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第二章 マリーナフカの棺とハルの妖精
34:奥様(5)
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3日後、その日は朝から雨が降っていた。どんよりとした雲がアッシュフォードを丸ごと包み込む。
きっと、雨が止んだら一気に気温が下がるだろう。そろそろ雪が降り始める頃だ。
仲の良いメイドからそんな話をランは、洗濯物がさらに乾きにくくなることを嘆いた。
「アイシャ……、大丈夫か?」
満月に靄がかかり、美しい月も霞んで見える寒空の下。
雨は止んだものの、そのせいでより一層冷え込んだ空気を感じながらイアンの愛馬を撫でるアイシャに、彼は遠慮がちに声をかけた。
アイシャはくるりと振り返り、穏やかな笑みを見せる。
寒さ対策なのか、普段より着込んでいる彼女が雪だるまのようで可愛らしいが……、微笑みはいつもより作られたもののようだ。口角の上げ方がぎこちない。
「大丈夫です。たしかに馬は慣れていませんが、まさか私を落とすようなヘマはならさらないでしょう?」
「そんなことはしないが……、いや、そうじゃなくて……」
「ああ、司祭様のことですか?それも大丈夫です。シスター・マリンから、司祭様が今日、夜の散歩に行くことは聞いています。散歩ルートも確認しました。事前の計画と変更はありません」
「そうでもなく……」
「まあ司祭様の動きは把握できても、魔族側の動きは予想のしようもありませんので、今日がハズレならまた雨が降るまで待たないといけませんが……」
これからは雨も雪になるだろうから、動きやすさを考えても今日が当たりであることを願いたい。アイシャはそう言って笑った。
聞きたかったことはそんなことではないのだが、何も聞くなと言わんばかりの作り笑顔にイアンはそれ以上何も言えない。
(リズ……)
今日の作戦にリズベット・マイヤーは参加していない。割り切れそうもないからとメンバーから外したことはテオドールから報告を受けているが、それと関係があるのかないのか、最近のリズベットはアイシャのそばにいない。
アイシャが言うには疲れているようだからしばらく休みを与えたとのことらしいが、当の本人は騎士団の稽古にはきちんと出ている。
他にも護衛がいるので問題はないのだが……
(気になる……)
無礼がすぎるリズベットを寛容な心で受け入れていたアイシャだが、もしかすると不満が積もっていたのかもしれない。
3日前の二人の会話を知らないイアンは、幼馴染だからとリズベットの振る舞いを黙認して来た自分も悪かったなと反省した。
すると、『奥様』と呼ぶ声が聞こえた。
アイシャが振り返るとそこにいたのは正装をしたリズベットだった。
走って来たせいか、息が荒い。彼女から漏れる吐息は白く舞い上がる。
「ど、どうしたのよ、リズ。その格好……」
今日は目立たないよう皆、訓練着を着ているというのに。
正式な場でしか着ることのない飾りのついた正装に、アイシャは任命式の日の出来事を思い出した。
あの時は全力で否定されたが、またそうするつもりだろうか。アイシャは思わず身構えた。
しかし予想に反し、リズベットはその場に膝をつくとなぜか自身の剣を差し出した。
「リズ……?」
「奥様あなた様に騎士の誓いを」
まだ濡れた地面。泥がつくのも構わず、跪き頭を垂れるリズベット。
アイシャは驚いたように目を見開く。戸惑いながらもあたりを見渡すと、イアンもテオドールも、他の騎士達も幼い我が子を見守るように優しな微笑みを浮かべ、大きく頷いていた。
これは流れに身を任せろということか。
「リズ……」
アイシャは遠慮がちに剣を受け取った。
これがこの3日、彼女が考えに考え抜いた答えだろう。散々考えた末、アイシャについていくことを選んでくれたのだ。
誰よりも魔族に恨みを持つ彼女が、自分の中の恨む心を内にしまってまで選んでくれた。その事実にアイシャの目には涙が滲む。
「ありがとう、リズ」
アイシャはすうっと、冷たい空気を吸い込むと剣の平をそっと彼女の肩に置いた。
「汝、我欲を捨て大いなる正義のため、我が剣となることを望むか」
「はい、望みます」
「汝、我欲を捨て大いなる正義のため、我が盾となることを望むか」
「はい、望みます」
「神の名の下に、汝を我が騎士として任命する」
「我が主君に忠誠と服従を」
リズベットが顔を上げると、アイシャは本当に嬉しそうに笑った。
誓いは二度目だが、多分今回が真の意味での誓いと言えるだろう。
リズベット・マイヤーは名実ともにアイシャの騎士となった。
*
「……でも、リズ。残念だけど今日は連れて行けないわよ」
「え!?なんで!?」
剣を返されたリズベットは間の抜けた声を出した。
当然ついていくつもりで出てきたのに、それはあんまりだ。
しかし、そう訴えられてもアイシャにはどうすることもできない。
「なんでって、元々の数に入っていないもの。打ち合わせもしていないし。第一、正装なんて動きにくいでしょうに」
「そ、そんなぁ!」
さまざまな事態を想定して作戦を組んでいる。状況を把握出来ていない者は足手まといとなる可能性が高いため、連れては行けない。
アイシャたちは騒ぐリズベットに留守番を言い渡し、馬へと飛び乗った。
きっと、雨が止んだら一気に気温が下がるだろう。そろそろ雪が降り始める頃だ。
仲の良いメイドからそんな話をランは、洗濯物がさらに乾きにくくなることを嘆いた。
「アイシャ……、大丈夫か?」
満月に靄がかかり、美しい月も霞んで見える寒空の下。
雨は止んだものの、そのせいでより一層冷え込んだ空気を感じながらイアンの愛馬を撫でるアイシャに、彼は遠慮がちに声をかけた。
アイシャはくるりと振り返り、穏やかな笑みを見せる。
寒さ対策なのか、普段より着込んでいる彼女が雪だるまのようで可愛らしいが……、微笑みはいつもより作られたもののようだ。口角の上げ方がぎこちない。
「大丈夫です。たしかに馬は慣れていませんが、まさか私を落とすようなヘマはならさらないでしょう?」
「そんなことはしないが……、いや、そうじゃなくて……」
「ああ、司祭様のことですか?それも大丈夫です。シスター・マリンから、司祭様が今日、夜の散歩に行くことは聞いています。散歩ルートも確認しました。事前の計画と変更はありません」
「そうでもなく……」
「まあ司祭様の動きは把握できても、魔族側の動きは予想のしようもありませんので、今日がハズレならまた雨が降るまで待たないといけませんが……」
これからは雨も雪になるだろうから、動きやすさを考えても今日が当たりであることを願いたい。アイシャはそう言って笑った。
聞きたかったことはそんなことではないのだが、何も聞くなと言わんばかりの作り笑顔にイアンはそれ以上何も言えない。
(リズ……)
今日の作戦にリズベット・マイヤーは参加していない。割り切れそうもないからとメンバーから外したことはテオドールから報告を受けているが、それと関係があるのかないのか、最近のリズベットはアイシャのそばにいない。
アイシャが言うには疲れているようだからしばらく休みを与えたとのことらしいが、当の本人は騎士団の稽古にはきちんと出ている。
他にも護衛がいるので問題はないのだが……
(気になる……)
無礼がすぎるリズベットを寛容な心で受け入れていたアイシャだが、もしかすると不満が積もっていたのかもしれない。
3日前の二人の会話を知らないイアンは、幼馴染だからとリズベットの振る舞いを黙認して来た自分も悪かったなと反省した。
すると、『奥様』と呼ぶ声が聞こえた。
アイシャが振り返るとそこにいたのは正装をしたリズベットだった。
走って来たせいか、息が荒い。彼女から漏れる吐息は白く舞い上がる。
「ど、どうしたのよ、リズ。その格好……」
今日は目立たないよう皆、訓練着を着ているというのに。
正式な場でしか着ることのない飾りのついた正装に、アイシャは任命式の日の出来事を思い出した。
あの時は全力で否定されたが、またそうするつもりだろうか。アイシャは思わず身構えた。
しかし予想に反し、リズベットはその場に膝をつくとなぜか自身の剣を差し出した。
「リズ……?」
「奥様あなた様に騎士の誓いを」
まだ濡れた地面。泥がつくのも構わず、跪き頭を垂れるリズベット。
アイシャは驚いたように目を見開く。戸惑いながらもあたりを見渡すと、イアンもテオドールも、他の騎士達も幼い我が子を見守るように優しな微笑みを浮かべ、大きく頷いていた。
これは流れに身を任せろということか。
「リズ……」
アイシャは遠慮がちに剣を受け取った。
これがこの3日、彼女が考えに考え抜いた答えだろう。散々考えた末、アイシャについていくことを選んでくれたのだ。
誰よりも魔族に恨みを持つ彼女が、自分の中の恨む心を内にしまってまで選んでくれた。その事実にアイシャの目には涙が滲む。
「ありがとう、リズ」
アイシャはすうっと、冷たい空気を吸い込むと剣の平をそっと彼女の肩に置いた。
「汝、我欲を捨て大いなる正義のため、我が剣となることを望むか」
「はい、望みます」
「汝、我欲を捨て大いなる正義のため、我が盾となることを望むか」
「はい、望みます」
「神の名の下に、汝を我が騎士として任命する」
「我が主君に忠誠と服従を」
リズベットが顔を上げると、アイシャは本当に嬉しそうに笑った。
誓いは二度目だが、多分今回が真の意味での誓いと言えるだろう。
リズベット・マイヤーは名実ともにアイシャの騎士となった。
*
「……でも、リズ。残念だけど今日は連れて行けないわよ」
「え!?なんで!?」
剣を返されたリズベットは間の抜けた声を出した。
当然ついていくつもりで出てきたのに、それはあんまりだ。
しかし、そう訴えられてもアイシャにはどうすることもできない。
「なんでって、元々の数に入っていないもの。打ち合わせもしていないし。第一、正装なんて動きにくいでしょうに」
「そ、そんなぁ!」
さまざまな事態を想定して作戦を組んでいる。状況を把握出来ていない者は足手まといとなる可能性が高いため、連れては行けない。
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