1 / 28
一話 交わらない存在
しおりを挟むどれだけ歩いたら、その先へとたどり着けるだろうか。
「すみません」
モダンなインテリアと、名のあるアーティストが飾ったらしい前衛的なフラワーアレンジメント。真新しい店の雰囲気に気圧されながら、扉をくぐった。
すぐに店員が気がついて、俺のくたびれたスニーカーを見て、一瞬顔を歪める。だがすぐに、手に持っていた小さな荷物に気づいて、「ああ」と溜め息を吐き出す。
「ごめんなさい。業者の方は後ろから入って貰えます?」
「ああ、すみません。ここ初めてで」
帽子を目深に被って、大人しく指示に従って店の裏手に回る。背中に、店員の「ちょっとここ、モップで拭いておいて」という声が突き刺さった。
(一応、綺麗にしてるんだけどな……)
足元を見て、溜め息を吐く。靴底がすり減り、ビニール製の表面は擦りきれて細かいキズだらけ。おんぼろだが、見た目の清潔さにだけは気を付けているつもりだ。
だけど、高級な店にはやっぱり、相応しくないんだろう。引っ越し担当の先輩は、お客様の家に上がるときは真新しい靴で、靴下は一日に何回も履き替えているという。就活中の生徒にむけた説明会では、足元からチェックされるなんて話も聞く。
そんなことは分かっているけれど、金がない。新しい靴を買うなら、一回でも多く肉を食いたい。
俺の靴は、ボロボロで。実を言うと靴底が剥がれたのを接着剤でくっつけているし、なんなら少しサイズが合わない。それを知っていて、もう随分長いあいだ新しい靴を買っていないのは、そんなものを買うよりも一回でも多く飯を買いたいからだ。
(今日はレストランのバイトも入ってたよな)
深夜から早朝は、配達の仕事。それが終わったら大学に行って、大学が終わったらコンビニでまたバイト。夜にはレストランで働く。一日の睡眠時間は一時間か二時間。働いた金の殆どは公共料金と家賃に消えて、楽しみと言えば月に一回だけ許している牛丼だけ。
どれくらい寝なければ人が死ぬのか、どれくらい働けば人が死ぬのか、正直分からないが、今のところギリギリ生きている。
それが、俺、神足縁の人生だと思っているし。
それがずっと、続いていくのだと。
この時は、そう思っていた。
◆ ◆ ◆
オフィス街を抜けて路地裏にある雑居ビル。そのビルの一階にあるイタリアンレストラン『セレンディピア』が、俺が働いているレストランだ。ワインバーも併設されており、利用客は食事というよりも飲みで使っている人が多い。深夜営業をしているこの『セレンディピア』では、閉店時間は二十三時。金曜と土曜は三時まで営業をしている。
モダンでオシャレ。洗練されたスタイルの店は、俺みたいな貧乏人には似合わないのだが――運よく、働くことが出来ている。この店は時給も高いし、時々オーナーでもあるシェフが、新メニューの試作品だと言って料理を作ってくれるのも、ありがたい。
(今日は人が多いな)
金曜の夜は、飲みの客が多く、ワインがよく出る。デートや合コンで使う人も多く、店内は賑わっていた。こういう日は、酔客も多いので注意が必要だ。客同士のトラブルもあるし、グラスを割るとか、そういうトラブルも案外ある。
テーブルを片付け、床の汚れまでチェックし終わったところで、不意に扉の方に人の気配を感じて視線を向けた。ラストオーダーも近い時間だというのに、ふらりとやって来た客。大抵はカップルかグループの来客が多い店で、その男は一人で来店した。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは。――斎藤シェフ、居るかな」
「シェフですか? 居ると思いますが……」
オーナーの知り合いだろうか。俺は目を瞬かせ、男性をカウンター席へと通す。まだ二十代半ばから後半といったところだろう。仕立ての良いスーツに、磨かれた革靴。俺は詳しくないが、きっと時計も高いのだろう。
男に「少々お待ちください」と断りを入れ、キッチンに向かう。斎藤さんはまだ忙しそうにしていた。
「オーナー。お客さんが来てますが」
「え? 客?」
斎藤さんは手を止め、ひょこりとカウンター席の方を見る。その表情が、パッと明るくなった。
「雨下! なんだお前、帰ってたのか」
「さっきね。空港から真っ直ぐこっちに来た。もう終わりか?」
「いや、親友の為だ。何か作るよ。神足くん。彼にワイン出してくれる? 赤で」
「はい、分かりました」
(オーナーの、お友達……か)
雨下と呼ばれた男は、どうやら斎藤さんの友人らしい。オーナーの方が、少し年上だろうか。どういう友人関係なのか、ちょっと不思議な気持ちになる。
「お待たせしました」
俺は赤のグラスワインを、雨下の目の前に差し出した。雨下は人懐こい笑みを浮かべて「ありがとう」とグラスに口をつける。
「良いハウスワインだ。斎藤のチョイス?」
「すみません。分かりません……。バイトなんで……」
バイトだから。なんて言葉が言い訳なのは分かっていたが、ついそう言ってしまった。相手は斎藤さんの友人なのだし、恐らく本気で俺に聞きたかったわけじゃないだろう。多分、連れがいないから、俺に話しかけただけだ。その証拠に、すぐに別の話題を振ってくる。
「そうか。バイトは、長いの?」
「大学に入ってからなんで、三ヶ月くらいですね」
「そうなのか。それにしては、慣れてる感じだ」
「自分、結構シフト入ってるんで」
「なるほど」
他愛ない話をしながら、グラスを拭く。新しく入って来る客はおらず、出ていくばかりだ。おかげで、世間話をしていても許される雰囲気になっている。
雨下はもう、俺の方を見ていなかった。グラスに口をつける姿が、一枚の絵画のようだった。
(……清掃、始めちゃうか)
奥の席はもう人が捌けている。早めに清掃を始めてしまおうと、バックヤードにモップを取りに向かう。途中、薄く切ったバゲットにリエットを載せたものと、オリーブのマリネを手にした斎藤さんとすれ違う。思わず、目で追った。
「またアメリカに戻るのか?」
「いや、向こうの仕事はひと段落したんだ。当分は日本じゃないかな」
その会話を背にして、俺はロッカーからモップを取り出した。
雨下という男は、多分、別の世界の人間だ。俺とは違う匂いがする。こうやって、同じ空間に居ても、決して同じように並ぶことはない。ヒエラルキーの上に居る人間と、底辺の人間。
どうあがいても、交わらない。
(アメリカか……)
行ってみたいと思ったことはなかったけれど。
生涯行くことはないのだろうな、とは、容易に想像できた。
37
あなたにおすすめの小説
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった
ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン
モデル事務所で
メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才
中学時代の初恋相手
高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が
突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。
昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき…
夏にピッタリな青春ラブストーリー💕
タトゥーの甘い檻
マリ・シンジュ
BL
執着系わんこ攻(大学生)× 高潔な美形教授受(30代)
どのお話も単体でお楽しみいただけます。
「先生、ここ……僕の瞳を入れるから。ずっと、僕だけを見てて」
真面目な大学教授・新城が、大学生の・羽生にだけ許した、あまりにも淫らな「わがまま」。
それは、誰にも見えない内腿の奥深くに、消えないタトゥーを刻むこと。
「下書き」と称して肌を赤く染めるペン先の冷たさ。
アトリエの無機質なライトの下、四つん這いで晒される大人の矜持。
ずっと年下の青年の、必死で、残酷で、純粋な独占欲。
愚かだと知りながら、新城はその熱に絆され、ゆっくりと「聖域」を明け渡していく――。
「……お前のわがままには、最後まで付き合う」
針が通るその時、二人の関係は一生消えない「共犯」へと変わる。
執着攻め×年上受け、密やかに刻まれる秘め事のお話。
【BL】男なのになぜかNo.1ホストに懐かれて困ってます
猫足
BL
「俺としとく? えれちゅー」
「いや、するわけないだろ!」
相川優也(25)
主人公。平凡なサラリーマンだったはずが、女友達に連れていかれた【デビルジャム】というホストクラブでスバルと出会ったのが運の尽き。
碧スバル(21)
指名ナンバーワンの美形ホスト。自称博愛主義者。優也に懐いてつきまとう。その真意は今のところ……不明。
「絶対に僕の方が美形なのに、僕以下の女に金払ってどーすんだよ!」
「スバル、お前なにいってんの……?」
冗談?本気?二人の結末は?
美形病みホス×平凡サラリーマンの、友情か愛情かよくわからない日常。
※現在、続編連載再開に向けて、超大幅加筆修正中です。読んでくださっていた皆様にはご迷惑をおかけします。追加シーンがたくさんあるので、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
今日もBL営業カフェで働いています!?
卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とスタッフ達とBL営業をして腐女子や腐男子たまに普通のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ
※ 不定期更新です。
親友が虎視眈々と僕を囲い込む準備をしていた
こたま
BL
西井朔空(さく)は24歳。IT企業で社会人生活を送っていた。朔空には、高校時代の親友で今も交流のある鹿島絢斗(あやと)がいる。大学時代に起業して財を成したイケメンである。賃貸マンションの配管故障のため部屋が水浸しになり使えなくなった日、絢斗に助けを求めると…美形×平凡と思っている美人の社会人ハッピーエンドBLです。
ハイスペックストーカーに追われています
たかつきよしき
BL
祐樹は美少女顔負けの美貌で、朝の通勤ラッシュアワーを、女性専用車両に乗ることで回避していた。しかし、そんなことをしたバチなのか、ハイスペック男子の昌磨に一目惚れされて求愛をうける。男に告白されるなんて、冗談じゃねぇ!!と思ったが、この昌磨という男なかなかのハイスペック。利用できる!と、判断して、近づいたのが失敗の始まり。とある切っ掛けで、男だとバラしても昌磨の愛は諦めることを知らず、ハイスペックぶりをフルに活用して迫ってくる!!
と言うタイトル通りの内容。前半は笑ってもらえたらなぁと言う気持ちで、後半はシリアスにBLらしく萌えると感じて頂けるように書きました。
完結しました。
陥落 ー おじさま達に病愛されて ー
ななな
BL
眉目秀麗、才ある青年が二人のおじさま達から変態的かつ病的に愛されるお話。全九話。
国一番の璃伴士(将棋士)であるリンユゥは、義父に温かい愛情を注がれ、平凡ながらも幸せな日々を過ごしていた。
そんなある日、一人の紳士とリンユゥは対局することになり…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる