元禄怪奇余話~千年の復讐

仮面の雪影

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将軍の御成り

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「上様の御成り」
 ここは江戸城大奥である。昼四つ(午前十時)いよいよ将軍が奥入りし、朝の惣触れといわれる儀式がおこなわれる。
 将軍が中奥から大奥へと、御鈴廊下をわたって姿をあらわす。やかましいほどの鈴が鳴らされ襖が開く。いつも変わらぬ江戸城の日常である。
 中臈・お年寄り他、お目見え以上の女中たちが、頭を低くして将軍をむかえる。お目見え以上とは、将軍に直接拝謁できる身分である。
 季節は春である。女中たちはそれぞれ桜、梅、鶯、あれいは源氏物語や竹取物語を題材にした打掛、小袖をはおって将軍を出むかえる。その有様は実に圧巻といっていい。
「これが将軍様か?」
 初めて将軍を見た者の中には、思わず失笑してしまう者もいた。
五代将軍綱吉は五十代半ばにもなるが、背丈がおよそ百二十四センチほどしかなかったのである。
 将軍の背後には生母の桂昌院が、白輪子地梅洲浜模様小袖に身を包み、ゆっくり廊下を進む。そこからわずかに距離をおいて、御台所の鷹司信子が鯉をあしらった打掛に身をつつみ静々と歩いた。
 
 この頃、女の園である大奥には、二つの派閥があった。
 一つは綱吉の母桂昌院と、側室お伝の方の派閥である。お伝の方は、黒鍬者といわれる極めて身分が低い武士の娘であったといわれる。元は桂昌院の侍女でもあった。彼女は綱吉の嫡男徳松を産んだことから、その地位は確固たるものとなったかに思えた。
 ところが、それを快く思わない者もいた。綱吉の正室鷹司信子である。徳川家は、代々の将軍の正室を京の公家の名門からむかえた。信子もまた公家、鷹司家の出である。
 信子はやはり公家の出だけあって、何事につけ気位が高く、礼儀作法にもうるさかった。さしもの綱吉も持てあまし気味であり、そのため結婚して何年にもなるのに、二人の間に子はない。
 信子には焦りがあった。このままでは自分は、まったくもって形だけの御台所になってしまう。そこで信子は、都より右衛門佐という和歌や古典、歌舞音曲にも通じた才女を呼び寄せる。たちまち上臈お年寄りの地位に登った右衛門佐は、信子の思惑通り、綱吉の心をつかむことに成功する。
 しかも桂昌院とお伝にとっての痛恨事は、将軍家の世継ぎとして将来を嘱望された徳松が、わずか四歳で急逝したことだった。これは綱吉にとっても痛恨事であり、将軍家に新たな世継ぎの誕生が待ち望まれた。かくして二つの派閥の争いは、さらに激しいものとなるのだった。

 さて将軍綱吉の奇妙さは、しばしば家臣の屋敷に自ら足をはこんだことだった。能や歌舞伎などを楽しんだり、あれいは儒学の講義などもおこなったという。
 一番頻繁に将軍の「御成り」を受けたのは、やはり吉保だった。もちろんお忍びでの御成りとはいえ、数カ月前から将軍の来訪は吉保につたえられている。
 神田橋の吉保の屋敷では、将軍の訪問にそなえて、北の御殿・中の屋・西及び東の御殿などの工事が急ピッチで進められた。
 そしてついにその日は来た。
 昼過ぎ、将軍は柳沢邸に姿を現す。吉保の侍従等が、屋敷の門の前までうやうやしく綱吉を出迎える。
 綱吉が中の御殿の御座に座ると、吉保が太刀をささげて拝礼する。この後、将軍から吉保と側近家族に太刀や酒、他に多くの祝いの品が贈呈された。その後は休息の間に入り、学問好きの綱吉による儒学の講義が行われる。
 それも終わると能の鑑賞会である。「難波」、「橋弁慶」、「乱れ」などの能が催され、特に橋弁慶では、吉保自らが能を舞って見せた。
 能も一段落すると、吉保の家族が将軍を出迎える。その中に四歳になる吉保の嫡男太郎の姿もあった。太郎は成人して、後に柳沢吉里と名乗ることとなる。様々な紆余曲折の末、享保九年(一七二四)、大和郡山藩の初代藩主になる人物である。
「太郎か……」
 将軍の表情が豹変し、何事かをうれえるような表情となった。
「そなたは何歳になる」
「四つになりまする」
 と太郎は元気に答えた。
「似ておる……」
 将軍はぼそりと言った。事情を知らない吉保の小姓などは、太郎が吉保に似ているという意味であろうと思った。しかし将軍の真意は違っていた。
 この後、食事となり酒もでた。ところがである。膳の中に鳥の澄まし汁があるのを見ると、将軍の表情が一変した。
「不愉快だ! 余は帰るぞ!」
「上様! お待ちを!」
 吉保が止めるのも聞かず、綱吉は席を蹴ってしまった。
 綱吉による、世にも有名な「生類憐みの令」の発布は三年ほど前のことだった。以来、鳥類や貝類の調理は厳禁となっていたのである。
「殿、申し訳ございませぬ」
 あまりのことに調理にあたった吉保の妻定子は、泣いて吉保にわびをいれた。しかし、調理に関与した者一人一人にたずねても、かような物を食事にいれた覚えはないという。そのため吉保は、ある人物の仕業ではと疑った。

 その夜のことだった。由希は吉保の夢枕に再び姿をあらわした。
「またそなたの悪ふざけか! 食事にあのようなものを混入するとは」
 夢の中ながら吉保は、怒りを必死におさえながらいった。
「あのような真似をしたところで、わしと上様の仲をさくことなどできぬぞ!」
「許せ、許せ、今の世を知れば知るほど滑稽であったのでのう」
 と由希は、いかにも愉快そうにいう。
「それはそうと、わらわは仇をついに見つけたぞ。あの憎き右大臣家里は、今だ生まれ変わることができず、何者かに乗りうつり魂をつないでおる。なれど他に二人仇がおり、すでに生まれ変わっておる。わらわは必ず、かの者等に無念を晴らす」
「それは一体何者?」
「人の魂というものは、己と似たような星の下に生まれた者によく取り憑くし、取り憑きやすい。そして前世の己と、似たような運命を歩む者に魂が宿り、生まれ変わるものじゃ。また力ある者は力ある者に生まれ変わり、貧しい者は貧しい者に生まれ変わる」
「つまり何がいいたいのだ?」
「今日のそなたの嫡男太郎を見る将軍の目、あれは赤の他人を見る目ではなかったのう。母親は確か染子とか申したかのう。そして父は……」
 と由希は、今まで以上に底意地の悪い目をした。この時の吉保の動揺は尋常ではなかった。己と将軍と一部の周囲の者しか知らぬ太郎の出生の秘密を、この化物は知っている。この者の口を封じなければならぬと思った。
「それにしても、染子とかいう女子もあわれよのう。いつの世でも、おなごは殿御にいいように利用される」
「そなた染子を! よもや染子をどうするつもりじゃ!」
 しかし由希はそれには答えず姿を消した。そして吉保は夢から覚めた。汗をどっぷりとかいていた。
 やがて異変は将軍の周囲で、そして問題の染子の周囲でも次から次へとおこるのだった。
 
(ちなみに徳川綱吉の身長についてですが、愛知県岡崎市にある大樹寺に、徳川歴代将軍の位牌があります。この位牌は亡くなった時の身長と同じサイズで作られているとのことです。
 そして綱吉の位牌は124㎝であることから、綱吉は当時の成人男性の平均身長155㎝よりも極めて小さく低身長症だったのでは?と言われています。
 もちろん今となっては本当のことはわかりません。徳川家の菩提寺は東京に二つあり、一つは芝の増上寺、今一つが上野の寛永寺です。綱吉の遺体は寛永寺に安置されています。   
 増上寺に埋葬されている将軍は実際の遺体の調査などもおこなわれ、二代将軍秀忠などは、問題の大樹寺の位牌と身長がピタリと一致するそうです。果たして真偽のほどはどうなのか?歴史の謎の一つです)
 
 



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