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立ち止まったまま
しおりを挟むセントラルボーデン北東に位置する隣国、ルカニード王国。
暖かな日差しが射し込む部屋。フェリクスは窓辺の椅子に深く腰を沈め、外を眺めていた。
街の通りでは、母親に手を引かれた幼い子供が、飛び回る鳥を指さしてはしゃいでいる。笑い声が午後の空気に溶けていく。
ゆっくりと流れる時間に身を委ね「ふぅ」と息をつくと、珈琲の香ばしい香りが鼻をくすぐった。
「大尉、珈琲をどうぞ」
珈琲の香りと共に女性が部屋に入って来た。
百七十センチ程の高身長に華奢な体つき。腰まで伸びる黒く艶やかなストレートの髪をなびかせ彼女は横につく。
穏やかな声と共に、目の前のテーブルに珈琲カップが置かれる。
「ありがとうリオ」
軽く礼を告げ、カップに手を伸ばす。一口含むと、苦味とコクが口に広がり、張り詰めていた心がほぐれていく。
平和が訪れた証拠でもある静寂。だがそれは、自問自答を繰り返す時間でもあった。
目を瞑ると、あの日の光景が蘇る。立ち上る煙、兵士たちの叫び声、灰色の空。終わったはずだった。新たな時代が始まるはずだった。
なのに――。
「一応業務連絡です。セントラルボーデン内でシャリアを名乗る男が現れ、軍と交戦したそうです」
思考を遮る声に、フェリクスは現実へ引き戻された。
「シャリアか。珍しくもないだろ」
呆れたように呟きながら珈琲を口に運ぶが、彼女は冷静に続ける。
「シャリアの生まれ変わりを名乗る輩は後を絶ちませんが、今回は違うようです。セントラルボーデンの魔法兵団を退けました」
「ほう、魔法兵団をか」
軽く頷くが、それ以上の感想は湧いてこない。再び沈黙が訪れる。
「あまり興味はありませんか?」
「俺の心まで見えるようになったのか?」
「そうだったら面白いんですけど」
乾いた笑いが部屋に響く。
その切れ長の瞳で見つめられると、本当に心まで見透かされているような気がして思わず視線を外した。
「シャリアか。なぜ彼は世界を敵に回したんだろうな」
「さあ……今のあなたなら、シャリアの気持ちもわかるのでは? 世界を壊そうとした彼の」
含み笑いを浮かべる女性に、冷ややかな視線を送る。
「わかるかよ。壊す気力もない」
「まぁ壊したいというより、誰かに壊してもらいたいと願ってる感じですね……まだ傷は癒えませんか? フェリクス少佐」
フェリクス・シーガー……その名前はあの日捨てた。今はザクス・グルーバーとして生きる身。それが最善だと、そうしなければならないと、あの日心に決めた。
彼女は切れ長の目を細めて柔らかな笑みを浮かべている。わずかに視線をそらし、軽いため息と共に愚痴がこぼれた。
「その呼び方はやめろ」
苦笑いを浮かべるが、リオは変わらず穏やかな笑みで見つめる。
「いけませんか?」
「誰が聞いているかわからないだろ」
冷めた口調で言っても、リオの表情は変わらない。
三年という月日は彼女を少女から大人の女性へと変えた。ショートカットで活発で勝気だった彼女も、今は髪も伸び、凛とした大人の女性へと変貌を遂げていた。
変われていないのは自分だけ――。
そう思うと少し空気が重くなった気がした。何より彼女の期待に応えられない自分が情けなかった。
「どこで道を間違えたんだろうか?」
「あなたは道を間違ったりしていませんよ」
優しい言葉が、かえって胸に刺さる。思わず視線を外に向け、苦笑いを浮かべる。気遣いだと分かるからこそ、不甲斐ない自分がもどかしい。
「少し疲れたな」
目を閉じ椅子にもたれると、リオは深々と頭を下げる。
「ゆっくりお休みください。時間は、たくさんありますから」
軽く頭を下げ、リオは静かに部屋を出ていく。その言葉には僅かな皮肉が含まれていたのはすぐにわかった。
リオは廊下で数歩歩いた先で窓から外を見下ろす。小さな子を連れた家族が、笑いながら歩道を歩いている。
「貴方は道を間違ったりしていません。だって貴方はずっと立ち止まってるじゃないですか。間違った道すら歩んでいない……気付けよ」
外を見つめながら、呆れたように呟く。苦笑いが漏れた。
一人残されたザクスは、椅子にもたれたまま目を閉じると、静寂の中で再びあの日の答えを探し始める。
「俺は、何のために戦ったのか。クリスは、何のために……」
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