないか観察してほしかった。入海君が学校に来なくなったら赤信号ってのは、この状態になってしまった可能性があることを指してるんだ。こうもなれば、学校になんてこれない。……その分、正常であるならまだ猶予があるって話なのさ。いきなりどうこうなるってほど急転直下なことは起きないからね」
 「……それならいいんですけど」
 ともすれば、入海君が自ら吸血鬼との関係を断とうとしないのは、あるいはこの吸血行為に伴った快感を手放したくないからなのかもしれない。血を吸われることを許す、ということ自体甚だ度し難いが、おそらくはそれに甘んじたくなる、いわゆるところの中毒性があの儀式にあるということだろう。
 ……が。
 ……しかし、どうにも引っ掛かる点がある。あの仲違いの時、果たして彼はこの自己利益的な考えで吸血鬼のことをかばっていたのだろうか。
 口に出任せてなんとでもいえるのは悲しいことに人間の特徴じゃああるが、あんな青竹のようにまっすぐで、かぐや姫のように人付き合いを知らない純情な少年は、あまつさえ直近の暴行事件の犯人は彼女じゃないと唱え、彼女に人殺しはできないと称えた。……たたでさえ嘘をつけそうにもない好少年が、では果たしてあんな人殺しもいとわぬような特徴を持つ存在に対して、どうしてそうまで信頼しきったことを言えるのか。
 どうにも溜飲が下がらない。


 「今一つ」と再恋寺さんが口を開く。
 「吸血鬼と人間の間柄に特殊な関係性があったりする。……正直なところ、もしかしたら入海君はこの関係性のほうが近いんじゃないかとワタシは邪推してるんだ。こっちもこっちで、餌にされるよりよっぽど厄介なものなんだけれどね」
 「……関係性?」
 「ワタシの読み通りなら、入海君は恐らく吸血鬼に気に入られている。こればかりは所謂ヤマを張っているに過ぎないが、とかく仮に件の吸血鬼が入海君に対して特殊な感情を抱いているとしたならば、彼は今、『眷属』にされかけているのかもしれないな」
 「眷属?」あたしは聞いてついと首を傾げた。聞いたことだけはある。覚えが確かなら、しもべのようなもののことだろう。
 「眷属、あるいは眷属つくり。一般的には従僕とか格下の扱いのものだと思われてるんだろうけれど、吸血鬼にとっちゃ、この眷属とは深いつながりのある存在のことを指している。例えば吸血鬼でいう眷属つくりというのは人間でいうところの」

 「子作りだったりするからね」
 「こづっ」
 こづっ。
しおりを挟む

処理中です...