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20.辛辣な理解者
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木剣を乱雑に地面に突き刺し、黒髪の青年がハ、と鼻で笑った。純度の高い氷に似たアイスブルーの瞳が地面に転がったサラージュを見下ろす。
「嫉妬? 恋? 馬鹿馬鹿しい。俺から見ればおまえが抱いたのはただの不満だ。自分をその他大勢と同じように扱われたことへの苛立ちだ」
吐き捨てる声もその瞳と同じ絶対零度。手合わせの最中に雑談を振ったこちらも悪いが、愛想がないにも程がある。
「兄上はずっとおまえを特別扱いしていたからな。他の奴にするような薄っぺらい顔を向けられたら、それは違和感があるだろうよ」
「久方ぶりだというのに、これまでになく喋るじゃないの。レン」
冷え冷えとした言葉を投げるこの青年がレン・リ・ファーレン。
王の第三子にして第二王子。アレクシスとイリスの異母弟。そしてサラージュにとっては幼馴染で、乳姉弟である。
なお、かかわりの深さとは裏腹に仲がいいとは言い難い。
お互い武芸が達者であるという点で手合わせはするし、遠慮もなにもないが、それだけだ。
書庫で本を読んでいるのが似合いそうな涼やかな見た目とは裏腹な、荒っぽい仕草でレンが汗を拭う。気品のある容姿だから絵になるが、若武者を通り越して輩の振る舞いである。
生来の真面目さで政も熟せるようにはなったようだが、本質的に闘争心が強いのだ。この男は。
「で、突然木剣投げてきて、手合わせと罵りだけ済ませて帰るつもりかしら?」
ため息とともに鍛錬着についた土を払い、レンに負けず劣らず冷めた声を投げつける。
こちらも最近もやもやすることが多かったので、手合わせはいい気晴らしではあった。だが、突然回廊で木剣を投げつけて顎で呼びつけるなんてのは王族のやることではない。普段は真面目が服を着ているくせに。
そんな意図を込めた眼差しを意にも介さず、乳姉弟は馬鹿を見る目をしながら濡れ羽色の髪を鬱陶しそうに掻き上げた。汗ばんで肌に張り付くのが不愉快らしい。
「いい加減巻き込まれるのも飽いた。さっさとカタをつけろ」
その髪刈り上げてやろうか。
あまりにも愛想をドブに捨てた言いように思わず舌打ちしかけた。堪えたが。
言いたいことはだいたい想像がつく。『サラージュが零した違和感自体が問題に繋がっているのだから目をそらさずアレクシスと向き合え』といったところだろう。まだ手足の骨がふやふやだったころからの付き合いだ。それくらいはわかる。ただ情緒が爬虫類に等しいだけで、本人に煽っている気がまるでないことも。
未だに公務で一緒になったことはないが、これでよくトラブルを起こさないものだ。真面目や堅物という名目でどうにかなっているのかもしれないが、おそらく彼の婚約者や侍従の努力の賜物だろう。
「……で? そうまで言うならわたくしのこのモヤモヤを晴らす言葉を持っているのでしょうね」
「晴れるかは知らん。おまえが勝手に晴らすだけだろ。俺が知ってるのは、おまえのそれは愛玩に過ぎんということだけだ」
「……愛玩?」
まるでサラージュが婚約者のことをペット扱いしているような言い方だ。確かにアレクシスの挙動は大型犬じみているのでそれに重ねて癒されているところはあるが、愛玩と言い切られるほどではない。
眉を寄せたサラージュに、薄氷の目が細められた。
「おまえの目には熱がない」
言葉足らずの無遠慮で無愛想。情緒は蛇神の発現らしく爬虫類並み。
だが、観察眼は鋭い。それが、レン・リ・ファーレンだ。
イリスが食物への執着の過程で身に着けた後天的な人を見る目であるなら、レンのこれは先天的。仮にも神を冠する高位種の発現者だからなのか、優れた武芸者だからなのかはわからないが、幼いころから物事の変化や真理に気付くことに長けている。
そんな目が、サラージュに突き刺さった。
「俺のあの子のような恋焦がれる熱がない。おまえの兄君のような甘さがない。町娘が見せるような柔らかさがない。ただひたすらに固く、冷たく、怜悧に――理性で。兄上を見ている。
それを悪しきものとは言わん。俺たちは個よりも優先すべきものがある立場だ。どう転がるかも知らん。おまえの問題だ。兄上と同じ熱を返せとも言わん。あれは異常だ。だが、必要もないのに初恋だのなんだのと偽るのはやめておけ。見るに堪えん」
「おまえのそれは、自衛ではない。自傷行為だ」
ストン、とその言葉が突き刺さった。予想していた衝撃も痛みもなかった。
ぱちん。赤い目が瞬く。靄がわずかに晴れ、道が見える。自分の立ち位置を理解する。
例えるならば、霧の中で崖のギリギリを歩いていたようなものだと、理解する。
なるほど、これは心配もするだろう。
そう納得すると同時に、サラージュは「あら?」と首を傾げた。
レンは並外れた観察眼の持ち主である。――あくまで観察眼だ。見ようと思わなければ、認識せずにいられるもの。となれば、サラージュがアレクシスに向ける目なんていう個人的な部分をわざわざ観察していたことになる。
嫌われているか、最低でも避けられているとばかり思っていたのだけれど。
「……レン、あなた。もしかしてわたくしのこと結構見ていた?」
からかい交じりに口端を吊り上げれば、無愛想が珍しく応えるように笑った。
「おまえが俺を気にかけていた程度にはな。幼馴染殿」
少し、悪戯好きの次兄に似た笑みだった。そういえば、彼は真面目な長兄ではなく悪戯好きで軽薄な次兄の方に懐いていたのだったか。
なんだか懐かしくなって、サラージュは思わず吹き出した。
「ありがとう、幼馴染さん。少し、向き合ってみるわ」
無言で連れ出して、自分の得意なことに付き合わせることでそれとなく気晴らしをさせる。
それはまさに、反抗期の頃の次兄がサラージュやレンに施していた、とても不器用な関わり方そのものだったのだから。
「嫉妬? 恋? 馬鹿馬鹿しい。俺から見ればおまえが抱いたのはただの不満だ。自分をその他大勢と同じように扱われたことへの苛立ちだ」
吐き捨てる声もその瞳と同じ絶対零度。手合わせの最中に雑談を振ったこちらも悪いが、愛想がないにも程がある。
「兄上はずっとおまえを特別扱いしていたからな。他の奴にするような薄っぺらい顔を向けられたら、それは違和感があるだろうよ」
「久方ぶりだというのに、これまでになく喋るじゃないの。レン」
冷え冷えとした言葉を投げるこの青年がレン・リ・ファーレン。
王の第三子にして第二王子。アレクシスとイリスの異母弟。そしてサラージュにとっては幼馴染で、乳姉弟である。
なお、かかわりの深さとは裏腹に仲がいいとは言い難い。
お互い武芸が達者であるという点で手合わせはするし、遠慮もなにもないが、それだけだ。
書庫で本を読んでいるのが似合いそうな涼やかな見た目とは裏腹な、荒っぽい仕草でレンが汗を拭う。気品のある容姿だから絵になるが、若武者を通り越して輩の振る舞いである。
生来の真面目さで政も熟せるようにはなったようだが、本質的に闘争心が強いのだ。この男は。
「で、突然木剣投げてきて、手合わせと罵りだけ済ませて帰るつもりかしら?」
ため息とともに鍛錬着についた土を払い、レンに負けず劣らず冷めた声を投げつける。
こちらも最近もやもやすることが多かったので、手合わせはいい気晴らしではあった。だが、突然回廊で木剣を投げつけて顎で呼びつけるなんてのは王族のやることではない。普段は真面目が服を着ているくせに。
そんな意図を込めた眼差しを意にも介さず、乳姉弟は馬鹿を見る目をしながら濡れ羽色の髪を鬱陶しそうに掻き上げた。汗ばんで肌に張り付くのが不愉快らしい。
「いい加減巻き込まれるのも飽いた。さっさとカタをつけろ」
その髪刈り上げてやろうか。
あまりにも愛想をドブに捨てた言いように思わず舌打ちしかけた。堪えたが。
言いたいことはだいたい想像がつく。『サラージュが零した違和感自体が問題に繋がっているのだから目をそらさずアレクシスと向き合え』といったところだろう。まだ手足の骨がふやふやだったころからの付き合いだ。それくらいはわかる。ただ情緒が爬虫類に等しいだけで、本人に煽っている気がまるでないことも。
未だに公務で一緒になったことはないが、これでよくトラブルを起こさないものだ。真面目や堅物という名目でどうにかなっているのかもしれないが、おそらく彼の婚約者や侍従の努力の賜物だろう。
「……で? そうまで言うならわたくしのこのモヤモヤを晴らす言葉を持っているのでしょうね」
「晴れるかは知らん。おまえが勝手に晴らすだけだろ。俺が知ってるのは、おまえのそれは愛玩に過ぎんということだけだ」
「……愛玩?」
まるでサラージュが婚約者のことをペット扱いしているような言い方だ。確かにアレクシスの挙動は大型犬じみているのでそれに重ねて癒されているところはあるが、愛玩と言い切られるほどではない。
眉を寄せたサラージュに、薄氷の目が細められた。
「おまえの目には熱がない」
言葉足らずの無遠慮で無愛想。情緒は蛇神の発現らしく爬虫類並み。
だが、観察眼は鋭い。それが、レン・リ・ファーレンだ。
イリスが食物への執着の過程で身に着けた後天的な人を見る目であるなら、レンのこれは先天的。仮にも神を冠する高位種の発現者だからなのか、優れた武芸者だからなのかはわからないが、幼いころから物事の変化や真理に気付くことに長けている。
そんな目が、サラージュに突き刺さった。
「俺のあの子のような恋焦がれる熱がない。おまえの兄君のような甘さがない。町娘が見せるような柔らかさがない。ただひたすらに固く、冷たく、怜悧に――理性で。兄上を見ている。
それを悪しきものとは言わん。俺たちは個よりも優先すべきものがある立場だ。どう転がるかも知らん。おまえの問題だ。兄上と同じ熱を返せとも言わん。あれは異常だ。だが、必要もないのに初恋だのなんだのと偽るのはやめておけ。見るに堪えん」
「おまえのそれは、自衛ではない。自傷行為だ」
ストン、とその言葉が突き刺さった。予想していた衝撃も痛みもなかった。
ぱちん。赤い目が瞬く。靄がわずかに晴れ、道が見える。自分の立ち位置を理解する。
例えるならば、霧の中で崖のギリギリを歩いていたようなものだと、理解する。
なるほど、これは心配もするだろう。
そう納得すると同時に、サラージュは「あら?」と首を傾げた。
レンは並外れた観察眼の持ち主である。――あくまで観察眼だ。見ようと思わなければ、認識せずにいられるもの。となれば、サラージュがアレクシスに向ける目なんていう個人的な部分をわざわざ観察していたことになる。
嫌われているか、最低でも避けられているとばかり思っていたのだけれど。
「……レン、あなた。もしかしてわたくしのこと結構見ていた?」
からかい交じりに口端を吊り上げれば、無愛想が珍しく応えるように笑った。
「おまえが俺を気にかけていた程度にはな。幼馴染殿」
少し、悪戯好きの次兄に似た笑みだった。そういえば、彼は真面目な長兄ではなく悪戯好きで軽薄な次兄の方に懐いていたのだったか。
なんだか懐かしくなって、サラージュは思わず吹き出した。
「ありがとう、幼馴染さん。少し、向き合ってみるわ」
無言で連れ出して、自分の得意なことに付き合わせることでそれとなく気晴らしをさせる。
それはまさに、反抗期の頃の次兄がサラージュやレンに施していた、とても不器用な関わり方そのものだったのだから。
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