養父失格

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一話 僕と久美

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 秋深く、まんまるな月が帰り道を照らす。回りの家のあちこちでは当然ながら明かりが付いており、小さな笑い声が聞こえる。
 真っ暗な十九時過ぎの帰宅。購買担当という内勤の僕だが、これでもかなり早く帰れた方であった。
 ガチャ。築三十年以上の中古の戸建ての扉を押し開ける。
「あっ! お養父とうさん、おかえりなさい」
 玄関にて靴を脱ぐ僕へ、居間から明るい声が届く。配膳をしていた高校一年の養娘むすめである久美が、制服姿のまま、満面の笑みにて顔をのぞかせる。
「あっ、ごめんな。久美」
 反対に申し訳なさそうな表情を作る僕は、急ぎ背広を脱ぎ、手を洗って夕飯の準備に参加するが、
「もうほとんど終わってるから、大丈夫だよ?」
 言葉の通り、温かい汁物や料理が食卓に並べられて、箸置きすら置かれていた。
「(妻がいないからって、こんなことさせて)……本当にすまない」
 ヤングケアラーという言葉を思い浮かべて、胸が小さく痛む。
「もぅ、お義父とうさんは真面目過ぎっ」
 エプロンをほどきつつこちらへ近寄り、つんつん、と胸のあたりを指で押してくる。
「今のあたしがあるのは、全てお養父とうさんとのおかげなんだから」
「――ありがとう。でも、久美。お養母かあさんのおかげでもあるぞ?」
 小さく笑いながら返す。
「……そうだね」
 そう返すと、一瞬だがほんの僅かに寂しそうに笑った。僕か、あるいは妻でなければ気づけないような、瞬きほどの微細さで。
 この義娘のこんな表情を見る度に思う。僕は本当に、父親おやをしてあげられているのだろうか? ――と。


 飯塚秀一こと僕は、今年でちょうど四十歳になる凡庸な会社員だった。中小企業の購買課に勤めており、樹脂やプラスチック製品の買い付けをしていた。
 中肉中背で、能力も欲も人並みと取り立てて特筆すべきことはなく、エキストラを絵に描いたような存在であると言えた。ただ一点を除いて――、
 飯塚久美(旧姓は羽橋久美)という養子が同居していることだ。久美の父親はかつての僕の親友であり、久美がまだ五歳の時、つまり十一年前のある日、奥さんと共に交通事故に遭ってしまった。
 搬送先で何とか延命を図るも、容態が安定しない日々がずっと続いた。彼には親兄弟がおらず、奥さんは実家と絶縁状態。そんな二人が生死の狭間で唯一気にしていたのが、久美のみであった。
 最期の面会の際に、あいつは言った。

 ――遺産はあまりないが、多少の額にはなるであろう生命保険金を、好きに使っていい。だから、久美を引き取ってくれ。あの娘を託せるのは、お前だけだ――

 元より金など二の次で、親友の、しかも面識のある久美を、放っておくなどできなかった。
 また、僕と妻の間に子供がいなかったことや、妻の義理堅い性格も手伝い、登記上の手続きもすませ、彼女くみを養子として迎えられた。安心して気が抜けてしまったように、やがて羽橋夫妻は亡くなった。
 それからしばらくは久美の涙をぬぐう日々が続いた。自己の運命を呪い、塞ぎ込み、顔見知り程度の我々を大いに不信がった。僕はまだしも、人生を預けてくれた、妻には申し訳ない気持ちでいっぱいであった。
 だが、止まない雨がないように、僕と妻の熱意は、少しずつ、彼女の凍った心を、溶かしていった。
 六歳は拒絶の年で、
 七歳からは馴れのための練習期間となり、
 八歳でようやく、小さな笑顔をみせはじめ、
 十歳ぐらいから、家族と呼べるような仲となれた――。
 過ぎ去る日々の中で振り返ると、僕は、久美に同情し過ぎていたのかもしれない。もちろん、悪いことをすれば叱った。例えば、道路への飛び出しなどの危ない事態には本気で怒った。
 だがそれは久美を心配してのことであり、久美も僕のそう言った怒りを、いつも理解してくれた。
 そうして心から接した日々の積み重ねは、分厚く深い信頼の層となった。
 それだけじゃない。いつしかお互いが何を考えているのか、どうしたいのかも、話さずとも共有できるように通じ合っていった。
 心身をもって望み、時間をかければ、健全で温かい家族の愛は、血の繋がりがなくても実現できる。
 ……その時の僕は、そう信じていた。


「――さん?」
「!」
 夕食を終えた僕は、成長した久美を見つつ、ぼーっとしていたようだ。
「お養父とうさん。疲れてる?」
 長いまつげをシパシパさせ、大きな瞳で僕を見やって心配してくれる。親馬鹿を地で行くけど、こうやって間近で見ても、結構かわいい方だと思う。学校でも男の子から人気なんじゃないかな?
「ごめん、ごめん。何でもないよ」
 そう言って、いつまでも若くない中年らしく、小さな皺を刻んで笑う。久美は吐息が届く距離のまま、
「――ソファに座って休みなよ。カフェオレでも用意するから」
 優しく気遣ってくれるのはいつものことだが、ここのところ、いつにも増して気を利かしてくれているように感じた。パタパタとスリッパを鳴らして、対面キッチンへと戻る。
 不思議がる理由は、ここ数日で久美の負担は確実に増えてしまっているためだ。なぜなら、家事を行ってくれている妻が、会社からの長期出張を命じられ、三日前から米国アメリカのフロリダ州へ出張しているためだ。
 妻は僕よりも遥かに優秀な人間ひとで、英語が堪能なのはもちろん、事務処理も営業もでき、家事までやってのける優良女性社員スーパーウーマンであった。その妻がいない中、本来であれば僕がやらないといけない家のことを、ほとんど久美がしてくれている。
「あ、ありがとう。でも、本当に無理するなよ?」
 勉強やクラブで忙しいはずなのに、時間を作り、夕食はおろか僕の分のお弁当まで用意してくれていた。
 三日坊主で終わってくれれば逆に気楽だが、きっとそうはならない。久美の性格と傾向から、一度決めたことは、最後までやり抜くだろう。
「(どこかで、落ち着けてあげないと)ふぅ」
 と言いつつも、ここのところ会社も忙しい。急激な円安や原材料の値上げで、てんやわんやだ。
 カチャ、
「おまたせいたしました~」
 霞のような柔らかい湯気が立ち昇る。久美がカフェオレとクッキーを、ソファの前にあるテーブルに置く。
「ありがとう、久美」
 そう言って少し横へとずれる。久美はスカートを抑えつつ、静かに腰を降ろす。
「ふふっ」
 笑みをこぼす久美は、やはり快活としていた。
「どうした?」
「だって、お義父さんとこうやって二人きりって、久しぶりだし」
 そういって、わずかに距離を詰めてくる。
「――そうだったかもな」
 妻と相談してのことだが、思春期に入ったころくらいから、少しずつ距離を取るようにしていた。親離れできないことへの配慮と、逆に毒親にならないための予防策であった。
 しかし、こうやってみると、距離を取り過ぎていたのかもしれないと反省する。
「ふぅー、ふぅー」
 長めのセーターの袖を伸ばして、マグカップを持つ久美は、ズズズ、っと音を立てて飲む。僕はカップを手に取りつつ、
「なかなかの猫舌ですな」
 笑いながら一口、飲む。
「猫舌女子高生、……ラノベでありそうじゃない?」
 いや、やっぱないかな? っと打ち消すように笑いかける久美むすめが、本当にいとおしかった。
 ――高校はどうだ? などと、心配しているようでしていないセリフは言わない。そう言った根幹的なことは、本当の信頼関係が築けていれば、向こうから話しかけてくる。そう信じて十年以上、支えてきたつもりだ。
 いや、支えてきた、なんて言葉自体が自惚うぬぼれか――、
「ねぇ、お養父とうさん」
 そう言って、肩を寄せてくる。
「あたしのこと、好き?」
 ……こんなセリフを言わせるのは、父母おやの愛が足りなかったからだろうか。久美は妻に遠慮しているふしが少しあり、二人っきりの今だからこそ、こんな動作となって現れたのかもしれない。
「うん、好き。そして大切だ」
 そう言って、久美の頭を撫でる。柔らかな薄い栗色の髪に触れる。
 久美はますますこちらへ身体を傾けて
「あたしもお養父とうさんのこと、大好きだよ」
 照れながら呟く彼女へ、そこはお養母かあさんもだろう? っと言おうと思ったけど、水を差すような気がして止めた。
 女性特有の髪の淡い香りが鼻孔をくすぐる。――そうか、久美も女子こどもから女性おとなへなりかけているんだな。
「ねぇねぇ」
 無邪気に甘えるような、伺うような上目遣いで僕を見る。
「なに?」
 お小遣いの催促かな? それもいいだろう。同世代の子達に比べて、久美は物欲が少ない、あるいは抑圧しているきらいがあった。
「ちょっと、変な話をしてもいい?」
「変な話?」
 斜め上な感はあったが、別に構わない。これまで、妻との特別な約束を除いて、久美とはできる限り隠し事なしで接してきた。
 むしろ、少しでも話し辛いことがあるなら、真っ正面から受け止め、おくびなく返していきたい――、
「あのね。お養父とうさんじゃなくて、パパ、って呼んでもいい?」
 少し恥ずかしそうに告げた言葉は、十二分に可愛らしかった。久美の幼少時から、親に対する二人称について、パパとママはやめようと妻が言い出し、僕もそれに応じた。
「(そう呼びたかったのか、気付けなくてごめんな)うん、構わないけど――」
「お義母さんが帰ってくるまでの間だけ」
 そう言って右腕をギュッっと抱きしめてはにかむ。十六にもなる養娘むすめの積極的なスキンシップを少し喜び、少し照れ、少し心配しつつ返す。
「えっと、それが変な話?」
「あ、違うの。あのね、お養父とうさ――パパ」
 抱きしめる力を、少し弱めつつ、
「パパはさ、オナニーとかするの?」
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