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18.澱
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快晴の薔薇園。中央の池に設置された東屋。
風まで甘く香るその中で、二人はティーテーブルを挟んで向かい合っていた。
香り高い紅茶と音もなくサーブされる菓子類を味わいながら、歓談を楽しむ。近況を語り合い、囁くように愛を告げる。
絵にかいたような茶会だ。
結婚前の婚約者同士が交わす逢瀬としては、理想的すぎるほど理想的な仕上がり。
だからこそ、サラージュは疑問に思う。
――どういうことだろう、これは。
「あの、殿下?」
「どうした? サラージュ」
「……いいえ、わたくしの思い違いでした。お気になさらず」
「そうか」
意を決して訊ねようと思えど、その返答のあまりの穏やかさについ尻込みする。
嫋やかな笑みの下で、少女はさらに深く首をひねった。
(……おかしいわね?)
アレクシスが大人しい。
久方ぶりの再会ともなれば、それこそ尻尾が千切れてしまいそうなくらいにブンブンと振りながら駆け寄ってくるものと思っていたが、そんな様子がまるでない。
いつものように跪くこともなく、至極一般的な距離を保って貴公子然とした顔で茶会らしい茶会を淡々と進めていく。
あのような躾を行ったり、あるいはあの部屋に留まらなかったサラージュのことを嫌になったのか。と一瞬思ったが、態度が冷たいわけではないことが余計にサラージュの困惑を誘った。
眼差しや声はいつも以上にどろりと甘く、小さなティーテーブルの上で手遊びのように指を絡めたりもする。尻尾もぱたりぱたりと上機嫌に揺れているので、演技という線は薄いだろう。
だが、それ以上はなにもなかった。
(躾の効果があったのかしら)
そうだとしたら、予想外の成果だ。精々涙の頻度が減る程度だろうと思っていたのだから。
いつもより香り高く感じる紅茶を口に含み、サラージュは小さく微笑んだ。
「今日の紅茶は誰が?」
ふいに、アレクシスが控えていた侍従に声をかけた。
慌てた様子の侍従とは正反対に、彼の表情は柔らかい。
(ああ、殿下も気に入られたのね。それにつけても、わざわざお聞きになるなんて珍しいけれど)
サラージュの気分の問題ではなく、今日の紅茶は格段に美味だ。淹れた者が気になってしまうのも理解できる。
侍従に促されて進み出たメイドに言葉をかけるアレクシスの横顔を眺めながら、再度紅茶を飲む。深みと華やかさ、そして後味のバランスまで完璧。菓子との釣り合いも取れている。
(うん。美味しい。最近イリスのところから移動してきた子かしら。……うちの子の指南に呼びたいわね)
アレクシスの実妹でありサラージュの親友でもあるイリスは美味しい物が大好きだ。個人の趣向や発現種族を問わない『最高の美味』を発見したいのだと豪語している。各地で腕の立つ料理人の噂を聞いてはお忍びで味のチェックに走りまわるのは勿論のこと、腕はあるのに商売が下手な料理人を見つけたならば召し抱えることも少なくない。そのまま面倒を見ることもあれば、あるいは本人の希望に合わせて職を斡旋したりもする。
最近では食に多かれ少なかれ関わることになる従者たちはイリスの宮で研修を行うようになっているという。サラージュが王城で過ごすようになって一年の間にもどんどん食のクオリティが向上していっているのは、間違いなくそのおかげだろう。
「――、そうか、ありがとう。下がっていいぞ」
「そんなに気に入られましたか?」
「うむ。いつものことながらイリスの目利きは凄まじいな」
「凝り性ですものね、あの子」
「この後会うのならば、代わりに伝えてくれるか?」
「喜んで。けれど、直接伝える方が喜ばれるんじゃなくて?」
別に仲が悪いわけではないのだから自分で伝えるに越したことはないだろう。と軽い気持ちで言えば、なぜかアレクシスが口をまごつかせた。妹御と同じライトグリーンの瞳がつつっと横に流れる。
「あー……そのうちには」
「あら。怒らせたの? いけない方ね」
以前イリスの逆鱗に触れて泣きついてきたときの表情によく似ていたので、からかうようにちょんっと鼻をつつく。
イリスは各地を飛び回ってきたおかげもあって他人との距離感覚を取るのが抜群に上手いため、喧嘩となるとアレクシスの方が不興を買った確率が高い。仮にアレクシスが怒ったにせよ、気まずそうな顔からするに彼自身も非があると自認している類だろう。
そういう時に手早く彼らを仲直りさせるためにからかい交じりに背を押すのもサラージュの役目だった。親友と婚約者が喧嘩すれば仲介役になるのは目に見えているので、遅いか早いかの違いだ。
鼻をつついて、行ってらっしゃいと背を押して、仲直りしたふたりを出迎える。
それまでがワンセット。無言のうちのお約束――だったのだけれど。
「――っ、ああ、」
ひゅ、と鋭い呼吸音と共に、わずかにアレクシスの体が遠のいた。その表情は微笑んでいるもののどこか硬い。
「……? 殿下、どうかされたので、」
「大丈夫だ。心配してくれてありがとう。そうだな、大事をとって休むとしよう」
「……ええ、どうかお大事にね?」
矢継ぎ早に言葉を紡いだアレクシスの背中を見送りながら、サラージュはこてんと首を傾げた。
(ううん……なにかしら、この感じ)
これまで感じたことのない、靄のような違和感が胸をざわめかせた。
風まで甘く香るその中で、二人はティーテーブルを挟んで向かい合っていた。
香り高い紅茶と音もなくサーブされる菓子類を味わいながら、歓談を楽しむ。近況を語り合い、囁くように愛を告げる。
絵にかいたような茶会だ。
結婚前の婚約者同士が交わす逢瀬としては、理想的すぎるほど理想的な仕上がり。
だからこそ、サラージュは疑問に思う。
――どういうことだろう、これは。
「あの、殿下?」
「どうした? サラージュ」
「……いいえ、わたくしの思い違いでした。お気になさらず」
「そうか」
意を決して訊ねようと思えど、その返答のあまりの穏やかさについ尻込みする。
嫋やかな笑みの下で、少女はさらに深く首をひねった。
(……おかしいわね?)
アレクシスが大人しい。
久方ぶりの再会ともなれば、それこそ尻尾が千切れてしまいそうなくらいにブンブンと振りながら駆け寄ってくるものと思っていたが、そんな様子がまるでない。
いつものように跪くこともなく、至極一般的な距離を保って貴公子然とした顔で茶会らしい茶会を淡々と進めていく。
あのような躾を行ったり、あるいはあの部屋に留まらなかったサラージュのことを嫌になったのか。と一瞬思ったが、態度が冷たいわけではないことが余計にサラージュの困惑を誘った。
眼差しや声はいつも以上にどろりと甘く、小さなティーテーブルの上で手遊びのように指を絡めたりもする。尻尾もぱたりぱたりと上機嫌に揺れているので、演技という線は薄いだろう。
だが、それ以上はなにもなかった。
(躾の効果があったのかしら)
そうだとしたら、予想外の成果だ。精々涙の頻度が減る程度だろうと思っていたのだから。
いつもより香り高く感じる紅茶を口に含み、サラージュは小さく微笑んだ。
「今日の紅茶は誰が?」
ふいに、アレクシスが控えていた侍従に声をかけた。
慌てた様子の侍従とは正反対に、彼の表情は柔らかい。
(ああ、殿下も気に入られたのね。それにつけても、わざわざお聞きになるなんて珍しいけれど)
サラージュの気分の問題ではなく、今日の紅茶は格段に美味だ。淹れた者が気になってしまうのも理解できる。
侍従に促されて進み出たメイドに言葉をかけるアレクシスの横顔を眺めながら、再度紅茶を飲む。深みと華やかさ、そして後味のバランスまで完璧。菓子との釣り合いも取れている。
(うん。美味しい。最近イリスのところから移動してきた子かしら。……うちの子の指南に呼びたいわね)
アレクシスの実妹でありサラージュの親友でもあるイリスは美味しい物が大好きだ。個人の趣向や発現種族を問わない『最高の美味』を発見したいのだと豪語している。各地で腕の立つ料理人の噂を聞いてはお忍びで味のチェックに走りまわるのは勿論のこと、腕はあるのに商売が下手な料理人を見つけたならば召し抱えることも少なくない。そのまま面倒を見ることもあれば、あるいは本人の希望に合わせて職を斡旋したりもする。
最近では食に多かれ少なかれ関わることになる従者たちはイリスの宮で研修を行うようになっているという。サラージュが王城で過ごすようになって一年の間にもどんどん食のクオリティが向上していっているのは、間違いなくそのおかげだろう。
「――、そうか、ありがとう。下がっていいぞ」
「そんなに気に入られましたか?」
「うむ。いつものことながらイリスの目利きは凄まじいな」
「凝り性ですものね、あの子」
「この後会うのならば、代わりに伝えてくれるか?」
「喜んで。けれど、直接伝える方が喜ばれるんじゃなくて?」
別に仲が悪いわけではないのだから自分で伝えるに越したことはないだろう。と軽い気持ちで言えば、なぜかアレクシスが口をまごつかせた。妹御と同じライトグリーンの瞳がつつっと横に流れる。
「あー……そのうちには」
「あら。怒らせたの? いけない方ね」
以前イリスの逆鱗に触れて泣きついてきたときの表情によく似ていたので、からかうようにちょんっと鼻をつつく。
イリスは各地を飛び回ってきたおかげもあって他人との距離感覚を取るのが抜群に上手いため、喧嘩となるとアレクシスの方が不興を買った確率が高い。仮にアレクシスが怒ったにせよ、気まずそうな顔からするに彼自身も非があると自認している類だろう。
そういう時に手早く彼らを仲直りさせるためにからかい交じりに背を押すのもサラージュの役目だった。親友と婚約者が喧嘩すれば仲介役になるのは目に見えているので、遅いか早いかの違いだ。
鼻をつついて、行ってらっしゃいと背を押して、仲直りしたふたりを出迎える。
それまでがワンセット。無言のうちのお約束――だったのだけれど。
「――っ、ああ、」
ひゅ、と鋭い呼吸音と共に、わずかにアレクシスの体が遠のいた。その表情は微笑んでいるもののどこか硬い。
「……? 殿下、どうかされたので、」
「大丈夫だ。心配してくれてありがとう。そうだな、大事をとって休むとしよう」
「……ええ、どうかお大事にね?」
矢継ぎ早に言葉を紡いだアレクシスの背中を見送りながら、サラージュはこてんと首を傾げた。
(ううん……なにかしら、この感じ)
これまで感じたことのない、靄のような違和感が胸をざわめかせた。
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