【完結】アッシュフォード男爵夫人-愛されなかった令嬢は妹の代わりに辺境へ嫁ぐ-

七瀬菜々

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第二章 マリーナフカの棺とハルの妖精

35:司祭の独白

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 砦の厩舎に馬を置き、一行は壁沿いに東へと歩いた。そして湖近くの森の中に待機場所を設けた。
 簡易の天幕だけは張れたが、明かりはつけられないため天幕の中でもかなり寒い。

「大丈夫か?アイシャ」

 暖を取る術がない中、文句一つ言わないアイシャにイアンは手袋を渡した。
 すでに2枚しているのに、これ以上は入らないと彼女は困ったように笑う。

「大丈夫ですよ。これ以上手袋をはめては何もできませんわ」
「しかし、君はこの寒さに慣れていないだろう」
「最近はよく外にも出ていますし、もう随分慣れましたよ。だから大丈夫です。その……………イ、イアン、様……」

 アイシャはぎこちないながらも、イアンの目を見つめて名前を呼んだ。
 先程白湯を飲んだからか、潤いのある艶やかな唇で紡がれた自分の名前は、なんだかいつもより良いものに聴こえてイアンは頬を赤く染めた。
 
「アイシャ、慣れないなら……」
「い、いえ。私も名前でお呼びしたいと思っていましたから……。少し、恥ずかしいですけれど。でも大丈夫です。すぐに慣れますわ」
「そ、そうか……」
「はい……」

 甘酸っぱい沈黙が二人の間に流れる。どこかソワソワした空気は寒いはずの天幕の中を妙に暑くした。
 入り口を微かに開け、様子を伺っていたテオドールは声をかけるべきか悩んだ。
 だがしかし、悩んでいる暇などないと騎士の1人に頭をこづかれ、渋々声をかける。
 案の定、二人は顔を真っ赤にして何もしていないからと言い訳をした。
 本当に何もしていないのに、その言い訳をすると何かしていたみたいだ。テオドールは思わず半眼になった。

「この状況でもイチャつける精神に脱帽です。余裕ですね、奥様?旦那様?」
「違うから!」
「そうよ、違うから!」
「何が違うんですか……。まあいいですけど。来ましたよ、司祭様」
 
 その言葉に先程までの甘い空気は消え去り、ピリッと張り詰める。
 アイシャとイアンは顔を見合わせ、互いに頷いた。


 *


 気温が急激に下がったこともあり、湖は凍っていた。
 いつものように湖を訪れた司祭は、凍った水面に映る自分を見て嘲笑を浮かべる。
 自分は何をしているのだろう。何がしたいのだろう。この歳になって、それがわからなくなっていることが客観的に見ておかしかったのだ。
 
 おそらくはもう、潮時だろう。

 領主イアン・ダドリーが迎え入れた奥方はただ優しいだけのお嬢様ではない。
 首都の傲慢な貴婦人たちとは違い、淑やかだがとても聡明だ。あの領主は騙せても彼女を騙し通すことは難しいだろう。
 最近のマリンの様子を見る限り、もう勘付かれている可能性もある。
 司祭はそんなことを考えながら、いつものように墓に手を合わせた。

 それは司祭が一番初めに招き入れた魔族の子どもの墓。
 雪の降り積もる中、壁の向こうからこちらに子どもを押し込む女の必死な様子にただならぬ事情を察した司祭は、つい受け入れてしまった。
 人々から全てを奪っておきながら、自分の子どもは助けて欲しいなど烏滸がましいにもほどがある。そう思いながらも突き返すことができなかった。
 だって目の前にいるのは人間と変わらぬ容姿をした、まだあどけなさが残る小さな男の子。
 彼の見せる屈託のない笑顔に、司祭の心は大きく揺らいでしまった。この子に罪はあるのだろうか。そんな疑問を持たざるを得なかったのだ。

 幸いにも彼の容姿は魔族より人間に近かったため、司祭はうまく匿えば何とかなると思った。
 元々司祭の自室には誰も入らない。危険な薬品も置いてあるからと、シスターたちにも近づかないようきつく言いつけていた。
 司祭は日中はそこで彼を匿い、夜になると外へ出して少し散歩をさせる。そんな生活を繰り返しながら、彼にうまく人間に馴染ませる訓練を施した。

 知能が低いと思われていた彼は、ひと月後には人間らしく振る舞えるようになった。喋らなければ人間の子どもたちに混ざっても大丈夫だろう。そう判断した司祭はあの日、初めて陽の高いうちに彼を外へ出した。
 いつものように山の奥、湖の近くに散歩へ行った。
 
 きっとそれが間違いだったのだろう。司祭は失念していたのだ。彼の血の色を。

 彼は転んで岩に足をぶつけて怪我をした。もちろん、彼の膝から流れる血の色は青く……。
 そこにタイミング悪く居合わせた砦の兵は当然ながら、彼の首を刎ねた。
 どこから忍び込んだのだと、鬼の形相で。

 一瞬の出来事に、司祭は指一つ動かせなかった。

 その兵士の行動は当然と言えば当然だろう。子どもだろうと魔族なのだ。
 魔族から受けた傷もまだ癒えぬこの土地に、高く聳える壁をすり抜けて侵入した奴など、子どもだろうと恐ろしいに決まっている。全てを魔族に奪われたアッシュフォードの民なら尚更、敏感になっても仕方がない。
 だからその兵士の判断は正しく、責められるべきことは何もしていない。彼は仕事をしたまでだ。
 自分だって、多くのものを魔族に奪われた。それなのに魔族の子どもを受け入れるなど、それこそが本来おかしなことだったのだ。間違えていたのは自分の方なのだ。

 司祭はそう納得しようとした。

 けれど、司祭は存外彼を気に入っていたらしい。拙い発音で「じいさま」と呼ぶ彼を孫のように思っていたのかもしれない。
 だから少しだけ、ほんの少しだけ、納得できなかった。
 青い返り血を浴びた顔で、司祭に駆け寄る兵士。怪我はないかと心配そうに覗き込むその顔が、司祭は無性に腹立たしく感じた。
 
「そういうことが、何度かありました。報告が上がっていないのは兵士が隠したのでしょう。侵入を許したことをバレて責められるのが怖かったのかもしれません」

 背後に立つ人の気配に、司祭は勝手に話し始めた。

「そうやって何人が死んだところで、魔族はこちら側では生きられないのだと悟りました。でもあの子達はあちら側でも生きられないからこちらに来たのです。彼らが生きれる場所はどこにもありませんでした」
「だから殺したのか?わざわざ爆弾にして?」
「初めは出来心でした。負傷者が増えればお金が増えるとマリンか言うので」
「シスターのせいだと?」
「いいえ?私が傲慢だからです。最期くらい少し贅沢をしてみたかったのです」
「司祭殿は贅沢なんてしていないじゃないか」
「していますよ。こっそり高い酒を買ったり、さりげなく高い杖を買ったり。この間の最後の隊商キャラバンが来た時は金平糖をたくさん買いました」
「その程度を贅沢とは言わないぞ」
「はは。そうですか。私には贅沢だったのですが。まあでも、お金の使い方なんてよくわからないので、あとは弟にあげました。弟の方が有効にお金を使えますから」
「なあ、本当はどうしてこんなことをしたんだ」
「……さあ?もう全部無くなればいいと思っていたのかもしれません。いつか、自分の行動がバレてそれがきっかけでまた大きな争いが起これば、この地は崩壊し、全部終わらせられる。そう思ったのかもしれません」

 自分でも自分がよくわからない。
 ただひとつ言えることは、誰かが自分を殺してくれるのを待っていたということ。
 領主か、あるいはあの魔族の女か。
 自ら命を断つことを許さない神の代わりに、誰かがこの馬鹿げた人生を終わらせてくれるのをずっと待ち望んでいた。

 いつのまにか騎士に囲まれていた司祭は、膝をついたまま後ろを向く。
 そしてイアンの前で両手を後ろに組み、微笑んだ。

 とても穏やかに、やり遂げたように。

「とても残念だよ。司祭殿」
「申し訳ありません、領主様」

 謝っているのに、心底安堵したように笑う彼にイアンは苦虫を噛み潰したような顔をした。

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