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CASE3:戸村千景
8:普通
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泉くんとの交際は順調だった。
無難な映画デートをしたり、夜景を見に行ったり、水族館に行ったり。泉くんとは普通の恋愛ができた。
面白味がないと言われれば確かにその通りなのだが、私にはこの普通がとても安心できた。
きっと彼以外との恋愛がロクデモナイものだったからだろう。彼と過ごす時間はどこか、あずさと一緒にいる時のような安心感があった。
「順調みたいね」
いつもの昼下がり、昼食を作るためにキッチン立ったあずさは冷蔵庫の中身をマジマジと眺めながら、ニヤリと口角を上げた。
「な、何?」
「千景さんや。泉くんの作るご飯は美味しいかい?」
「…….っ!?」
やばい。私は大慌てで冷蔵庫を閉めた。
「み、見た?」
「見た」
「くそー!」
どうやら見られたようだ。悔しい。私は冷蔵庫の前でうずくまった。
「作り置きのおかずのタッパの数は愛の数ですかぁ?」
「やめてよぉ」
「タッパごとに、付箋でラブレターまで書いてもらっちゃって。羨ましー」
「うるさいぃ」
「てか、泉くんって料理するんだ」
「あんまり上手くないんだけどね。でも私のために一生懸命になるところとか可愛くて……って、何言わせんのよ!」
「自分で言ったんじゃん」
「ぐぬぬぬぬ」
「ほら、そこ退いて。ご飯作れない」
「くううう!」
「はいはい」
あずさはクスクスと笑いながら、冷蔵庫の前で座り込む私を足で退かした。扱いが雑くて拗ねそう。
「ほい。今日のお昼は親子どーん」
「やった!」
卵の半熟具合が絶妙な親子丼が目の前に置かれ、私は思わず涎を垂らしそうになる。
あずさはそんな私を見て、安堵したように笑った。
「まあでも、泉くんが料理できるなら良かったよ」
「ん?」
「実はね、妊娠したの」
「…………え?」
あずさの突然の報告に驚いた私は、スプーンに乗せていた親子丼を器の中に落とした。
ついこの間はうまくいかないと言ってたのに、諦める選択も視野に入れた途端に出来るのだから、神様って気分屋だ。
「まあ、まだ初期の初期だから、どうなるかわからないんだけどね」
「そ、そうなんだ」
「それでね、相談なんだけどさ」
「うん」
「その、今までのことがあるから安定期に入るまでは慎重に行きたくて。だからここに来る回数、減らしてもいいかな?」
あずさは不安気に私の目を見た。
ああ、ダメだ。驚いてる場合ではない。
ようやく念願が叶ったのだ。私がかけるべき言葉は決まってる。
私はニッと歯を見せて笑った。
「全然大丈夫!他にもアシスタントさんはいるし、そもそも最近はどうしてだが仕事が捗りすぎて人手あんましいらないし、余裕よ!あずさは来たい時に来てくれればいいから!」
「千景……、ありがとう」
「良かったね、あずさ」
「とりあえずはね」
「おめでとうは生まれてから言うわ」
「うん、そうして」
不育症のあずさは今、すごく繊細で慎重になっている。
私は不安な彼女の心に寄り添うように、おめでとうの言葉を保留にした。
***
「……と、いうことがあってね」
「なるほど」
泉くんとのお家デートの日、お酒の入っていた私は呂律の回らない状態であずさのことを話した。
「あの子、すごく悩んでいたの。だから私の子宮をあげられたらいいのにってずっと思ってたの。そのくらいね、あの子が子どもを産むことを望んでいたの」
「うん」
「でもね、報告を受けた時、喜ぶよりも先に動揺したの。困惑したの」
「千景さん……」
「私、その時気づいたんだ。私、寂しいんだって」
愛花もあずさも、結婚して子どもを産んで、どんどん普通の大人に近づいている。一般的な大人の女性になっていくのに、私だけはまだ、どこか学生気分。フラフラふわふわしていて、地に足がついていない。
「何だか、置いて行かれたような気分だ」
私は泉くんの方に寄りかかり、縋るように彼の手に自分の手を重ねた。
泉くんは私の手をそっと握り返し、もう片方の手で私の頭を優しく撫でた。
「二人に追いつきたいですか?」
「追いつきたいわけじゃないよ。置いて行かれたくないだけ」
これから、二人は私の前で子育ての話をするだろう。
子育てに追われたあずさは、私に会う機会も減るだろう。
そういうのを寂しいと思ってしまう。普通の枠から自ら外れた私が図々しくも、そう思ってしまうのだ。
私は自嘲するようにフッと笑みをこぼして、強請るように泉くんの唇にかぶりついた。
「ち、千景さん?」
「ダメ?」
「……いいよ」
泉くんは私の背中に手を回し、力強く私を抱き寄せた。
この生産性のないセックスを見て、神様は何を思うのだろう。
役目を放棄したくせに、快楽と安心は求める私をどう思うのだろう。
無難な映画デートをしたり、夜景を見に行ったり、水族館に行ったり。泉くんとは普通の恋愛ができた。
面白味がないと言われれば確かにその通りなのだが、私にはこの普通がとても安心できた。
きっと彼以外との恋愛がロクデモナイものだったからだろう。彼と過ごす時間はどこか、あずさと一緒にいる時のような安心感があった。
「順調みたいね」
いつもの昼下がり、昼食を作るためにキッチン立ったあずさは冷蔵庫の中身をマジマジと眺めながら、ニヤリと口角を上げた。
「な、何?」
「千景さんや。泉くんの作るご飯は美味しいかい?」
「…….っ!?」
やばい。私は大慌てで冷蔵庫を閉めた。
「み、見た?」
「見た」
「くそー!」
どうやら見られたようだ。悔しい。私は冷蔵庫の前でうずくまった。
「作り置きのおかずのタッパの数は愛の数ですかぁ?」
「やめてよぉ」
「タッパごとに、付箋でラブレターまで書いてもらっちゃって。羨ましー」
「うるさいぃ」
「てか、泉くんって料理するんだ」
「あんまり上手くないんだけどね。でも私のために一生懸命になるところとか可愛くて……って、何言わせんのよ!」
「自分で言ったんじゃん」
「ぐぬぬぬぬ」
「ほら、そこ退いて。ご飯作れない」
「くううう!」
「はいはい」
あずさはクスクスと笑いながら、冷蔵庫の前で座り込む私を足で退かした。扱いが雑くて拗ねそう。
「ほい。今日のお昼は親子どーん」
「やった!」
卵の半熟具合が絶妙な親子丼が目の前に置かれ、私は思わず涎を垂らしそうになる。
あずさはそんな私を見て、安堵したように笑った。
「まあでも、泉くんが料理できるなら良かったよ」
「ん?」
「実はね、妊娠したの」
「…………え?」
あずさの突然の報告に驚いた私は、スプーンに乗せていた親子丼を器の中に落とした。
ついこの間はうまくいかないと言ってたのに、諦める選択も視野に入れた途端に出来るのだから、神様って気分屋だ。
「まあ、まだ初期の初期だから、どうなるかわからないんだけどね」
「そ、そうなんだ」
「それでね、相談なんだけどさ」
「うん」
「その、今までのことがあるから安定期に入るまでは慎重に行きたくて。だからここに来る回数、減らしてもいいかな?」
あずさは不安気に私の目を見た。
ああ、ダメだ。驚いてる場合ではない。
ようやく念願が叶ったのだ。私がかけるべき言葉は決まってる。
私はニッと歯を見せて笑った。
「全然大丈夫!他にもアシスタントさんはいるし、そもそも最近はどうしてだが仕事が捗りすぎて人手あんましいらないし、余裕よ!あずさは来たい時に来てくれればいいから!」
「千景……、ありがとう」
「良かったね、あずさ」
「とりあえずはね」
「おめでとうは生まれてから言うわ」
「うん、そうして」
不育症のあずさは今、すごく繊細で慎重になっている。
私は不安な彼女の心に寄り添うように、おめでとうの言葉を保留にした。
***
「……と、いうことがあってね」
「なるほど」
泉くんとのお家デートの日、お酒の入っていた私は呂律の回らない状態であずさのことを話した。
「あの子、すごく悩んでいたの。だから私の子宮をあげられたらいいのにってずっと思ってたの。そのくらいね、あの子が子どもを産むことを望んでいたの」
「うん」
「でもね、報告を受けた時、喜ぶよりも先に動揺したの。困惑したの」
「千景さん……」
「私、その時気づいたんだ。私、寂しいんだって」
愛花もあずさも、結婚して子どもを産んで、どんどん普通の大人に近づいている。一般的な大人の女性になっていくのに、私だけはまだ、どこか学生気分。フラフラふわふわしていて、地に足がついていない。
「何だか、置いて行かれたような気分だ」
私は泉くんの方に寄りかかり、縋るように彼の手に自分の手を重ねた。
泉くんは私の手をそっと握り返し、もう片方の手で私の頭を優しく撫でた。
「二人に追いつきたいですか?」
「追いつきたいわけじゃないよ。置いて行かれたくないだけ」
これから、二人は私の前で子育ての話をするだろう。
子育てに追われたあずさは、私に会う機会も減るだろう。
そういうのを寂しいと思ってしまう。普通の枠から自ら外れた私が図々しくも、そう思ってしまうのだ。
私は自嘲するようにフッと笑みをこぼして、強請るように泉くんの唇にかぶりついた。
「ち、千景さん?」
「ダメ?」
「……いいよ」
泉くんは私の背中に手を回し、力強く私を抱き寄せた。
この生産性のないセックスを見て、神様は何を思うのだろう。
役目を放棄したくせに、快楽と安心は求める私をどう思うのだろう。
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