如月を待つ

玉星つづみ

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2月17日(土)

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如月きさらぎ、ちょっと手伝ってよ」

「んー? 何?」

 キッチンに如月が走ってくる。そんなに急がなくてもよかったのに。うちには物が多いから、走ると転んでしまいやすい。もっとも、精霊に怪我という概念があるのかは不明だが。

「何か作るの?」

「うん。チョコパン作ろうと思って」

 パン作りは結構難しい。手間も時間もかかるから、一日中暇な日じゃないと作れない。

「これがレシピ」

 スマートフォンの画面を見せる。

「へぇ。美味しそうじゃん」

 美味しいものを作って食べたいと思い、料理アプリで作り方を探していた時に見つけたのが、このチョコパン。レシピを見つけたのはかなり前だけど、パンを作るのは面倒くさそうだったから、食べたいという気持ちは強かったが結局作らずにいた。
 今は、せっかく如月という都合の良い人手がいるんだから、彼を使わない手はない。前にホットケーキを一緒に作ったとき、如月は手際がよかったから、たぶんパンみたいな難しいレシピでもなんとかなる。

「オレは何すればいいの?」

「じゃあ、とりあえず、ここからここまでの材料の分量を計っておいて。私はパンの中に入れるチョコの部分作るね」

「はーい」

 鍋に生クリームを入れて、火にかける。レシピには沸騰直前まで温めると書いてあるが、沸騰直前ってどれぐらいなんだろう。レシピにそう書いてあるたびに思っていた。いつもは、何となくこれぐらいかなと思ったらやめていた。
 生クリームが少しふつふつしてきたから、火を止める。

 如月の方を見ると、彼はちゃんと分量通りの量を用意できているようだった。

「あ、こぼれた」

 ……ちょっと不安なところはあるけど、まあ大丈夫でしょ。

 生クリームが入った鍋に、今度はチョコレートを割り入れる。そうしたら、溶けるまで混ぜる。

うた、できたよ」

 如月の目の前には、たぶん分量通りであろう粉類が並べられていた。

「よし。じゃあレシピの……ここ、五番から。やってくれる?」

「やってみる。なんか楽しそうな作り方だね」

 如月には、これが楽しそうに見えているんだ。私には、とてつもなく面倒くさそうな作り方に見えていた。たしかに、ちょっと見方を変えれば、楽しそうにも見える。

 チョコレートが溶けたら、バターを入れる。本当はここに香り付けのブランデーも入れるのだが、あいにく在庫がない。それに、ブランデー入りのチョコレートは、あんまり好きじゃない。

「ねえねえ、こうしたら、ここに牛乳を一気に入れればいいの?」

「そのはず」

 如月はちょっとためらい、牛乳が入った計量カップを傾けたり戻したりしていた。

「いくよ?」

 如月は思い切ってカップを傾ける。

「あ、一気にって言ってもゆっくり……大丈夫か」

 お兄ちゃんだったら、ボウルから粉も牛乳もこぼれるぐらい、勢いよく入れるから、身構えてしまった。如月は意外と丁寧だから、そんな心配は要らなかった。

「そしたら混ぜるんだね」

 如月はボウルの中の材料を混ぜ始めた。

 私も作業を再開する。鍋の中のものを、クッキングシートを引いたバットに流し入れる。平らにしたら、冷蔵庫に入れる。
 パンの中に入れるチョコは、生チョコレートと同じ作り方。生チョコレートならよく作るから、もう手慣れている。

 如月が混ぜているボウルを見ると、だいぶまとまってきているようだった。やっぱり、如月に任せておいて正解だった。

「ん、こんなもんかな」

「次はバターだね」

 混ぜたものをボウルから出して、バターを乗せて、馴染むまでこねる。私がこねる分と、如月の分の、半分に分けた。
 私がこねている生地は、バターとしっかり混ざるのに時間がかかったのに、如月の大きい手では、あっという間だった。

「手大きいっていいね」

「そう?」

 如月は私の手を取り、自分の手のひらと私のとを重ね合わせた。

「わ、ホントだ。詩ちゃんの手、めちゃくちゃ小さい。柔らかっ。可愛い」

 如月は二人の手を比べ終わると、おもむろに指を絡めてくる。如月の手は、大きくて、ちょっと硬くて、どこか安心感があった。

「あの、如月。続きやるから手離して」

「詩ってば、顔真っ赤」

 目を伏せて、如月の手を払う。
 今はパンを作っている最中なんだから、こんなことをしている場合じゃない。

 次は、生地の発酵。オーブンの機能を使うのだ。
 生地をボウルに入れて、ラップをかける。オーブンに入れたら、スイッチを押す。

「これで、しばらくは暇になっちゃうから、その間に今までの作業で使った道具を洗っておこうか」

「じゃあオレが拭く係やるね」

 ボウルとか鍋とか、大きいものは、洗うのがすごく面倒くさい。特に、チョコレートみたいにこびりついてしまう汚れが。
 心の中でぶつぶつ文句を唱えながら調理器具を洗って、如月に渡す。

 如月は手際がよくて、私が調理器具を洗い流し終わるのを待ってくれていた。

「洗い物終了。オーブン、あと何分?」

「十分ぐらい」

 パン生地が発酵し終わったら、フィンガーテストをする。フィンガーテストとは、発酵した生地の真ん中に打ち粉をつけた指を刺して、発酵がちゃんとできているかどうか確かめる方法。しっかりと発酵ができていれば、指を引き抜いたときに、穴が小さくならずにそのまま残るのだ。

「はい、如月が確認して」

 如月の人差し指に小麦粉を塗りたくる。

「オレがやるの? えっと、生地の真ん中をぶっ刺せばいいんだよね?」

「そう。真ん中をぶっ刺せばいい」

 パン作りでいちばん面白いのは、実はフィンガーテストかもしれない。もちもち、ふわふわの生地に指を突っ込むのは、結構気持ちいい。

「えいっ」

 如月はパンの中心に指で穴を開ける。

「よし、穴は塞がってないから、発酵はできてるね」

「なるほど、その確認だったんだね」

 如月はぐいっと私に近づいた。左半分の体が、如月と触れている。あまりの近さに、鼓動が速くなるのを感じた。

「もしかして、ドキドキしちゃってる?」

「あーもう、そういうのいいから。次の工程、やるよ」

 私は平気なふりをして、如月がからかってくるのをかわした。彼が口を尖らせて、不満そうにしている様子が視界に入った。それを無視して、次の作業を始める。

 八等分にして丸める。如月には、半分、四つを丸めてもらった。そうしたら、今度は濡れた布巾を被せて十分放置。

「如月、冷蔵庫に入ってるチョコ取って」

「最初に詩が作ってたやつ?」

「そう。それ」

 生地を寝かせている間に、中に入れるチョコの準備をする。固まったチョコレートを生地と同じく八等分しておく。

「これ美味しそうだね。ちょっと味見しちゃダメ?」

「うーん……ちょっとならいいよ」

「え、いいの!? やったぁ!」

 如月は子供みたいに無邪気に喜ぶ。彼の笑顔を見ると、私まで嬉しくなってしまう。

 切ったときに少し大きくなってしまったチョコレートから、ほんの少しだけスプーンに乗せ、如月に渡す。

「じゃあ、いただきます」

「えっ」

 如月は、私の手を掴んで、スプーンを口に運ぶ。そのまま、パクリと口に入れてしまった。
 これって、恋人がよくやる、いわゆる……あーん、みたいなやつじゃん。え、それじゃん。
 だからって味が変わるわけでも何でもないけど、なんだか恥ずかしい。

「詩って、すぐ顔赤くなっちゃうよね。可愛いね」

「最近そうやってからかうこと多くない? 恥ずかしいんだけど」

「からかってないよ。本気だよ」

 ますます顔が赤くなっていくのを感じた。パン作りをしているだけで、どうしてこんな隠れたいような気持ちにさせられなきゃいけないんだ。

 チョコを生地で包んだら、もう一度発酵させて、あとは焼くだけ。

「如月、見て見て。クマさん」

 丸い耳を二つつけたパン。チョコレートか何かで顔を描いたら、クマさんパンだ。

「ほんとだ。可愛いね」

 私の真似をして、如月も何かの形を作る。

「はい、何でしょう?」

「うーん……ネコ?」

「違うよ、ブタだよ」

 だって耳が三角だったから。ブタと言われても、ネコにしか見えない。見分けがつくとすれば、鼻のあたりがポコってしているところ。あそこに大きめの鼻の穴を描いたらブタだ。

 私は形を作ったパンをオーブンに入れる。焼き上がりが待ち遠しい。

「あ、焼いたパン全部は食べちゃダメだよ。明日持ってく予定だから」

「明日? 何かあるの?」

「一緒に動物園に行こうかと思いまして」

 如月はぱっと顔を明るくして、頬を赤らめる。

「えー! 楽しみだなぁ」

 私も楽しみだ。明日も、如月にドギマギさせられながら、きっと楽しい一日を送れるだろう。
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