浮気刀と忍法帖:聳え立つのは密室城

ヤマモトユウスケ

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《鳥の一党、あおばずく》 その八

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 自分は黒姫様に向き直った。

「黒姫様。予定通り、拙者は明日早朝、江戸に発ちます。あおばは駕籠で運ばせます。長い旅程になりますが、手配すれば明後日には発てるでしょう。江戸の方がゆっくり養生できますし、正直、来栖には置いておきたくありません」

 七歳の童女は、唇を真横一文字に引き結んで、なにも言わない。

「拙者が出る際に、芥川様も連れてまいります。これは大目付、力原野心様の命に沿ったもの。この後すぐ、来栖の民にもそう振れを出してください。これ以上、誰かに毒を盛られたら、かないませんし。……ご理解いただけますね?」

 小四郎が目を見開いた。

「待て待て待て。それじゃ、じじいが下手人ってことになっちまうから、一所懸命に書類だのなんだのを漁っていたんじゃなかったのかよ。まだ、時間はあるぜ。諦める前に、もうひと踏ん張りくらい――」
「それがどうしたんだよ」

 駄目だ。もう、抑えきれそうにない。

「どうだっていいだろ、もう。誰が下手人かとか、証拠の在り処とか、井戸の出入りとかかんぬきがどうのとか、どうでもいい! あおばが毒を盛られたんだぞ!」

 大声に反応したのか、臥したあおばが眉をひそめた。

「拙者はもう、こんな国にかかわりたくない。あおばをかかわらせるのも嫌だ。下手人は、芥川三茶で決まりだ。……文句があるというなら、言うがいい」

 腰に手をやり、鞘を握る。

「拙者を浮気刀の十一郎と知って、なお、文句があるのなら」

 小四郎は一歩下がり、黒姫様をかばう位置に立った。
 芥川様は黙して語らず、正念は御住職の影に隠れている。

「……ないな? では、そのように――」
「ござい、ます……」

 小さな声。はっと、布団を見る。あおばが、うっすらと細く、まぶたを開いていた。

「御曹司、は。徹底的に、調べると……、おっしゃったでは、ございません、か。あれは、嘘でござい、ますか」
「あおば、無理をしてしゃべるな。体力を使うな」

 慌てて膝をつき、顔をよせる。

「もういいんだ、明後日には江戸に送るから、十日後には榊原の屋敷で養生できる」

 ぎゅう、とあおばの手のひらが、自分の着物の襟を掴んだ。

「じゅん、ばん。なして、くださ――」

 と、そこまで言って。
 あおばは、再び目を閉じた。手のひらが、布団に落ちる。
 ……息は、ある。弱々しい鼓動も。なにも言えなくなった自分に、黒姫様が口を開いた。

「本来、貴様らは江戸の大目付、力原野心様の命で来ただけじゃ。外様大名の黒葛家に、ここまでしてもらえただけで、御の字よ。感謝しこそすれ、恨みはせん。根暗女についても、責任をもって駕籠に乗せ、見送ると約束しよう。我が命に代えてもな」

 なにか言いたげな小四郎を手で制し、黒姫様は帯に手を置いて言葉を続ける。

「いずれ、来栖城の天守は取り壊され、黒鉄庵も解体されよう。じいもいなくなれば、わたくしに残されるものは、この帯と、死の謎と、数々の汚名だけじゃ。……暗愚兄もおったな。なんじゃ、四つも残るではないか。まったく儲けものよな」

 ほんの七歳の童女は、事ここにいたっても、誇り高かった。

「じゃからもう、わたくしのことを案ずる必要はない。じゃが、根暗女のことは、案じてやれ。そやつの望みがなにか、わたくしは知らん。会って七日も経っておらんのじゃ、わたくし達は。じゃがな、行燈男。貴様は違うじゃろ」
「……拙者は、なにが違うと?」
「貴様だけが、根暗女を知っておる。竹馬の友なんじゃろう。ずっと一緒にいたんじゃろう。じゃったら、そやつの望みがわかるのもまた、貴様だけじゃ」

 黒姫様は、寂しそうに目を伏せた。

「わたくしは、父上を正すことができないまま、失った。じいも……、家老芥川三茶もまた、死ぬことになるじゃろう。貴様はせめて、悔いがなきようにな」

 自分は……、ただ黙って頭を下げた。
 なんだかとても、やるせなかった。


 いつの間にか、夜になっていた。
 離れに移り、横たわるあおばの前で、膝を抱えて思う。

「なしてください、だったのかな」

 一瞬、目を覚ましたときに発した言葉は。
 為してください。あるいは、成してくださいか。『為せば成る』ならば、すなわちどちらも同じこと。為さねば、成らぬ。
 であれば、自分はなにを為すべきなのだろう。
 ……そんなこと、わかりきっている。散々、あおばに言われ続けてきたじゃないか。

 『江戸に帰り大目付様にご報告するまでが、お勤めでございます』
 『将軍様の元で、世のため人のために尽力すること、それが武士の勤めでございます』
 『御曹司には武士の誇り、譲れない一分というものがないのでございますか』
 『控えめに申しあげますが、御曹司は武士の風上にも置けない愚物でございます』
 『ですが御曹司、それでは世の理が通じますまい』
 『御曹司も、たまにはご自身の頭でお考え下さいませ』
 『御曹司、うつけるのもいい加減にして、しゃんとなさいませ』
 『御曹司のために命を捨てるのが、やつがれの務め』
 『お言葉ですが、御曹司は決して、頭の出来が悪いわけではございませんよ』
 『より良い使い方と使いどころを、まだ御存じないだけでございます』
 『御曹司は恵まれておいででございますゆえ、いろいろな生き方を模索できるでしょうが』

 ――『世の中には、生き方を選べない者のほうが、よほど多くいるのでございます』

 あおばが、自分になにを成してほしいのか。そのために、なにを為すべきなのか。
 ずっと、教えてくれていたというのに。
 昼以来、あおばは目を覚ましていない。まだ息が浅く、予断は許さないという。
 毒は中和されたはずだけれど、それでも生き残るかどうかは賭けだ。

「……おぼえているかい。拙者達がまだ幼く、あおばが毎日、忍びの訓練に励んでいた頃の話だけどさ。拙者はおまえに、そんなに鍛えて強くなっちゃ、嫁の貰い手がなくなるぞと言ったんだ」

 いじわるな言い方をしたな、と思う。得てして、男児とはそういうものだけど。

「そうしたら、おまえ、江戸でいちばん強い男に貰ってもらうから、どれだけ強いおなごになっても問題ない、なんて言い返してきた。まるでおぼえちゃいないようだけどさ」

 おぼえられていたら、ずいぶんと恥ずかしいから、それについては思い出さなくていい。
 ただ、目覚めてほしかった。自分の大切なひとに。

「……わかったよ、あおば。成せるかどうかは、わからないけど」

 まずは為してみなければ、なにも変わらないのだ。
 あおばの書いた紙を取り出し、離れの畳に広げる。考えて、考えて、考えて、月が沈んで日が昇り、鶏が鳴き出す頃に――、自分はひとり、離れを出た。

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