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《黒鉄庵の姫君》 その八
しおりを挟む祟りの証拠を見つけられなかった自分達は、とぼとぼと芥川屋敷に戻った。
離れの土間で、帰りに買った川魚を七輪で焼いていると、ついつい、ぼやきが口を突いて出てしまう。
「やっぱりさ、証拠はないけど、もう呪いってことにして帰ろうよ。祟りでもいい」
「御曹司、それはあまりにも……」
あおばの諫める言葉も、わかる。けれども。
「黒葛黒勝様は、来栖国で一番の嫌われ者だった。それこそ、生者も死者も問わず、誰から殺意を向けられてもおかしくないくらいに、だ。それが、自分でもわかっていたから、あんな鉄の箱に閉じこもったんだろ?」
誰に殺されてもおかしくないから、誰にも会わないよう、冷たい鉄の箱の中に入って、かんぬきを閉めたのだ。
けれど、殺されてしまった挙句、そのことを来栖国の人々は喜んでいる。家老さえも、黒葛家の断絶を悲しみながらも「天領になるほうが民には良き事」と言う始末だ。
「下手人を探して、首を河原に晒して、それでどうなるんだよ。もう改易も決まっているんだ。今さら下手人が晒し首になって、だれが喜ぶ? むしろ、みんながっかりするんじゃないか。悪政を正した人間が、殺されちゃあ、さ」
下手人は、いわば義賊と呼べる人間だ。それを裁くのは、どうだろうか。
「ですが御曹司、それでは世の理が通じますまい。下手人が野放しなどと……」
「わかる、わかるよ? でも、それなら、そもそも黒勝様が野放しになっていた理由って、なんなんだろうって思わない? だって、どう聞いても人間の屑じゃないか」
自分は愚物だが、愚物なりに他者を思う気持ちはある。
「九公一民を目指していたような、無茶苦茶な大名だぞ。この国の民じゃない拙者ですら、死んでよかったと思う――」
そのとき、がた、と音がした。はっとして振り向くと、土間の引き戸が開いている。
涙目の童女が、自分を強く、強く、睨みつけていた。
「行燈男、いまなんと申した? 死んでよかった、じゃと? わたくしの、父上が……!」
しまった、と唇を噛む。聞かれていたのだ。黒姫様は、ずんずんと――今回ばかりは正しくずんずんと歩いて近づいてくる。割って入るそぶりを見せたあおばを、手で制する。なにをされても、仕方がない。自分が悪い、これは。七輪の前で居住まいを正し、待つ。
黒姫様が、自分の胸元を掴んだ。
「よいわけがあるかっ! あんな、あんな死にざまがっ、呪いや祟りなどであるものか! あほ! うつけ! たわけ! この、このっ!」
小さな拳が、何度も自分の胸を叩く。童女の拳なんて、痛くもかゆくもない。けれど、次第にすがりつくようになって、背中を丸めて、嗚咽で肩を震わせる姿は、どうにも……、胸の内が、激しく痛む。
どうして、自分はこうも愚かなのだろう。愚物なりに、他者を思う気持ちがあるだって?
あるなら、こんな風にはなっていないだろう。
「……申し訳ありません、黒姫様。ご無礼を申しました」
ぐすぐすと鼻を鳴らして、童女は自分の胸元に顔を押し付けたまま呟く。
「わかっておるわ、行燈男。父上は、良き大名ではなかったと。民にとっての良き為政者でもなければ、公方様にとっての良き家臣でもなかった。俗物で、あくどい男で……。じゃが、それでも。わたくしにとっては――」
――ただひとり、たったひとりの、家族だったのじゃ。
黒姫様はそう言って、また、泣いた。声を上げて、泣き続けた。
泣き疲れて眠ってしまわれた黒姫様を、芥川様が言うところの一番良い布団に、そっと寝かせる。
……せめて、寝ているあいだは安らかであってほしいな、と思う。だって、この姫にはもう、出家するくらいしか道がないだろうから。お家再興の芽がないわけではないが、黒葛は外様大名だ。長年、外様を冷遇してきた徳川将軍家が、たやすく再興を許すとは思えなかった。
父親を失い、家族も親族もなく、すでに改易が決まっている家の、ひとり残った姫。その生涯を、世を恨みながら、寺に押し込められて終える可能性が高い。齢七歳かそこらの、童女が。本当なら、恵まれた生まれを満喫して生きるはずの姫が。
「……あおば」
名を呼ぶと、それまで黙って控えていた忍びは、いつも通りのすまし顔で首をかしげた。
「先ほどの話に戻りますが、力原様へのご報告の内容は『祟り』でお決まりでございますか。それとも『呪い』にいたしましょうか。言っていらした通り、遠回りで京に寄り、遊んで帰るのも一興かと存じます。せっかくです、羽目を外して豪遊いたしましょう」
こういうとき、あおばは意地悪ばかり言う。……わかってるよ。最初から、自分が大真面目に取り組んでいればよかったのだって、言いたいんだろう。
「あおば。前言を翻してばかりで、不甲斐ないこと、この上ないけどさ」
「はい、なんでございましょうか、不甲斐ない行燈男であらせられる御曹司」
「まだ帰らない」
断言する。
「やっぱり、黒葛黒勝様を殺したのが呪いや祟りだったなんて報告、したくない。すべきじゃないんだ」
「おや。では、誰がやったと?」
「これから調べる。よしんば、本当に呪いや祟りだったとしても……、どんな呪いだったか、誰の祟りだったかくらい、きちんと報告できるようにしておきたい」
自分には、謎解きなんてできない。謎時なんて名前でも。だけど。
「だから、手伝ってくれ、あおば。徹底的に調べ尽くそう」
そうしなければ、黒姫様に叩かれた胸が、じくじくと痛んだままだろうから。
あおばはすまし顔を崩して優しく微笑み、頭を下げた。
「無論、御曹司のご命令のままに」
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