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第1話 最弱種からの捕食者
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湿った土の匂いと、鼻を刺すような腐臭が肺を満たした。
重い瞼を持ち上げると、そこには見覚えのない岩肌が広がっている。
天井からは水滴が垂れ、絶え間なくピチャリ、ピチャリという音を反響させていた。
「……ここはどこだ」
口から漏れたのは、低く、しゃがれた奇妙な音声だった。
俺は自分の喉に手を当てる。
指先に触れた感触に、思考が冷え固まった。
ざらついた皮膚。節くれ立った関節。
視界に入ってきたのは、緑色の皮膚に覆われた、か細く醜い三本指の手だった。
「なんだ、これは。俺の手じゃない」
俺は地面の水溜まりを覗き込む。
水面に映っていたのは、歪んだ耳と大きな鼻を持つ、小鬼の顔だった。
ファンタジー小説やゲームで幾度となく見た、最弱の雑魚モンスター。
ゴブリン。それが今の俺の姿らしい。
「冗談だろう。俺が、こんなゴミのような魔物になったというのか」
混乱しかけた瞬間、視界の端で何かが明滅した。
意識を向けると、半透明の青いプレートが空間に浮かび上がる。
まるでゲームのステータス画面だ。
名前:なし
種族:ラント・ゴブリン
レベル:1
体力:10/10
魔力:5/5
攻撃:3
防御:2
俊敏:4
魔導:1
スキル:全能解析、無限捕食、進化の導き手
称号:転生者
「ラント・ゴブリン……」
ラント(Runt)。発育不全、あるいは群れの中で一番の出来損ないを意味する言葉だ。
ゴブリンの中でもさらに最底辺。
それがこの世界における俺の初期位置というわけか。
あまりにもふざけた待遇に、乾いた笑いが漏れる。
「おい、いつまで寝ているんだ。この出来損ないが」
背後から、鼓膜を震わせるような怒声が叩きつけられた。
振り返るのと同時、強烈な衝撃が腹部を襲う。
視界が反転し、俺の体はボールのように吹き飛んで岩壁に激突した。
「が、はっ……」
激痛が走る。
肺の中の空気が強制的に排出され、咳き込む。
ステータス画面の体力バーが、一撃で半分以上も消し飛んでいた。
顔を上げると、そこには豚の顔をした巨漢が立っていた。
肥満体でありながら全身が筋肉の鎧に覆われている。
鼻息を荒くし、汚物を見るような目で俺を見下ろしていた。
《対象解析開始》
《種族:オーク・コーポラル レベル:15》
《状態:通常 脅威度:高》
脳内に無機質な声が響く。これが『全能解析』か。
俺の意思とは無関係に、相手の情報を瞬時に丸裸にするらしい。
オーク・コーポラル。魔王軍の下級兵士長クラスだ。
レベル1の俺とは、現時点で天と地ほどの差がある。
「すまない。今起きたところだ」
俺は痛みを殺し、努めて冷静に答えた。
感情任せに噛みつけば、その場でミンチにされるだけだ。
「口の利き方に気をつけろ、ゴミ屑が。貴様のような規格外の弱種、本来なら生まれた瞬間に潰しておくべきだったんだ」
オークは鼻を鳴らし、巨大な足で俺の頭を踏みつけた。
グリグリと地面に顔を押し付けられる。
泥と砂の味が口の中に広がった。
「明日、人間たちの砦へ突撃をかける。貴様らゴブリンは矢避けの肉壁だ。精々、我らオーク様の盾として役に立て」
「……なるほど。使い捨ての道具というわけか」
「そうだ。光栄に思え。魔王軍の捨て駒として死ねるのだからな」
オークは下卑た嘲笑を残し、洞窟の奥へと歩き去っていった。
遠ざかる背中を見送りながら、俺はゆっくりと体を起こす。
怒りはなかった。
あるのは、冷徹なまでの計算だけだ。
「肉壁として死ぬ? 断る」
俺は自分の掌を見つめ、握りしめる。
力は弱い。爪も脆い。
だが、俺には与えられたギフトがある。
『全能解析』と『無限捕食』。
この二つがあれば、世界の理(ことわり)すらも覆せるはずだ。
「まずは現状の打破だ。少しでもステータスを底上げする必要がある」
俺は洞窟の隅、湿気が溜まる暗がりに目を向けた。
そこには、青白く発光する奇妙なキノコが群生している。
通常の生物なら本能的に避けるような、毒々しい色合いだ。
「解析」
思考するだけで、情報が脳内に奔流となって流れ込む。
名称:マナ・マッシュルーム。
微量の魔力を含有しているが、神経毒の成分が強い。
通常のゴブリンが食せば、数分で呼吸困難に陥り絶命する。
「毒か。だが、俺には関係ない」
『無限捕食』の概要には、「対象を摂取することで、その者の能力、記憶、魔力を100パーセントの確率で継承する」とある。
毒だろうが呪いだろうが、食ってしまえば俺の糧になるだけだ。
俺は躊躇なくキノコを毟り取り、口の中へ放り込んだ。
強烈な苦味と、舌が痺れるような刺激。
だが、俺は顔色一つ変えずに咀嚼し、嚥下する。
《無限捕食が発動しました》
《対象:マナ・マッシュルームを分解・吸収します》
《神経毒を無効化。魔力変換を行います》
《スキル『魔力感知』を獲得しました。魔力の最大値が1上昇します》
脳内に響く通知音と共に、体の内側から熱い力が湧き上がってくる。
視界が明瞭になり、空気中に漂う微弱な魔力の流れが、色のついた粒子として視認できるようになった。
「……素晴らしい。本当に食うだけで強くなるのか」
俺の口元が自然と歪む。
努力も修練も必要ない。
ただ食らい、奪い、自らの血肉に変えるだけ。
これほど効率的で、救いようのないほど強力なシステムが他にあるだろうか。
「次だ。もっと食わせろ」
俺は飢えた獣のように洞窟内を徘徊し始めた。
壁に張り付いた苔。
岩陰に潜む多足の蟲。
泥水の中に蠢く得体の知れない生物。
目に映る有機物を、片っ端から解析し、口へ運ぶ。
「不味いな。だが、栄養価は悪くない」
泥のような味の苔を飲み込む。
《無限捕食により、土耐性を獲得しました》
《体力の最大値が2上昇しました》
硬い殻を持つ甲虫を、殻ごと噛み砕く。
口の中に嫌な汁が弾けたが、それすらも快感に変わる。
《対象:アイアン・ビートルを捕食》
《スキル『硬質化』を獲得しました》
《攻撃力が2、防御力が3上昇しました》
食べるたびに、筋肉の繊維が作り変えられていく感覚がある。
骨密度が増し、皮膚が硬質化し、神経の伝達速度が向上していく。
弱いゴブリンの肉体が、急速に生物としてのランクを駆け上がっていた。
洞窟の奥へ進むと、一匹の巨大なネズミと鉢合わせした。
体長は五十センチほど。鋭い前歯は人間の指など容易く食いちぎるだろう。
《対象:ジャイアント・ラット レベル:3》
《推奨:捕食による俊敏性の向上》
「今の俺の実験台には丁度いい」
ネズミが威嚇の鳴き声を上げ、飛びかかってくる。
速い。
だが、魔力感知と強化された動体視力を持つ俺の目には、その軌道がスローモーションのように映っていた。
「そこだ」
俺は最小限の動きで突進を回避する。
すれ違いざま、手に入れたばかりの『硬質化』を発動させた指先を、ネズミの首筋に突き立てた。
ズブリ、という生々しい感触。
指は肉を裂き、頸椎を正確に破壊していた。
ネズミは痙攣し、すぐに動かなくなった。
「雑魚が。俺の糧になれることを感謝しろ」
俺は温かい死肉に食らいつく。
血の味が喉を潤し、肉が胃袋に落ちるたびに力が漲る。
《ジャイアント・ラットを捕食》
《スキル『疾走』を獲得しました》
《俊敏が5上昇しました。経験値が規定に達しました》
《レベルアップ。レベルが5になりました》
全身の細胞が活性化し、疲労が消し飛ぶ。
レベルアップに伴う全ステータスの底上げ。
今の俺ならば、先ほどのオーク相手でも不覚は取らないだろう。
だが、まだ足りない。
あいつらを殺すだけでは不十分だ。
俺を見下したことを後悔させ、絶望の中で食い尽くすには、圧倒的な「差」が必要だ。
「もっと強い獲物はいないか」
俺はさらに深く、暗い闇の奥へと足を進めた。
しばらく進むと、肌に触れる空気が変わった。
冷たく、澄んだ空気が流れてくる。
視界が開け、巨大な地底湖が姿を現した。
湖面は淡い青色の光を放ち、幻想的な光景を作り出している。
そのほとりで、一匹の美しい獣が水を飲んでいた。
月光を固めたような銀色の毛並みを持つ狼。
その姿は神々しくすらある。
《対象:シルバー・ウルフ レベル:8》
《種族特性:高速移動、鋭敏な嗅覚》
《警告:対象はゴブリン種にとって捕食者にあたります》
「捕食者? 違うな」
俺は音もなく石剣を抜いた。
ボロボロの支給品だが、今の俺が握れば凶器と化す。
「捕食するのは俺の方だ」
殺気を放つ。
狼が弾かれたように顔を上げ、こちらを睨んだ。
低い唸り声と共に、銀色の残像となって襲いかかってくる。
その速度は、先ほどのネズミとは比較にならない。
通常の動体視力では捉えることすら不可能だろう。
だが、『全能解析』が未来を予測するかのように、狼の攻撃ルートを脳内に描画する。
右から左へ。喉笛を狙う牙の軌跡。
「遅い」
俺は一歩踏み込み、カウンターの要領で石剣を振り抜いた。
『硬質化』で強度を増した筋肉が、風を切る音を置き去りにする。
剣閃が銀色の毛並みを切り裂き、鮮血が舞った。
「キャウンッ!」
狼が悲鳴を上げ、地面を転がる。
致命傷ではないが、機動力は奪った。
俺は間髪入れずに距離を詰め、狼の首を片手で鷲掴みにする。
抵抗しようと爪を立ててくるが、硬質化した俺の皮膚には傷一つ付かない。
「終わりだ。無限捕食」
俺がスキル名を口にした瞬間、狼の体が光の粒子となって分解され始めた。
生命そのものが、俺の体内へと吸い込まれていく。
《シルバー・ウルフの捕食に成功》
《スキル『銀狼の嗅覚』『瞬発力強化』を獲得》
《レベルが8に上昇しました》
《進化の条件を満たしました。進化先を選択可能です》
脳内にツリー状の図形が展開される。
・ホブゴブリン(一般進化)
・スカウト・ゴブリン(敏捷特化)
・マジック・ゴブリン(魔力特化)
どれも平凡だ。
俺が求めているのは、こんな既定路線の進化ではない。
思考した瞬間、全能解析が隠されたルートをこじ開けた。
《条件達成を確認。ユニーク進化『バリアント・ゴブリン』を提示します》
バリアント(変異種)。
通常に存在しない、規格外の進化系統。
全ステータスの成長補正が極大化し、あらゆるスキルの適正を持つ万能型。
「当然、それだ」
選択を確定させる。
心臓が早鐘を打ち、全身の骨格が軋みを上げて変形を始めた。
激痛はある。だが、それ以上に凄まじい快楽があった。
矮小だった手足が伸び、筋肉が密度を増して張り詰める。
汚い緑色だった皮膚は、鋼のような光沢を持つ灰色へと漂白されていく。
光が収まった時、水面に映る俺の姿は別物になっていた。
背丈は人間に近く、醜悪だった顔つきは精悍に、そして冷酷な美しさを帯びている。
瞳は鮮血のような真紅に染まり、暗闇を見通す力を宿していた。
「力が……溢れてくる」
握りしめた拳から、バチバチと魔力が放電する。
これなら、あのオークどもを素手で引き裂ける。
その時、新しく手に入れた『銀狼の嗅覚』が微かな匂いを捉えた。
甘い花の香りと、鉄錆のような血の匂い。
同族の体臭ではない。もっと高貴で、純粋な魔力の香りだ。
「……客か」
俺は匂いの元を辿り、湖の対岸へ向かう。
岩陰を回り込んだ先で、俺は興味深い光景を目撃した。
数匹のゴブリンが、一人の少女を取り囲んでいた。
薄汚れた衣服でも隠しきれない、透き通るような白い肌。
月光を織り込んだような金色の長髪。
そして何より特徴的なのは、背中に生えた半透明の美しい羽だった。
《対象解析:ハイエルフの王女 ティナ》
《状態:魔力封印、衰弱》
ハイエルフ。森の貴族とも呼ばれる希少種だ。
なぜこんな最底辺の掃き溜めにいるのか。
状況から察するに、魔王軍に捕まり、慰み者としてゴブリンたちに下げ渡されたといったところか。
「ひっ、こないで……! 触らないで!」
少女が震える声で拒絶する。
だが、ゴブリンたちは下卑た笑い声を上げ、彼女の四肢を押さえつけようとしていた。
美しいものが汚される光景。
本来なら胸糞悪い場面だが、俺には好都合な展開に見えた。
王族の恩を売れる。
そして何より、あの羽を持つエルフは、俺の「国」を彩るのに相応しい。
「どけ、雑魚共」
俺はあえて足音を消さず、堂々と彼らの背後へ歩み寄った。
冷え切った声が、空間の温度を一気に下げる。
ゴブリンたちが一斉に振り返る。
「ギッ? 誰だテメェ!」
「俺たちの獲物だぞ、失せろ!」
進化した俺の姿を見て、彼らは同族だと認識できていないようだ。
あるいは、本能的な恐怖で思考が麻痺しているのか。
「言葉が通じないか。まあいい」
俺は無造作に手を振った。
ただそれだけの動作。
だが、そこから生じた衝撃波は、鋭利な刃となって空間を疾走した。
「ア゛ッ――」
先頭にいた三匹のゴブリンの首が、何が起きたのか理解する間もなく宙を舞った。
断面から鮮血が噴き出し、ボトボトと湿った音を立てて肉塊が崩れ落ちる。
「ギ、ギャアアアッ!」
残ったゴブリンたちが悲鳴を上げ、腰を抜かして後ずさる。
俺はその内の一匹の頭を鷲掴みにし、軽々と持ち上げた。
「俺は、お前たちのような汚物が視界に入るだけで不快なんだ」
指に力を込める。
果実が潰れるような音と共に、ゴブリンの頭部が砕け散った。
残りの雑魚が蜘蛛の子を散らすように逃げ出そうとするが、逃がすわけがない。
俺は地面を蹴り、『疾走』で一瞬にして背後に回り込む。
手刀を一閃。
残りの二匹も、声帯を震わせる暇もなく両断された。
静寂が戻る。
血溜まりの中に立ち尽くす俺を、ハイエルフの少女が呆然と見上げていた。
碧眼には、恐怖と、それ以上の困惑が浮かんでいる。
「あ、あなたが……助けてくれたのですか?」
「勘違いするな。目障りな虫を掃除しただけだ」
俺は少女の前に跪き、その華奢な顎を指先で持ち上げた。
近くで見ると、その造形美は際立っていた。
今は泥にまみれているが、磨けば宝石のように輝くだろう。
「な、名前は……」
「俺に名はない。だが、お前の新しい飼い主だ」
俺は有無を言わせぬ口調で告げた。
少女は息を呑んだが、抵抗の意志は見せない。
俺の圧倒的な力を目の当たりにし、本能的に支配者だと悟ったのだろう。
「立てるか?」
「あ、足が……力が入りません」
魔力封印の首輪のせいか、彼女の体力は限界に近い。
俺は少女を軽々と横抱きにした。
羽のように軽い。
「捕まっていろ。ここを出るぞ」
「ど、どこへ行くのですか?」
少女が不安げに俺の胸元を掴む。
俺は洞窟の出口、その先にある広大な世界を思い描きながら、不敵に笑った。
「決まっている。俺たちの国を作る場所だ」
オークたちが騒ぎを聞きつけて来る頃には、俺たちは影も形もないだろう。
次に会う時は、奴らが俺に平伏する時だ。
俺は少女を抱えたまま、闇の中へとその身を翻した。
重い瞼を持ち上げると、そこには見覚えのない岩肌が広がっている。
天井からは水滴が垂れ、絶え間なくピチャリ、ピチャリという音を反響させていた。
「……ここはどこだ」
口から漏れたのは、低く、しゃがれた奇妙な音声だった。
俺は自分の喉に手を当てる。
指先に触れた感触に、思考が冷え固まった。
ざらついた皮膚。節くれ立った関節。
視界に入ってきたのは、緑色の皮膚に覆われた、か細く醜い三本指の手だった。
「なんだ、これは。俺の手じゃない」
俺は地面の水溜まりを覗き込む。
水面に映っていたのは、歪んだ耳と大きな鼻を持つ、小鬼の顔だった。
ファンタジー小説やゲームで幾度となく見た、最弱の雑魚モンスター。
ゴブリン。それが今の俺の姿らしい。
「冗談だろう。俺が、こんなゴミのような魔物になったというのか」
混乱しかけた瞬間、視界の端で何かが明滅した。
意識を向けると、半透明の青いプレートが空間に浮かび上がる。
まるでゲームのステータス画面だ。
名前:なし
種族:ラント・ゴブリン
レベル:1
体力:10/10
魔力:5/5
攻撃:3
防御:2
俊敏:4
魔導:1
スキル:全能解析、無限捕食、進化の導き手
称号:転生者
「ラント・ゴブリン……」
ラント(Runt)。発育不全、あるいは群れの中で一番の出来損ないを意味する言葉だ。
ゴブリンの中でもさらに最底辺。
それがこの世界における俺の初期位置というわけか。
あまりにもふざけた待遇に、乾いた笑いが漏れる。
「おい、いつまで寝ているんだ。この出来損ないが」
背後から、鼓膜を震わせるような怒声が叩きつけられた。
振り返るのと同時、強烈な衝撃が腹部を襲う。
視界が反転し、俺の体はボールのように吹き飛んで岩壁に激突した。
「が、はっ……」
激痛が走る。
肺の中の空気が強制的に排出され、咳き込む。
ステータス画面の体力バーが、一撃で半分以上も消し飛んでいた。
顔を上げると、そこには豚の顔をした巨漢が立っていた。
肥満体でありながら全身が筋肉の鎧に覆われている。
鼻息を荒くし、汚物を見るような目で俺を見下ろしていた。
《対象解析開始》
《種族:オーク・コーポラル レベル:15》
《状態:通常 脅威度:高》
脳内に無機質な声が響く。これが『全能解析』か。
俺の意思とは無関係に、相手の情報を瞬時に丸裸にするらしい。
オーク・コーポラル。魔王軍の下級兵士長クラスだ。
レベル1の俺とは、現時点で天と地ほどの差がある。
「すまない。今起きたところだ」
俺は痛みを殺し、努めて冷静に答えた。
感情任せに噛みつけば、その場でミンチにされるだけだ。
「口の利き方に気をつけろ、ゴミ屑が。貴様のような規格外の弱種、本来なら生まれた瞬間に潰しておくべきだったんだ」
オークは鼻を鳴らし、巨大な足で俺の頭を踏みつけた。
グリグリと地面に顔を押し付けられる。
泥と砂の味が口の中に広がった。
「明日、人間たちの砦へ突撃をかける。貴様らゴブリンは矢避けの肉壁だ。精々、我らオーク様の盾として役に立て」
「……なるほど。使い捨ての道具というわけか」
「そうだ。光栄に思え。魔王軍の捨て駒として死ねるのだからな」
オークは下卑た嘲笑を残し、洞窟の奥へと歩き去っていった。
遠ざかる背中を見送りながら、俺はゆっくりと体を起こす。
怒りはなかった。
あるのは、冷徹なまでの計算だけだ。
「肉壁として死ぬ? 断る」
俺は自分の掌を見つめ、握りしめる。
力は弱い。爪も脆い。
だが、俺には与えられたギフトがある。
『全能解析』と『無限捕食』。
この二つがあれば、世界の理(ことわり)すらも覆せるはずだ。
「まずは現状の打破だ。少しでもステータスを底上げする必要がある」
俺は洞窟の隅、湿気が溜まる暗がりに目を向けた。
そこには、青白く発光する奇妙なキノコが群生している。
通常の生物なら本能的に避けるような、毒々しい色合いだ。
「解析」
思考するだけで、情報が脳内に奔流となって流れ込む。
名称:マナ・マッシュルーム。
微量の魔力を含有しているが、神経毒の成分が強い。
通常のゴブリンが食せば、数分で呼吸困難に陥り絶命する。
「毒か。だが、俺には関係ない」
『無限捕食』の概要には、「対象を摂取することで、その者の能力、記憶、魔力を100パーセントの確率で継承する」とある。
毒だろうが呪いだろうが、食ってしまえば俺の糧になるだけだ。
俺は躊躇なくキノコを毟り取り、口の中へ放り込んだ。
強烈な苦味と、舌が痺れるような刺激。
だが、俺は顔色一つ変えずに咀嚼し、嚥下する。
《無限捕食が発動しました》
《対象:マナ・マッシュルームを分解・吸収します》
《神経毒を無効化。魔力変換を行います》
《スキル『魔力感知』を獲得しました。魔力の最大値が1上昇します》
脳内に響く通知音と共に、体の内側から熱い力が湧き上がってくる。
視界が明瞭になり、空気中に漂う微弱な魔力の流れが、色のついた粒子として視認できるようになった。
「……素晴らしい。本当に食うだけで強くなるのか」
俺の口元が自然と歪む。
努力も修練も必要ない。
ただ食らい、奪い、自らの血肉に変えるだけ。
これほど効率的で、救いようのないほど強力なシステムが他にあるだろうか。
「次だ。もっと食わせろ」
俺は飢えた獣のように洞窟内を徘徊し始めた。
壁に張り付いた苔。
岩陰に潜む多足の蟲。
泥水の中に蠢く得体の知れない生物。
目に映る有機物を、片っ端から解析し、口へ運ぶ。
「不味いな。だが、栄養価は悪くない」
泥のような味の苔を飲み込む。
《無限捕食により、土耐性を獲得しました》
《体力の最大値が2上昇しました》
硬い殻を持つ甲虫を、殻ごと噛み砕く。
口の中に嫌な汁が弾けたが、それすらも快感に変わる。
《対象:アイアン・ビートルを捕食》
《スキル『硬質化』を獲得しました》
《攻撃力が2、防御力が3上昇しました》
食べるたびに、筋肉の繊維が作り変えられていく感覚がある。
骨密度が増し、皮膚が硬質化し、神経の伝達速度が向上していく。
弱いゴブリンの肉体が、急速に生物としてのランクを駆け上がっていた。
洞窟の奥へ進むと、一匹の巨大なネズミと鉢合わせした。
体長は五十センチほど。鋭い前歯は人間の指など容易く食いちぎるだろう。
《対象:ジャイアント・ラット レベル:3》
《推奨:捕食による俊敏性の向上》
「今の俺の実験台には丁度いい」
ネズミが威嚇の鳴き声を上げ、飛びかかってくる。
速い。
だが、魔力感知と強化された動体視力を持つ俺の目には、その軌道がスローモーションのように映っていた。
「そこだ」
俺は最小限の動きで突進を回避する。
すれ違いざま、手に入れたばかりの『硬質化』を発動させた指先を、ネズミの首筋に突き立てた。
ズブリ、という生々しい感触。
指は肉を裂き、頸椎を正確に破壊していた。
ネズミは痙攣し、すぐに動かなくなった。
「雑魚が。俺の糧になれることを感謝しろ」
俺は温かい死肉に食らいつく。
血の味が喉を潤し、肉が胃袋に落ちるたびに力が漲る。
《ジャイアント・ラットを捕食》
《スキル『疾走』を獲得しました》
《俊敏が5上昇しました。経験値が規定に達しました》
《レベルアップ。レベルが5になりました》
全身の細胞が活性化し、疲労が消し飛ぶ。
レベルアップに伴う全ステータスの底上げ。
今の俺ならば、先ほどのオーク相手でも不覚は取らないだろう。
だが、まだ足りない。
あいつらを殺すだけでは不十分だ。
俺を見下したことを後悔させ、絶望の中で食い尽くすには、圧倒的な「差」が必要だ。
「もっと強い獲物はいないか」
俺はさらに深く、暗い闇の奥へと足を進めた。
しばらく進むと、肌に触れる空気が変わった。
冷たく、澄んだ空気が流れてくる。
視界が開け、巨大な地底湖が姿を現した。
湖面は淡い青色の光を放ち、幻想的な光景を作り出している。
そのほとりで、一匹の美しい獣が水を飲んでいた。
月光を固めたような銀色の毛並みを持つ狼。
その姿は神々しくすらある。
《対象:シルバー・ウルフ レベル:8》
《種族特性:高速移動、鋭敏な嗅覚》
《警告:対象はゴブリン種にとって捕食者にあたります》
「捕食者? 違うな」
俺は音もなく石剣を抜いた。
ボロボロの支給品だが、今の俺が握れば凶器と化す。
「捕食するのは俺の方だ」
殺気を放つ。
狼が弾かれたように顔を上げ、こちらを睨んだ。
低い唸り声と共に、銀色の残像となって襲いかかってくる。
その速度は、先ほどのネズミとは比較にならない。
通常の動体視力では捉えることすら不可能だろう。
だが、『全能解析』が未来を予測するかのように、狼の攻撃ルートを脳内に描画する。
右から左へ。喉笛を狙う牙の軌跡。
「遅い」
俺は一歩踏み込み、カウンターの要領で石剣を振り抜いた。
『硬質化』で強度を増した筋肉が、風を切る音を置き去りにする。
剣閃が銀色の毛並みを切り裂き、鮮血が舞った。
「キャウンッ!」
狼が悲鳴を上げ、地面を転がる。
致命傷ではないが、機動力は奪った。
俺は間髪入れずに距離を詰め、狼の首を片手で鷲掴みにする。
抵抗しようと爪を立ててくるが、硬質化した俺の皮膚には傷一つ付かない。
「終わりだ。無限捕食」
俺がスキル名を口にした瞬間、狼の体が光の粒子となって分解され始めた。
生命そのものが、俺の体内へと吸い込まれていく。
《シルバー・ウルフの捕食に成功》
《スキル『銀狼の嗅覚』『瞬発力強化』を獲得》
《レベルが8に上昇しました》
《進化の条件を満たしました。進化先を選択可能です》
脳内にツリー状の図形が展開される。
・ホブゴブリン(一般進化)
・スカウト・ゴブリン(敏捷特化)
・マジック・ゴブリン(魔力特化)
どれも平凡だ。
俺が求めているのは、こんな既定路線の進化ではない。
思考した瞬間、全能解析が隠されたルートをこじ開けた。
《条件達成を確認。ユニーク進化『バリアント・ゴブリン』を提示します》
バリアント(変異種)。
通常に存在しない、規格外の進化系統。
全ステータスの成長補正が極大化し、あらゆるスキルの適正を持つ万能型。
「当然、それだ」
選択を確定させる。
心臓が早鐘を打ち、全身の骨格が軋みを上げて変形を始めた。
激痛はある。だが、それ以上に凄まじい快楽があった。
矮小だった手足が伸び、筋肉が密度を増して張り詰める。
汚い緑色だった皮膚は、鋼のような光沢を持つ灰色へと漂白されていく。
光が収まった時、水面に映る俺の姿は別物になっていた。
背丈は人間に近く、醜悪だった顔つきは精悍に、そして冷酷な美しさを帯びている。
瞳は鮮血のような真紅に染まり、暗闇を見通す力を宿していた。
「力が……溢れてくる」
握りしめた拳から、バチバチと魔力が放電する。
これなら、あのオークどもを素手で引き裂ける。
その時、新しく手に入れた『銀狼の嗅覚』が微かな匂いを捉えた。
甘い花の香りと、鉄錆のような血の匂い。
同族の体臭ではない。もっと高貴で、純粋な魔力の香りだ。
「……客か」
俺は匂いの元を辿り、湖の対岸へ向かう。
岩陰を回り込んだ先で、俺は興味深い光景を目撃した。
数匹のゴブリンが、一人の少女を取り囲んでいた。
薄汚れた衣服でも隠しきれない、透き通るような白い肌。
月光を織り込んだような金色の長髪。
そして何より特徴的なのは、背中に生えた半透明の美しい羽だった。
《対象解析:ハイエルフの王女 ティナ》
《状態:魔力封印、衰弱》
ハイエルフ。森の貴族とも呼ばれる希少種だ。
なぜこんな最底辺の掃き溜めにいるのか。
状況から察するに、魔王軍に捕まり、慰み者としてゴブリンたちに下げ渡されたといったところか。
「ひっ、こないで……! 触らないで!」
少女が震える声で拒絶する。
だが、ゴブリンたちは下卑た笑い声を上げ、彼女の四肢を押さえつけようとしていた。
美しいものが汚される光景。
本来なら胸糞悪い場面だが、俺には好都合な展開に見えた。
王族の恩を売れる。
そして何より、あの羽を持つエルフは、俺の「国」を彩るのに相応しい。
「どけ、雑魚共」
俺はあえて足音を消さず、堂々と彼らの背後へ歩み寄った。
冷え切った声が、空間の温度を一気に下げる。
ゴブリンたちが一斉に振り返る。
「ギッ? 誰だテメェ!」
「俺たちの獲物だぞ、失せろ!」
進化した俺の姿を見て、彼らは同族だと認識できていないようだ。
あるいは、本能的な恐怖で思考が麻痺しているのか。
「言葉が通じないか。まあいい」
俺は無造作に手を振った。
ただそれだけの動作。
だが、そこから生じた衝撃波は、鋭利な刃となって空間を疾走した。
「ア゛ッ――」
先頭にいた三匹のゴブリンの首が、何が起きたのか理解する間もなく宙を舞った。
断面から鮮血が噴き出し、ボトボトと湿った音を立てて肉塊が崩れ落ちる。
「ギ、ギャアアアッ!」
残ったゴブリンたちが悲鳴を上げ、腰を抜かして後ずさる。
俺はその内の一匹の頭を鷲掴みにし、軽々と持ち上げた。
「俺は、お前たちのような汚物が視界に入るだけで不快なんだ」
指に力を込める。
果実が潰れるような音と共に、ゴブリンの頭部が砕け散った。
残りの雑魚が蜘蛛の子を散らすように逃げ出そうとするが、逃がすわけがない。
俺は地面を蹴り、『疾走』で一瞬にして背後に回り込む。
手刀を一閃。
残りの二匹も、声帯を震わせる暇もなく両断された。
静寂が戻る。
血溜まりの中に立ち尽くす俺を、ハイエルフの少女が呆然と見上げていた。
碧眼には、恐怖と、それ以上の困惑が浮かんでいる。
「あ、あなたが……助けてくれたのですか?」
「勘違いするな。目障りな虫を掃除しただけだ」
俺は少女の前に跪き、その華奢な顎を指先で持ち上げた。
近くで見ると、その造形美は際立っていた。
今は泥にまみれているが、磨けば宝石のように輝くだろう。
「な、名前は……」
「俺に名はない。だが、お前の新しい飼い主だ」
俺は有無を言わせぬ口調で告げた。
少女は息を呑んだが、抵抗の意志は見せない。
俺の圧倒的な力を目の当たりにし、本能的に支配者だと悟ったのだろう。
「立てるか?」
「あ、足が……力が入りません」
魔力封印の首輪のせいか、彼女の体力は限界に近い。
俺は少女を軽々と横抱きにした。
羽のように軽い。
「捕まっていろ。ここを出るぞ」
「ど、どこへ行くのですか?」
少女が不安げに俺の胸元を掴む。
俺は洞窟の出口、その先にある広大な世界を思い描きながら、不敵に笑った。
「決まっている。俺たちの国を作る場所だ」
オークたちが騒ぎを聞きつけて来る頃には、俺たちは影も形もないだろう。
次に会う時は、奴らが俺に平伏する時だ。
俺は少女を抱えたまま、闇の中へとその身を翻した。
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