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十四話 瑞希が言うには
しおりを挟む派出所の前の通りを眺めながら、堤は欠伸を噛み殺した。冬にしては暖かい日だった。日差しの暖かさに眠気が来る。
(社会は良いかなぁ)
ボンヤリと、中学からの勉強をやり直し始めた同居人を想う。先日、教材を買ってきて月郎に渡したところ、月郎の知識が酷く偏っていることが解った。漢字などは読めないものが多いが、社会に関する問題は歴史以外は殆ど問題がない。計算は出来るが図形や応用問題が出来ない。生きていく上で必要なことだけを覚え、知らないものは知らないままなのだろう。勉強自体は暇なこともあってか、苦ではないらしい。飲み込みが早いため、教える方も楽しかった。
本も、かなり読めるようになったようだ。堤の所有する本の幾つかを既に読み終えている。本は良いと思う。本に触れずに育つと、読解力が低下しているように思える。読解力は本や情報を得るだけの問題ではない。他人との会話にも及ぶ。
堤は非行に走る少年らの多くが、学習を受けたくとも受けられない環境にあったケースが多いという話を思い出した。月郎もそんな少年だったのかも知れない。中学を出てすぐにヤクザになるような人間は珍しい。
「こんにちは」
不意に、声をかけられ堤は振り返った。見れば、佐竹の恋人である渡辺瑞希がなにやら大荷物を抱えて立っていた。
「あれ、瑞希ちゃん。どうしたの?」
「今日は店休日なんです。あ、それで――」
チラリと瑞希が交番を覗き込む。中には同僚である先輩警官の鈴木が書類仕事を行っていた。堤は鈴木に「ちょっと外します」と声をかけ、路地裏の方へ移動する。佐竹は足を洗ったが、瑞希は一時期とはいえ準構成員だった。鈴木に聞かれない方が良いと判断した。
「何かあったか?」
「はい。月郎くんのことで」
「月郎の?」
月郎の名前にドキリとした。瑞希の方が月郎よりも年下のはずだが、何故か月郎は瑞希を兄貴分として慕っている。内心、何の話をされるのかヒヤヒヤしながら、平静を装う。
「今、月郎くん堤さんのところにお世話になってるんですよね?」
「あ? ああ、もしかして、月郎から聞いたのか?」
「はい。それで」
いつの間に。なんとなく、モヤモヤした感情が沸き上がった。
「これ、頼まれていて、持っていこうかと思ったんですが、勝手にお邪魔するのはと思って」
そう言って瑞希が手荷物を見せてくる。中身は炊飯器だった。
「炊飯器――」
「なんか、鍋は面倒だとか言ってて。何でしょうね?」
「……うち炊飯器ないから」
「えっ! ご飯炊かないんですか? いつもはレトルトご飯ですか?」
「いや、電子レンジもない」
堤の返答に、瑞希は可哀想なものを見るような表情になった。
(何の話かと思ったら、炊飯器かよ……)
深刻な相談でなかったことにホッとすると同時に、月郎が炊飯器に不満を持っていたことに思わず口を曲げる。一時的な同居なのに。
「それは月郎くん大変だな。レンジも持っていこうかな」
「要るか?」
「欲しいですよ。時短になりますし」
瑞希の力説に、堤は言い返せない。何しろ、なにも解らないのだ。月郎は堤が寝ている間に殆ど済ませているし、不満を口にしない。
「でも一時的な同居だぞ」
「まあ、そうか……。ところで、何かあったんですか?」
「いや――聞いてないか?」
「事務所に近づくな、としか」
(なるほど)
瑞希に最低限の忠告をしに行ったのだ。理由が解って、何故かホッとする。
「あ、もしかしてパソコンもお前?」
「ええ。何か言ってました? 急に用意したんで、スペックとか聞かなかったから」
「いや、普通にしてるし、問題ないんじゃない?」
「そっか。良かったです」
「俺んち解る?」
「はい。メールで地図頂いたので」
そう言うと瑞希は、炊飯器を抱えて立ち去っていった。
(月郎の事務所か……)
上田も言っていたし、少し様子を見に行こうか。見回りついでであれば、曲がりなりにも警官の制服を着ているのだ。恐らく大丈夫だろう。
「よし。鈴木さん、俺ちょっと見回り行ってきますね」
堤は交番の中に居た鈴木に声をかけ、見回りに向かった。
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