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《密室城》 その五
しおりを挟む茶屋に向かい、おみつさんに「井戸の地下通路のことで話がある」と告げると、彼女は困ったように眉をひそめてから、例の妖しい微笑みを浮かべる。
「ね、ちょっとこっち来て」
と、自分の腕を抱きしめて茶屋の奥に連れ込み、そして「ねーえ、十一郎さーまっ」なんて猫撫で声でしなだれかかってくる。わざとらしいこと、この上ない。
「平凡な村娘にだって、ちょっとした秘密があるんです。ね、黙っていてくれたら、お礼をいたしますけれど……」
「馬鹿にしないでくれるかい、おみつさん。拙者は色仕掛けになびいたりしない」
肩を押しやって、引きはがす。
「いかなる秘密も、見逃すつもりはない」
「そうです、馬鹿になさいますな」
音もなく付いて来ていたあおばも、同調する。
「御曹司は御父上にせびった小遣いで春画を何枚も収集している好事家、村娘の色仕掛けなど歯牙にもかけますまい」
その秘密は見逃しておいてほしかった。茶屋の娘は、こてんと首をかしげる。
「春画をたくさん集めるような助平さんなら、むしろ、村娘の色仕掛けでも簡単に効いてしまうんじゃないの?」
「……。……それは……、なるほど」
おお。我が隠密が言い負かされるところは、久々に見た。あおばは無言で五度ほど呼吸して、冬の江戸湾よりも冷たい視線で自分を睨みつけた。
「御曹司、効くのでございますか。へえ」
「ちゃんと断ったじゃないか、いまも。言い負かされたからって、こっちに矛を向けるんじゃないよ。……本題に戻ろう。おみつさん、あの夜、どうして井戸を通って城に行った? 正直に答えてくれ、ひどいことはしたくない」
自称、平凡な村娘は「……わかったわよ」と唇を尖らせた。
「ようはさ、あたし、情婦だったの。妾というほどでもない、ただの遊び女。一人寂しい黒勝様に、時折、呼ばれて会いに行くの。あたしだけじゃないわよ、何年も前から町の美人な娘は、井戸を通ってこっそりお殿様に会いに行くのが習わしだったの」
おいおい。あの城の警備体制はどうなっているんだ、と呆れてしまう。
「ま、気に入られれば、妾なり側室なりに取り立てられたんだろうけど、黒勝様ってば、ちょっと……、好みがね」
おみつさんは、やおら小袖をはだけて、肩を露出した。……薄れているが、痛々しい紫色のあざがある。顔をしかめる自分を横目に、あおばが淡々と問う。
「そういうご趣味でございましたか」
「そ。だから、妾でも側室でもない、お遊びの女が必要だったみたいよ。公然の秘密ってやつね。あたし達はお金をもらう代わりに、黒勝様の寂しい夜を慰める玩具になってあげるの。それだけの関係で、他にはなにもないわ」
おみつさんは、黒勝様が凶兆の夢を見たと知っていた……、当然だ。その夢を慰めるのも、彼女の仕事だったのだから。
「芥川様は、情婦のことを?」
「もちろん、ご存知よ。……迷惑をかけるな、といつも気にかけてくださっていたし、たまに団子も買いに来てくださるの。お優しい方よ」
やはり、知っていたから、あのときひどく疲れた顔をされたのか。かの御家老にも、自分達に言っていない秘密が、多々あるのだろう。
「では、あの夜も伽のお相手があったのでございますね?」
「ええ。でも、約束通りに会いに行ったけど、黒鉄庵には入れなかった。『今日はよい』って、中からお返事があったの。だから、顔も見ずに帰って来たわ」
おみつさんが会いに行ったとき、つまり丑の刻はまだ、黒勝様は生きていたらしい。赤龍法師の証言とも合致する。
「ちなみにですが、おみつ様。黒勝様を殺したいと思ったことはございますか?」
「あるわよ。毎回、痛くされるんだもの。でも、我慢してたわ。たんまりと銭をいただけるなら、あたし、大抵のことは我慢できるの。……どこに銭を隠しているかは言わないわよ?」
快活な町娘の裏側……、とでもいうべきか。
江戸でも、似たような話がないわけではないし、さほど驚きはしないけれど。でも、そこまでしてやることなのか? その……、情婦という仕事は。
「……殺意をおぼえるくらいなら、辞めればよかったんじゃないの。それほど、金に困っていたのかい」
「この国で金に困っていない人なんて、いないわよ。あたしは親もいないし、ね」
おみつさんは自嘲気味に笑った。
「父親は不明、母親は何年も前に……、死んじゃった。お殿様の玩具になるだけでお金を稼げるなら、簡単な話じゃない。……父親のお金で春画を買うようなお侍様には、わからないでしょうけど」
ぐさりと言葉で刺された。そう言われると、なにも返す言葉がなくなってしまう。黙りこむしかない自分を横において、あおばが質問を続ける。
「返事があったと仰いましたが、間違いなく黒勝様御本人の声でございましたか。なにか、普段と違う点や、奇妙に思うことなど、ございませんでしたか」
「ええ、本人だったわよ。奇妙といえば……、そうね。お城から人払いをした日に、あたしを呼ぶなんて、変だとは思ったけど。でも、黒勝様が変なのは、今さらだもの」
「来栖城、地下通路、黒墨寺において、黒勝様以外の誰かとお会いになったりは?」
「していないわ。誰にも会っていない」
聞く限りにおいて、おみつさんが下手人だとは、思えない。痛めつけられることを嫌がってはいても、割り切っていたようだし。……殺してしまえば、銭も貰えなくなるし。
「では、おみつ様。あなたは、誰が下手人だとお考えでございますか」
「え? そんなの、呪いに決まっているじゃない。本人がそう言っていたもの。たいそう恐れていらっしゃったわよ、呪いを。おかげで慰めるのも大変でねぇ」
伽の場で、そういう弱音を吐いていた、と。
「誰からの呪いが、恐ろしいと?」
「誰からの呪いでも、恐ろしいでしょ。江戸の大目付の誰それが怖いとか、臣下のどなたが恐ろしいとか、あとは……、よくお名前を聞いたのはご子息様かしら」
「息子? 黒康様のことかい」
寺で聞いた名である。
「どうして、実の息子から呪われると思っていたんだい、黒勝様は」
おみつさんは「さあ」と首をひねった。
「そこまでは知らないわよ。でも、伽の玩具相手にも言えないくらい、ひどい扱いをした自覚があるんでしょう。逐電したのも、それが原因かもね」
「そういえば、正念も言っていたけど、黒康様は逐電したんだね。てっきり、病気で亡くなったのかと思っていたけど、失踪したってことかい。一国の世継ぎが」
驚きの情報だと思ったけれど、おみつさんは笑った。
「十一郎様は、純朴なのね。この国じゃ、そんな不祥事、当たり前よ。それとも、江戸のお方は、みんな十一郎様のようなのかしら」
「御曹司は特別、純朴なお方でございます。この年で」
あおばが注釈を入れた。いらない注釈を。
そこで、茶屋の表から「おうい、おみつ! おらんのか!」と大声が響く。おみつさんが、慌てて顔を出した。
「こら、やちよ婆! 大きな声出さないでよ、奥に十一郎様達がいらっしゃるんだから」
「……へえ。茶屋の奥で客取るようになったのかい。そりゃいい、あたしゃもやるか」
「違うわよ! 取れるわけないでしょ、その年で! お二人は、その……、例の事件のことで、ね」
ちょうどいい。次の取り調べ相手が、向こうからやってきてくれた。
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