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19.親友は恋バナがお好き
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「それは恋じゃない? ラージェ」
きりりとした表情を作っているがキラキラしたライトグリーンの瞳を隠しきれていない親友イリス・ガイナシウス・ファーレンを前にして、サラージュは静かに口に含んでいた紅茶を嚥下した。
先日アレクシスに覚えた違和感を相談しただけなのだが、途中から妙に彼女のテンションが上がっていってこの有様だ。一体何にここまで興奮しているのか。
「イリス。わたくしの初恋は殿下よ? 今更でしょう」
別に秘密にしているわけでもない情報をあえて釘を刺すように告げれば、イリスはなにやら口をもぞつかせた。本人の証言であるというのに、いったい何を反論しようというのだろう。
そう思いながら眺めていると、ひどく飲み込みにくい食材を口にしたような表情とともにようやくその唇が動き出した。
「ううん……ちょっと違うと思うなあ」
いつもはテキパキとモノを言う子なのだが、どうにも今日は歯切れが悪い。
常らしからぬその仕草に眉根を寄せれば、「あくまで私から見た感覚なんだけどね」とハニーブロンドの巻毛を揺らしながらイリスがじっとこちらを見た。
日に透ける葉のように濁ったところのないグリーンアイの透明なまなざしに貫かれ、妙に居心地が悪い。
「だって、ラージェあなた。これまでにいさまにどう思われようと、どうでもよかったでしょ」
責める色こそないが、切れ味の鋭い声だった。
反駁しようとした言葉は形にならなかった。代わりに心臓がぎくりと跳ねる。思い当たる節などないというのに。
腕のいい射手の例にもれず、サラージュは心拍の影響を表出させない術を心得ている。
それでも、続く言葉を探すのにわずかながらのラグが生まれた。――その異常を認識しながら、サラージュは目を逸らすように『いつも通り』を選択する。
「どうでもよくはないわ。ご気分を害さないように気を付けているもの。だから……あの殿下の表情が気になるの」
「にいさまは別に気分なんて害していないと思うけどな。今朝お話したけれど、ラージェの惚気だったし」
通常運転ってことね。とイリスが笑う。けれど、サラージュは納得できない。
気分を害したのでないならば、なぜあんな顔をしたというのか。
「……わからないわ」
アレクシスが何を考えているのか。
自分がどうしてこんなにも些細なことで揺れているのか。
わからなくて、煩わしい。
苦々しく呟いたサラージュの手を、そっとイリスが掬い取る。
「ねえ、ラージェ。月のようなあなた。――役目に忠実なの素敵だけれど、あなた自身の欲が見えないのを寂しく思う人はひとりじゃないよ」
思わず、柔らかな手を弾いた。
希うようなその言葉に唇が震える。そんな語り口はやめてほしい。
サラージュ・ネクタルは、無私の聖人などには程遠いのだから。
慈しむようなイリスの体温を受け取ることから逃げた手を、胸元で抱きしめる。
ライトグリーンの目を、真っすぐに見れない。
「……欲なら、あるわ」
「あら、どんなこと?」
「この国の平穏」
「それは誰もが想うこと。欲というには恒久的過ぎる。私が言っているのは、もっと至極個人的で、即物的で、どろりとした蜜のように喉に絡みつく、中毒性のある感情のお話」
食に貪欲な少女の声が、重く怪しく鼓膜を揺らした。
「――だめよ。そんなの」
「なぜ?」
「なぜって、」
ズキリと、頭が痛んだ。
***
言葉に窮し、魚のようにはくはくと口を開閉する親友を前に、イリスは痛ましげに長い睫毛を伏せた。
こんなサラージュを見るのは、はじめてだ。
「……ラージェ。凛々しい、私の大好きな親友さん」
サラージュの傷がどんなものか、イリスは知らない。
誰にも見せないことが彼女の矜持であると知っているから、その存在に気付きながらも触れることを避けてきた。内臓を見せあうような痛みは避けて、陽だまりであたため合うことこそが二人の友情の形だった。
それ自体に後悔はない。必要で、自分たちには一番合っている形だった。
それでも、顔を合わせた瞬間、このままにしてはいけないと直感がざわめいた。
――このままでは、サラージュも兄も、傷んでしまう、と。
だから、一歩だけ踏み込ませてもらった。
会話の流れで恋だとか詰めたが、正直に言えばなんでもいい。兄にかけた発破と同じようなものだ。
最高の食材が不味くなっていくのを見るのは耐えがたい。
けれど、イリスでは彼女は救えない。自分にできるのはいつだって、凍える彼女が動けるようになるまであたためて、背を押してやることだけだ。
「にいさまを見ろとは言わないけれど、せめて自分のことは愛してあげて」
親友の痛みを拭えるのが自分ではない口惜しさはあるけれど、イリスにできるのはここまでだ。
あとは不愛想な弟に任せるとしよう。
動き出すかどうかを決めるのは、サラージュ本人だけれど。
きりりとした表情を作っているがキラキラしたライトグリーンの瞳を隠しきれていない親友イリス・ガイナシウス・ファーレンを前にして、サラージュは静かに口に含んでいた紅茶を嚥下した。
先日アレクシスに覚えた違和感を相談しただけなのだが、途中から妙に彼女のテンションが上がっていってこの有様だ。一体何にここまで興奮しているのか。
「イリス。わたくしの初恋は殿下よ? 今更でしょう」
別に秘密にしているわけでもない情報をあえて釘を刺すように告げれば、イリスはなにやら口をもぞつかせた。本人の証言であるというのに、いったい何を反論しようというのだろう。
そう思いながら眺めていると、ひどく飲み込みにくい食材を口にしたような表情とともにようやくその唇が動き出した。
「ううん……ちょっと違うと思うなあ」
いつもはテキパキとモノを言う子なのだが、どうにも今日は歯切れが悪い。
常らしからぬその仕草に眉根を寄せれば、「あくまで私から見た感覚なんだけどね」とハニーブロンドの巻毛を揺らしながらイリスがじっとこちらを見た。
日に透ける葉のように濁ったところのないグリーンアイの透明なまなざしに貫かれ、妙に居心地が悪い。
「だって、ラージェあなた。これまでにいさまにどう思われようと、どうでもよかったでしょ」
責める色こそないが、切れ味の鋭い声だった。
反駁しようとした言葉は形にならなかった。代わりに心臓がぎくりと跳ねる。思い当たる節などないというのに。
腕のいい射手の例にもれず、サラージュは心拍の影響を表出させない術を心得ている。
それでも、続く言葉を探すのにわずかながらのラグが生まれた。――その異常を認識しながら、サラージュは目を逸らすように『いつも通り』を選択する。
「どうでもよくはないわ。ご気分を害さないように気を付けているもの。だから……あの殿下の表情が気になるの」
「にいさまは別に気分なんて害していないと思うけどな。今朝お話したけれど、ラージェの惚気だったし」
通常運転ってことね。とイリスが笑う。けれど、サラージュは納得できない。
気分を害したのでないならば、なぜあんな顔をしたというのか。
「……わからないわ」
アレクシスが何を考えているのか。
自分がどうしてこんなにも些細なことで揺れているのか。
わからなくて、煩わしい。
苦々しく呟いたサラージュの手を、そっとイリスが掬い取る。
「ねえ、ラージェ。月のようなあなた。――役目に忠実なの素敵だけれど、あなた自身の欲が見えないのを寂しく思う人はひとりじゃないよ」
思わず、柔らかな手を弾いた。
希うようなその言葉に唇が震える。そんな語り口はやめてほしい。
サラージュ・ネクタルは、無私の聖人などには程遠いのだから。
慈しむようなイリスの体温を受け取ることから逃げた手を、胸元で抱きしめる。
ライトグリーンの目を、真っすぐに見れない。
「……欲なら、あるわ」
「あら、どんなこと?」
「この国の平穏」
「それは誰もが想うこと。欲というには恒久的過ぎる。私が言っているのは、もっと至極個人的で、即物的で、どろりとした蜜のように喉に絡みつく、中毒性のある感情のお話」
食に貪欲な少女の声が、重く怪しく鼓膜を揺らした。
「――だめよ。そんなの」
「なぜ?」
「なぜって、」
ズキリと、頭が痛んだ。
***
言葉に窮し、魚のようにはくはくと口を開閉する親友を前に、イリスは痛ましげに長い睫毛を伏せた。
こんなサラージュを見るのは、はじめてだ。
「……ラージェ。凛々しい、私の大好きな親友さん」
サラージュの傷がどんなものか、イリスは知らない。
誰にも見せないことが彼女の矜持であると知っているから、その存在に気付きながらも触れることを避けてきた。内臓を見せあうような痛みは避けて、陽だまりであたため合うことこそが二人の友情の形だった。
それ自体に後悔はない。必要で、自分たちには一番合っている形だった。
それでも、顔を合わせた瞬間、このままにしてはいけないと直感がざわめいた。
――このままでは、サラージュも兄も、傷んでしまう、と。
だから、一歩だけ踏み込ませてもらった。
会話の流れで恋だとか詰めたが、正直に言えばなんでもいい。兄にかけた発破と同じようなものだ。
最高の食材が不味くなっていくのを見るのは耐えがたい。
けれど、イリスでは彼女は救えない。自分にできるのはいつだって、凍える彼女が動けるようになるまであたためて、背を押してやることだけだ。
「にいさまを見ろとは言わないけれど、せめて自分のことは愛してあげて」
親友の痛みを拭えるのが自分ではない口惜しさはあるけれど、イリスにできるのはここまでだ。
あとは不愛想な弟に任せるとしよう。
動き出すかどうかを決めるのは、サラージュ本人だけれど。
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