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30:最終話
しおりを挟むクロエはライルとの婚姻関係の継続にあたり、一つ条件を出した。
それは娼館のアトリエを解約することだ。
理由は単純。たとえ女を買っていないとしても、あんなに綺麗な女性たちがいる場所に夫が通うのは不安になるから。
クロエがそう説明すると、ライルは嬉しそうにしながらすぐに部屋を解約した。
あの時の表情は実に腹立たしかったと、クロエは思う。
「お義父様がここをアトリエに使えばいいと仰ってくれてよかったわね」
「そう、だな」
いつの間にか、すっかりアトリエと化した屋敷のコンサバトリーで、窓の外に広がる一面の雪景色を背景に、クロエは背筋をピンと伸ばしてライルを見据えた。
昼下がりの暖かな日差しが雪を照らす様はとても幻想的で、実に絵になる。そしてそれを背に微笑むクロエももちろん絵になる。
だが、ライルは筆を片手にどうしたものかと頭を掻いた。
「なあ、本当に描かないとダメか?」
「ダメ」
「でも、肖像画なんて山ほどあるぞ。俺の部屋に」
「貴方の部屋にあるやつは全部そっぽ向いてるじゃない。ちゃんと正面から見たものを描いて欲しいのよ」
「でも……」
「でもじゃない。約束したでしょう」
クロエはぷくりと頬を膨らませた。
その可愛らしい仕草に、ライルはグッと目頭に力を入れた。気を抜くと顔が緩んでしまいそうになるから。
「ちょっと、何でそんな険しい顔をするのよ」
「不可抗力だ」
「何よ、不可抗力って。……まあ、いいわ。はい、描いて」
クロエは薄く口角を上げ、ジッとライルを見つめる。
彼女の碧い瞳が、自分だけを見つめている。
ライルにはそれがどうにも慣れないらしい。
きっと、今まで頭の中のクロエしか描いてこなかったせいだろう。
真正面から彼女を描くのは、とても緊張する。
クロエもそれをわかっているのか、不敵に笑った。
「ライル」
「……何?」
「ちゃんと見てね」
「……」
「ちゃんと、隅々まで私のことを見て描いてね?」
「~~~っ!わざとかよ!!」
挑発するように艶っぽく話しかけてくるクロエに、ライルは筆を投げ捨て、ソファに彼女を押し倒した。
目をまん丸にして見上げるクロエにライルはチッと舌を鳴らす。
「俺のことを弄んで楽しいか?」
「そんなつもりないわ」
「今のはあっただろ。どうしてやろうか、本当に」
ライルはクロエの白銀の髪を一房手に取り、毛先にそっと口付けた。熱を帯びた視線がクロエに注がれる。
だがクロエは特に動揺する様子もない。それどころか、自分からライルに手を伸ばした。そして彼の薄い唇に指を這わせる。
ライルはその冷たい手の感触にびくりと体をこわばらせた。
「ライル。私、気づいたの」
「……な、何を?」
「貴方って、迫られると弱いわよね」
「なっ!?」
「ふふっ。可愛い」
顔を真っ赤にして飛び退いたライルに、クロエはクスッと笑をこぼす。
娼館に通っていた割には初心な彼のこの素顔を誰も知らない。クロエはそのことに、ほんの少しの優越感を覚えた。
「あ、あんまり調子に乗ってると襲うぞ」
「いいよ」
「…………え?」
「だから、いいよって言ったのよ」
「なんで……?」
脅しのつもりで言っただけなのに。唐突の許諾にライルは目を丸くした。
クロエは動揺するライルに首を傾げる。
「何でって、拒む理由がないから?」
「意味わかって言ってるのか?」
「わかってるけど?……あ、合図しなきゃダメなんだっけ」
そういえば以前、ライルの全てを受け入れても良いと思えたら合図をしてと言われていた。
クロエは今度は自分がライルを押し倒すように、彼をソファの肘置きに追いやった。
そして額に軽くキスをした。
「これでいい?」
そう言ってにっこりと微笑むクロエは、とてつもなく美しかった。
けれど、ライルはなぜか不服そうに額を抑え、怪訝な顔でクロエを見上げた。
「ここかよ」
「あ、口がよかった?」
「当たり前だろう。……ちなみに今、どの辺りまで俺に落ちてるの?」
「うーん、おへその上あたり?」
「なるほど。じゃあ、もう抜け出せないな」
「ええ、そうね」
腰より上まで落ちてしまえば、沼から這い上がることは不可能に近い。
ライルは、「なら、もう良いか」と小さく頷いてクロエに手を伸ばした。
そして自分の方へ強引に引き寄せた。
「さて、どうして欲しい?」
逃げられないようにしっかりと腰に手を添え、耳元で囁くライル。
耳に吹きかかる吐息に、クロエはくすぐったそうに身じろぐ。
「ここではこれ以上はダメよ」
「どうして?」
「どうしてって、まだ昼間でしょう?」
「関係ないよ」
ライルはクロエの首筋に顔を埋めた。髪からは彼の好きなベルガモットの爽やかな香りがする。
「クロエ……」
ライルは彼女の白い首筋に噛みつこうとした。
けれどそれは、いつの間にかソファの近くまで近付いて来ていたソフィアによって阻まれた。
「あの、宝石商の方が来られましたけど……?」
思わず半眼になるソフィア。先ほどから何度も呼んでいるのに気づきもしない主人たちに呆れているのだろう。
クロエは彼女の視線が痛くて、ライルを突き放した。
ライルが不服そうに睨んでくるが、仕方がない。
「何度もお呼びしてるんですけど……」
「ご、ごめん」
「結婚指輪の作り直しということで無理を言ってこの寒い中お越しいただいているので、あまりお待たせするわけには……」
「わかってるわかってる!ほら、行こう。ライル」
「いいところだったのに」
「言ってる場合じゃないでしょうが!」
クロエはライルの手を引き、宝石商のいる応接室へと走った。
「お嬢様が幸せなら、まあいいか」
相手がアレであるのは少々不安だが、浮気の心配だけは絶対にない男なのでオスカーよりかはマシだろう。
しっかりと繋がれた二人の手はいつの間にか指が絡み合っていて、ソフィアは安堵したように微笑んだ。
(完)
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感想ありがとうございます!
ライルがクロエを不幸にすることはないと思います。多分。笑
いやー 良かったです。
番外編希望 よろしくです。
感想ありがとうございます。
すみません。続編は今のところは考えてないです💦
でもまた、余裕があれば書いてみたいです!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!
クロエも男心をもてあそんでいる?ひどいことしてる。いまいち同情できない❗
感想ありがとうございます!
弄んでいるように書いたつもりはなかったです(^^;;
精進します……!