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一章(心は)まだまだ男
第一話 新生活
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ピピピ、ピピピ……。
安普請の賃貸の、やはり安っぽい造りの窓から、柔らかな春の朝日が差し込む。春風が外を泳ぐようにそよぎ、ふわふわした雀が三羽ほど電線に止まり、元気にさえずっていた。
そんな一般大衆の朝を絵に描いたような室内にて、聞き飽きた携帯の目覚ましが、金曜日の朝の到来を、告げていた。
……私こと新妻明、二十九歳(彼女なし)は――あまり威張れた事じゃないが――若い頃はくだらない事を色々とやってのけた。不勉強や賭け事は当然で、犯罪スレスレの悪ふざけは数え切れないほどだった。女遊びこそ数は知れていたが、総じてDQNと呼ばれる部類に含まれたと思う。
けど、その反動か、あるいは適職だったのか、Fラン大を卒業した後、てきとーに就職した今の会社では、一応は真面目にがんばってきた。日用品販売系の中堅企業の営業職で、商品力のおかげもあり、そこそこに仕事をこなして、早八年目となる。
「(今年で三十かぁ。アラサーってかおっさんじゃん)あー、クッソ。飲み過ぎ――」
? 伸びをしようとする手が止まる。止まってしまう。なんだ? 今の誰の声だ?
……けど、耳をすましても、小鳥の声以外は、国道を走る車の音だけだった。寝ぼけていたのかと、バッと音を立てて布団を払いのけて、上半身を起こす。
――え? 眼下に、見慣れない薄緑の寝間着に包まれた上半身が見える。
まず――ブルン――っと、さっき眼の下で揺れたこの胸だ。なんと、野球ボール大くらいに胸が二つ腫れており、ボタンが窮屈そうに留まっていた。
その謎の視覚情報に加えて、僅かに嗅ぎ馴れない匂いがしたが、体臭? 何とも言えないこれらの違和感が、風船を膨らませるみたく膨張し、脳を徐々に震わせていく。
「なん、だ? この胸。蜂に刺されたってこんな――」
また女の高い声。
部屋の中にいるとしか考えられない。けど、昨晩は野郎連中と飲んだだけで、女を連れ込んだ記憶なんか無い。
「(昨晩どころか、ここしばらくは仕事が忙しくて、女を連れ込む暇すら)――だ、誰だ?」
なぜか、女の声はやや震えていた。割と綺麗な声だと、その時は気づく余裕もなかった。
何より、言葉の内容が私の心情とマッチしているのが、余計に気味悪かった。
――しばしの沈黙。女の声も止んだまんまだったが、身体の異常やら寝間着の問題が片付いていない。
とりあえず携帯の電話番号を110へセットしつつ、ベッドから降りつつ、周囲を警戒する。
「(おかしい。隠れる場所なんてそう無いのに)……っ」
へばりついてくる様な焦りによって、視界に入るサラサラした髪や、色のちょっとした違い、普段に比べて目線がいくらか低くなっていることにすら、気づけなかった。
クローゼットや机の下などへ目を配りつつ、台所へ行って包丁を取り出そうと急ぐ。
――だがその途中、廊下より洗面台の鏡へ一瞬だけ目をやると、私の心臓は破裂寸前までに膨張した。
「なっ!」
誰だっ、という二の句も忘れて、思わず二度見、いや三度見してしまう。
――整った目鼻立ちに、淡い栗色の髪は肩まであり、口や顎の形も流線型だった。いくらか釣り目であるため、少し気が強そうな感じもしたが、押し並べて美人と言われる顔立ちだった。
そして、どことなく、パーツの細部や全体の雰囲気が、男だった時の自分に、似ている気が――。
ドンッ。
だがそのあまりの衝撃に、私は思わず尻持ちをついてしまい、再びブルンと胸が上下する。
「痛、ってて」
悲痛な女の声、眼下の双つの膨らみ、鏡に映った女の顔。これらが頭の中を洗濯機のようにかき回しやがる。
「う、ぁ?」
伸ばしかけた手を眺めると、指や腕の毛がほとんどなく、また細くなっていることに気付く。さらによく見ると、脚も同様にスリムで、肌もなめらかであった。
そして、このタイミングで、股間の違和感にようやく気づく。
「ハァ、ハァッ、ハァ!」
目を見開き、肺へ過剰な酸素が送り込まれる中、震える指先が、寝間着の下半身へと潜り込む。
汗で蒸れるトランクス――じゃない。股間部へピッチリ引っ付いている謎の下着に指先が触れる。
覗き見るに、な、なんなんだ、この女物の地味な薄緑色の下着は? ――い、いやそれよりも、な、中に何もなかった。
いや、無かったというのは的確じゃなく、柔らかく薄い陰毛と、硬い股関節があるだけだった。
「――アっ」
クラッ。
頭の中が一気に冷たくなったかと思いきや、私の意識が消失しかける。
ズルリと廊下にて倒れこむも、悪夢なら覚めてくれとばかりに、強くまぶたを閉じては開けた。
「ま、さか」
――顔や身体の変化に寝間着の違い。そして何より、異様にリンクする私の心情と女の声。
震える手が、私の頬に触れた時、頭の中に亀裂が入った気すらした。
「お、れ。女に?」
な、ってる?
ア、あハ、ハハハ。ある、あるわけがない。
だって、昨日の夜に変な薬を外国人マフィアに飲まされたわけでも、神社仏閣に小便を引っかけたりもしていないんだ。
こんな超常的なこと、あってはならない。それを、確認――いや、証明しないと。
熱くて冷たい頭でもって、必死に携帯を探し求めるころ、時刻は七時半を当に過ぎていた。余裕のない中、今日は遅出であった事だけを辛うじて思い出す。
まず助けを求めるべく、適当な男友達へアプリトークを使って連絡を取る。震える細い指で操作し、連絡を取る中、驚くべき事態が待っていた。
「おっ。明じゃん。朝一から電話ってなんだ? ……おっ、ひょっとして俺の朝勃ちを鎮めに来てくれんの(笑)? いやぁ、モテる男は辛いぜぇ」
――はっ?
気がつくと何一つ言葉をかわさず、ぶち切っていた。ドクン、ドクンと、まるで耳の中で鳴っているみたいに、心臓の音が響く。
なに、なんだよ? なんで、最初から女だったみたく返してくんだよ。
喉元の奥から虫が這い上って来るような感覚がしたかと思うと、極度に喉が渇いていただけだった。別のヤツに急いで掛け直す。
「明か? まだお前、仕事してんのかよ。さっさと結婚しろよ、もうすぐ三十歳だろ? ボーイッシュで仕事に精を出すのもいいかもしれねぇけど、夢の専業主婦になれるなら、それに越したこと――」
ピッ。
内容の下品さがどうこう以前に、やはり私を女だと認識していた。
! そ、そうだ。慌てて財布の身分証明書を確認する。探すのに時間がかかったのは、いつもの黒革の折畳みの財布ではなく、女物のシンプルな長財布に代わっていたためだった。
改めて中身を確認して、免許証を見つける。生年月日や現住所は同じだが、証明写真は――さっき洗面台に映った女の顔にすり替わっていた……。
「ハァ、ハァ!」
バタバタドタ。立ち上がる事も忘れて四つん這いで移動し、洗面所やクローゼットを漁る。見慣れない化粧品が散見し、スカートなどの女物の服に地味なブラジャー、さらに下着までもが出てくる始末であった。
「なんだよ。こんなの、まるで――」
最初から、私が女だったと錯覚してしまうような、いや、そういう世界だったとすら思えるくらいだった。
部屋の内装もよく見たら昨日までとはいくらか異なっており、色調やトーンはそこまでだが、女物の雑誌が置いてあったり、本革のハンドバックがフックに掛かっていた。
静かに震える中、自分の身体を抱き締める。温かくて、柔らかい。
「びょ、病院に行くか? ――いや、何を言われるかわかったもんじゃねぇ」
そもそも、私が男であったと決定づけられる証拠は何も無いんだ。携帯の過去の写真や動画を見たが、たまたま先月に携帯を更新した際、内部データを消失したのを思い出す。
またツイッター系もほぼやっておらず、クラウドデータも持っていないため、電子データからの確認はほぼ不可能だった。
「ホラーってレベルじゃ、ね、ぇ」
本来なら自分を勇気づけるはずの声が、逆に私を不安に陥れて、混乱を加速させていく。
――ここで身体がブルッと震える。別に恐怖で震えたわけじゃなかった。
「と、トイレ」
膀胱を圧迫される感覚、これは男であった時と大差なかった。
急ぎ、安っぽくてキツイ芳香剤の臭いが漂う、狭いトイレへと駆け込む。脱ぐことがためらわれたが意を決して、寝間着と下着を同時に脱ぐ。
スルル。
「うぉっ」
野暮な言葉を、甲高い女の声にて吐き出す。
腰肉はほどほどで、骨盤はやや広めであった。俗に言う安産型の尻であったが、その付け根から伸び出た足は、ほっそりとしており、太腿は引き締まっていた。
「(男だった時も、身体は結構しぼってたからな)っと、漏れる漏れる」
冷たい便座に座ると、男だった時よりも不快感がいくらか強かった。
とりあえずはと、嫌々ながらも股間付近の確認を行う。陰毛の面積は狭く、毛も細いため、申し訳ない程度に生えている印象を与えた。
「うっ」
確認もそこそこに、ぶるっ、っと震えた後――チョロロロ――っと尻穴の辺りから小便が出始める。
シャー。
「……ふぅ」
弱くなった腹筋に力を加えて終えた後、未だ諦めきれない私は、細い指でもって、薄い陰毛をかき分ける。
ひょっとしたら男性器が矮小化なっただけで、まだ残っているのかも? って。
「どこ、だよ」
けどいくら探しても、陰毛の根元にある無数の暗い毛穴と、縦長なサーモンピンクの肉の襞が隠れ見えただけだった。
眉間を抑えつつ、水洗した後、四畳半の狭いダイニングへ向かう。食欲なんて当然なかったが、テーブルの椅子の背もたれに、女物のありふれたスーツが掛けられているのに気づく。
「上着とパンツスーツ、か」
だが確かに、もしも私が女だったら、スカートなんて履かなかったのかもしれない。
よくよく周囲やクローゼットを見返すと、服や下着も、飾り気があるのはあまり無く、スポーティーなのが多い気がした。
「いや、けど。……ん?」
テーブルの上には小さな紙袋があり、中には落ち着いた色のコスメが入っていた。まるでつい最近、自分が購入した気配すらあった。
「女はスッピンで外へ出ちゃダメなのかよ」
その袋の中身と地味なスーツを、一分ばかし、ジッと見つめた。
* * *
ガタン、カタン。ガタン、カタン。
その後、私は、まさかの行動を二つ取っていた。
一つ目は化粧だ。とは言っても、動画を横目で睨みつつ、口紅とファンデとマスカラを、見よう見まねで塗っただけであった。アイシャドーなんて当然だがやってない(というかやり方が短時間ではわからなかった)。
ガタン、カタタン。
そしてなぜ、そんなトチ狂った行為をしたかというと、二つ目の理由である、電車へ乗って勤め先の会社へと向かうためであった。もちろん現実を全て受け止めきれた訳じゃない。
「(女になってしまったことを確かめるなら、通い慣れている会社でわかることもあるはず)――せまっ」
ギュウギュウの車内は、ある意味ではいつも通りであった。現在、住んでいる場所は大都市のベッドタウンの役目を持ち、朝はだいたいこんな感じだ。
ハンドバッグを胸に抱いて首を動かすも、周囲の会社員が、いつもより高く見えた。
もちろん、連中の背が急に伸びたわけじゃなく、私の背が低くなったんだ。それでも、百六十センチくらいはあるように思えるが……。
「(家に一人でいたら本当に頭が狂いそうだった)にしても、進んで出社する日が来るとはなぁ――」
超小声で愚痴る中、次の駅にて停車する。人の乗り降りが濁流のごとく行われて、結果的に人口密度がさらに高まる。
花見についての広告が垂れ下がっているその真下、携帯も触れないくらいの狭さなので、仕方なく脳内会議を継続する。
――昔からの知り合いの発言も、物的な証拠も、全て私が女であったことを物語っていた。つまり勤め先だって、女の私を採用したことになっている、はず。
男に戻れる方法があるかは別で考えるとして、しばらく女の身体で過ごさざるを得ないのは間違いなさそうだ。となると今後、何が起こるかわからないため、やはり無駄に有給を浪費することは避けたい。
モゾ。
――にしても、女という生き物はとにかく大変だと、このわずかな時間で痛感させられた。
まず化粧に時間がかかるし、洗顔や髪型を整えるのが男の何倍も邪魔くさい。さらに駅へと走る際に気付いたが、体力も筋力も低く、それに革靴は窮屈で走りにくいし、揺れる胸がうっとうしいことこの上ない……。
モゾモゾ。
「(てか、なんだぁ? さっきから尻の辺りに何か)ん」
人が多いからとあえて無視していたが、ケツの辺りで、ズボンの上から何かが何度も当たってきた。
「(人が多いからしょうがないけど。子供でもいるのか? いや、こんな朝のラッシュ時に)――ッ!」
ゾワワッ、うなじの辺りを毛虫が這うような感覚が走る。
い、今。人の手が、意志をもって私の尻に吸着してきやがったっ。
「(ほ、ホモ? ちが、今は女の身体だから)――こ、れは」
手の平と指をグニグニと、気持ちよさそうに押しつけてきたかと思うと、指で掴むように引っ掻いてくる。そのつど、柔らかな尻は、その歪な握力に合わせて、柔軟に形を変えた。
「(これって、痴、漢? ヒィ、やっべ。どう、すれば)ぅ」
恐怖と動揺で頭が沸騰しかける。
――ふと男だった時、痴漢の話を聞くつど感じた事を思い起こしてしまう。
『コイツ痴漢だぞ~』って言えば済むだけの話なんだと。ほんと女ってだらしねぇな、と。
けど、実際に恐怖で立ち尽くす我が身をもって痛感する。声を出せと脳が命令しても、神経はまるで霜が降りたかのように凍って、指先一つすら満足に動かせない。
見知らぬ男に身体を触られるのが、これほど苦痛で恐ろしいなんて。
モミュ
! ――そ、そうしている間も、動けない私に気を良くしたのか、人差し指の爪を立てて、ズボンの上から尻の谷間をなぞり始める。あまりの気持ち悪さとくすぐったさに、身体が縦にビクリと震える。
「(キモいキモいキモい)ぁ、っ」
ハンドバッグをギュッと抱き締め、歯を食いしばりながら目を瞑る。人の密度がすごい中、何とか力を込めて尻をわずかに右側へ移動させる、が。
――モニ、グニ、グニュ。
「ひっ」
まるで、悪代官が戯れと悦ぶみたく、ゆったりと追ってきて、簡単に掴まれる。
同時に『逃げていいなんて誰がイッた?』と責めんばかりに、尻と太腿の間あたりをつねられる。
グッ、グニ。
き、気色悪い意志の疎通と軽い痛みに、開きそうになった口を無理矢理に手で塞ぐ。不快感と恐怖を受け続けたせいか、尻のあたりがジンジンと熱くなってくる。
ガー、プシュー。
「(駅?)わっ」
途中の停車駅に止まり、再び人が出入りする。自身も含めて、立ち位置がシャッフルされ、先ほどより一メートルほど隅へ動かされた。
「(ハァ、フゥ。お、終わった?)く、ぅ」
情けない事に、両肩が震えて涙が出そうになるのを、必死に堪えるのが精一杯だった。
――ち、痴漢ってあんなに怖いんだ。恐怖で本当に身動きが取れず、指一本動かすのさえ苦しかった。
いや、それだけじゃない。自尊心を踏みにじられ、さらに顔面に小便をかけられて、指で差されて笑われたくらいの屈辱だった。
身をもって知ったからこそ言えるが、痴漢するヤツはみんな●ねばいい。
――けど、悪夢は続いた。
「(あと、一駅)……ひっ!」
ガッ、ムニュゥ。
病的なくらいにおぞましい電気と熱が、ビリリ、っと尻から全身へ伝播する。さらに、油断していたためか、痺れがお腹の下の深い部分をも触れてくる。
壊れた玩具みたく首をギギギと左後ろへ回すと、すぐ背後の背の高いスーツ姿の中年が、私の尻を、鷲づかみにしていた。
顔は雑誌で隠しているが、震える女の尻をこっそりと掴む男の表情なんて、想像するだけで反吐が出た。雑誌の隙間から漏れる微かな息遣いがキモすぎて、ムカついて――でも身を縮こめて目をつむるしか出来なかった。
「(こ、今度こそ、助けを、求めない、と)――ぃ!」
私の心の怯えと連動して震える尻を、あたかも舐めるように触ったかと思うと、やがて人差し指をピンと立てて、素股みたく差し込んでくる。
シュ、シュ、シュ。
「(キモいキモいキモいキモい。もぅ、ほんうやだっ!)ひ、ぐっ」
まるでチンポの代わりと言わんばかりにピストン気味に擦られて、そのつど、パンツスーツには歪なシワが何本も刻まれた。
六割の不快感と、三割の恐怖、そしてよくわからない一割の熱にほだされ、股間がジーンと痺れ熱くなる。
「(もぅ、立って、られなく、なって)!」
しかし地獄は終わらなかった。信じられない事に、その指先を鉤爪へ変形させたかと思いきや、股間の――ま、前部分を指で引っ掻いてくる!
カリ、グニ。
男の爪が恥骨の辺りを擦り、そのつど、股から下がジリジリと震え、脚が産まれたての子鹿みたく内股になっていく。
さらに第二関節の辺りで股間の頂点を、グリグリと刺激してきて、も、ほんと、キモすぎて倒れ、そう。
そこで……やっと――。
「(は? ぅ)わっ」
目的駅に着き、人の洪水に巻き込まれて下車する。
……結局、放心状態から我に返れたのは、発着駅の端に立ち、電車が発車した後だった。
人が忙しげに行き交う中、立ち尽くし、さらに小さな嗚咽が漏れそうになる。
「ひっ、グ、うぅ」
痴漢、怖すぎだろ。
今までAVとかで妄想してごめんなさい。気持ち良くなるとかあり得ないです。恐怖とキモさでもって、人間性を踏みにじる最低な行為だった。
――そもそも、泣いたのなんていつぶりだ? 男だった頃では思い出せず、女になった初日に、泣かされるなんて。
涙を指先で抑えていると、心配してか(もしくは不信に思ってか)、駅員がこっちを見て話しているのに気付く。
捉まる訳にはいかず、さりとてまだ泣き足りず、心を落ちつかせるため、急ぎ逃げるようにして、駅のトイレへと直行した。
バタン!
「……うぅ、ウウ、くっ」
危うく男子トイレに入りそうになったが、女子トイレの個室の便座に座る。ハンドバッグにあった女物のハンカチで涙を止めると、一滴一滴が吸い込こまれていった。
人生で一番と言える、最低な出勤であった。臭う個室にて、顔面を覆って五分ほどが経つ。
「(でも、そろそろ行かないと)グス。あー、マジ最低」
よろよろと立ち上がり、個室から出ようとした時だった。股の辺りからヌルっとした奇妙な感触があった。
「? なんだ?」
慌ててパンツスーツと併せて下着の端へ指をひっかけて、下へとズラす。
よくよく見ると、パンティーのクロッチ部分に、小さな沁み? みたいなのが出来ていた。
まさか、恐怖のあまりに失禁したとでも?
「けど、にしては量が少ない?」
眉をひそめつつ指先ですくい取ろうとすると、僅かながら粘性のあるナニかが付着する。だが、鼻に近づけて嗅いでも、トイレ独特の異臭に邪魔されて、よくわからなかった。
「――まぁ、いいか。量もそれほどじゃないし。病気でも無いだろう」
そう呟き、ズボンを履き直した後、逃げるように会社へと向かっていった。
安普請の賃貸の、やはり安っぽい造りの窓から、柔らかな春の朝日が差し込む。春風が外を泳ぐようにそよぎ、ふわふわした雀が三羽ほど電線に止まり、元気にさえずっていた。
そんな一般大衆の朝を絵に描いたような室内にて、聞き飽きた携帯の目覚ましが、金曜日の朝の到来を、告げていた。
……私こと新妻明、二十九歳(彼女なし)は――あまり威張れた事じゃないが――若い頃はくだらない事を色々とやってのけた。不勉強や賭け事は当然で、犯罪スレスレの悪ふざけは数え切れないほどだった。女遊びこそ数は知れていたが、総じてDQNと呼ばれる部類に含まれたと思う。
けど、その反動か、あるいは適職だったのか、Fラン大を卒業した後、てきとーに就職した今の会社では、一応は真面目にがんばってきた。日用品販売系の中堅企業の営業職で、商品力のおかげもあり、そこそこに仕事をこなして、早八年目となる。
「(今年で三十かぁ。アラサーってかおっさんじゃん)あー、クッソ。飲み過ぎ――」
? 伸びをしようとする手が止まる。止まってしまう。なんだ? 今の誰の声だ?
……けど、耳をすましても、小鳥の声以外は、国道を走る車の音だけだった。寝ぼけていたのかと、バッと音を立てて布団を払いのけて、上半身を起こす。
――え? 眼下に、見慣れない薄緑の寝間着に包まれた上半身が見える。
まず――ブルン――っと、さっき眼の下で揺れたこの胸だ。なんと、野球ボール大くらいに胸が二つ腫れており、ボタンが窮屈そうに留まっていた。
その謎の視覚情報に加えて、僅かに嗅ぎ馴れない匂いがしたが、体臭? 何とも言えないこれらの違和感が、風船を膨らませるみたく膨張し、脳を徐々に震わせていく。
「なん、だ? この胸。蜂に刺されたってこんな――」
また女の高い声。
部屋の中にいるとしか考えられない。けど、昨晩は野郎連中と飲んだだけで、女を連れ込んだ記憶なんか無い。
「(昨晩どころか、ここしばらくは仕事が忙しくて、女を連れ込む暇すら)――だ、誰だ?」
なぜか、女の声はやや震えていた。割と綺麗な声だと、その時は気づく余裕もなかった。
何より、言葉の内容が私の心情とマッチしているのが、余計に気味悪かった。
――しばしの沈黙。女の声も止んだまんまだったが、身体の異常やら寝間着の問題が片付いていない。
とりあえず携帯の電話番号を110へセットしつつ、ベッドから降りつつ、周囲を警戒する。
「(おかしい。隠れる場所なんてそう無いのに)……っ」
へばりついてくる様な焦りによって、視界に入るサラサラした髪や、色のちょっとした違い、普段に比べて目線がいくらか低くなっていることにすら、気づけなかった。
クローゼットや机の下などへ目を配りつつ、台所へ行って包丁を取り出そうと急ぐ。
――だがその途中、廊下より洗面台の鏡へ一瞬だけ目をやると、私の心臓は破裂寸前までに膨張した。
「なっ!」
誰だっ、という二の句も忘れて、思わず二度見、いや三度見してしまう。
――整った目鼻立ちに、淡い栗色の髪は肩まであり、口や顎の形も流線型だった。いくらか釣り目であるため、少し気が強そうな感じもしたが、押し並べて美人と言われる顔立ちだった。
そして、どことなく、パーツの細部や全体の雰囲気が、男だった時の自分に、似ている気が――。
ドンッ。
だがそのあまりの衝撃に、私は思わず尻持ちをついてしまい、再びブルンと胸が上下する。
「痛、ってて」
悲痛な女の声、眼下の双つの膨らみ、鏡に映った女の顔。これらが頭の中を洗濯機のようにかき回しやがる。
「う、ぁ?」
伸ばしかけた手を眺めると、指や腕の毛がほとんどなく、また細くなっていることに気付く。さらによく見ると、脚も同様にスリムで、肌もなめらかであった。
そして、このタイミングで、股間の違和感にようやく気づく。
「ハァ、ハァッ、ハァ!」
目を見開き、肺へ過剰な酸素が送り込まれる中、震える指先が、寝間着の下半身へと潜り込む。
汗で蒸れるトランクス――じゃない。股間部へピッチリ引っ付いている謎の下着に指先が触れる。
覗き見るに、な、なんなんだ、この女物の地味な薄緑色の下着は? ――い、いやそれよりも、な、中に何もなかった。
いや、無かったというのは的確じゃなく、柔らかく薄い陰毛と、硬い股関節があるだけだった。
「――アっ」
クラッ。
頭の中が一気に冷たくなったかと思いきや、私の意識が消失しかける。
ズルリと廊下にて倒れこむも、悪夢なら覚めてくれとばかりに、強くまぶたを閉じては開けた。
「ま、さか」
――顔や身体の変化に寝間着の違い。そして何より、異様にリンクする私の心情と女の声。
震える手が、私の頬に触れた時、頭の中に亀裂が入った気すらした。
「お、れ。女に?」
な、ってる?
ア、あハ、ハハハ。ある、あるわけがない。
だって、昨日の夜に変な薬を外国人マフィアに飲まされたわけでも、神社仏閣に小便を引っかけたりもしていないんだ。
こんな超常的なこと、あってはならない。それを、確認――いや、証明しないと。
熱くて冷たい頭でもって、必死に携帯を探し求めるころ、時刻は七時半を当に過ぎていた。余裕のない中、今日は遅出であった事だけを辛うじて思い出す。
まず助けを求めるべく、適当な男友達へアプリトークを使って連絡を取る。震える細い指で操作し、連絡を取る中、驚くべき事態が待っていた。
「おっ。明じゃん。朝一から電話ってなんだ? ……おっ、ひょっとして俺の朝勃ちを鎮めに来てくれんの(笑)? いやぁ、モテる男は辛いぜぇ」
――はっ?
気がつくと何一つ言葉をかわさず、ぶち切っていた。ドクン、ドクンと、まるで耳の中で鳴っているみたいに、心臓の音が響く。
なに、なんだよ? なんで、最初から女だったみたく返してくんだよ。
喉元の奥から虫が這い上って来るような感覚がしたかと思うと、極度に喉が渇いていただけだった。別のヤツに急いで掛け直す。
「明か? まだお前、仕事してんのかよ。さっさと結婚しろよ、もうすぐ三十歳だろ? ボーイッシュで仕事に精を出すのもいいかもしれねぇけど、夢の専業主婦になれるなら、それに越したこと――」
ピッ。
内容の下品さがどうこう以前に、やはり私を女だと認識していた。
! そ、そうだ。慌てて財布の身分証明書を確認する。探すのに時間がかかったのは、いつもの黒革の折畳みの財布ではなく、女物のシンプルな長財布に代わっていたためだった。
改めて中身を確認して、免許証を見つける。生年月日や現住所は同じだが、証明写真は――さっき洗面台に映った女の顔にすり替わっていた……。
「ハァ、ハァ!」
バタバタドタ。立ち上がる事も忘れて四つん這いで移動し、洗面所やクローゼットを漁る。見慣れない化粧品が散見し、スカートなどの女物の服に地味なブラジャー、さらに下着までもが出てくる始末であった。
「なんだよ。こんなの、まるで――」
最初から、私が女だったと錯覚してしまうような、いや、そういう世界だったとすら思えるくらいだった。
部屋の内装もよく見たら昨日までとはいくらか異なっており、色調やトーンはそこまでだが、女物の雑誌が置いてあったり、本革のハンドバックがフックに掛かっていた。
静かに震える中、自分の身体を抱き締める。温かくて、柔らかい。
「びょ、病院に行くか? ――いや、何を言われるかわかったもんじゃねぇ」
そもそも、私が男であったと決定づけられる証拠は何も無いんだ。携帯の過去の写真や動画を見たが、たまたま先月に携帯を更新した際、内部データを消失したのを思い出す。
またツイッター系もほぼやっておらず、クラウドデータも持っていないため、電子データからの確認はほぼ不可能だった。
「ホラーってレベルじゃ、ね、ぇ」
本来なら自分を勇気づけるはずの声が、逆に私を不安に陥れて、混乱を加速させていく。
――ここで身体がブルッと震える。別に恐怖で震えたわけじゃなかった。
「と、トイレ」
膀胱を圧迫される感覚、これは男であった時と大差なかった。
急ぎ、安っぽくてキツイ芳香剤の臭いが漂う、狭いトイレへと駆け込む。脱ぐことがためらわれたが意を決して、寝間着と下着を同時に脱ぐ。
スルル。
「うぉっ」
野暮な言葉を、甲高い女の声にて吐き出す。
腰肉はほどほどで、骨盤はやや広めであった。俗に言う安産型の尻であったが、その付け根から伸び出た足は、ほっそりとしており、太腿は引き締まっていた。
「(男だった時も、身体は結構しぼってたからな)っと、漏れる漏れる」
冷たい便座に座ると、男だった時よりも不快感がいくらか強かった。
とりあえずはと、嫌々ながらも股間付近の確認を行う。陰毛の面積は狭く、毛も細いため、申し訳ない程度に生えている印象を与えた。
「うっ」
確認もそこそこに、ぶるっ、っと震えた後――チョロロロ――っと尻穴の辺りから小便が出始める。
シャー。
「……ふぅ」
弱くなった腹筋に力を加えて終えた後、未だ諦めきれない私は、細い指でもって、薄い陰毛をかき分ける。
ひょっとしたら男性器が矮小化なっただけで、まだ残っているのかも? って。
「どこ、だよ」
けどいくら探しても、陰毛の根元にある無数の暗い毛穴と、縦長なサーモンピンクの肉の襞が隠れ見えただけだった。
眉間を抑えつつ、水洗した後、四畳半の狭いダイニングへ向かう。食欲なんて当然なかったが、テーブルの椅子の背もたれに、女物のありふれたスーツが掛けられているのに気づく。
「上着とパンツスーツ、か」
だが確かに、もしも私が女だったら、スカートなんて履かなかったのかもしれない。
よくよく周囲やクローゼットを見返すと、服や下着も、飾り気があるのはあまり無く、スポーティーなのが多い気がした。
「いや、けど。……ん?」
テーブルの上には小さな紙袋があり、中には落ち着いた色のコスメが入っていた。まるでつい最近、自分が購入した気配すらあった。
「女はスッピンで外へ出ちゃダメなのかよ」
その袋の中身と地味なスーツを、一分ばかし、ジッと見つめた。
* * *
ガタン、カタン。ガタン、カタン。
その後、私は、まさかの行動を二つ取っていた。
一つ目は化粧だ。とは言っても、動画を横目で睨みつつ、口紅とファンデとマスカラを、見よう見まねで塗っただけであった。アイシャドーなんて当然だがやってない(というかやり方が短時間ではわからなかった)。
ガタン、カタタン。
そしてなぜ、そんなトチ狂った行為をしたかというと、二つ目の理由である、電車へ乗って勤め先の会社へと向かうためであった。もちろん現実を全て受け止めきれた訳じゃない。
「(女になってしまったことを確かめるなら、通い慣れている会社でわかることもあるはず)――せまっ」
ギュウギュウの車内は、ある意味ではいつも通りであった。現在、住んでいる場所は大都市のベッドタウンの役目を持ち、朝はだいたいこんな感じだ。
ハンドバッグを胸に抱いて首を動かすも、周囲の会社員が、いつもより高く見えた。
もちろん、連中の背が急に伸びたわけじゃなく、私の背が低くなったんだ。それでも、百六十センチくらいはあるように思えるが……。
「(家に一人でいたら本当に頭が狂いそうだった)にしても、進んで出社する日が来るとはなぁ――」
超小声で愚痴る中、次の駅にて停車する。人の乗り降りが濁流のごとく行われて、結果的に人口密度がさらに高まる。
花見についての広告が垂れ下がっているその真下、携帯も触れないくらいの狭さなので、仕方なく脳内会議を継続する。
――昔からの知り合いの発言も、物的な証拠も、全て私が女であったことを物語っていた。つまり勤め先だって、女の私を採用したことになっている、はず。
男に戻れる方法があるかは別で考えるとして、しばらく女の身体で過ごさざるを得ないのは間違いなさそうだ。となると今後、何が起こるかわからないため、やはり無駄に有給を浪費することは避けたい。
モゾ。
――にしても、女という生き物はとにかく大変だと、このわずかな時間で痛感させられた。
まず化粧に時間がかかるし、洗顔や髪型を整えるのが男の何倍も邪魔くさい。さらに駅へと走る際に気付いたが、体力も筋力も低く、それに革靴は窮屈で走りにくいし、揺れる胸がうっとうしいことこの上ない……。
モゾモゾ。
「(てか、なんだぁ? さっきから尻の辺りに何か)ん」
人が多いからとあえて無視していたが、ケツの辺りで、ズボンの上から何かが何度も当たってきた。
「(人が多いからしょうがないけど。子供でもいるのか? いや、こんな朝のラッシュ時に)――ッ!」
ゾワワッ、うなじの辺りを毛虫が這うような感覚が走る。
い、今。人の手が、意志をもって私の尻に吸着してきやがったっ。
「(ほ、ホモ? ちが、今は女の身体だから)――こ、れは」
手の平と指をグニグニと、気持ちよさそうに押しつけてきたかと思うと、指で掴むように引っ掻いてくる。そのつど、柔らかな尻は、その歪な握力に合わせて、柔軟に形を変えた。
「(これって、痴、漢? ヒィ、やっべ。どう、すれば)ぅ」
恐怖と動揺で頭が沸騰しかける。
――ふと男だった時、痴漢の話を聞くつど感じた事を思い起こしてしまう。
『コイツ痴漢だぞ~』って言えば済むだけの話なんだと。ほんと女ってだらしねぇな、と。
けど、実際に恐怖で立ち尽くす我が身をもって痛感する。声を出せと脳が命令しても、神経はまるで霜が降りたかのように凍って、指先一つすら満足に動かせない。
見知らぬ男に身体を触られるのが、これほど苦痛で恐ろしいなんて。
モミュ
! ――そ、そうしている間も、動けない私に気を良くしたのか、人差し指の爪を立てて、ズボンの上から尻の谷間をなぞり始める。あまりの気持ち悪さとくすぐったさに、身体が縦にビクリと震える。
「(キモいキモいキモい)ぁ、っ」
ハンドバッグをギュッと抱き締め、歯を食いしばりながら目を瞑る。人の密度がすごい中、何とか力を込めて尻をわずかに右側へ移動させる、が。
――モニ、グニ、グニュ。
「ひっ」
まるで、悪代官が戯れと悦ぶみたく、ゆったりと追ってきて、簡単に掴まれる。
同時に『逃げていいなんて誰がイッた?』と責めんばかりに、尻と太腿の間あたりをつねられる。
グッ、グニ。
き、気色悪い意志の疎通と軽い痛みに、開きそうになった口を無理矢理に手で塞ぐ。不快感と恐怖を受け続けたせいか、尻のあたりがジンジンと熱くなってくる。
ガー、プシュー。
「(駅?)わっ」
途中の停車駅に止まり、再び人が出入りする。自身も含めて、立ち位置がシャッフルされ、先ほどより一メートルほど隅へ動かされた。
「(ハァ、フゥ。お、終わった?)く、ぅ」
情けない事に、両肩が震えて涙が出そうになるのを、必死に堪えるのが精一杯だった。
――ち、痴漢ってあんなに怖いんだ。恐怖で本当に身動きが取れず、指一本動かすのさえ苦しかった。
いや、それだけじゃない。自尊心を踏みにじられ、さらに顔面に小便をかけられて、指で差されて笑われたくらいの屈辱だった。
身をもって知ったからこそ言えるが、痴漢するヤツはみんな●ねばいい。
――けど、悪夢は続いた。
「(あと、一駅)……ひっ!」
ガッ、ムニュゥ。
病的なくらいにおぞましい電気と熱が、ビリリ、っと尻から全身へ伝播する。さらに、油断していたためか、痺れがお腹の下の深い部分をも触れてくる。
壊れた玩具みたく首をギギギと左後ろへ回すと、すぐ背後の背の高いスーツ姿の中年が、私の尻を、鷲づかみにしていた。
顔は雑誌で隠しているが、震える女の尻をこっそりと掴む男の表情なんて、想像するだけで反吐が出た。雑誌の隙間から漏れる微かな息遣いがキモすぎて、ムカついて――でも身を縮こめて目をつむるしか出来なかった。
「(こ、今度こそ、助けを、求めない、と)――ぃ!」
私の心の怯えと連動して震える尻を、あたかも舐めるように触ったかと思うと、やがて人差し指をピンと立てて、素股みたく差し込んでくる。
シュ、シュ、シュ。
「(キモいキモいキモいキモい。もぅ、ほんうやだっ!)ひ、ぐっ」
まるでチンポの代わりと言わんばかりにピストン気味に擦られて、そのつど、パンツスーツには歪なシワが何本も刻まれた。
六割の不快感と、三割の恐怖、そしてよくわからない一割の熱にほだされ、股間がジーンと痺れ熱くなる。
「(もぅ、立って、られなく、なって)!」
しかし地獄は終わらなかった。信じられない事に、その指先を鉤爪へ変形させたかと思いきや、股間の――ま、前部分を指で引っ掻いてくる!
カリ、グニ。
男の爪が恥骨の辺りを擦り、そのつど、股から下がジリジリと震え、脚が産まれたての子鹿みたく内股になっていく。
さらに第二関節の辺りで股間の頂点を、グリグリと刺激してきて、も、ほんと、キモすぎて倒れ、そう。
そこで……やっと――。
「(は? ぅ)わっ」
目的駅に着き、人の洪水に巻き込まれて下車する。
……結局、放心状態から我に返れたのは、発着駅の端に立ち、電車が発車した後だった。
人が忙しげに行き交う中、立ち尽くし、さらに小さな嗚咽が漏れそうになる。
「ひっ、グ、うぅ」
痴漢、怖すぎだろ。
今までAVとかで妄想してごめんなさい。気持ち良くなるとかあり得ないです。恐怖とキモさでもって、人間性を踏みにじる最低な行為だった。
――そもそも、泣いたのなんていつぶりだ? 男だった頃では思い出せず、女になった初日に、泣かされるなんて。
涙を指先で抑えていると、心配してか(もしくは不信に思ってか)、駅員がこっちを見て話しているのに気付く。
捉まる訳にはいかず、さりとてまだ泣き足りず、心を落ちつかせるため、急ぎ逃げるようにして、駅のトイレへと直行した。
バタン!
「……うぅ、ウウ、くっ」
危うく男子トイレに入りそうになったが、女子トイレの個室の便座に座る。ハンドバッグにあった女物のハンカチで涙を止めると、一滴一滴が吸い込こまれていった。
人生で一番と言える、最低な出勤であった。臭う個室にて、顔面を覆って五分ほどが経つ。
「(でも、そろそろ行かないと)グス。あー、マジ最低」
よろよろと立ち上がり、個室から出ようとした時だった。股の辺りからヌルっとした奇妙な感触があった。
「? なんだ?」
慌ててパンツスーツと併せて下着の端へ指をひっかけて、下へとズラす。
よくよく見ると、パンティーのクロッチ部分に、小さな沁み? みたいなのが出来ていた。
まさか、恐怖のあまりに失禁したとでも?
「けど、にしては量が少ない?」
眉をひそめつつ指先ですくい取ろうとすると、僅かながら粘性のあるナニかが付着する。だが、鼻に近づけて嗅いでも、トイレ独特の異臭に邪魔されて、よくわからなかった。
「――まぁ、いいか。量もそれほどじゃないし。病気でも無いだろう」
そう呟き、ズボンを履き直した後、逃げるように会社へと向かっていった。
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