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《報告の四》
しおりを挟む「――そうして、拙者は江戸に帰り着きました。昨日のことでございます。芥川三茶様は榊原邸にて軟禁し、沙汰を待たれておるわけです」
もちろん、すべてを語ったわけではない。
あおばと自分のこととか、要約したところはたくさんあるが……、ようやく、現在に至った。軽く達成感を感じさえする。
「おい、待たんか貴様」
ぎろりと、烏丸様の眼光が達成感ごと自分を貫いた。
「それでは結局、真の下手人も、黒幕も、わからんままなのではないか!」
本気で怒ってらっしゃるようだった。
「腕のある若者が、ようやく真面目にお勤めに取り組んだかと思えば、なんだその結末は! ふざけおって!」
怒り心頭といった烏丸様と違い、力原様は穏やかな表情で微笑んでいる。
「まあまあ、そう怒るな。結局、下手人は芥川三茶であった、ということなのだろう。御仏は常に儂らを見ておられる。これが正しい終わり方なのだ」
「力原殿まで、ふざけたことを言うな。御用金の行方はどうなったのだ。こやつの従者に毒を盛った忍びは、誰だったというのだ」
力原様が、顎を撫でて「ふうむ」と唸った。
「なるほど、御用金がどこに流れていたかは、気になるところだ。だがな、烏丸殿。来栖は改易で天領となる。これからは何割だろうと我ら幕府の管理。取り戻せん過去より、未来の話をしようではないか。毒については気の毒だが、江戸に連れ帰ってきたのであろう?」
「は。一日遅れで来栖を出る手はずでしたから、すでに江戸に到着しているかと」
四人がかりで動かす早駕籠だが、今回は病人を載せているし、徒歩の速度で来たはずだ。ちょうど、自分が江戸に着いた翌日に、着くはず。要するに本日だ。そろそろ榊原屋敷に着いた頃だろう。
「ほうら、生きておる。毒を盛ったのも、ひょっとして忍びではなく、町の者だったのではないか? 黒葛に恨みある町人だらけなら、隠密の末裔かなにかが、家老の家に毒入りの漬物を売りに行っても、おかしくはなかろう」
「かんぬきは、どうだ。城が荒らされた理由も判明しておらん」
「それについては、不思議としか言いようがあるまい。世の中にはまだまだたくさんの不思議があるものだ、うん」
飄々と話す力原様に、烏丸様が押し黙る。
力原様は楽しそうに、「いや、おもしろい話であった。ご苦労、ご苦労」と自分をねぎらった。
「芥川三茶への沙汰は、すぐに決まるとも。どうせ斬首になるだろうからな。榊原謎時、おまえへの褒美は百両ほど用意する。ああ、明日にでも届けさせるさ」
烏丸様が、苦虫を噛みつぶしたような顔で自分を睨んだ。
「長々と話して、結局、貴様はなにがしたかったのだ。試合で決め手に欠ける剣士が防御に徹して、いたずらに時間を稼ぐようなものだ。見苦しい上に、あまり好ましい姿ではない。おまえはむしろ、試合を急く性格だと思っていたが」
時間を稼ぐ――、という言葉に、思わず笑みが漏れた。ふたりの大目付が、怪訝な顔をなさる。……烏丸様は、さすが、剣士の駆け引きをご存知だ。
「ええ、その通りでございます。時間を稼ぎ、待っておりました」
「……なにを、待っていたと?」
それはもちろん。
「黒幕を暴くための証拠が、江戸に届くのを……、で、ございます」
お二人が、一瞬、動きを止めた。先に言葉を発したのは、烏丸様だ。
「謎時よ。証拠は見つからなかった、という話だったはずだ」
「ええ。城内にはありませんでした。二の丸にも、天守黒鉄庵にも。しかし、黒勝様が遺したものは、他にもございました。まずは最初に、それをこそ、調べるべきだったのです」
そこで、座敷の外から、「失礼いたします」と声がかかる。大目付の返事を聞かず、自分は膝をついて襖を開けた。
廊下には、ひとりの童女が正座して待っていた。
いつもの黒い振袖ではなく、華やかな花柄友禅の振袖を着て、帯も違う。傍らには、地味な鼠色の小袖を着た女性が、ひっそりと控えていた。
自分は頭を下げ、姫を迎え入れる。
「お待ちしておりました、黒姫様」
「うむ、ご苦労。……お初にお目にかかります、力原様、烏丸様。わたくしは黒姫。黒葛の最後の姫にございます」
これには、さすがの力原様も驚いたようだった。
「……来ていたのか。聞いておらんぞ、そんな話は」
「言ってございませんので。ああ、拙者以外からの報告で、ということでしょうか」
先ほどまでの多弁が嘘のように、押し黙る。
自分は黒姫様の横に控える女性に視線をやる。まだ、顔色が悪そうだが、無理はしていないだろうか。
「あおば。黒姫様の護送、ご苦労だった。……体の調子はどうだ?」
「は。まだ本調子ではございませんが、御曹司が敵の目を引き付けてくださいましたので、安心して休みながら江戸まで旅が出来ました」
黒姫様が「ふん」と鼻を鳴らす。
「駕籠の二人乗りで、しかも、根暗女は毒で弱り切っておると来た。駕籠の外には出られんし、付き添いの暗愚兄は気が利かんしで、大変じゃったのじゃぞ」
苦笑する。それは申し訳なかった。
「そういえば、父上は? 一緒じゃないのかい」
あおばと黒姫様が江戸城に入るには、直参旗本榊原家の現当主であり、勘定方に勤める父の助けが必要だったはずだが。
「朝時様は、本丸の前まで送ってくださいました。自分の勤めは、最後まで自分でなんとかせよ、と言付かってございます」
そうか。おそらく、父のことだから「面倒だな」くらいの気持ちだろう。
……だいたい、あの人が子供に謎時なんて名前をつけたり、上司に売り込んだりするから、こんなことになるのだ。最後くらいは、付き添ってくれもよかっただろうに。
烏丸様が、ようやく驚きから帰ってこられたのか、ごほんと咳を打つ。
「おまえが十一郎のお付きの隠密か。……なるほど、以前、道場の外で一度まみえたことがあったな。大木葉木菟の弟子であったか」
「おぼえていただいていたとは、恐悦至極に存じます」
ともあれ――、これで、ようやく役者がそろった。
「……で、これはなんの真似かな? 儂を愚弄しておるのか? 罪人を連れ帰ったと聞いておったのに、どうしてこんなにも人の数が増えておる? 肝心の芥川三茶は、城に連れてこなかったくせに」
力原様が、いらつきを隠さずに言った。自分は向き直り、説明を続ける。
「拙者は来栖から罪人を連れ帰ったのではなく、罪人を明らかにするために、本日この場に参ったと、最初に申しております。回りくどい真似をしたのは――」
時間稼ぎに、長話までしたのは。
「――簡単に言えば、敵の目をあざむくためにございます。棒手振りが毒入りの漬物を売りに来たことからもわかるように、敵の忍びめは、拙者達を見張っておりました」
調査に関する動きをすれば、毒入り漬物などという回りくどい手段ではなく、直接、殺しに来ただろう。迎え撃っても良かったが、芥川屋敷では黒姫様達を巻き込む可能性があった。それに、忍びは忍びだ。黒幕ではない。
「忍びを殺しても、事件は解決いたしません。また、拙者はそうは思いませんが、多くの人間が忍びを使い捨ての道具だと思っております。これほどの規模で裏金を集める輩です、道具がひとつ壊れただけ、と思われて終いでしょう。ならばこそ」
自分は、考えた。一所懸命に、為すべきことがなにか、考えたのだ。
「黒幕を出し抜くため、策を弄する必要がありました。榊原謎時は、下手人は芥川三茶様であったと力原様に報告するため、失意の中で江戸に戻ったと思わせたのです」
「心が折れていると思わせたのか、敵に。やるではないか、十一郎」
光栄です、と頭を下げる。とはいえ、そこまで大変なことではなかった。逃げる気が微塵もない老人を連れて来栖から江戸まで七日、徒歩の旅をしただけだし。
「忍びは、拙者はもちろん、芥川様からも目を離すわけにはまいりません。拙者が江戸に帰るまでがお勤めであったのと同様、黒幕を隠蔽し、罪を誰かに――あるいは呪いや祟りに――押し付けるまでが、忍びの任務だったのですから」
なるべく、知るものは少ないほうがいい。芥川屋敷を発つ直前の早朝、自分は本邸の黒姫様を訪ねて、策を話した。臥せるあおばの横で、必死に考えたことを。
「先に出発した拙者達。それを見張る敵方の忍びには、あとから駕籠で出発したあおば――毒で倒れた病人が臥せる駕籠の中に、黒姫様も潜んでいる……、とは、気づかれなかったようですね。策は功を奏し、黒姫様は江戸城本丸に辿り着きました」
烏丸様が、大きくうなずいた。
「では、姫が黒幕へ続く証拠を持ってきた……、というわけか。では、問おう。証拠とはなんだ? そして、その証拠が示す黒幕とは、誰なのだ」
自分はあおばを見る。あおばはうなずき、脇に置いていた黒い布を開いた。
「こちらに、しかと。では、黒姫様、そして御曹司。最後の仕上げをお願いいたします」
期待が重いな、と苦笑する。だが、ずっと無視してきた重さだ。やっと背負えた重さだ。
これくらい、なんのことはない、と強がってみせようじゃないか。
「黒幕は、黒葛黒勝様が回収した来栖国の御用金を、吸い上げられるほどの地位と力を持つお方。悪事が露呈しそうになれば、来栖国ごと黒勝様を切り捨てる冷酷なお方」
つまりは、絶大な権力の座に居る方。当代でいえば、二人の大目付。
「そして、黒勝様の死の真相を適当な理由で隠ぺいするため、ご自身の有能な部下ではなく、江戸で悪名高い昼行燈に命を下せるお方でございます」
そこだけが、誤算だった。烏丸殿に怪しまれすぎない、ちょうどよくお二人の間にいた、昼行燈。早々に雑な推理をして帰ってくるはずだった愚物が、まさか、呪いや祟りと言った結論に飛びつかず、芥川三茶様の自白にもなびかず――真面目に謎を解いてしまうとは、さしもの力原様にだって、予想できなかったに違いない。
黒姫様が、その真っ黒な分厚い布、黒勝様から賜ったという帯を開いた。縫い目はすでにほどかれている。来栖を発つ直前に、黒姫様に許可を得て、自分がほどいた。あとはここしか、調べていないところがなかったから。
だけど、この帯こそが正解だった。足掻いた先で、見つけた証拠。
やけに分厚く、童女には重たく、普段遣いには向かない黒い帯。だけど、その分厚さと重さに、黒にこだわる黒葛家の、最後のあがきが封じられていたのだ。
――その内側に隠されていたものは、ひもで結ばれた、小さな紙片の束。黒姫様は帯の中からそれを取り、両手で自分へと差し出した。
「行燈男。今こそ、我が父上の遺したものを、貴様に託す。そして、これを以って、我が仇討ちへの助力を請う」
「承りました。しかと、この手にて」
黒葛黒勝様が隠した紙切れの束を、小さな手のひらから受け取り、ひもをほどいて――、勢いよく、座敷の空中にぶちまける。
「……芥川様は、やはり、細かな指示が記された書簡に従って、帳簿をつけていたそうです。しかし、帳簿に記された花押や署名は見たことがなかった。書かれていなかったのかとも思いましたが、その実、芥川様に見せる前に黒勝様が切り取っていたようですね」
畳の上に散らばるのは、切り取られた書簡の一部。
黒勝様は、帳簿の指示が記された書簡の本分は、一切残さなかった。芥川様の作業が終われば、きちんと処分していたのだ。それは、自分自身の不正の証拠でもあるからだろう。当然の保身だ。
しかし、黒勝様は同時に、こうも考えたのだろう。
『いざというときの、切り札が欲しい』と。
その結果が、数十枚に及ぶ紙片。
どれも一様に同じ花押が記された、紙吹雪。
今時、花押型を使わず、きちんと筆で描かれ塗られ、
羽ばたく蝶のような形に崩された――、
――『野』の、一文字が。
自分を射殺さんばかりに睨む、力原野心様の、花押だ。
負けじと睨み返し、見得を切る。
「恐れながら、献言いたしますれば!」
まさか、この決め台詞を自分が言うことになるとは思わなかったけれど。
言うからには、きちんと決めなければなるまい。
「この一件、裏で手を引いていたのは、大目付の力原野心様でございます!」
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