如月を待つ

玉星つづみ

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2月5日(月)

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「ただいまー」

「おかえり」

 リビングからの声。如月きさらぎだ。

 カバンを下ろして、ブレザーを脱ぐ。手を洗って、うがいをする。

「なんか疲れてる?」

 私の顔を見るなり、彼はそう言った。
 そんなにわかりやすいだろうか。嫌なことがあったとはいっても、本当に些細なことだし、もう解決した。抱え込むほどのことじゃない。

「もしかして、昨日ドタキャンした子?」

「そんなわけないって」

 昨日遊ぶ約束をしていた友達には、朝一番に謝られた。気にしてないって言ったけど、菓子折りまで貰ってしまった。本当、礼儀正しくて優しい良い子だ。

「何されたの、暴力とか振るわれてないよね!?」

「そんなんじゃなくて、本当にくだらないことなんだけど……」

 如月は、私にしか見えない。話したことを誰かにバラされることもない。だから、如月になら話してもいいと思った。
 如月から一人分空けてソファーに座る。彼は距離を詰めてこようとしてたけど、これ以上近づくなと視線を送ったら、伝わったようだった。

「お兄ちゃんのことで、ちょっと、いろいろあって」

りつくんのこと?」

 お兄ちゃんは、私と同じ高校に通っている。私は一年で、お兄ちゃんは二年生。

「お兄ちゃん、なんでか知らないけどモテるんだよ」

 私の学校はかなり生徒数が多いのに、他学年にもお兄ちゃんの名前は知れ渡っている。実際はそんな言うほどかっこよくもないのに。噂って怖い。

「あー、わかる。かっこいいもん」

「どこが」

「顔」

 まあ、それなりに整っているとは思う。でも私は幼い頃から見ているからか、お兄ちゃんがイケメンだとは思えない。そもそもお兄ちゃんのことが好きじゃないからかもしれない。

「だから、全然知らない同級生から、お兄ちゃんについて聞かれることがあるんだよね」

「うわー。面倒くさそう」

「もう本っ当に面倒くさいよ。あんな奴のどこがいいのかもわかんないし」

 私に何かと文句を言うくせに、本人は片付けできない、ドア開けっぱなし、朝起きれない、食べるのも眠るのも面倒くさがる。生きていて楽しいのか疑問に思っちゃうぐらい、お兄ちゃんは家ではダメ人間だ。
 学校では猫を被っているのだ。この前、学校で会ったときは、めちゃくちゃ明るくてびっくりした。なんか、周りがキラキラしていた。気持ち悪いと思った。

「で、今日もお兄ちゃんのファンだって子と話したんだけど」

 昼休み、友達とお弁当を食べていたときのことだ。何人かに呼び出された。まだ食べ終わってないんだけどな、と思いながらも、緊急の連絡とかだったら困るから、話を聞きに行った。

「家に遊びに行っていいかって聞かれたんだよ? 知りもしない人から突然。あり得なくない? そんなんダメに決まってるじゃん。絶対に来てほしくない」

 数人の真ん中にいた、リーダーっぽい女の子。彼女が、お兄ちゃんのことが好きらしかった。
 私の友達として家に来て、偶然を装いお兄ちゃんに近づこうって魂胆だろう。これまでにも何度かそういうことがあったから、もう慣れている。

「やば。普通に考えて、知らん人の家に上がり込もうとか図々しすぎる」

「それブーメランじゃない? 如月なんて勝手に家入ってきたよね?」

「オレは仕方ないんだってば」

 如月はそっぽを向く。
 今はお兄ちゃんの話をしているから、じとーっと見つめるだけに留めておく。

「それで終わりだったらまだよかったんだけど」

「終わらなかったんだ?」

 うなずく。たぶん、これ言ったら如月も驚くだろうなと思いながら口を開く。

「写真、撮ってこいって言われたんだよね。お兄ちゃんの」

「は?」

「それか、小さい頃の写真ちょうだいって」

「ちょっと意味がわからないんだけども」

 私も、言われたときは意味がわからなくて、如月と同じような反応をした。いくらお兄ちゃんがかっこよくて憧れで大好きだったとしても、妹にそんなことを頼むのは、ない。

「え、今どきの学生ってそんなんなの?」

「私もびっくりしたよ。まさか、そんなヤバい人が同学年にいたなんて」

 お兄ちゃんのことが好きなのは、理解できないけど、否定はしない。けど、さすがに知りもしない人にお兄ちゃんの写真なんてあげられるわけがない。
 あれでも、一応は私の兄だ。写真ちょうだいなんて言ってくるような気持ち悪い人がお兄ちゃんを好いているのは、気分の良いものではない。

「それで、どうしたの?」

「もちろん断ったよ。断ったんだけど……」

 思い出して、また嫌な気分になる。

「その子、泣き出しちゃって」

「うわぁ」

 私もドン引きした。まさかそんな手法を使ってくる高校生がいるなんて。漫画とかアニメの世界だけだと思っていた。

「私が泣かせたみたいに言われてさ。小学生かっての」

うたちゃんが悪者にされたってこと?」

「周りがどういう目で見てたのかは知らないけどね」

 それまでの過程を知らない人は、私が悪い方に見えていたと思う。知っていたとしても、面倒事からは目を逸らすだろう。

「それって結局どうなったの? 大丈夫だった?」

「大丈夫だったよ。最初から見てた友達が庇ってくれたから」

 最初に庇ってくれたのは、昨日遊ぶ約束をしていた子だった。本当、いい友達を持ったと思う。

「もう疲れちゃってさー。お兄ちゃんとのことに私を巻き込まないでほしい」

 お兄ちゃんのせいじゃないから、八つ当たりもできない。それに、あんなのに寄り付かれているお兄ちゃんは、もっと大変なんだろうと思う。

「てか、そもそもお兄ちゃん、彼女いるし」

「え、マジで!?」

 学校では隠しているらしい。まあ、お兄ちゃんにはあんなファンもいるから当然だ。お兄ちゃんの彼女が何かされるなんて、あってはいけない。

「あーもう、常識ないファンの子に、お兄ちゃんのブッサイクな変顔の写真、送りつけてやろうかな」

 ちょうどこの前撮れた写真がある。お兄ちゃんには消せって怒られたけど、念のために残してあった。

「はは、やめたげてね」

 冗談だ。お兄ちゃんのあんな写真が学校中に広まれば、私まで笑われる。何なら、お兄ちゃんはそういうのを簡単にネタにできるだろうけど、私はうまくかわすなんてできないから、私の方のダメージが大きい。

「詩ちゃんはくだらないことって言ったけど、それ、結構しんどいんじゃないの?」

 如月は、私の手を握った。すごく自然だったから、払うに払えない。

「オレが何かしてあげられるってわけじゃないけど、話ぐらいなら聞くから」

 そういえば、こういう悩みは、誰かに愚痴ったり相談したりしたことがほとんどない。友達とはこういう出来事があるたびに「今回もやばかったねー」とは話すけど、それだけ。あんまり愚痴を言うのも気が引けて、ちゃんと相談できたことはない。

「誰かに話すと、結構すっきりするんだね」

「本当? ならよかった」

 私にとっては、新たな発見だった。これからは、如月だけじゃくて、友達にも相談してみようと思う。せっかく、いい友達がいるんだから。

「ただいま」

「あ、お兄ちゃん。おかえりー」

 噂をすればなんとやら。

 いつの間にか、もうそんな時間だ。意外と長く話していたんだなと実感する。後で、愚痴に付き合ってくれた如月にお礼を言っておかないと。

「何? いつも無視するくせに、気持ち悪いんだけど」

「は? じゃあ、ただいまって言わずに入ってくりゃいいじゃん。なんで文句言われないといかんの?」

「文句じゃねーし。感想だし」

「じゃあわざわざ言うなよ」

「二人とも、喧嘩しないのー」

 お兄ちゃんにファンがいるのは、やっぱり信じられない。おかえりって返しただけで文句を言ってくるような奴が好きなんて、理解できない。
 お兄ちゃんのファンに変顔写真を渡してあげようかなと、一瞬だけ本気で考えてしまった。
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