35 / 36
35:エピローグ
しおりを挟むそれはグレイスたちの件が解決解決して数日後昼過ぎのこと。アンリエッタは来週の王宮の舞踏会に備えて新調した新作のドレスの試着で疲れ果てていた。
「来週の舞踏会を皮切りに、社交シーズンが始まりますけれど、そんなことで大丈夫です?」
コンサバトリーのソファでぐったりとして寝転ぶ主人に、ニコルは呆れ顔で紅茶とクッキーを差し出した。
「体力なさすぎませんか?きっと運動不足ですよ」
「違うわよ。この気だるさは精神的なものよ」
「精神的……」
「今年は何を言われるのかしら。それが気がかりでね」
去年までとは違い、今年は婦人だけのお茶会を除けば、ほぼ全ての社交場にクロードを連れて行かねばならない。
平民の夫を連れ立って、王宮や貴族邸に赴くのは正直なところ気が重い。
「私は何を言われても平気というか、慣れているから問題ないけれど、彼は違うでしょ?だから……」
「いやいやいや。絶対に陰口くらいで傷つくタイプではないでしょう」
過酷な環境で生まれ育ち、そこから這い上がってきた男だ。貴族の遠回しな陰口でいちいち傷ついていたら身がもたない事くらい、クロードもわかっているだろう。ニコルは心配ないかと、と大きな窓の外を指差した。
すると、そこには忙しそうに庭師に指示を出すクロードの姿があった。
「あれは何をしているの?」
「お庭の模様替えですよ。王宮のバラ園風にしたいそうです」
「何でまた……」
「え、忘れたんですか?」
「何が?」
「奥様が言ったんじゃないですか。つい2日前の夕食時に、王宮のバラ園は素敵だったと」
「あー、あれね……」
そういえば、王宮での舞踏会について説明しているときに、何気なくそんなことを言った気がする。
だがまさかそれを聞いて、また無駄に金を使うだなんて誰も思わないだろう。
アンリエッタは額を抑え、呆れたように肩を落とした。
「愛されてますね」
「そういう問題じゃないでしょう。また無駄遣いをして」
「いいじゃないですか。お金は持ってる人が使わないと、経済が回らないですから」
「物は言いようね。それより、今日仕事は?午後から事務所の方に行くって言ってなかったかしら」
「そういえば仰ってましたね。忘れているのかも。聞いてみますね」
ニコルは窓を開けてクロードを呼んだ。
「旦那様ー、奥様がお呼びですー」
「ちょっと、ニコル。どうして私の名前を使うのよ」
「その方が効率が良いからですよ。ほら、ね?」
ニコルは得意気に鼻を鳴らして窓の外を見ろと言う。
アンリエッタが渋々窓に近づくと、クロードはニコルの言う通り、嬉しそうな顔をしてこちらに向かって来ていた。
「……まるで犬だわ。イメージは、そうね。ラブラドール・レトリバーかしら。黒い毛並みのね」
「フラットコーデッドじゃなくて?」
「あら、どうして?」
「なんか猟犬っぽいじゃないですか。狙った獲物は逃さない的な?」
狙われた獲物とはもちろん、アンリエッタのことである。
ニコルはアンリエッタの方を見て、意地悪そうにニヤリと口角を上げた。
「この間は見事に狩られましたね。貪られて屍になってました」
「………………うるさいわよ、ニコル」
「何の話をしているんだ?」
「犬の話よ」
「犬?飼いたいのか?」
「もう飼っているから必要ないわ」
「それって、どういう意味?」
「比喩表現よ」
「……?」
途中からかしか会話を聞いていないクロードは首を傾げた。
その仕草が可愛く思えたアンリエッタはぐっと眉間に皺を寄せる。悔しい。
「何でそんな顔をするんだよ」
「あなたが悪い」
「はあ?」
「それより、いいの?午後から事務所に顔を出さないといけないって言ってなかった?」
「………そ、そんなこと言ったか?」
「目を逸らしたということはサボりということね?」
「違う。サボりじゃない。ミゲルに任せているだけだ。何があれば連絡が来るから大丈夫だ」
「任せるというより、押し付たという感じね。そういう事をしていると、そのうち辞めちゃうかもしれないわよ?彼」
「辞めないさ。あいつは俺のこと好きだからな」
「何それ。あまり調子に乗っていると痛い目を見るわよ?」
アンリエッタは呆れたようにため息をこぼし、庭園の奥に見える裏門を指差した。
するとそこには、屋敷に向かって大股で歩くミゲルがいた。
顔はよく見えないが、歩き方を見る限りではかなり怒っているようだ。
「お迎えよ、クロード」
「げっ……」
クロードは心底嫌そうな顔をして、胸ポケットにしまっていた懐中時計を確認した。
そしてアンリエッタの方をじっと見上げると、少し屈むよう促した。
「ん?何?」
「いいから。もう少しこっちに」
「ええ。わかったわ」
アンリエッタは促されるがまま窓から身を乗り出した。
クロードは少し背伸びをすると、アンリエッタの髪を耳にかけた。
そしてキョトンとした顔をするアンリエッタに、チュッと音を立てて啄むようなキスをした。
アンリエッタは一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
「……なっ!?」
「好きだよ、エッタ。また夜にな」
「ちょっと!!」
不意打ちをつかれたアンリエッタは咄嗟に叫んだ。 ほのかに顔が赤い。どうやらキスはまだ慣れないらしい。
クロードはそんな彼女の様子に満足気な表情を浮かべて、正門の方へと駆けていってた。きっとミゲルに鉢合わせる事なく事務所に行くつもりなのだろう。
「やめてよ、もう」
アンリエッタは早くなる鼓動の音を隠すように、胸の辺りをギュッと抑えた。
想いが通じ合ってからずっとこんな調子だ。何度キスをしても慣れない。拗らせた恋はすんなりと自分の中に入って来てくれない。
ずっとソワソワして落ち着かない。これではまるで思春期の恋だ。
「…………私も好きだよ、ばか」
アンリエッタは小さく呟いた。
「奥様、私のこと忘れてません?」
いつの間にか、完全に蚊帳の外へと投げ出されていたニコルは、不服そうに唇を尖らせた。
その声にハッとしたアンリエッタは顔を真っ赤にして、ニコルの方を見る。
ニコルは当然、ニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
「良かったですねぇ」
「う、うるさい!!」
「いやぁ、本当に良かった良かった。うんうん」
幸せそうで、良かった。
ニコルは心の底からそう思った。
(END)
277
あなたにおすすめの小説
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。
君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】
ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る――
※他サイトでも投稿中
時が巻き戻った悪役令嬢は、追放先で今度こそ幸せに暮らしたい
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【その断罪、待っていました!】
私は侯爵令嬢オフィーリア・ドヌーブ。王太子アシル・バスチエの婚約者だった。良い国母になる為、日々努力を怠らなかった。そんなある日、聖女を名乗る女性ソネットが現れ、あっという間にアシルは彼女に夢中になってしまう。妃の座を奪われることに危機感を抱いた私は、ありとあらゆる手段でソネットを陥れようとして失敗。逆に罰として侯爵家から除籍され、辺境の地へ幾人かの使用人達と共に追放されてしまう。追放先の村での暮らしは不便だったが、人々は皆親切だった。けれど元侯爵令嬢というプライドから最後まで私は素直になれなかった。そんな自分に後悔しながら長い時を孤独に過ごしていたある日。不思議な懐中時計の力によって、何故か断罪の真っ最中に時が巻き戻っていた。聖女への嫌がらせは無かったことに出来ない。それなら今世はおとなしく追放されて和やかに過ごそう。今度こそ幸せに暮らす為に——
※他サイトでも投稿中
言いたいことは、それだけかしら?
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【彼のもう一つの顔を知るのは、婚約者であるこの私だけ……】
ある日突然、幼馴染でもあり婚約者の彼が訪ねて来た。そして「すまない、婚約解消してもらえないか?」と告げてきた。理由を聞いて納得したものの、どうにも気持ちが収まらない。そこで、私はある行動に出ることにした。私だけが知っている、彼の本性を暴くため――
* 短編です。あっさり終わります
* 他サイトでも投稿中
お二人共、どうぞお幸せに……もう二度と勘違いはしませんから
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【もう私は必要ありませんよね?】
私には2人の幼なじみがいる。一人は美しくて親切な伯爵令嬢。もう一人は笑顔が素敵で穏やかな伯爵令息。
その一方、私は貴族とは名ばかりのしがない男爵家出身だった。けれど2人は身分差に関係なく私に優しく接してくれるとても大切な存在であり、私は密かに彼に恋していた。
ある日のこと。病弱だった父が亡くなり、家を手放さなければならない
自体に陥る。幼い弟は父の知り合いに引き取られることになったが、私は住む場所を失ってしまう。
そんな矢先、幼なじみの彼に「一生、面倒をみてあげるから家においで」と声をかけられた。まるで夢のような誘いに、私は喜んで彼の元へ身を寄せることになったのだが――
※ 他サイトでも投稿中
途中まで鬱展開続きます(注意)
転生先がヒロインに恋する悪役令息のモブ婚約者だったので、推しの為に身を引こうと思います
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【だって、私はただのモブですから】
10歳になったある日のこと。「婚約者」として現れた少年を見て思い出した。彼はヒロインに恋するも報われない悪役令息で、私の推しだった。そして私は名も無いモブ婚約者。ゲームのストーリー通りに進めば、彼と共に私も破滅まっしぐら。それを防ぐにはヒロインと彼が結ばれるしか無い。そこで私はゲームの知識を利用して、彼とヒロインとの仲を取り持つことにした――
※他サイトでも投稿中
【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】
佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。
新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。
「せめて回復魔法とかが良かった……」
戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。
「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」
家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。
「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」
そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。
絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。
これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる