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3 勇者に試練を与えよう(仮)

058 結界作戦

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「もう一つ、方法があるかもしれません」

 水の竜が暴れるのを止める方法。そんなの、本当にあるのだろうか。魔王軍四天王であるレインの魔法でも、堅い竜の体に傷一つすらつけられなかったのだ。あんな怪物には、人間では敵わない。

 レインは私を真っ直ぐ見つめた。

「それは……シエルさんの結界で、あの竜を封じ込めることです」

「ん?」

 聞き間違えかと思い、私はレインに聞き返す。

「シエルさんの結界であの竜を封じ込めましょう」

「私の、結界で……」

 竜というのは、出会ったら逃げることも敵わない、伝説級魔物に分類されている。そんな化け物を、私の結界で封じ込められるのかな……。

「シエルさんの結界は、ぼくが知る誰の結界よりも堅いです。あなたの結界なら、竜も封じ込められます」

 私の結界は、魔王軍四天王であるレイン、それから蒼炎の騎士シャインにも壊せなかった。だから、ちょっと私すごいんじゃない? とは思っている。

 けど、今回の相手は竜。私の結界に頼られるなんて考えてなかったし、不安で不安でたまらない。

「大丈夫です。もし失敗しても、魔王様や四天王に加勢を頼めばいいだけです」

 今この場に魔王や四天王が現れたら、もっと大問題になってしまう。勇者が魔王軍の強大さを知って、魔王を倒しに(私を助けに)来なくなるかもしれない。それは絶対に避けたい。

「……わかった。やるよ」

 私はマリーナが置いて行ったローブを、濡れていたので絞って水を切ってから羽織った。そのフードで、すっぽりと顔を隠す。勝手に借りたことは、あとでマリーナに謝っておかないといけない。

 レインのように、周りの人に自分が魔法を使っているのだと知られないよう魔法を使うことは、私にはできない。

 結界を張るには、動きを付けたほうがイメージしやすく、自分の最大限の力を使って結界を張れる。竜を閉じ込めるには、絶対そうしたほうがいいと思った。

 だから、ローブで顔を隠したかったのだ。勇者とイルは、私の顔を知っている。顔を見られれば、人質のシエルだとばれてしまうかもしれない。

「大丈夫、できる……」

 深呼吸をしてから、私は前に進み出た。そして、魔法を無効にされて怒っている水の竜に目を向ける。

 ティフォーネ曰く、「大きい魚」。そう思いながら水の竜を見てみると、少し笑えてきた。たしかに「大きい魚」に見えなくもない。

「よし」

 私は手を大きく広げた。そうしたほうがやりやすかったからだ。

 広げた手の範囲に、丸く結界を張る。魔力の膜を張るイメージで、球体を形作っていく。形が整ってくると、私は息を吐きだした。

「そしたら、小さく、小さく……」

 船まで囲うほどに大きく張った結界を、だんだん縮小していく。最初から水の竜に合わせたサイズで囲うより、そうしたほうが、結界に気づかれたときに逃げられないと思ったからだ。

 船体や人、海水などは避けて、水の竜だけを閉じ込める。結界は、最初は薄く張ったが、縮小していくにつれ、分厚く頑丈になっていった。

「それで、こう!」

 水の竜を手のひらで囲う。それと同じイメージで、結界を、空の竜がぴったり収まるぐらいで止める。

「な、なにぃ!?」

 竜は、それまで結界には気づいていなかったらしい。結界のせいで身動きが取れなくなった途端に暴れ出した。

 水の竜の堅くて大きな体が、結界に思いっきりぶつかる。私は結界が壊れないよう、自分が使える魔力の全てを使って、結界の強度を上げた。

「よし、完璧」

 水の竜は結界の中でもがいているが、結界にはひび一つ入っていない。私の結界すごい。

「…………すごい」

 それまで茫然と、結界が張られていく様子を見守っていた勇者が、ぽつりと口にした。

 そうでしょ? 頑張ったもん。そう心の中で言いながら、私は視界がゆがむのを感じた。ぐらりと体が揺れる。

「大丈夫ですか?」

 隣に来たレインが、倒れそうになった私の体を支えてくれた。

「大丈夫……じゃないかもしれない」

「魔力の使い過ぎです。もう無理しなくて大丈夫ですよ」

 レインは私をデッキに座らせた。

 人間は、体内の魔力が急に減少すると、眩暈や頭痛を起こすことがある。私はさっき、竜の結界に、自分が使える魔力のほとんどを使ってしまった。だから、魔力が足りなくなって、ふらついてしまったのだ。

「それにしても、さすがですね、シエルさん。竜まで封じてしまうとは」

 竜が暴れても形を保ち続けている結界を見ながら、レインが呟く。褒められてうれしくなった私は笑顔を浮かべる。

「そうしたら、あの竜を結界ごと遠くへ飛ばして――」

 そう言いかけたレインは、勇者の様子に目を留めた。

「オレも、やらないと……」

 勇者は、聖剣を握り直し、立ち上がる。顔を引きつらせながら、水の竜を見つめている。

 私は唖然として、ただ口をぽかんと開けることしかできなかった。

 ――あの勇者が、剣を竜に向けている……?

 ありえない。だって彼は、信じられないほど臆病で、コガラスにつつかれて泣いているような人だ。そんな彼が、立ち上がっているなんて、自分の目がおかしくなったとしか思えない。

「変えましょう。一旦、勇者に任せてみます。今がチャンスですから」

 作戦変更を余儀なくされたものの、「勇者に試練を与えよう」の目的は、もしかすると達成できるかもしれない。
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