如月を待つ

玉星つづみ

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2月18日(日)

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 今日は如月きさらぎと一緒に動物園に行った。

「そういえば、久しぶりに来たなぁ」

 幼い頃は両親に連れてきてもらったことが何度もあった。中学生のときは、写生大会があってそれがこの動物園でだったし、友達と個人的に遊びに行くこともよくあった。でも、高校生になってからは、めっきり行かなくなった。

「ね、うた。あっち行ってみようよ」

「あっ、ちょっと如月。待ってってば」

 楽しそうに駆けていく如月の背中を追う。
 この動物園には、小規模ながらもたくさんの動物がいる。クマに、ヒツジ、サル。トリとかウサギもいる。
 そういえば、最近、新しいレッサーパンダが来たとかって、話題になっていたっけ。

「あ、キツネだ」

 如月がまず最初に足を止めたのが、そこだった。
 一匹は丸まって目を閉じていて、もう一匹は薄っすら目を開けてこちらの様子を伺っている。

「こう見ると、目が細くてかっこいいんだけどなぁ」

「キツネ嫌いなの?」

 如月の言動から、何となくそんな雰囲気を感じた。

「いや。逆にオレが嫌われてるんだよ。前に、めっちゃ追い回しちゃったから」

 追い回したって、そんな犬みたいな……あ、でも、そっか。如月は精霊だから、キツネがたくさんいた時代を見たことがあるのかもしれない。

「あっちにはカンガルー? 行ってみよう」

「わっ」

 如月に手を掴まれて、体が引っ張られる。彼についていくしかなくて、軽く走った。

「すごいよ。なんか、デッキっていうのかな? 下が見渡せる!」

 カンガルーがいる場所は、如月の言う通りデッキになっており、カンガルーがいるエリアを横断できる。小さい頃は、デッキが吊り橋のように見えて、ここを渡るとなんだか冒険しているみたいで楽しかった。

「すごい、いるよ。カンガルー」

「そりゃいるよ」

 デッキから見下ろすと、何匹かのカンガルーがいた。こう見ると、意外と小さく感じる。

「ジャンプしてる! カンガルーって本当にあんな感じで移動するんだ」

 見たことなかったのか。今は動画とかがあるし、知ろうと思えばいつでも見れる。それに、動物園だっていつでもいける。
 そこで、ふと気づいた。

「もしかして、如月って動物園来るの初めて?」

「そうだよ?」

 如月は楽しそうにカンガルーを観察しながら答えた。

「うそでしょ」

 二月の精霊だって、動物園ぐらい来たことがあると思っていた。如月は私よりうんと長い年月を過ごしているのに、動物園は来たことがないなんて。ただの一度も。信じられない。

「詩とが初めてだよ」

 如月は私の手を握る。先に行こうということだろう。

「じゃあ次はオランウータン見て、カワウソのとこ行って、あとシロクマも」

「ちょっと待って、地図見るから……あー、この辺りをぐるぐる回ればいいんだね?」

「そうそう」

 如月が言った場所を巡って、次はシロクマ。シロクマがいる場所は暗い室内で、ほかにもペンギンとか、私が好きなゴマフアザラシがいる。寒いところに生息している動物のコーナーだ。

「外にペンギンいるじゃん。あの子、羽パタパタしてるよ。飛ぶ?」

「ペンギンは飛べないよ」

 その代わり、水の中を飛んでいるみたいにすいすい泳げる。地上にいるペンギンはかわいいけど、水の中のペンギンはかっこいい。
 ペンギンを見終わったら、次はシロクマ。

「シロクマ大きいねー。わっ、びっくりした。ガラス越しだけど、めっちゃ近い」

 意外と、この動物園の中でいちばん好きな場所かもしれない。シロクマもペンギンも、こんなに近くにいる。

「向こうにゴマフアザラシいるよ。行こう」

 如月の服を引っ張る。私は、小さい頃からずっと、ゴマフアザラシが大好きなのだ。

 如月を引っ張りながらたどり着いた先には、ゴマフアザラシの水槽。
 ゴマフアザラシは、ガラス越しの私たちに近いところを、そのポテポテした体を見せつけるように泳いでいた。

「やっぱり可愛い。このおめめとか、鼻の下のポコってしたところとか、あとおひげも。あー、可愛いなぁ」

「オレは、ゴマフアザラシより詩の方が可愛いと思うけどね」

「何言ってんの? 最強に可愛いのはゴマフアザラシでしょ」

 如月の意見は全くもって理解に苦しむものだった。

「ちょっと如月、見てよ。この子目つぶってる。可愛すぎない?」

「そうだねぇ」

 如月はニコニコと笑っていた。やっぱり、ゴマフアザラシの可愛さの前では、みんな笑顔になってしまうんだ。

「そろそろ十二時だし、お昼ご飯にしない?」

「え、まだゴマフアザラシ見てたい」

「詩は放っておいたらここにずっと張り付いてそうだね」

 如月がだんだんつまらなそうになってきたから、仕方なく、昼ごはんを食べるために屋内の休憩スペースに行った。昼ごはんを食べるには、外だと風が強すぎた。
 こんなところに休憩スペースがあったんだ。もうこの動物園には何度も来ているのに、この休憩スペースに行ったのは初めてだった。

「昨日作ったチョコパン、ちゃんと持ってきた?」

「持ってきたよ。はい。冷めて硬くなってないといいんだけど」

 手作りのパンは、そこが難点だった。失敗すると、焼きたて以外は硬くて美味しくなくなる。
 触った感じは大丈夫そうだけど、もし美味しくなかったら、園内にはレストランが何軒かあるから、そこで食事をすればいい。

「ん! 詩、パンふわふわだよ。マジで美味しい」

「ほんと?」

 私もパンをかじってみる。ふわりと噛み切れた。

「時間をかけて作った甲斐があったね。チョコパンうまー」

「詩ってば、口にチョコついてる」

「え、どこ?」

 如月は身を乗り出して、私の口元に触れた。びっくりして、心臓がドクンと跳ねる。

「はい、取れた」

 彼は私の口元についていたチョコを、躊躇なく口に運ぶ。

「あんま、そういうことしない方がいいと思う……」

「ドキドキした?」

「びっくりした」

 その後に食べた残りのチョコパンは、何だか甘すぎる気がした。

「次はどこ行く?」

「シマウマとか、キリンの辺り。キリンは、運がいいとめちゃくちゃ近くで見れるんだよね」

「そうなの? 面白そうだね」

 如月がそう言ってくれたので、次はそのエリアを見た。

「おー、シマウマがいる」

「しま模様、綺麗だね」

「歩いてる! 走らないのかな」

「天敵はいないし、走らないでしょ」

 次は、お隣にいるキリンを見た。

「うわ、高い! キリンの頭と同じ高さじゃん」

 キリンは、キリンの目線の高さのデッキから見ることができる。運がいいと、すぐ近くにキリンの顔がある。

「如月、キリンめっちゃ近くにいるよ」

 今回は運が良くて、キリンを近くで見ることができた。

「優しい目してる。わ、まつ毛みたいなのバサバサ。美人さんだね」

 キリンは一度、写生大会で絵を描いたことがある。でも、こんなに美しくは描けなくて、なんだか申し訳なくなった。

「よし、じゃあ次はライオンね」

「ライオン!? え、シマウマとかキリンとか、食われちゃうじゃん」

「檻は分けてるって」

 近くにはいるけど、さすがに肉食動物と草食動物を会わせることはしないだろう。
 ライオンは、厳重な檻に入っていた。でもその中には岩とかが設置されていて、ライオンにとって居心地が良い場所なんだと思った。

「カッコいい……」

 如月がそう言った瞬間に、ライオンがグオーッと鳴いた。

「百獣の王って言うだけあるね。岩の上の高いところから見下ろしてるの、本当にカッコいい」

 やっぱり、男子ってカッコいい動物が好きなんだろうか。如月の反応がいちばん良い気がする。それに、こんなにじっと見つめているなんて、よっぽど感銘を受けたんだろうな。

「ふと思ったけど、如月ってライオンに似てるよね」

「なんで?」

 言ってから、あれやっぱり違うかなと思ってしまった。

「ライオンじゃないな。トラっぽい」

「トラ?」

「うーん、トラみたいな、猫の仲間の大きいやつ?」

「トラって猫の大きいやつなの? え、猫が大きくなったらトラになるんだ」

「違う。なんかちょっと違う」

 如月は、一見関わってはいけなさそうに見えて、実はこんなに無邪気。それはたしか、ライオンとかトラも一緒だった気がする。テレビで、飼育員さんと戯れているのを見たことがあった。

「トラ見に行ってみる?」

「え、行きたい!」

 ここからだと結構歩くけど、その間にも動物はたくさんいるし、飽きることはないだろう。

「見て見て、すごいよ。おっきな噴水!」

「ほんとだ。綺麗だね」

 大きな噴水は、動物園のちょうど真ん中辺りにある。
 ここよく来たなぁ。小さい頃、私たち家族が園内ではぐれたら、ここに集合することになっていた。

「詩、ちょっと、後ろ向いて」

「何?」

 素直に従う。すると、如月の冷たい手が首筋に触れた。

「ひゃ」

「動かんで」

 如月が耳元でささやく。息が耳に当たってくすぐったい。如月って、食べることはしなくても生きていけるけど、呼吸はするんだ。

 目を閉じて如月が離れるのを待つ。如月の呼吸の音が聞こえる。それ以外の音は聞こえなかった。人の声とか、うるさいはずなのに。

 しばらくして、するりと如月の手がどけられた。

「今の何? どういうこと?」

「これ、はずしただけだよ」

 如月の手には、アメジストのネックレス。如月が、私に似合っていると言ってくれたネックレスだ。

「え、なんで? はずしたの?」

「だって、どこかに引っ掛けて切れちゃうかもでしょ? なくしたら嫌じゃん。オレにとっても、これは大事なものだから……」

「如月にとっても?」

 彼は一瞬だけ寂しそうな顔をしたが、私にニッコリと笑顔を向けた。

「詩はアクセサリーなんかつけなくても、十分すぎるぐらい可愛いよ」

 如月は私の頬をなぞる。その手つきがあまりにも優しくて、くすぐったくて、胸の奥が満たされていく感覚だった。

「周りの人、見てるから」

「オレは詩にしか見えてないよ?」

 そうじゃなくて、一人で赤くなっちゃうのが恥ずかしいから、やめてって意味だったのに。

「じゃあ行こうか。デートの続き」

 如月は手を差し出した。私が手をそっと乗せると、彼は優しく握ってくれた。
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