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序章 フィルムという調合士
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「アワクラダケか。こんな所に生えているなんて珍しいな――」
山路に一本だけ生えている北欧楢の根元にて屈む。左手に持った銅のヘラで、丁寧に周囲の土を掘ってから採取する。
この斑模様の茶色のキノコは、一見すると毒キノコに見えるけど、適切に処理すると解熱の効能がある。流通量が多いため安価で、僕ら調合士にとっては馴染みのある素材であった。
ただし、外観がとても似ているユラダケは猛毒だから注意が必要だ。
「ふぅ」
季節風が樫の樹林を泳ぐみたく流れる。それは僕の白のフードを飛ばして、木漏れ日が茶色の短髪に当たる。
全て陽光の降り注ぐ、リブリア山脈中腹の昼下がりのことであった。
二十歳の割にやや小柄な僕は、背に背負うやや不釣り合いに大きな採取箱をそっと下ろす。額の小さな汗を拭いつつ、楡とわずかな真鍮でできた、箱の留め紐を外して開ける。
ガパッ。
――薬草は元より、調合薬の素材となる花卉類や果実、種子、樹皮からキノコといった地衣類など、挙げたらキリがない。また採取物から放たれる独特な臭いが箱の中で混ざり合い、さらに独特な異臭となって鼻を突く。
風下にいた小さな毛長鼬鼠が、顔を洗う素振りをして慌てて逃げ離れた。
「――にしても、子供の時に比べたら、採れるものが少し変わったな」
例えばこのワーピクの球根だ。ノビルみたいなこの植物は、強壮剤として使えるけれど、もっと暖かな広葉樹林帯での自生が一般的だ。
「村へ訪れた行商人の話だと、ボルト高地で真火竜が現れたっていうし、一体――?」
落葉樹林の葉が作る樹冠の隙間より、空を見上げる。
蒼穹は初秋の穏やかな陽に輝き満ち、ちぎれ飛ぶ雲は、我関せずとふんわり浮いていた。すぐ近くの西洋檜の木の枝の上にて、小リスがドングリを持ったまま、じっと僕を見下ろしていた。
「何かの前触れ……なんて、あるわけないか」
そう、だよな。世界を覆い護る天は偉大そのもので、大地を支えるのは大いなる慈母神。この二つが壊れる日なんて、永劫おとずれることは無いだろう。――少なくとも人間なんかに、どうこう出来るわけないか。
そう考えていると、さっきまでの不安が杞憂だったと頭をかいて、採取箱を再び背負い込む。さっきよりもいくらか軽く感じた。
「さってと。そろそろ村へ戻って調合の方も行わないと」
朝晩の冷え込みが厳しくなり、水の温度も変わるこの時期は、みんな何かしら体調を悪くしがちだ。治癒官も癒し手も常在しない、辺鄙な村だからなおさらだ。
尾根に沿って土を蹴り進むと、大黒文字の実が放つ香気に誘われる。目をやるに、斜面に生えてさえなければ採取できたのに――っと後ろ髪を引かれつつ、下山を続ける。やがてなだらかな獣道を降り進むと、背の高いオシダが群生する窪地へと降り立つ。
もうすぐ森を抜けるその手前にて、天気鳥の変わった囀りを耳にした。
「ん?」
何かが視界の端を揺らし、風に乗った獣臭が鼻をつく。ひょっとしたら、突撃猪が冬支度のため、ドングリか何かを食いだめしにきた?
「――参ったな」
シュラン。
刃渡りが腕の半分くらいの、銀の短刀を抜く。父さんの形見のこの短刀は、銀製のため魔除けの効果があった。
「(とは言え。通常の魔獣が相手だと)ただのよく切れるだけの短刀なんだけど」
ザザッ、ザ。
オシダが直線的に揺れ寄ってくるも、姿は見えない。突撃猪は雑食性で、大きいのは牡牛くらいのサイズだ。冒険者ギルドの危険度ではDランクに分類されており、馴れた冒険者達からすると手頃な獲物かもしれない。
けど、腕に全く自信がない僕にとっては強敵もいいところだった。護身用の調合薬を服用すべきか躊躇していると――。
「え?」
オシダの揺れが急に曲がったかと思うとそのまま遠ざかり、次第に物音ごと視界からいなくなった。
? ひょっとしたら、実は大角鹿の子供だったりとか? ――いずれにしても、大人の男なのにビビリ過ぎだぞ、僕。
「スン。スンスン――でもまだ獣臭が漂っている」
しかもあまり嗅ぎなれない麝香(※ジャコウジカの雄の腹部にある香嚢)を薄めたみたいな、癖のある匂いに感じた。
「と、とにかくここを抜ければ、ミブの村まで少し――」
急ぎ納刀しつつ低姿勢になり、オシダの下に身を隠しつつ、森の切れ目まで走っていった。
焦って必死だった僕は、気にも留めなかった。実際に突撃猪はいて、けど別の獣に驚いて、この場を離れた可能性になんか。
……何より、近くの背の高い一番杉の枝に、艶めかしい銀毛の半獣がいた事なんて、欠片も意識を向けられなかった。
「ウニャ?」
* * *
「せ~んせ~。お薬ちょ~うだい」
無事に帰宅し、家の窓から入る陽の色が変わり始めた頃だった。建付けが悪くなった木の扉を叩く音と、男の子の声がしたため、調合室にいる僕は、木製の乳棒とすり鉢を置く。
「ロームかい? ちょっと待ってて」
リネンハーブの調合を中止し、椅子から立ち上がる。左隣の四段ある棚の上から二つ目の、さらに一番右の小さな引き出しを開ける。乾燥したアワダチソウにて包んだ調合薬を一服取り出して、部屋を出て、さらに玄関の扉を開ける。
ガチャ。
――西の山々の稜線に、太陽がかかり始めていた。目で見ても痛くないくらいの、穏やかな斜陽でもって、人里離れたこのミブの村を朱に染めていた。リブリア山地の中腹に位置するこの集落は、三十件くらいの木造の古い家屋ばかりであった。僕の家は薬の素材が発する臭いなんかを考えて、集落より少し離れた位置に構えていた。
夕陽が刻まれる中、村の方では鶏が各々の小屋の中へと帰り、また吊るされた小麦を取り入れたりしていた。やがて夕餉のための小さな炊煙が、何本も立ち上ってゆく。
「フィルムせんせ。おばーちゃんのお薬ちょうだい」
茶色の髪に緑のチェニックを着ている八歳の男の子ことローム=ルクブットがやって来ていた。後ろには六歳の妹のメナリがこちらをそっと見上げている。
二人は、咳に苦しむ祖母のためにと、五日に一度、お使いにやってきていた。
「二人共。家のお手伝い偉いね」
膝を曲げて笑いかけると、ロームは得意そうに、けどメナリは兄の後ろに隠れた。
「オレとしては、早く牛飼の方を手伝いたいけどね。――ってメナリ。せんせのことが好きだからって、隠れんなよ」
「や、やめてよお兄ちゃん」
ギュ、と背後より服を引っ張られて、ロームはバランスを崩しそうになる。二人の頭を撫でてから、薬を手渡しする。
「いつもの通り、おばあちゃんのお薬だよ。飲み方に気を付けて」
「うん――あっ。お金お金」
そう言うとロームは、右手に握りしめていた銅貨を二枚、手渡してくれる。
チャリリ。
「ありがとう。早く元気になるといいね」
「せんせの薬飲んでるから、すぐに治るさ。じゃね今度また、山のお話を聞かせてよな」
「せ、せんせ。ば、バイバイ」
赤く笑う二人へ手を振る。見送った後、入れ替わる形で人影があくる方向から現れる。
「いつもすまんのぉ、フィルム君」
青色の緩いローブに身を包んだ温和な表情の老人は、この村の村長であった。白い髪と髭を撫でつつ、口元へ何本もの皺を刻んだ。
「村長。どうかしましたか?」
集落からいくらか離れたこの家に、最年長者に出向かれると、どうしても遠慮してしまう。
「礼を言いにじゃよ。今の調合薬、町で買えば銅貨二枚などでは、とても支払えんのでは?」
なるほど。そんなことか。
「気にしないでください。僕だっからて野菜や卵、パンをみんなから分けてもらったりしています。それに、父だってそうやってここで暮らしてきました――」
この山の麓にあるカナンの町で当時、憲兵だった父さんは、病弱だけど識者だった母さんと知り合ったそうだ。あまり容態が芳しくない母さんのために、父さんは憲兵を辞めて、調合士に転職して、母さんを治療する道を歩んだ。
短い歳月の間、技術を向上させる父さんの献身的な介護で、小康状態を保てる様になった。――けど僕を産んだ後に体調を崩しやすくなり、療養のためにと、この村へやってきたという。
「薬の技術や多くの知識、何よりその優しは、まさにあの二人が君に遺した遺産じゃな」
「そんな――」
でも結局、母さんは僕が十歳くらいの頃に亡くなり、父さんも二年前の冬に、薬の素材採取に出掛けて、そのまま帰って来なかった。
家族を失った僕だけど、二十年近くを過ごしたこのミブの村を離れる踏ん切りがつかず、父さんの処方箋(※調合について詳細を記した羊皮紙)を読み取りつつ、村のために薬を作る道を選んだ。
大陸全土においては、国同士の政情が不安定で、さらに魔物が闊歩する激動の時代。多くの若者が目指した様な、一旗を揚げようという野心が、僕には欠けていたのかも知れない。
「僕なんて、まだまだもいいところです」
「謙虚じゃのぉ。しかしまだ若いんじゃ。街へ行って腕を試したり、自分の価値を磨きたいなどとは思わんか? 例えば、遠いがエオルフォンの街などあろう」
エオルフォンはここから山を三つ越え、さらに関所を越えた先にあると聞く大きな街だ。王国内でも冒険者ギルドが特に発展していて、活気があり経済も活発であるとか。
「(興味が無いと言えば嘘になるけど)今はこの村で、もっと調合士としての腕を上げて、実地を積み上げたいのです」
「ふぉっふぉ――本当に誠実な男に育ったな。もし何か困ったことがあれば、遠慮なく何でも頼っておくれ。ワシはこう見えても、昔はそこそこの弓士で、魔獣を相手に……」
確かに村長は年齢の割に足腰が強く、身体もガッシリしていた。
「いえ、危険区への採取なんかはしませんから。――あっ、お薬はいかがします?」
「ほっほっほ。――ワシの分があるくらいなら、他の者に分けてやってくれ」
夕陽が欠ける間際、その柔らかな人柄に触れて、僕の心はいくらかほぐれた。
長老やローム達だけじゃない。村のみんなは、この陽光や秋風みたいな穏やかな気性そのものであり、何気ない人情味は、好意そのものであった。そして、だからこそこの村にいたいと思うんだ。
風に誘われて、ふと東側の遥か遠くの山々へ目をやる。もっとも高い霊峰フィヴリエールの頂きが落日(※西方へ沈む太陽)を浴び、金色に輝いて見えた。
山路に一本だけ生えている北欧楢の根元にて屈む。左手に持った銅のヘラで、丁寧に周囲の土を掘ってから採取する。
この斑模様の茶色のキノコは、一見すると毒キノコに見えるけど、適切に処理すると解熱の効能がある。流通量が多いため安価で、僕ら調合士にとっては馴染みのある素材であった。
ただし、外観がとても似ているユラダケは猛毒だから注意が必要だ。
「ふぅ」
季節風が樫の樹林を泳ぐみたく流れる。それは僕の白のフードを飛ばして、木漏れ日が茶色の短髪に当たる。
全て陽光の降り注ぐ、リブリア山脈中腹の昼下がりのことであった。
二十歳の割にやや小柄な僕は、背に背負うやや不釣り合いに大きな採取箱をそっと下ろす。額の小さな汗を拭いつつ、楡とわずかな真鍮でできた、箱の留め紐を外して開ける。
ガパッ。
――薬草は元より、調合薬の素材となる花卉類や果実、種子、樹皮からキノコといった地衣類など、挙げたらキリがない。また採取物から放たれる独特な臭いが箱の中で混ざり合い、さらに独特な異臭となって鼻を突く。
風下にいた小さな毛長鼬鼠が、顔を洗う素振りをして慌てて逃げ離れた。
「――にしても、子供の時に比べたら、採れるものが少し変わったな」
例えばこのワーピクの球根だ。ノビルみたいなこの植物は、強壮剤として使えるけれど、もっと暖かな広葉樹林帯での自生が一般的だ。
「村へ訪れた行商人の話だと、ボルト高地で真火竜が現れたっていうし、一体――?」
落葉樹林の葉が作る樹冠の隙間より、空を見上げる。
蒼穹は初秋の穏やかな陽に輝き満ち、ちぎれ飛ぶ雲は、我関せずとふんわり浮いていた。すぐ近くの西洋檜の木の枝の上にて、小リスがドングリを持ったまま、じっと僕を見下ろしていた。
「何かの前触れ……なんて、あるわけないか」
そう、だよな。世界を覆い護る天は偉大そのもので、大地を支えるのは大いなる慈母神。この二つが壊れる日なんて、永劫おとずれることは無いだろう。――少なくとも人間なんかに、どうこう出来るわけないか。
そう考えていると、さっきまでの不安が杞憂だったと頭をかいて、採取箱を再び背負い込む。さっきよりもいくらか軽く感じた。
「さってと。そろそろ村へ戻って調合の方も行わないと」
朝晩の冷え込みが厳しくなり、水の温度も変わるこの時期は、みんな何かしら体調を悪くしがちだ。治癒官も癒し手も常在しない、辺鄙な村だからなおさらだ。
尾根に沿って土を蹴り進むと、大黒文字の実が放つ香気に誘われる。目をやるに、斜面に生えてさえなければ採取できたのに――っと後ろ髪を引かれつつ、下山を続ける。やがてなだらかな獣道を降り進むと、背の高いオシダが群生する窪地へと降り立つ。
もうすぐ森を抜けるその手前にて、天気鳥の変わった囀りを耳にした。
「ん?」
何かが視界の端を揺らし、風に乗った獣臭が鼻をつく。ひょっとしたら、突撃猪が冬支度のため、ドングリか何かを食いだめしにきた?
「――参ったな」
シュラン。
刃渡りが腕の半分くらいの、銀の短刀を抜く。父さんの形見のこの短刀は、銀製のため魔除けの効果があった。
「(とは言え。通常の魔獣が相手だと)ただのよく切れるだけの短刀なんだけど」
ザザッ、ザ。
オシダが直線的に揺れ寄ってくるも、姿は見えない。突撃猪は雑食性で、大きいのは牡牛くらいのサイズだ。冒険者ギルドの危険度ではDランクに分類されており、馴れた冒険者達からすると手頃な獲物かもしれない。
けど、腕に全く自信がない僕にとっては強敵もいいところだった。護身用の調合薬を服用すべきか躊躇していると――。
「え?」
オシダの揺れが急に曲がったかと思うとそのまま遠ざかり、次第に物音ごと視界からいなくなった。
? ひょっとしたら、実は大角鹿の子供だったりとか? ――いずれにしても、大人の男なのにビビリ過ぎだぞ、僕。
「スン。スンスン――でもまだ獣臭が漂っている」
しかもあまり嗅ぎなれない麝香(※ジャコウジカの雄の腹部にある香嚢)を薄めたみたいな、癖のある匂いに感じた。
「と、とにかくここを抜ければ、ミブの村まで少し――」
急ぎ納刀しつつ低姿勢になり、オシダの下に身を隠しつつ、森の切れ目まで走っていった。
焦って必死だった僕は、気にも留めなかった。実際に突撃猪はいて、けど別の獣に驚いて、この場を離れた可能性になんか。
……何より、近くの背の高い一番杉の枝に、艶めかしい銀毛の半獣がいた事なんて、欠片も意識を向けられなかった。
「ウニャ?」
* * *
「せ~んせ~。お薬ちょ~うだい」
無事に帰宅し、家の窓から入る陽の色が変わり始めた頃だった。建付けが悪くなった木の扉を叩く音と、男の子の声がしたため、調合室にいる僕は、木製の乳棒とすり鉢を置く。
「ロームかい? ちょっと待ってて」
リネンハーブの調合を中止し、椅子から立ち上がる。左隣の四段ある棚の上から二つ目の、さらに一番右の小さな引き出しを開ける。乾燥したアワダチソウにて包んだ調合薬を一服取り出して、部屋を出て、さらに玄関の扉を開ける。
ガチャ。
――西の山々の稜線に、太陽がかかり始めていた。目で見ても痛くないくらいの、穏やかな斜陽でもって、人里離れたこのミブの村を朱に染めていた。リブリア山地の中腹に位置するこの集落は、三十件くらいの木造の古い家屋ばかりであった。僕の家は薬の素材が発する臭いなんかを考えて、集落より少し離れた位置に構えていた。
夕陽が刻まれる中、村の方では鶏が各々の小屋の中へと帰り、また吊るされた小麦を取り入れたりしていた。やがて夕餉のための小さな炊煙が、何本も立ち上ってゆく。
「フィルムせんせ。おばーちゃんのお薬ちょうだい」
茶色の髪に緑のチェニックを着ている八歳の男の子ことローム=ルクブットがやって来ていた。後ろには六歳の妹のメナリがこちらをそっと見上げている。
二人は、咳に苦しむ祖母のためにと、五日に一度、お使いにやってきていた。
「二人共。家のお手伝い偉いね」
膝を曲げて笑いかけると、ロームは得意そうに、けどメナリは兄の後ろに隠れた。
「オレとしては、早く牛飼の方を手伝いたいけどね。――ってメナリ。せんせのことが好きだからって、隠れんなよ」
「や、やめてよお兄ちゃん」
ギュ、と背後より服を引っ張られて、ロームはバランスを崩しそうになる。二人の頭を撫でてから、薬を手渡しする。
「いつもの通り、おばあちゃんのお薬だよ。飲み方に気を付けて」
「うん――あっ。お金お金」
そう言うとロームは、右手に握りしめていた銅貨を二枚、手渡してくれる。
チャリリ。
「ありがとう。早く元気になるといいね」
「せんせの薬飲んでるから、すぐに治るさ。じゃね今度また、山のお話を聞かせてよな」
「せ、せんせ。ば、バイバイ」
赤く笑う二人へ手を振る。見送った後、入れ替わる形で人影があくる方向から現れる。
「いつもすまんのぉ、フィルム君」
青色の緩いローブに身を包んだ温和な表情の老人は、この村の村長であった。白い髪と髭を撫でつつ、口元へ何本もの皺を刻んだ。
「村長。どうかしましたか?」
集落からいくらか離れたこの家に、最年長者に出向かれると、どうしても遠慮してしまう。
「礼を言いにじゃよ。今の調合薬、町で買えば銅貨二枚などでは、とても支払えんのでは?」
なるほど。そんなことか。
「気にしないでください。僕だっからて野菜や卵、パンをみんなから分けてもらったりしています。それに、父だってそうやってここで暮らしてきました――」
この山の麓にあるカナンの町で当時、憲兵だった父さんは、病弱だけど識者だった母さんと知り合ったそうだ。あまり容態が芳しくない母さんのために、父さんは憲兵を辞めて、調合士に転職して、母さんを治療する道を歩んだ。
短い歳月の間、技術を向上させる父さんの献身的な介護で、小康状態を保てる様になった。――けど僕を産んだ後に体調を崩しやすくなり、療養のためにと、この村へやってきたという。
「薬の技術や多くの知識、何よりその優しは、まさにあの二人が君に遺した遺産じゃな」
「そんな――」
でも結局、母さんは僕が十歳くらいの頃に亡くなり、父さんも二年前の冬に、薬の素材採取に出掛けて、そのまま帰って来なかった。
家族を失った僕だけど、二十年近くを過ごしたこのミブの村を離れる踏ん切りがつかず、父さんの処方箋(※調合について詳細を記した羊皮紙)を読み取りつつ、村のために薬を作る道を選んだ。
大陸全土においては、国同士の政情が不安定で、さらに魔物が闊歩する激動の時代。多くの若者が目指した様な、一旗を揚げようという野心が、僕には欠けていたのかも知れない。
「僕なんて、まだまだもいいところです」
「謙虚じゃのぉ。しかしまだ若いんじゃ。街へ行って腕を試したり、自分の価値を磨きたいなどとは思わんか? 例えば、遠いがエオルフォンの街などあろう」
エオルフォンはここから山を三つ越え、さらに関所を越えた先にあると聞く大きな街だ。王国内でも冒険者ギルドが特に発展していて、活気があり経済も活発であるとか。
「(興味が無いと言えば嘘になるけど)今はこの村で、もっと調合士としての腕を上げて、実地を積み上げたいのです」
「ふぉっふぉ――本当に誠実な男に育ったな。もし何か困ったことがあれば、遠慮なく何でも頼っておくれ。ワシはこう見えても、昔はそこそこの弓士で、魔獣を相手に……」
確かに村長は年齢の割に足腰が強く、身体もガッシリしていた。
「いえ、危険区への採取なんかはしませんから。――あっ、お薬はいかがします?」
「ほっほっほ。――ワシの分があるくらいなら、他の者に分けてやってくれ」
夕陽が欠ける間際、その柔らかな人柄に触れて、僕の心はいくらかほぐれた。
長老やローム達だけじゃない。村のみんなは、この陽光や秋風みたいな穏やかな気性そのものであり、何気ない人情味は、好意そのものであった。そして、だからこそこの村にいたいと思うんだ。
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