ワーキャット♀の愛し方

ニッチ

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二話 陽だまりの中で

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「ハァ、疲っかれた」

 翌日の昼下がりは寝不足気味だった。昨晩の件について村の会合に出た僕は、魔霊を確認できなかったことについて弁明し、さらに念のためにと巡回も行った。安全確認が出来た明け方近く、ようやく寝台ベットへ寝転べた次第だった。
 ――本当は今この瞬間も寝たいくらいだけど、不思議な興奮が心の中でくすぶり続け、それを妨げた。得体の知れない熱によって、父さんの古びた書物の一冊、魔獣大全ビーストブックの八巻目を紐解き、沈静化をはかる。
 この全書シリーズは十七巻まであり、現在でも執筆されているらしい。著者は高齢だが有名で非常に精力的な魔獣使いビーストテイマーのバンホーン=クークル氏であった。何より、この大全を通して昨晩の彼女の正体を知ることができる、そう期待してページを開いた。

「――ただ問題は、八巻目しか持っていないことなんだなぁ」

 ……結局昨晩の、魔霊の確たる正体については――おそらくだけど――月光を浴びたあの銀毛の獣人だったと結論づけた。そして彼女に助けてもらい情けなく前屈みで村へ帰った僕を、皆は何を勘違いしてか、村一番の勇敢な人物と褒めたたえたのだった。村長なんかは果実酒おさけまで振る舞おうとした始末だった。

「でも実際は、何も出来なかった。無様にコケて、ただひるんでいただけだったのに」

 しかも獣人とは言え、女の子に助けられたなんて、情けないにもほどがある。
 憲兵だった父さんなら、あんな無様なことはなかったろうなと、木の壁に掛けられた銀の短刃へ振り向く。きっと弱卒な二代目の僕を、さも嫌悪していることだろう。
 ……二階の高さの位置にある天窓から入る穏やかな風が、魔獣大全の黄ばんだ羊皮紙ページをペラペラとめくり上げてゆく。同時に、僕の白のチェニックの襟元も揺らした。
 ――とりあえず、そろそろ切り替えて薬の調合の作業へ戻らないと。
 腕を伸ばして、本を閉じようと目線を戻した時だった。

「! この絵は」

 思わず引き寄せて、開いたページの左反面へ目が釘付けになる。
 まず灰色がかった硬そうな毛に覆われた、強靭な体躯たいくに鋭い爪と牙を持つ、二足歩行の獣人の絵が描かれていた。
 そしてその隣に、半分くらいの背丈で、白く柔らかそうな毛に覆われた、人間の女性の体形に類似した獣人が載っていた。絵のためか、手足の細部や毛の色の違いこそあれ、こちらはおおよそくだんの彼女と似通っていると直感した。

「ワー……キャット?」

 魔獣科獣人属猫族種と記載されていた。肉食よりの雑食性で、亜寒帯地方や高地に生息し、不定迷宮ダンジョンでも確認されている。一度の出産で約二頭前後を出産し、成体するまでは家族を集団単位として生活する。
 雄は灰色や茶色の毛色で剛毛であり、成長するに従い攻撃的になるが、家族や同種を守る傾向にある。雌は白の毛色が多いがまれに銀色の個体もあり、好奇心が旺盛とのことであった。さらに、雌は雄からの求愛を受ける際に強さの誇示よりも、どれだけ良質な獲物を提供――っとここから先は汚損していた。

「……いずれにしても、ルミオン山地の中腹みたいな乾燥した山岳地帯、あるいは気候の下で活動する魔獣せいぶつじゃないな」

 そう口にしつつも、気が付けば僕は三回ほどその短い説明文を読み直していた。手近にあった押し花を、しおりの代わりに挟みつつ思い起こす。
 少し、彼女の存在に感情が奪われ過ぎているんじゃ? だから、がんばってわざと眠気に負けてウトウトするよう努める。すると目蓋まぶたの裏に、やはり柔らかでしなやかな銀色が、生き生きと動き出してしまう。

「あぁん。もぅ!」

 小さく胸が鳴り続ける。なぜだろう? 彼女のことが少しわかったからだろうか。――いやいや、知ったところでどうしようもないじゃないか。だって今頃きっと、山の斜面を蹴って、山葡萄ヤマブドウの実をかじり、野兎を追いかけて、オークの枝の上で毛繕いでもしているのだろうから。

「ハァ……」

 カタカタ。
 裏口の木の扉を風がノックしたことで我を取り戻すも、顔を覆う。
 なんで僕はさっきから、彼女のことばかりを考え思い返すのだろう? いや、魔獣と言う種族を考えると、彼女という三人称だって言葉の乱れだ。
 いくら命の恩人だからとは言え――そ、そりゃあ、見目麗みめうるわしいと言えなくもなかったけれども。通った鼻筋と細い顎、濡れた唇、魅惑的な肉体を包む柔らかな銀色の体毛、何より疑うことを知らない真っ赤で純真な瞳は。
 胸の奥がくすぐられるみたいな、不快じゃないけど不快なこの感じ。ずっとずっと昔に、それこそ子供の頃くらいに、味わったことがある、様な?
 カタガタ。

「! ま、さか……う、嘘だよ、な?」

 い、いくら女っが無い僕でも、ま、まさか、⁉ ……いや、いやいやいや! 

「っというか、もう会えないからっ!」

 真っ赤な顔になんて気付かず慌てて立ち上がり、熱い額を抑えつつ裏口へと向かう。
 こ、こういう時は調合作業に没頭するに限る。裏庭へ出て白漿果ホワイトベリーの花弁を、一枚一枚引き抜き、乾かすために並べよう。
 ガチャ。
 穏やかな陽だまりが、目の奥に小さな痛みを与える。目が馴れるまでの――微かな――けど無視できない一瞬の時間を要した。ほんの寸刻ちょっとの後、ようやく人影がいるのに気付けた。

「ニャ?」

 ――バタンッ!
 ドクン、ドックン、ドゥックン!
 痛い。物理的に心臓むねが痛い。揶揄やゆ(※例えの意味)ではなく、本当に口から心臓が飛び出るかと思ったよ!

「い、い、今っ」

 閉めた扉に背中を貼り付ける僕は、全身から汗を噴き出し続けた。逆光ひかりで姿はハッキリと見えなかったけど、今の(鳴き)声は。
 無垢な、ちょっと突き放すみたいな、けどほんの少し寂しくてかまって欲しいみたいな声――。
 暴れる心臓を呼吸で少しでも静めてから、そっと振り返る。鎮静効果のある薬を服用しようかとも思ったけど、焦る気持ちがそれすら忘れさせた。
 ガチャ。
 ……目を凝らす。粗末な木の柵でできた中に、八つほどのうねが連なる薬草兼野菜の栽培畑が目に入った。
 その向こうには網棚にて乾燥中の樹皮や木の根、小動物の部位の一部分が並んでいた。もっと奥には色づいた落葉樹が生え重なり、さらに遥か向こうには数多の稜線りょうせんが連なっていた。最奥さいおうには霊峰フィヴリエールの白き頂が、穂先のごとく天に向かってそびえ立つ。

「――っ」

 何ら驚くことはない、何百回と見てきたいつもの景色だ。むしろ昨晩の命の危険を思い起こせば、感謝しないといけないくらいの日常であった。
 さっきの幻視や幻聴も、蒙昧もうまい恋煩こいわずいだと吟遊詩人へ相談すれば、くらいには取り扱ってくれるだろうか?
 なんて自嘲じちょうしつつ、外の空気を何度か吸い込むと、ようやく落ち着けそうであった。

「っと、移植鏝スコップを忘れてた――」

 家の中へ顔を戻すと、少し暗いのに気づいた。
 変だな? 裏口を開けているから明るくなることはあっても、暗くなるなんて――。雨雲が急に山の端から姿を現したのだろうか? 一階の窓に異常は無さそうだといぶかしみつつ、あごに指を当てて顔を上げる。

「ウ、ニィ」

 ! て、天窓から、フワフワで銀色の体毛に覆われた長くて細い脚と尻尾、何より薄い毛に覆われた形の良い、お、お、いたのだから!

「なっ。え! へ?」

 僕の間抜けな声なんて気にも留めず、徐々にくびれた腰や、長い銀の髪で見え隠れする綺麗な背中が降りてくる。やがて腕が伸びきった位置で、ピタリと止まる。
 ――窓から入ろうとしておいて、まさか降りられない、とか?

「ニャ、ニウ」

 天窓の淵に捕まったまま、細い腕がプルプルし始める。衝動的に落ちてきた時のためをと考えて、慌てて真下へ急行して見上げる――んが!

「うっ!」

 あ、当たり前だけど。こ、こ、股間の、だ、大事ながまる、丸視えでぇ――!

「フニュ」

 ……へっ? 息抜きみたいなその声の刹那せつな、なぜか彼女の股間が、僕を目掛けて、迫ってぇ、くっ。

「――あばば、ばっ!」

 グニュウ、ドタ、バキッ――むきゅぅ。
 ……痛っ。倒れた? な、何も、見えない? ――けど、顔面に、柔らかくて温かいナニかと、フワフワで官能的やわらかなのが、引っ付きくっ付き?

「んっ、んんん!」

 さらに、ほんのりと匂うのは獣臭で、けど生々しく僕の本能こころを刺激する、のは?
 と、とりあえず手でもって、顔を押し潰している柔らかなモノを掴む――けど、これまたホワホワで温かくて、やはり極上の手触り――。
 力を込めて持ち上げようとすると、思ったよりは軽かったのに少し驚いた。頭上の方へ、優しくズラしていくと――。

「ニャニャウ?」

 ……柔らかそうな双乳むねのその先、銀の髪がカーテンみたくなびく中に、彼女の顔があった。
 細い眉に赤い瞳、整った顔のラインが織りなす、綺麗で無垢むく表情かおのまま、僕を見つめ返してくる。

「!」

 小首を傾げる彼女から、こんな状況にも関わらず、僕は目を離せないでいた。
 会いたかったよ――真っ先に頭に浮かんだ端的きざなその一言が言えない僕は、思っていたよりも自尊心プライドが大きかったことに、逆に小さく驚された。
 け、けれども。いつまでもこんな(エッチな)姿勢ではいられないと、目線を合わせたまま、ゆっくりと上半身を起こす。
 ――警戒しながらも無警戒さを感じさせる、不思議な雰囲気の彼女は、フワホワな体毛をなびかせつつ、ゆっくりとM字に座った。
 と、というか。やっぱり僕の顔は、彼女の剥き出しの股間に埋まっていたんだ!
 
「ご、ごめん!」

 自分でも驚くくらいの大きな声を出しつつ、身体をひねって深々と頭を下げる。
 ――そもそもよく考えたら、樹々を軽々と飛び移れる彼女からして、こんな程度の高さに緩衝材クッションなんて不要だったはずだ。見方によっては、ま、まるで彼女の露出した股間を見るために潜り込んだみたいな……へ、変態すぎるぞ僕!
 いたたまれない沈黙が周囲を埋めつつ、恐る恐る顔を上げようとした時だった。何かが僕の頭の上に、そっと置かれた。たったそれだけなのに、なんだろうか? ひどく懐かしい感覚が、ホワッとよみがえった。

「ニア」

 ゆったりとした声の主と目線を合わせる。相変わらず余裕たっぷりな彼女は、目で笑いつつ、僕の頭からそっと手を離した。
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